第28話 ツキコ再び

「お、おはようございます、伊坂くん」

「うん、おはよう」


 時刻は朝の7時20分。

 オレは、黒葉さんの家の前で、家主に挨拶する。


「あの、本当にいいんですか?この時間にワタシの家まで来るなら、結構早くに起きなきゃダメなんじゃ・・・?」

「そこまででもないよ。途中は軽く走ってきたから、いつもより時間はかかってないしね。あ、でも汗かいちゃったな」


 今日は連休明けの最初の登校日だ。

 昨日のように不良に襲われるなんてことが早々あるとは思わないが、何の対策もせずにいるのは不安だったので、オレから登下校を一緒にできないか黒葉さんに提案したのである。

 黒葉さんは、オレに早起きさせていることに申し訳なさそうにしていたが、オレとしてはそう大変なものではない。

 黒葉さんの家は郊外の方にあり、少し遠いのだが、儀式や昨日の不良どものこともあり、身体を鍛え直す必要があると思っているオレにはむしろちょうどいい。

 だがまあ、汗をかいた状態で朝から女の子に会うというのはどうかとは思う。

 最初から走るつもりでジャージを着てきたけど、これはさっさと着替えた方がいいな。


「ごめん、黒葉さん。ちょっと着替えたいんだけど、トイレかどこか借りてもいい?」

「もちろんです!!トイレなんかじゃなくて、家のどこでもいいですよ。ワタシしかいませんから。後、コレを」

「あ、ありがとう。喉渇いてたんだ」

「伊坂くん、走ってくるかなと思ってたので」


 初めてということで、少し余裕を持って家を出たから、時間はまだある。

 オレは黒葉さんからはちみつレモンを受け取って飲み干すと、空き部屋を貸してもらい、着替えを済ませるのだった。


「・・・走ってきた伊坂くんに飲み物を渡すなんて、いつもと逆だなぁ」


 ドアを閉めて着替えるオレに、黒葉さんの声は聞こえなかった。

 そして・・・


「とりあえず、街の近くまでは一緒に行こう。人通りの多いところまで行ったら、オレは少し離れるから」

「え!?な、なんでですか!?」


 制服に着替え終わったオレがそう言うと、黒葉さんは目を見開いて叫ぶように声を上げる。

 そんなに意外なことを言っただろうか?


「いや、あんまりオレと黒葉さんが仲良く見えすぎるのもそれはそれで危ないんじゃないかって思ったんだ。昨日はその、ああ言っちゃったけど、オレに恨みを持ってるヤツがいるなら、そもそも関わらない方がいい」


 黒葉さんが襲われたのと、オレに恨みを持ってるヤツがいるのは別々の話だ。

 オレと黒葉さんの仲がいいのを知っているのはあまりいないだろうし、よく知っているであろう連中は、昨日散々脅してやった。ダメ押しに、脅迫のネタもゲットしてるからあまり心配しなくてもいいだろう。

 なら、これ以上オレと黒葉さんの関係を増やさない方がむしろ安全だ。

 

「そ、それはそうかもしれませんけど・・・で、でも!!もう噂になってるなら今更じゃないですか?」

「だから、少し離れた所から守るんだ。黒葉さんを見失わない程度に、オレが後ろから歩く感じになると思う。同じ部活のメンバーくらいの仲なら、狙う価値がないって思うかもしれないし。それになにより・・・」


 なにより、オレは儀式の参加者だ。

 一般人である黒葉さんを巻き込むわけにはいかない。

 昨日までは気にならなかったが、オレのせいで黒葉さんに危害が及ぶことを考えたら、それも無視できないと思ったのである。

 怪異が朝に襲ってきたことはないが、絶対にないとは言い切れない以上、可能な限り接触は避けるべきだろう。

 まあ、オカ研では黒葉さんを1人にするわけにはいかないからしょうがないが、街中で比較的リスクの少ない登下校の時はなるべく離れた方がいいと判断した。

 それを黒葉さんに言うことはできないけども。


「とにかく!!コレに関しては何を言われても曲げるつもりはないよ。黒葉さんがメチャクチャ危ない目に遭うかもしれない以上はね」

「・・・わかりました」


 オレの決意が固いことを分かってもらえたのか、黒葉さんは渋々という感じで返事をした。

 

「で、でも!!街の近くに行くまでは一緒にいますからね!!野生動物が襲いかかってくるかもしれませんし!!」

「まあ、街の近くまでなら」


 この辺りにいる野生動物など、野良猫かハクビシンくらいだと思うが、黒葉さんは意外と頑固なところがある。

 あまりこじれても面倒だし、それくらいはいいだろう。

 オレとしても、黒葉さんと一緒に歩くのが嫌なはずがないのだし。


「じゃあ、行こうか」

「はい・・・」


 そうして、オレたちは学校に向かって歩き出したのだった。

 なんだか、黒葉さんの距離が昨日までよりちょっと近いような気がしたけど。




-----



「よっす、伊坂」

「おう、久しぶり」


 黒葉さんを見守りながら登校した後。

 オレは自分のクラスで、友達と挨拶を交わしていた。

 連休でしばらく会えなかったとはいえ、ほんの数日だったのに、久しぶりと感じるのが不思議だ。


「なんか、今日は伊坂にしてはちょっと早いな」

「あ~、まあな」


 クラスメイトが少し意外そうに言うが、これも黒葉さんを送った影響である。

 明日はもう少し遅い時間にしてもいいかもしれないが、黒葉さんを護衛することを考えれば、あまり人のいない時間の方がやりやすいから、このままで行くか。

 そんな風に、とりとめもない雑談をしていたときだった。


「おっはよ~!!」

「おはよう、羽衣~」


 元気のいい挨拶とともに、銀色の髪の女の子が入ってくる。

 その瞬間、教室の中が明るくなったような気がした。


「おはよう、伊坂君!!」

「う、うん。おはよう、白上さん」


 白上さんの席はオレの後ろだ。

 必然的に、オレの近くに白上さんが来てくれるのだが、オレとしては平静を保つのが難しかった。

 なにせ、連休中にあんなことがあったのだ。


(まさか、オレなんかが白上さんに後夜祭に誘われるなんてな・・・)


 正直今でも信じられない。

 ドッキリだったと言われても納得ができるくらいである。

 白上さんの態度もいつも通りだし・・・


『ねぇねぇ、伊坂君』


 そこで、白上さんがさらに顔を寄せてきた。

 そして、小声で囁く。


『後夜祭のこと、恥ずかしいから他の人に言っちゃダメだよ?』

「えっ!?」


 それは、オレにしか聞こえないくらいの声だったが、オレはガタっと音を立てて椅子を動かして振り返ってしまう。

 そんなオレを見て、白上さんはニコリと微笑むと、『シィー』と唇の前で人差し指を立てる。

 あまりにもあざとい、美少女以外だったら頭をひっぱたいてやりたいくらいの仕草だったが、白上さんがやると恐ろしく似合っていた。

 オレは、つい見蕩れて動けなくなってしまう。


「お~う、お前らHRはじめんぞ~・・・おい、伊坂。いつまで後ろ向いてんだ。休みボケか?」

「あ、す、すみません」


 入ってきた担任に注意され、オレは渋々前を向く。


『フフっ!!相変わらずチョロイな、アホめ』


 後ろで、クスクスと白上さんが笑っていて、オレはしばらく羞恥で俯いていたのだった。

 



-----



『それじゃあ、また明日』

「はい!また明日!!」


 舞札神社に続く石段の下で、オレと魔女っ子は別れる。

 最近は怪異が現れることが少なく、連休中も小アルカナの『カップのクイーン』と『コインのキング』が現れた程度だった。

 そいつらは尋常でない回復力と防御力を持っていたが、精々『皇帝』の分身に回復力がついたくらいであり、盾役になっていたコインのキングを瞬殺したら、後は消化試合だった。

 ともかく、今日も怪異は現れず、何故だか機嫌のいい魔女っ子とトレーニングや魔法の話をした後に帰ることにしたのである。


『にしても、今日の魔女っ子は疲れてなかったな』


 去って行く魔女っ子に手を振って、その背中が見えなくなってから、ふと、オレは不思議に思った。

 普段なら、魔女っ子がここに来るまでにオレはそこそこ待つのだが、そのとき、大体魔女っ子は息も絶え絶えみたいな感じでやってくる。

 だが、今日もオレより遅かったとはいえ、いつもよりもだいぶ余裕があるように見えた。

 まるで、いつもは長距離マラソンした後みたいだったのが、今日は軽い慣しくらいしかしていないという風に。

 まあ、魔女っ子の調子が良くて困ることは何もないからいいが。


『オレとしては、今日は魔女っ子を待たせちゃうと思ったから、そうならなくて良かったけどさ』


 今日は、初めて黒葉さんを家まで送ったので、オレの方が遅れると思っていたが、そうはならなかったので、そこはよかった。

 実は、帰り道で人気のない辺りに来た途端、疲れが溜まったのか、それとも普段からあれくらいなのか、わざとかと思ってしまうほど黒葉さんの足が遅くなったので、心配になって並んで歩いたからかなり時間を食ったのだ。

 道中の自販機で魔女っ子用にスポーツドリンクを買おうとしたときに、『奢ります!!それは絶対にワタシが買いますから!!』とすごい剣幕で迫ってきたのも、普段と様子が違った。

 家に帰る頃には調子も元に戻っていたし、機嫌がよさそうに笑顔を浮かべていたからいいが、少し心配である。

 まあ、結果的には黒葉さんを無事に送り届けることも、魔女っ子を待たせることもなかったから良しとしよう。


『よし、行くか』


 黒葉さんが去って、少し経ってから、オレも歩き出した。

 だが、行くのは帰り道ではなく、さっきまでいた舞札神社の境内である。

 

『ここは、魔女っ子のおかげで人が来ないみたいだしな』


 魔女っ子が持っている人避けのお香。

 あれそのものは、オレたちがここを離れるときに回収するのだが、その効果はすぐには消えずに残るらしいのだ。

 つまり、しばらくの間、ここに人は来ない。


「よし」


 オレは変身を解くと念じると、人間の姿に戻った。

 今からやることは、誰にも見られてはいけない。

 例外は、一度見せた黒葉さんくらいだろうか。


「『死弾デス・バレット』」


 人間の姿のまま、オレは魔法を放つ。

 黒い弾丸は、空中でその軌道を鳥のように複雑に曲げたり、弾けて散らばったりする。


「『バレット』の魔法、これまであんまり使ったことなかったけど、結構器用なことできるんだよな」


 そう、ここでオレがやっているのは、魔法の練習だ。

 それも、人間の姿で使えるような、弱い威力の。

 

「そりゃ!!ほっ!!錐もみ回転!!」


 オレは次々と魔法を撃っては、軌道を変えたり、空中で止めてみたり、拡散させたりする。

 しばらくそんなことをしていたが、オレは薄々気付いていたことを口に出す。


「手品用に練習したけど・・・これ、手品に活かすの難しくね?」


 オレがやっている魔法の練習は、舞札祭の出し物で見せる用だ。

 本番では、ステージの上で各部活が自分たちのやる展示を宣伝するためにアピールするのだが、オレは黒葉さんに表に出てもらい、裏で魔法を使って手品のようにみせかけるつもりだった。

 だが、この魔法は、ちょっとそういう使い方に向いていないような気がする。


「練習して色んなことができるようにはなったけど、この魔法そのものは多分見えないし、物を吹っ飛ばすくらいしかできないからなぁ」


 いつだか魔女っ子が言っていた気がするが、下位の魔法は威力こそ低いものの応用力に富む。

 この『バレット』は、軌道をかなり自由に変えられるし、連射性は全魔法の中でもトップ。『ブラスト』ほどではないが、散弾のように細かく散らすこともできるし、弾の形を鏃のようにとがらせることもできた。。

 そして『ブラスト』も、これまで散々使ってきたように、術者の意思次第で爆発する地雷のような使い方や、爆発に指向性を持たせて推進力に利用するようなことができる。

 だが、一般人には見えないし、基本的には攻撃にしか使えないのである。


「う~ん、黒葉さんにああ言ったからには、ちゃんとしたものにしないといけないけど、どうしたもんか」


 今のままでも、置かれた的を銃や弓矢もなしに打ち抜くことはできる。

 けど、それを手品だと言っても、なんだか微妙な気がする。

 あくまで、打ち抜くだけなのだから。


「なんかこう、マジックで物を浮かせるのって、こう、ハンドパワーっていうか、グネグネ自由自在に動かせるって感じだと思うんだけどな~」


 前にテレビで見たマジックだと、ボールやらトランプやらを空中に浮かせ、転がしたりシャッフルをしていた。

 そこまでとは言わないが、もう少しこう、なんとかならないだろうか。


「う~ん、かといって、他の魔法はな~。『ウォール』も『バレット』と似たようなことしかできないし、『ブレイド』は危ないしな~。それ以上の魔法なんて絶対無理だし」


 使えそうな魔法は、威力的に『ウォール』までだろう。

 『ブラスト』の段階でもう危ない。

 『ブレイド』は、何かを斬らなければ無害だが、切れ味が良すぎて不安だ。

 そもそも、あの魔法は普段は鎌を強化するみたいに使ってるし、人間の状態では・・・


「いや、そういや試してないな?」


 そういえば、『ブレイド』を人間の姿で使ったことはなかった。

 万が一を考え、これまでマジックの練習では『バレット』と『ウォール』しか出していない。

 果たして、『ブレイド』を今使ったらどうなるのだろう。


「やってみるか。よし、『死閃デス・ブレイド』」


 物は試しだ。

 オレは手をかざし、魔法を唱える。

 すると・・・


「おおっ!!出たっ!?めっちゃかっけぇ!!」


 まるでオレの手を覆うように、黒い刃が指の先から伸びていた。

 腕そのものが一本の刃物になったようだが、ちゃんと手の感覚は残っている。

 試しにそこらの枝を手刀で切ってみると、枝はあっさりと抵抗なく落ちた。

 

「すごいな。手を動かすのと同じ感覚で動かせる。けど、指が使えなくなるのは困る・・・って、おおっ!?」


 手刀の形のまま固まっていた闇が、指を動かそうとした途端、五本に別れた。

 今度は、オレの爪が鋭く伸びたようだ。

 いや、でもこれは・・・


「これ、形を変えられるのか?魔力を弱くしたら、切れ味も変わったりするのかな」


 そこから、オレは『ブレイド』の魔法で実験を繰り返した。

 何度か試すうちに、この魔法も応用性があることに気付く。

 

「指先から、鞭みたいにしならせたり、結構伸ばせるんだな。おお、こうやってかぎ爪みたいにすれば遠くの物も掴めるのか」


 この魔法、戦闘で役に立つかは微妙だが、手で使うとそれなりに器用に動かせるようだ。

 伸ばしてみると、なんだか指が触手になったみたいだが、まあ普通の人には見えないのだから見栄えは関係ないだろう。


「うん、これなら使えるんじゃないか?物を掴めるってだけで、できることはいくらでもある」


 かなりの手応えが得られた。

 これなら、かなり幅広い手品ができるだろう。

 プロのマジシャンにできないような超高速・高高度ジャグリングとか、人間浮遊とかもできるかもしれない。

 その後も、オレは魔法の練習を続け、夕日がだいぶ沈んできた頃になって、オレは帰ることにした。

 しかし、ずいぶんと熱中してしまった。

 今から普通に歩いて帰ったら、完全に夜になってしまうだろう。


「んじゃ、帰るか。でも、今から帰ったら遅くなりすぎるな・・・そうだ」


 オレは、あることを思いついた。

 オレの自宅は街の中にあるが、近くに木の生い茂った山がある。

 そして、オレが今いる舞札神社が建つ山とその山の間にはまた別の山や森があって、人が通れる道はない。

 だが、オレは人ではない。

 多少荒れた獣道だろうが、オレならば大して気にもせずに通ることができる方法がある。


「あんまりやらない方がいいかもしんないけど、今日だけ・・・変身」


 そして、オレはもう一度変身した。

 可能な限り、魔力を抑えて。


『おし!これなら行けるだろ』


 オレは、大きく地面を蹴って、空に跳び上がる。

 そのまま、オレは重力に従って落下していくが・・・


『『死砲デス・ブラスト』』


 限界まで威力を抑えた魔法で、オレは少しだけ浮かび上がり、落下の衝撃を殺した。

 別にそのまま落ちても怪我なんてしないだろうが、地面が悲惨なことになりそうだったからだ。


『よし。このまま行くか』


 そうして、オレは魔法の力を使って大幅なショートカットを試みるのだった。



-----

 



「ハッ、ハッ」

『・・・今日も自主練習か。ずいぶんと熱心なことだ』


 放課後。

 白上羽衣が自主練習として決めたコースを走るのを、私はなんとはなしに眺めていた。

 走っているのは、舞札市の郊外に向かうコースで、周りは森に囲まれている。

 女子高生が1人で走るのには危ないかもしれないが、そこのところを白上羽衣はだいぶ楽観しているようである。


『まあ、いざとなれば私が出るだけだが』


 白上羽衣に、その身に流れる血を媒介に取り憑いている私であるが、普段は表に出ないで、魂の内側に潜んでいる。

 だが、その気になれば身体を奪うことは容易い。

 もしも不埒な輩が出てきても、どうとでもなる。


『そんな面倒なマネはごめんだがな』


 白上羽衣の意識を乗っ取ることは簡単だ。

 しかし、特にやるメリットもない。

 外の状況の把握は今のままでも問題ないし、一般人である白上羽衣の身体では、使い魔を作成したり、索敵用の魔法を使うこともできないからだ。

 ならば、わざわざ身体を乗っ取っても、平和な日本に生きる女子高生として頭の軽い会話をしなければならないというデメリットが増えるだけだ。

 白上羽衣という陽気で明るい少女と、そこに宿る私は、性格が大きく違う。

 普段の日常という私にとって煩わしいものを白上羽衣が担ってくれるというのなら、その分私の精神的な疲労も減るのだし、白上羽衣の人格を残しておいた方が便利だ。

 特に、伊坂誠二が身近にいる今は。


『・・・今日の様子を見るに、私に気付いた様子はなかったな』


 ショッピングモールで、私が変身した際には、伊坂誠二はすぐに私の存在に気がついた。

 だが、そのすぐ後に白上羽衣の内部に大半の意識を残して接触した際には気がつかれなかった。

 そもそも、これまでにも私自身の意識を表層に出して接したことは何度もあるが、そこでもバレなかったことを見るに、私と伊坂誠二の両方が変身し、最も魔力知覚が鋭敏になっているときにバレるといったところか。

 つまり、私は伊坂誠二と共闘することがほぼ不可能だ。

 常に、白上羽衣の意識を残しておいた方が安全である。

 これまでの儀式で、私の正体を初見で看破した者はいない。

 あの黒葉の魔女とて、儀式が中盤になってから気付いたのだ。

 なのに、なぜ伊坂誠二は私に気付いたのか。


『伊坂誠二はレベル9。それだけ死神に適性があるのだろう。つまりは、ヤツは死霊術士。そして死霊術士ならば、霊体である私の存在を感じ取れるといったところか』



『死霊術士』


 それは、魔法使いの男の中に希に現れる存在だ。

 元より、魔法使いのほとんどは女性であり、男は珍しいのだが、その中でもさらに希少だ。

 強大な闇属性の魔力を有し、魂に直接干渉する術を持つ。

 今の私は、生前の私が編み出したとある魔法によって、魂だけの存在になっている。

 正確には、今回の儀式からは『魂の中でも、まともな人間生活ができる程度に人間性を残した部位』と言うべきだろうが。

 ともかく、存在が魂そのものである私の存在に伊坂誠二は気付くことができるし、なんなら消し去ることさえ容易いことだろう。

 だがまあ・・・


『あの男なら、そこまでの強硬手段に出ることはない、と思うがな』


 伊坂誠二。

 この、白上羽衣の肉体に寄生する今の私に、警戒していながらも情けを掛けてしまうような甘い男。

 ともすれば、この儀式を戦い抜けるのか不安になるほどだ。

 この儀式は、単に戦闘能力を測るだけではない。

 長い時をかけて、人間や魔法使いの欲望、悪意を啜ってきた怪異だ。

 強いだけで勝ち抜くことはできない。


『まったく、この私が他人の心配をすることになるとはな』


 白上羽衣の内面にいる私に実体はないが、もしも身体があれば肩をすくめつつため息をついていただろう。

 これまで私は、私の血族の人間を使って儀式の攻略を何度も試みた。

 この白上羽衣は人間だが、数世代前までは魔法使いとしての力を残しており、私が唆さずとも魔法使いとして儀式に身を投じた。

 しかし、儀式は強大にして悪辣で、魔法使いのプレイヤーとして参加しても、勝つことはできなかった。

 その中で、私を私として認識できる者など、ましてや気遣う者など誰もいなかったのだ。

 私が気にするのは、私が乗り移った者の肉体だけでよかった。

 だが今回は、私は人間のプレイヤーとして参加している。

 そして、そんな私が勝つには、伊坂誠二に負けてもらっては困るのだ。


『しかし、もしもまた伊坂誠二と会うことがあれば、どう説得するか・・・あれだけの敵意を見せてきたのだ。うまく交渉せねばな』


 私という存在が早期に露見することを避けるため、伊坂誠二の記憶をいじくったので、不意に遭遇し、正義を相手に共闘したときのことを向こうは覚えていない。

 あのときはいきなり正義が襲ってきたので有耶無耶になったが、そうでなければ面倒なことになっていただろう。

 いや、正義を倒し終わった後も、伊坂誠二は当然のごとく私を警戒していた。

 次に会ったときには、最悪すぐに消されるかもしれない。


『やはり、白上羽衣を使うのが最適か。伊坂誠二と白上羽衣が恋人になれば、早々手荒なことはできまい。後夜祭とやらに誘ったことだし、そこで仕掛けるか』


 伊坂誠二は、白上羽衣に懸想している。

 そこを利用し、恋仲になれば、例えこの私が入っていても手を掛けるのをためらうだろう。

 そして、伊坂誠二と恋人となるための布石は打ってある。

 だが、そうなれば。

 

『そうなれば、この『私』と、伊坂誠二が本当の意味で出会うのは、かなり先のことになるだろうがな・・・』


 ぽつりと、小さく呟く。

 そう、伊坂誠二は、すべてを忘れているのだ。

 次に会えば、最悪殺し合い。

 確実に殺されないような準備を終えるまで、会うことはできない。

 そして、仮に出会えたとしても、それは私が知る伊坂誠二ではない。

 なにせ、伊坂誠二は忘れているのだ。


『ツキコ。まったく、センスのない名前だ。あの男らしい』


 そう、かつての名を忘れた私に名付けた、『ツキコ』という名前すら。


『ふん、まあ、構わん。こんなダサい名前など、忘れられていた方が清々する。そうだ、こんな名前、覚えているのは私だけで・・・』


 私が、何かに言い訳するように続けようとした、そのときだった。



--ドンっ!!



「えっ!?何っ!?」

『むっ!?』



 突然、目の前に大きな何かが落ちてきた。

 白上羽衣が驚いたように叫ぶ。

 私も、似合わない思考から我に返り、警戒する。


『え?何?オレが見える人がいんの!?マズっ!!って、え!?』


 大きな物が落ちたことによる砂煙が晴れたとき、そこにいたのは黒い鎧だった。

 濃密な闇属性の魔力と、『死』の気配が漏れ出る。

 だが、そこから飛び出したのは、聞き慣れた声だった。


『え!?白上さん!?』

『ヒッ!?』



--マズいっ!?



 突然現れた、死神としての伊坂誠二。

 その存在に、心構えなどしているはずもない白上羽衣の精神があっという間に不安定になる。

 白上羽衣の精神が魂の深層に沈み、そこにいた私を弾き飛ばした。



『くっ!?』

『っ!?な、なんだ、お前っ!?』


 強制的に、私は表層に引き釣り出された。

 その瞬間、伊坂誠二が一気に警戒する。


(ま、マズい!!まさか、こんなところでいきなり伊坂誠二と遭遇するなど!!ど、どうする!?向こうは私の存在に気付いている!!どうすれば・・・)



『お前、白上さんじゃないな!?お前は一体・・・痛っ!?』

『っ!?』


 思わぬ遭遇に混乱しつつも打開策を考える私に、伊坂誠二は持っていた鎌を向ける。

 しかし、突然頭を抑えて唸りだした。


『なんだ、頭が・・・う、クソ、なんだ、これ、うぅっ!?』

『お、おい?』


 明らかに、伊坂誠二の様子がおかしい。

 私は、思わず声を掛け・・・

 

『・・・お前、お前は。ツキコ、か?』

『なっ!?お、お前、覚えて・・・?』


 信じられなかった。

 確かに、伊坂誠二は私のことを、『ツキコ』のことを忘れていたはずだ。

 だが、今、伊坂誠二は間違いなく口にした。

 私と、名付け親である伊坂誠二しか知らない、私の名前を。


(ど、どうする!?伊坂誠二は私のことを覚えていた!!そうなれば、いきなり消されることはないだろうが、また記憶に干渉するのは不可能だ!!絶対に警戒している!!どうする!?ここをどう切り抜け・・・)


 さっきとは違う意味で、私は混乱していた。

 伊坂誠二が、私のことを覚えていたのだ。

 こうなると、事態はよりややこしくなる。

 なにせ、向こうは私が記憶に干渉する術を持っていることを知っているのだ。

 例え色仕掛けをまじえたとしても、さすがに二度目をまんまと喰らうことはないだろう。


(いや、落ち着け!!正義を倒した後、私のことを警戒こそしていたが、襲いかかってくる様子もなかった。あの時と同じなら、交渉で切り抜けることも・・・いや、記憶を消していたのなら、それは無理か。いや、行けるのか?一体どうすれば・・・)


 生き残るため、高速で頭を回す。

 心臓が痛いほど鼓動しているのが分かる。

 カァっと、身体が急に熱を持ったように思えるほど、私の中を血が巡っていく。

 私は・・・


『なあ』

『な、なんだっ!?』


 そのとき、頭痛が収まったのか、伊坂誠二が口を開いた。

 私は、反射的に返事をしてしまう。


『いや、色々言いたいことはあるけどよ・・・さっきからなんでニヤニヤ笑ってんだ?気味悪いんだよ』

『は?笑う?私が?』


 言われて、私は初めて自分の顔のことに気がついた。

 意識をしてみれば、唇が弧を描いているのがわかる。

 そのときだけ、私の頭からすべての生存戦略が消し飛んだ。


『なぜだ?なぜ、私は笑ってるんだ?』

『いや、オレに聞かれても・・・』


 私を警戒していたはずなのに、伊坂誠二は困ったように兜の上からこめかみを掻く仕草をする。

 

『とりあえず、お前には聞きたいことがある。話してもらうぞ』

『あ、ああ』


 伊坂誠二は鎌を下ろして、私に近づいてきた。

 私は、またも無意識に返事をする。

 だが、今日の私の運命とやらは、いつになく荒ぶっているらしい。



--シン



『っ!?怪異の結界!?』

『ここでかっ!?逢魔が時がもう終わるぞっ!?』


 突然、目の前が紅く染まる。

 そして・・・



『『愛纏アモル・ブースト』』



『うおっ!?』

『くっ!?』



 紅い視界の中に、毒々しい桃色の閃光が迸った。

 その瞬間、胸の内に何かが入り込んでくるような、悍ましい感触が走る。



--サア、我ヲ愛セ



(これは、精神干渉か!?)


 私自身がよく使うからこそ、その正体をすぐに看破できた。

 今の光は、精神に干渉する魔法だ。

 精神干渉系の魔法は、非常に厄介だ。

 特に、今まさにかけられている、『魅了』の類いは、どんなに戦闘能力が高い者でも、かかってしまえば何もできなくなる。

 だが・・・


(甘い!!魔女は惑わす者。『月』の幻を、そう容易く貫けると思うな!!)


 この私、『ツキコ』のカードは月。

 他者を惑わすことにかけて、このカードより優れたカードはない。

 それを扱う私は、当然精神干渉に強い耐性を持っている。


『ふん。この力、おおかた『恋人』か?だが、残念だったな。この私に、そんな誘惑は効かん』


 私は、悍ましい感触を振り払った。

 そして、私のすぐ近くで、人が立ち上がる気配がする。

 

『うう、なんだったんだ、今の・・・』

『その様子だと、お前も問題ないようだな』

『え?あ、ああ。いや、うん』


 少々返事が鈍いが、伊坂誠二も見たところ問題はないようだ。

 まあ、元々大して心配はしていない。

 なにせ、この私でも少しの間の記憶を消すのがやっとであり、それすら先ほど破られたのだ。

 

(そうだ。多少は効いたとしても、敵に操られるようなことなど、ありえな・・・)



--ガシッ



『へ?』


 突然、手を握られた。

 いきなりのことで、私は自分の手を包む黒いガントレットを呆然と見る。

 そして、そんな私の手を握ったまま、兜越しでもわかるくらい真剣な眼差しをして、黒い鎧の騎士は告げた。


『ツキコ、いや、ツキコさん!!オレと付き合ってください!!』

『・・・は?』

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