第29話 恋人《ラヴァーズ》
『不可解』
何もない空間で、声だけが響いた。
その声に感情はこもっておらず、無機質な機械音声のようであったが、それとは裏腹にその中身は疑念に満ちていた。
『『正義』ト死神ノ戦闘。途中ノ過程ニ、不可解ナ点ガアル』
『死神単独カツ劣勢デアッテモ、死神ハ権能ヲ使用シナカッタ』
『ソシテ、劣勢カツ権能ヲ使ワナイママ、正義ヲ倒シテイル』
声が疑問に思うのは、数日前にショッピングモールで伊坂誠二が正義と交戦した際の観測結果だ。
あの場で、権能を使わない死神相手に正義は優勢であったが、あるタイミングで不意に体勢を崩し、その隙を突かれて敗北した。
だが、それはあまりにも不自然なのだ。
正義のレベルは7であり、正位置と違って逆位置は剣を使用した近接戦闘に高い適性がある。
そんな正義が、何の原因もなくああも無様に崩れるものだろうか。
『・・・死神が、何らかの妨害を行ったと見るのが自然』
闇の中に、再び声が響く。
無機質ながらも、その声は女性のようだった。
『異議アリ。死神ハ権能ヲ使用シテイナカッタ。死神ノ基本能力ニ、ソノヨウナ能力ハナイ』
『それは浅慮。あの死神はイレギュラー。元々の素材から違う。死神ではなく、元となった人間が特殊な力を持っていた可能性がある』
『・・・現段階デ、判断ハ不可能』
結局、その場で答えを出すには、あまりにも情報が不足していた。
元々警戒している死神の権能を把握することはおろか、死神の素となった人間にも何らかの能力がある可能性すら浮かび上がってきた。
現段階で、死神への対抗策として造り上げているモノの完成度は9割に達したが、それでも死神に未知の力があるのならば、なんとしてもその情報を手に入れてフィードバックせねばならない。
『・・・・・』
闇の中に、巨大な建造物の影が浮かび上がる。
この存在に費やした魔力は膨大だ。
コレが破れてしまえば、儀式という怪異は、人間という資源を後先考えず浪費せねば立ち行かなくなってしまうだろう。
今はまだ、一地方都市の住民が数十人倒れる程度で済んでいるが、場合によっては、大都市に住む人間すべてが文字通り『消える』可能性すらある。
人間の思念と魔力を素に生まれた怪異にとって、人間は貴重な資源だ。
人間1人1人が持つ魔力は少なく、数で補っているために、怪異は、少なくとも『儀式』と呼ばれる怪異は人間を殺すのを極力避ける。
しかし、そうも言っていられないかもしれないのだ。
『・・・!!死神ノ反応ヲ検知』
そのとき、儀式が縄張りとしている街の中に、大きな魔力が噴き上がった。
ここ数日は、死神はいつも拠点としている場所で断続的に魔力が湧き上がるのが続いているが、今回のものは反応が桁違いだ。
まるで戦闘時のように、攻撃的な魔法を使い、高速で移動しているようであった。
『死神ノ単独行動。イレギュラーノ能力ヲ見極メル好機』
『正義ニヨル『ルール強制』ノ権能ハ有効。シカシ、結局ハ破レタ。異ナルタイプノ権能ヲ投入スル』
『!!・・・精神系の権能を推奨する』
女の声が、指針を示した。
『精神系。疑問。高レベルノ死神ニ、精神系ガ通用スル可能性ハ低イ』
すぐさま、その意見に反対する声が上がる。
精神に作用する魔法というのは、通用するのならばこれ以上なく効率的であるが、魔力量が多い存在には通りにくい。
ましてや、死神はその権能から、すべての怪異の中でも最も強い抵抗力を持っていると言ってもいい。
だが、女の声はよどみなく答えた。
『それはあくまで死神が権能を使用した場合。通常の姿ならば効果を及ぼすことは不可能ではない』
『・・・権能ニヨル精神干渉ヲ主目的トスルナラバ、魔力リソースハ最低限デヨイ。現状ヲ考エレバ効率的。了承。レベル5ノ『恋人』ヲ創造、派遣スル』
『・・・・・』
闇の中に、新しい影が浮かび上がり、すぐに消えた。
ソレと同時に、先ほどまで響いていた声も消える。
『・・・・・』
だが、何かが存在する気配は残り続けていた。
残った何かは、その場にたたずみ、思案する。
(前回の戦闘で、危うく『欠片』が殺されかけた。死神の傍だからと安心はできない。力をつけるまでは、本体へのリスクは可能な限り小さくする)
精神系の権能を持つモノを向かわせたのは、死神の近くに声の主の『欠片』がいるのを察知したからだ。
前回の戦闘でも、近くに欠片がいるのは分かっていたが、強大な力を持つ死神がいるのならば問題ないと判断し、儀式への干渉は避けた。
しかし、儀式が己の仕掛けた改ざんに気付くレベルで苦戦した以上、安心はできない。
故に、欠片自身が耐性を持ち、死神にも通じにくいであろう精神系の権能を持つ大アルカナを向かわせたのである。
これならば、欠片が退場するリスクを大きく下げることができる。
(欠片には、こんなところで退場してもらう訳にはいかない。まだ、中盤戦にすら入っていないのだから。こんなところで、私の目的を潰させる訳にはいかない。そう・・・)
そこで声の主は、否、かつて『始まりの魔女』と呼ばれた者のなれの果ては、己の願いを想う。
(『儀式』の完成こそが、この私のすべてなのだから)
-----
『ツキコ、いや、ツキコさん!!オレと付き合ってください!!』
『・・・は?』
私の手を握り、跪くような体勢になっている黒い鎧。
その禍々しい髑髏の仮面から漏れた声を聞き、私が思ったことはただ一つ。
『キモっ!?』
鎧の手を振り払いながら、私は叫んだ。
それほどまでに、今の状況を受け入れられなかったのである。
そして、情熱的な告白を無碍にされた伊坂誠二の反応はといえば。
『・・・ああ、キミに嫌われているのは分かっている。突然こんなこと言われても困るよね。それでも、オレはこの気持ちを抑えられないんだ』
まるで堪えていなかった。
むしろ、兜の奥に灯る輝きが益々強くなったような気すらする。
『・・・・・』
絶句。
それが、今の私できる反応のすべてだった。
私には何も言えなかったのだ。
あまりにもあんまりな、まるで少女漫画のやたらと目がキラキラした優男が言うような台詞が、ヤクザも裸足で逃げ出すような凶悪な髑髏から零れてくるという正気が削れるような事態に直面。
長く生きてきたとは思うが、ここまで珍妙な経験をしたことは未だかつてない。
障害があるほど燃え上がるタイプなのかもしれないなと、あまりの事態に一周回ってこの場面を俯瞰するかのように見ている私は思った。
『だから、だから!!まずは友達からでいい!!オレのことを知ってもらいたいんだ!!キミのためなら、オレはなんでもできる!!』
『とりあえずちょっと黙れ』
『わかった』
なんでもすると言ったので、反射的に黙れと言うと、伊坂誠二は口を閉じて動かなくなった。
『ふぅ~・・・』
ひとまず、私の精神を魔法なしでかき乱す者が静かになったので、軽く伸びをして息を吐き出す。
そのまま、スーハーと何回か息を吸っては吐き、吸っては吐いて落ち着くと・・・
『いや、どういう状況だコレは!?』
『・・・・・』
全然落ち着ける訳もなく、私は伊坂誠二の兜を両手で掴みながら叫んだ。
『何がどうなったらこうなる!?お前レベル9だろう!?何を精神干渉にあっさりやられてるんだ!!しかも、なんで私にあ、あんなキモい歯の浮くような台詞を言うんだ!?お前が好きなのは白上羽衣だろう!?』
『・・・・・』
私は全力で兜を揺らそうとするが、黒い鎧は見た目通り重厚でびくともしない。
伊坂誠二はされるがままで、何も答えなかった。
『ええい!!なんとか言ったらどうだ!?』
『・・・なんとか』
『やかましいわ!!そういう意味じゃない!!何が起きているのか説明しろと言ってるんだ!!』
『え?しゃべっていいの?オレ全然事情とかわかんないんだけど』
『は?・・・ああ、さっきから喋らなかったのは私の最初の命令を守っていたからか。律儀だな。ああうん、やっぱりもう少し黙っててくれ。今度こそ落ち着くから』
『・・・・・』
コクリと頷く伊坂誠二。
やけに素直な様子に毒気を抜かれ、私は今度こそ本当に落ち着いて、伊坂誠二から離れて冷静になるように努める。
(・・・今のこの状況。間違いなく、伊坂誠二は何らかの精神異常にかかっている)
私は、チラリと彫像のように佇む伊坂誠二を見ながら考える。
(さっき、私がレジストした精神干渉。あれは『魅了』の類いだった。術者に惚れ込むように術を掛け、思い通りに操る魔法。だが、ベクトルがおかしい)
あの毒々しいピンク色の光は、魅了の魔法ではあったが、あれはあくまで術者の言うことを聞かせるような魔法だ。
決して、一緒にいただけの自分に好意を持たせるモノではなかった。
しかも、白上羽衣ならまだしも、この『ツキコ』としての自分に。
(・・・下手人の姿は見えないな。向こうにとっても、この状況は想定外と言ったところか?)
ざっと周囲を確認するが、敵の姿はない。
ただ、紅い世界が広がるばかりである。
さっきまで絶賛混乱していた私たちを襲撃しなかったのは、向こうも状況の見極めに時間がかかったからか。
精神に干渉する能力を持った大アルカナは、過去の儀式に参加した記憶からいくらか思いつくが、『混乱』でも『暴走』でもなく、『魅了』を使ってきたところから、まず間違いなく逆位置の『恋人』だろう。
(『恋人』ならば、直接的な戦闘能力はほとんどない。私ならばレジストは容易。しばらく余裕はあるか。よし)
ひとしきり落ち着いて考えると、私は伊坂誠二に向き直った。
『今から、お前にいくつか質問をする。正直に答えることしか許さん。いいな?』
『わかったよ』
素直に答える伊坂誠二。
その様子に、なにやら言いようのない感情が胸の内から湧いてくる。
その感情の名前はわからないが、悪い気分ではなかった。
(なんというか、でかい犬みたいだな、コイツ。見た目は恐ろしいが、忠誠心の高い種類の。犬。犬か)
今の伊坂誠二を見ていると、主人に忠実なシェパードとかシベリアンハスキーみたいな大型犬が連想される。
この黒い鎧に首輪とリードをつけて、私が散歩してるイメージがフッと湧いてきたが、それらを無視して、『コホン』と咳払いをして続ける。
『コホン・・・そうだな、まずはだが。お前、私のことが好きなのは本当か?言っておくが、白上羽衣ではないぞ?この、ツキコとしての私だ』
『オレが好きなのは、ツキコさんだよ。キミのためなら、何でもできる』
『そ、そうか・・・』
真顔、なのかどうかは兜のせいで分からないが、真剣な口調で、そう言う伊坂誠二。
さっきのように熱に浮かされたような勢いはないが、その分その本気度合いがわかる。
そんなあまりにもこっぱずかしい様子を、私は直視できずに思わずそっぽを向いた。
(なんというか、調子が狂うな・・・いや、これは精神干渉のせいでこうなっているだけだ。私がペースを乱されなければいい。要は、これを当たり前と認識すればいいだけだ)
さっきから感じている、言いようのない感覚が胸の内から熱湯のように湧き出して、若干頭が湯だったようになってはいるが、今は一応戦場に立っているのだ。
落ち着くためにも、私は両手で熱くなった頬をパンと叩いて、もう一度伊坂誠二に向き直る。
『では、次の質問だ・・・白上羽衣のことはどう思っている?』
(私の予想が正しければ・・・)
『白上?そうだな、悪い人じゃないとは思うけど、全面的に信じていい人じゃあないな。好きか嫌いかはよくわからない』
『・・・そうか』
伊坂誠二から返ってきた答え。
それを聞いて、私は確信した。
(今の伊坂誠二の状態。恐らくは、『好感度の反転』か)
伊坂誠二が白上羽衣が好きなのは間違いなく事実。
だというのに、白上羽衣を『よくわからない』と言い、逆にその身体を乗っ取る『ツキコ』である私を好きだと言う。
普段と真逆なのは、そうなるように何らかの術が作用したからだろう。
そこまで分かれば、ある程度の推測はできる。
(さきほどの魔法は、光属性の魔力が込められていた。そして、私と白上羽衣の属性も光。一方の伊坂誠二の属性は闇。恐らくは、私がかけていた術が完全に解けていなかったのが原因か)
魔法には属性があるが、光と闇は相克の関係にある。
伊坂誠二の記憶の干渉が難しかったのは、単純な魔力量もあるが属性の要素も大きい。
そんな伊坂誠二になんとか魔法をかけるのに成功したわけであるが、元々相性が悪かったために、出会っただけで解けてしまったのだろう。
しかし、光と闇は相性が悪く、闇の力で完全に消し去ることもできなかったために、一部が残った。
そのままならそのうちに消えていただろうが、運悪くそこに光属性の魅了の魔法が作用し、『ツキコ』に関する記憶を封じていた魔法と干渉。
結果、ツキコである私への魅了へと変わり、反動のように白上羽衣への好感度と入れ替わったと言ったところか。
(ならば、術者を倒せば解けるな。こんな気持ちの悪い状況、さっさと・・・いや、待て?)
そこで、ふと私は思った。
(この状況、解く必要があるか?)
私の目的は、儀式の完成だ。
そして、白上羽衣の身体に宿ったのは偶然ではあるが、強力なイレギュラーである伊坂誠二は白上羽衣に惚れており、白上羽衣と深い関係にすることで、間接的に伊坂誠二をコントロールしようと思っていた。
だが、今はどうだろう?
『な、なあ、伊坂誠二。もう一度聞くぞ?そ、その・・・私のことは好きか?』
『何度でも言うよ。オレは、キミが好きだ。ツキコさん』
『い、言ったな?なら、も、もう一度』
『ツキコさん、キミが好きです』
『も、もう一度!!』
『キミが好きです。愛してます!』
『そ、そうか』
『本当に、心の底から大好きです!!キミのためなら、オレはどんなヤツにも勝てる!!絶対に、ツキコさんを守り抜いてみせるよ』
『わ、わかった!!わかったからもういい!!』
軽い確認のつもりだったが、伊坂誠二は私が思う以上に熱い想いを抱いているようだ。
そのまま喋らせておくといつまでも止まらなそうだったので、私は慌てて伊坂誠二に黙るように命じる。
『まったく・・・本当に調子の狂う』
会ったばかりの時とのギャップのせいで、私まで少し、ほんの少しだけ動揺してしまい、しばらく深呼吸をする。
『ふぅ~・・・』
そうして、再び心の平穏を取り戻した私は思考する。
(白上羽衣ではなく、この私が好きだと言うのならば、そのままでいいのではないか?術が続く限り、ずっと少ないリスクで伊坂誠二に言うことを聞かせられるじゃないか。いや、本当にリスクは少ないか?もしも私が通だまし続けていることがバレれば、間違いなく私は消される。よく考えろ・・・いや、伊坂誠二をコントロールできるなら、多少のリスクくらい)
悪くない。
考えてみれば見るほど、悪くない考えのように思えてくる。
普段ならばもう少し慎重に判断するとは思うが、いつ術が解けるかわからないために、伊坂誠二という強力な手駒を手中に収めるのなら素早く決断しなければならない。
いつの間にか、心臓が大きく鼓動していた。
(そうだ。精神干渉にかけては自信がある。今かかっている魔法を維持するのは私ならば可能だ。そうだ、そうだとも!!私ならば簡単に倒せる『恋人』など最後まで放っておけばいいじゃないか。別に今すぐ倒さねばならない理由などないだろう!!合理的だ。無害な敵を放置するだけで、強力な手駒が手に入る。コレは極めて合理的な判断だ!!)
何かに言い訳をするように、私の頭の中で今の状況を維持するための理論武装が固まっていく。
迷っている時間は数秒か、数十秒か、数分か。
短かったかもしれないし、長かったかもしれない。
けれども、私は答えを出した。
『よ、よし!!伊坂誠二!!こっちに・・・』
『危ない!!』
『っ!?』
突然、伊坂誠二に突き飛ばされた。
その直後。
--ソノ心。我ガ喰ラウ
『ぐぅぅうううっ!?』
すぐ傍の茂みから飛び出した毒々しい緑色の大蛇が、伊坂誠二の兜にかぶり付いていた。
-----
『い、伊坂誠二!!』
突然変わった状況に、思わず私は叫んだ。
私の目の前で、伊坂誠二は巨大な蛇に絡みつかれている。
『やはり、逆位置の『恋人』か!!』
伊坂誠二に襲いかかる、2mは超えるであろう蛇。
その姿は、醜悪としか言い様がなかった。
緑色のヌラヌラとぬめりを帯びて輝く体は蛇のモノだが、その体からはねじ曲がった木の枝がところどころ飛び出していて、これまた食欲を全力で削ぐような紫色をした果実が実っている。
極めつけは、その顔だ。
体は蛇のモノだというのに、顔だけは人間を模しているのである。
しかも、顔の右半分は女性、左半分が男性で、その境目には細い蛇が幾匹も絡みつき、無理矢理縫合した跡のようにも見える。
そんな冒涜的とも言える外見の蛇が、伊坂誠二を締め付けていた。
伊坂誠二は苦悶の声を上げているが、それは締め上げられているからではない。
『『恋人』は実体を持たない、霊体に近い存在のはず・・・何が起きている!?』
咄嗟に光り輝くナイフを構える私だが、頭の中には疑問が満ちていた。
私が恋人の対処を後回しにしようとした理由は、恋人は物理的な戦闘が不得手な、精神干渉に特化した、霊体のような怪異だからだ。
確かに、目の前の大蛇は視界に入れるのすら躊躇うほどの醜い外見をしているが、それは幻に近いもののはず。
だと言うのに、恋人に絡みつかれた伊坂誠二は苦悶の声をあげている。
一体なぜだ?
『いや、それはどうでもいい!!そこを動くなよ、伊坂誠二!!』
急変する事態と、意図の分からない敵の行動に、白上羽衣の体に収まって平和ボケしていた意識が動くのが遅れてしまった。
しかし、今すぐに動かなければいけないのは明らかだ。
私はナイフを握りしめ、伊坂誠二に絡みつく蛇を切り裂こうと飛びかかり・・・
『来るなっ!!』
『っ!?』
伊坂誠二の切羽詰まったような警告に、体が一瞬硬直し、結果的にそれが私の命を救った。
--ゴウッ!!
私が飛び込むはずだった空間を、黒い大鎌が薙いでいく。
あと少し動くのが早ければ、真っ二つになっていただろう。
『クソ!!オレから離れてくれ、ツキコさん!!』
必死な声で叫ぶ伊坂誠二。
その声とは裏腹に、黒い鎧は大鎌に禍々しい魔力を纏わせて、切っ先を私に向けていた。
『体が言うことを聞かないんだ!!頼む!!逃げてくれ!!』
『・・・まさか』
そのとき、伊坂誠二に絡んだままの蛇が、鎌首をもたげた。
男と女の顔が縫い合わされたようなおぞましい顔面に、ひび割れたような笑みが浮かぶ。
『ゲッゲッゲッ・・・』
恋人が、嗤っていた。
指があったのならば、私に突き出して嗤っていたに違いない。
それほどまでに、私をバカにするような笑い声。
よほど愉快なことがあったとでも言うかのような。
『伊坂誠二の体を、乗っ取ったのか』
恋人のやったことは、さっきと変わらない精神干渉だ。
だが、精神干渉系の魔法は、相手との距離が近いほど、特に頭に近いほどに効果が上がる。
鎧に絡みつき、兜に牙を立てるほどに近づけたのなら、その効果は最大まで高まっているだろう。
それでも普段の伊坂誠二ならば、操ることは難しかったに違いない。
体の動きを操られながらも、意識が残っているのは、伊坂誠二が抵抗できている証だ。
しかし、今の伊坂誠二は不安定な状態だった。
そこを、権能を解放した大アルカナにつけ込まれてしまえば、さすがにどうにもできなかったということか。
『ゲゲゲゲゲゲゲっ!!』
私に逃げろと懇願する伊坂誠二と、呆然とする私。
ソレを見て、恋人はゲラゲラと嗤う。
仲間同士で争わせるのが、面白くて溜まらないと言うかのように。
『くっ!!このっ!!離れろよクソ蛇が!!頼むツキコさん!!逃げてくれ!!オレは、オレは!!』
伊坂誠二は、白上羽衣の時でも聞いたことがないような、悲痛な声で叫ぶ。
『オレは!!ツキコさんを、傷つけたくない!!』
『・・・そうか、これは私のミスだな』
スゥっと、頭が冷えたような感覚がした。
それと反比例するように、胸の奥からマグマのように熱い感情がこみ上げてくる。
言葉が、ひとりでに飛び出してくる。
『え?』
『しばらくの間、日本の平和ボケした女子高生の体に入っていたせいで私まで引っ張られていたか。まさか怪異の結界の中で警戒を怠るほどに呆けるとはな。まったく、ソイツの狙いはお前だったのだから、私を突き飛ばさなければ避けられただろうに。バカなヤツだな』
『ツキコ、さん?』
不思議そうな声を上げる伊坂誠二。
絡みつく恋人は、滑稽な寸劇が始まるのを楽しむようにニヤニヤと嗤っている。
これから殺し合う2人が、最後にどんな言葉を交わすのか興味津々と言ったところか。
『ああ、わかっている。今のお前は、本当の伊坂誠二じゃない。私に向けるその言葉も、本来はツキコではなく、白上羽衣に送られる言葉だ。私としては、そのままの方が都合がいいと思っていたが、気が変わったよ』
私が唱えるのは、ほんのわずかな一言。
それだけで十分だった。
『『
まばゆい白い光が私を包む。
けれど、私を包んでいるのは、もっと違うものだ。
今の私を支配するもの。
さっきまでの名前の分からない感情とは違って、その想いの名前を、私は知っていた。
『私を怒らせたな、クソ蛇が』
それは、怒り。
伊坂誠二を、私以外の存在が無理矢理に操っている。
他の誰かが、伊坂誠二を使って、この私に武器を向けさせている。
それが、ひどく、この上なくひどく不愉快だった。
『なっ!?き、消えたっ!?』
『ゲゲッ!?』
月の権能が伊坂誠二に有効なのは、正義と戦った際に確認済みだ。
そして、伊坂誠二に絡みつく恋人も、獲物が突然消え失せたことでうろたえたように首をグネグネと動かしている。
さっきまで絶対的に有利だと思い込んでいた者が慌てるその様は滑稽で、もう少し見ていてもよかったが・・・
『お前は不快だ。さっさと消えろ。『
『ゲっ!?』
あっさりと、首を切り落す。
実体がない存在だからこそ、魔力を強く込めた攻撃は有効。
それだけで、伊坂誠二に絡みついていた蛇が消えていく。
切り落された首は、コロコロと地面を転がり、茂みの中に消えていった。
後に残ったのは、一枚のカード。
そして・・・
『あ、あれ?オレ、何を・・・?』
『まったく世話の焼ける・・・ほら、さっさと立て』
『あ、ああ・・・ありがとう』
地面にへたり込んだ黒い鎧に、私は手を差し伸べる。
伊坂誠二は、礼を言いながら私の手を握るのだった。
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