第23話 魔女の家
「ここか・・・」
連休の二日目、オレは勉強会のために黒葉さんの家までやって来た。
あまり頭のできが良くないオレとしては、連休中で遊んでばかりでは課題もテストも大変なことになるのは火を見るより明らか。
そこで、黒葉さんの勧めもあり、勉強会することになったのだ。
頭のいい黒葉さんとなら、オレでも勉強がはかどるだろうという魂胆だったのだが、オレは黒葉さんの家の前で、『おお』と軽く感動していた。
「なんていうか、雰囲気ある家だな。噂通りだ・・・」
オレがいるのは、舞札神社のある山から少し離れた場所。
そこに、屋敷と言えるくらいに大きな家が一軒あった。
外観は洋風で、建てられてからそれなりの年月が経っているらしく、壁には蔦が這っているが、手入れはされているようで、みすぼらしい印象はない。
少し見るだけで生活感があるのはわかり、人が住んでいることは明らかだ。
だが、周りを森と鬱蒼とした生け垣に囲まれている様は、どこか不気味だった。
それはまるで、おとぎ話の魔女が住んでいるかのよう。
「まさか、あの『幽霊屋敷』が黒葉さんの家だったとは」
舞札の幽霊屋敷。
それは、舞札市に住んでいる子供にとっては有名な噂話で、郊外のどこかにある屋敷には幽霊が住んでいるというものだ。
オレも聞いたことはあったが、郊外にあるだけあって来るのも探すのも手間だし、そこまでの興味もなかったので縁のない話だと思っていたが、まさか高校生になって、勉強会のために来ることになるとは。
「とりあえず、黒葉さんに連絡するか」
オレは形態を取りだし、『着いたよ』とメッセージを打ち・・・
--バァンッ!!
「うおっ!?」
突然、古めかしいドアが勢いよく開き、オレはうわずった声を出す。
「い、いらっしゃい、伊坂くん!!」
「う、うん・・・こんにちは、黒葉さん」
メッセージを打って、既読が付いてから2秒。
どう考えても玄関で出待ちしていたとしか思えない黒葉さんが、オレを出迎えてくれた。
そのあまりの熱の入りように、オレはちょっと引きそうになったが、すぐに『おや?』と思った。
「黒葉さん、私服だと結構印象変わるね」
「え?そ、そうですか?も、もしかして、変ですかっ!?」
「いやいや!!そんなことないよ。ちゃんと似合ってるって。ただ、普段の黒葉さんとは違って見えるなって」
「に、似合って・・・そ、そうですか。よかった」
オレの格好は何の変哲もないジーパンとポロシャツだが、黒葉さんは丈の長い青のパーカーと、これまたなんかフンワリした感じの、スネまで届くくらいの黒いスカート。
やはり元がいいからか、それとも黒葉さんのセンスがいいのか、よく似合っている。
どちらも丈が長いゆったりとした格好のせいか、小柄な黒葉さんが着ていると、いい意味で服に着られているというか、包まれている感じだ。
それで、いつもよりも雰囲気が少し幼く見えて、なんか守ってあげたくなるような、庇護欲が沸いてくる。
だが、オレはその姿を見たときから、どこか既視感を覚えていた。
(なんだろう。今の黒葉さん、誰かと似てるような・・・)
どんな人物に似ているか分からないくらいだから、今の黒葉さんがその人とそっくりというわけではないのだろうが、どうにも雰囲気というか見た感じに覚えがあるのだ。
それが誰と似たものなのかは思い出せないが。
「伊坂くん?どうしました?」
「あ、いや。なんでもない」
「そうですか?えっと、それなら立ち話もなんですし、中に入りませんか?お茶も用意してあるので」
「わかった。それじゃあ、お言葉に甘えて」
考えている時間が長かったからか、黒葉さんが不思議そうな顔でオレを見ていたので、オレは意識を現実に戻す。
確かに、いつまでも玄関に立っているのはよくないだろう。
この辺りは人通りが全然ないから心配いらないだろうが、オレみたいな顔の奴と黒葉さんみたいな可愛い子が玄関で話している様子など、ムショ上がりの犯罪者が幼気な子供の家にセールスに来ているようにしか見えまい。
オレは、先導する黒葉さんの後に続いて、黒葉さんの家の扉をくぐったのだった。
(何気に、人生で初めて女の子の家に案内されたな・・・)
内心で、密かな感動を覚えながら。
-----
「えっと、おじゃましま~す」
「はい、どうぞ」
「おお、なんか不思議な匂いがする。洋風なのに畳みたいな落ち着く感じの」
「ああ、この家はいろんな植物を育ててるんです。そうやって育てた植物からアロマも作ってるので、その匂いだと思いますよ」
「へぇ~・・・」
古めかしくも、しっかりと掃除の行き届いた、まさしく年季の入った玄関から家の中に入る。
家の中は、あまり嗅いだことのない匂いが漂っていたが、なぜか落ち着く感じだ。
床も壁も板張りで、香りと相まって、家の中なのに森の中にいるような気分になる。
(アレ?オレ、この匂いどこかで・・・)
だが、オレはまたも気になることがあった。
この家の中の匂いを、どこかで嗅いだことがあるような気がしたのだ。
「伊坂くん?」
「あ、ごめん」
先を行く黒葉さんが、不思議そうな顔でオレを見ていた。
どうやら、またも立ち止まってしまっていたらしい。
人の家でそんなことをするのも失礼なので、オレはすぐに黒葉さんの後を追う。
「ここが、ワタシの部屋です」
「へぇ~・・・ここが」
廊下を歩き、階段を上ってすぐ。
黒葉さんが扉を開けると、オレの目に落ち着いた内装の部屋が入ってきた。
家の中と同じく、部屋の中も板張りだが、床には緑色のカーペットが敷かれ、部屋の中央にはティーカップの乗ったお盆が置いてある丸いテーブル。
壁際には大きな本棚と学習机があり、窓際にはベッドが置かれていた。
オレも部屋に入ると、家の中とは違う種類のいい匂いが鼻をくすぐる。
というか、この匂いも嗅いだことあるな。さっきの匂いよりもかなりの頻度で。
「なんていうか、黒葉さんらしい部屋だね。すごい頭が良さそうな人の部屋って感じだ。あの本棚とか」
「そ、そうですか?」
オレの口から飛び出したのは、小学生並みの率直な感想だったが、黒葉さんはなんか嬉しそうである。
しかし、オレとしては紛れもない本心だ。
あの大きな本棚など、タロットとか、占いの本に、植物の図鑑が大半を占めている。
オレの部屋にあんな立派なものがあっても、半分も使われないだろうし、使われても漫画やゲームの攻略本に違いない。
心なしか軽い足取りで部屋に入った黒葉さんは、クッションを二つ持ってきて、カーペットに置いた。
「はい。ここに座ってください」
「うん、ありがとう」
オレは勧められるままにクッションに座り、お盆の上に乗っていたお茶をもらう。
飲んでみると、普段慣れ親しんでいる緑茶とは違う味わいだったが、これはこれでおいしい。
「うん、おいしい。これも黒葉さんの家で育てた葉っぱなの?」
「そうですよ。ワタシの庭で採れたハーブです」
「へ~、うん、いい匂いがするよ・・・ん?なんか、この部屋の匂いに似てる?」
「あ、気がつきました?この部屋にもハーブを置いてるんです。ほら」
黒葉さんが指さす方を見ると、窓の近くに置いてある皿に、白い葉のついた枝が乗っていた。
あれがこの部屋の匂いの元か。
「あれ?ハーブって、火を点けて焚いたりするんじゃないの?」
「そういう使い方の方がメジャーですけど、このハーブはそのまま置いておくだけでも効果があるんですよ。昔から魔除けとか浄化の儀式に使われてきた、由緒あるハーブなんです」
「そうなんだ・・・ねぇ、なんて名前のハーブなの?」
ハーブなど、危ないお薬の隠語だということくらいしか知らないオレだが、それでも植物に種名が付いていることくらいは知っている。
何やら由緒あるハーブらしいし、少し興味が沸いたのだ。
「はい。このハーブは、『セージ』って言うんですよ」
「へ?オレ?」
「え?」
突然名前を呼ばれて、オレは自分を指さすが、黒葉さんはきょとんとしていた。
「いや、いきなりオレの名前を呼ぶから・・・」
「名前・・・?あ。フフッ!!」
そこで、黒葉さんは何かに気付くと、クスクスとおかしそうに笑った。
「そうでしたね。伊坂くんは、『伊坂
「へぇ~、オレと同じ名前のハーブかぁ。あ、これ、もしかしてオカ研にも置いてある?」
「はい。まあ、学校は公共の施設だから、あんまり香りが残らないように少ししか置いてないんですけどね」
「やっぱり。この部屋に入ったとき、嗅いだことのある匂いがしたと思ったんだよね。ねぇ、触ってみてもいい?」
「はい。どうぞ」
しかし、まさか自分と同じ発音のハーブがあるとは。
オレは気になって、置いてあるホワイトセージとやらを手に取って鼻に近づけると、スゥ~とスッキリした香りがした。
「おお。なんか爽やかな匂いがする。でも、オレと同じ名前って思うと、なんか変な気分だな」
「そうですか?ワタシは面白いと思いますよ?ワタシ、『セージの香り』、好きですから」
「う・・・」
「フフッ!!伊坂『セージ』くん?どうしました?」
「黒葉さん、オレのことからかってるでしょ?」
「いえいえ、そんなことは」
なんだか黒葉さん、さっきから楽しそうだ。
黒葉さんも、オレと同じようにホワイトセージを持って香りを嗅いでいるが、オレの方を見て笑っているのを見るに確信犯だろう。
まあ、あの大人しい黒葉さんがこんな風に笑ってくれるなら、オレも悪い気はしないけど。
だが、オレと同じ名前のハーブだと思うと、オレとしてはなんだか妙な感じだ。
『セージの香り』とか言われると・・・
「なんていうか、オレの匂いかがれてるみたいだなぁ・・・」
「えっ!?」
ぽつりと呟いたその声は、黒葉さんの部屋の中では思ったより大きく響いた。
ポトリと、黒葉さんの手からセージの葉が落ちる。
・・・待て、オレ今、ものすごくキモいこと言わなかったか?
「ち、違うんだ!!変な意味で言ったんじゃなくて!!」
「ち、違います!!確かに伊坂くんの匂いは好きですけど、こっそり嗅ぐなんてちょっとしか・・・あ」
「え?」
「わ、忘れてください~~~っ!!!!」
「ちょっ!?黒葉さんっ!?」
オレが立ち上がって弁明するのと、黒葉さんが叫ぶのは同時だった。
おかげで、黒葉さんが何を言ったのかはよく聞こえなかったが、見る見る内に黒葉さんの顔が紅くなる。
次の瞬間、黒葉さんは部屋を飛び出していってしまった。自分の部屋なのに。
「・・・探しに行くか」
取り残されたオレだったが、今の黒葉さんを放っておいて待つというのは、あまりにもアレだ。
というか、黒葉さんの性格だと、夕方まで戻ってこないことが十分考えられる。
「お~い!!黒葉さ~ん!!」
そうして、客人であるはずのオレは、黒葉さんの家の中で主である黒葉さんを探し始めたのであった。
まさか、勉強会に来たはずが、隠れんぼをすることになるとは思いもしなかった。
-----
「お~い!!黒葉さ~ん!!どこ~?」
板張りの廊下を、声を出しながら歩く。
しかし、返事はない。
というか。
「外から見たときから思ってたけど、広いなぁ、この家」
さっきから廊下を歩いているのだが、ずいぶんと長い。
しかも、所々に扉があって、部屋数も多い。
こうなると、黒葉さんくらいの体格の子が本気で隠れたら、見つけるのは至難の業である。
「こりゃ骨が折れそうだな・・・ん?」
一つ一つ扉を開けて中を確認するが、大半は物置や空き部屋で、人がいた痕跡はない。
しかし、その内の一つに、気になる部屋があった。
「なんだ?図書室・・・?」
オレが見つけた部屋は、本棚がずらりと並んでいた。
本棚の中には、様々な本が収まっているが、日本語でも英語でもない外国の文字で書かれているものもたくさんある。
オレは、少しばかり興味を引かれて、その部屋に入った。
「色んな本があるな・・・全然読めないけど」
適当にその辺の本を手に取ってパラパラとめくってみるが、どこの国の言葉で書かれているのか、まったく読めない。
たまに日本語の本もあるが、歴史の教科書で見たような、やたらと古い言葉遣いで書かれており、これまた読みにくい。
「あれ?」
だが、取り出した本を戻そうとしたとき、目を引く本を見つけた。
いや、正確に言うなら、本ではなくノートか。
重厚な外国語の本棚の端に隠れるように、薄いノートが挟まっていたのだ。
「お、これは普通に読める」
書かれているのは日本語で、現代の書き方をされている。
どうやら、誰かがまとめた資料らしい。
「何々・・・なんだこりゃ?」
はじめの方のページには、『魂を利用した魔術儀式』と書かれていた。
その後には現代の書き方でも難しいというか、専門的な内容の文章が並んでいるので、完全に理解することは難しかったが、書き手の人が丁寧な人だったのか、要点を簡潔にまとめてあった。
それによると。
「『憑依による不老不死』ねぇ・・・」
なんでも魔法の中には、魂を物に封じ込めて、それを手にした人間に乗り移るものがあるらしい。
このノートを書いた人物は、そうして憑依を繰り返す敵を倒すための手段を探しているようだ。
「まあ、本当かどうか知らんけど」
このノートを誰が書いたのか知らないが、世間一般では魔法だの魔法使いだのといった存在は信じられていない。
普通の人がそれらしく書いたものだという可能性のほうが高いだろう。
オレは、娯楽作品を読むように、パラパラとページをめくっていき・・・
「ん?なんだここ」
最後の方のページに、それまでとは違う毛色の内容が書かれていた。
そこまでは、『魂の保存法』だの、『始まりの魔女』だのとよく分からないことが書いてあったが、そこに書かれていたのは。
「『霊体の滅却法』・・・え~と・・・『魂だけになった存在を捕獲、破壊するのは至難。『死霊術士』の力を借りる必要がある。だが、死霊術士は男しかおらず、希少。その上、並大抵の術士では不可能だろう。『死霊ノ王』を探さなければならない』?」
なんというか、ずいぶんと突拍子のないことが書かれている。
オレはこれでも魔女っ子に色々と魔法のことを教えてもらっているが、それでも信じられないような話だ。
そもそも、『魔法使い』とか『魔女』は聞いたことがあるけど、『死霊術士』って何だ?
オレは疑問符を浮かべながらも、ノートを元の場所に戻し・・・
「っていうか、オレこんなことしてる場合じゃないよな」
改めて、自分が何をしに来たのかという話である。
というより、今のオレを客観的に見るとかなりヤバい気がする。
「女の子の家で、家捜ししてるんだもんな。こんなところ家族の人に見つかったらヤバい・・・って、あれ?そういや」
そこで、オレは思い出した。
「そういや、黒葉さんって1人暮らしじゃなかったか?家族の人がいれば、さすがにオレには気付くだろうし」
黒葉さんよく言ってたと思う。『ワタシ、一人暮らしだからお弁当作るのも手間じゃない』とか。
「なんだ、それなら通報されることはないか・・・って、いやいや!!」
一瞬安堵するオレだったが、今度は別の意味でヤバいことに気付く。
「ちょ、ちょっと待て・・・今、オレって女の子の家で2人だけってことかっ!?」
しかも、家の中でその子を探して徘徊している最中である。
さっきよりもヤバいの度合いが大幅に上がった気がする。
「む、無防備すぎだろ、黒葉さん・・・」
黒葉さんがあまりにもナチュラルに『ウチでお勉強会しませんか?』と誘ってきたり、白上さんから遊びに行かないかと言われていたこともあって、黒葉さんが1人暮らしをしていたことをすっかり忘れていたオレも悪い。
だが、これはいくらなんでも黒葉さんが不用心すぎだ。
白上さんに操を立てているオレに黒葉さんをどうこうする気持ちなど欠片もないと断言できるけど。
こんなことを他の男にも・・・
「ああ、そういうことか」
そこまで考えて、オレは気付いた。
連休前のことを連想したのだ。
(ああ、黒葉さんはそれだけオレを、オレだけを信じてくれてるのか)
以前に、オカ研に他の部員を誘わないかと聞いたときの、あの冷たい反応と、それと反比例するようなオレへの対応。
そして、連休初日を、オレがクラスの連中と遊びに行くと言ったときの絶望したかのような表情。
黒葉さんにとって、オレは『絶対に裏切らない人』と思われているのだろう。
そして、逆に他の人間を信じていない。
だから、オレにはこうやって大胆なくらいのことも無防備にしてくるのだろうし、他の人間には敷居すらまたがせないに違いない。
「まったく。それじゃあ、益々早く見つけてあげないと」
黒葉さんの今の状態は不健全だろうが、やはり前にも思った通り、すぐに治そうとするのは難しいだろう。
けど、いつかは治さなければならない。
ならば、オレはそのいつかまで、黒葉さんを支えてあげたかった。
白上さんなら、そうするだろうから。
そうして、オレは図書室を出て・・・
『ねぇ、おばあちゃん。ワタシ、どうしたらいいかなぁ』
「この声・・・」
すぐ近くの部屋から、声が聞こえた。
-----
「ああ、ワタシ、なんて恥ずかしいことを・・・」
部屋を飛び出して、衝動のままにあちこちを走り回ってからしばらく。
ワタシは、『いつもの場所』に戻ってきていた。
落ち込んだり、嫌なことがあると、ワタシはいつもここに来る。
「こんなとき、どうすればいいかな。おばあちゃん」
写真の中のおばあちゃんは、当然だが何も言ってくれない。
そもそも、おばあちゃんはもう亡くなっている。
この部屋は、おばあちゃんの仏壇がある部屋なのだ。
今も、さっき伊坂くんにとんでもないことを口走ってしまったから、心を落ち着けるために一方的に口に出しているだけだ。
それでも、おばあちゃんはちゃんとワタシの話を聞いてくれている。そんな気がするのだ。
「伊坂くんはいい人だから、大抵のことは気にしないでくれると思うけど・・・さすがにこっそり匂い嗅いでるのバレたら、引いちゃうよね」
伊坂くんに漏らしてしまった言葉。
あの通り、ワタシは時折伊坂くんの匂いを嗅いでしまっているのである。
だが、言い訳させて欲しい。
「だってしょうがないじゃん。・・・伊坂くんが、いい匂いするのがいけないんだもん」
伊坂くんは魔法使いだ。
そして、魔法使いは魔力を放っているが、その魔力は五感を通じて感じ取ることができる。
『心映しの宝玉』を持つワタシは目の比重が大きいが、匂いだってわからなくはない。
そんなワタシにとって、伊坂くんから発せられる魔力は、とても良い匂いがするのだ。
伊坂くんが強大な魔力を持っているからなのか、ワタシが心を許しているからそう感じるのかはわからない。
けれど、伊坂くんと一緒にいるとき。
特に、死神の姿になっているときは魔力の放出量も、直接触れる機会も多いから、ついつい嗅いでしまうのだ。
「あ、あんなの、女の人が下着姿で満員電車に乗るようなものだよ。誘ってるのと同じようなものだよ!!」
たまに思うけど、伊坂くんはとても無防備だと思う。
そりゃあ、顔が怖いから、いや、顔が怖い『おかげ』で女の子が寄ってこなかったのかもしれないが、女の子との距離感をだいぶ間違えているような気がするのだ。
「不良の振りして助けてくれたり、身体を張って守ってくれたり、自分の時間をほとんど使って傍にいてくれたり・・・本当に何気なく『好き』って言ったり」
しかも、そのすべてに下心がないのだ。
もしもこれで伊坂くんが人外じゃなかったら、厄介な勘違い女を量産していたのではないだろうか。
「まあ、ワタシは違うけど。ちゃんと見えてるし」
ワタシは、そんな女の子たちとは違う。
なぜなら、ワタシの眼は特別だから。
今までの人生で、この眼を恨むことは多かったが、最近は感謝することもよくある。
この眼のおかげで、見た目や魔力に惑わされず、伊坂くんと接することができたのだから。
しっかり、伊坂くんがワタシに好意を持っていると、確信できたのだから。
・・・そうだ。
「あ、あのときの伊坂くん、引いたりしてなかったよね」
部屋を飛び出す前、伊坂くんが何かを叫んだのを思い出す。
何を言ったのかは、ワタシが同時にしゃべり出したからわからないけど、伊坂くんの『色』は黄色っぽい赤だった。
その色は、焦っているときの色だ。
どうして焦っていたのかはわからないけど、少なくともワタシに悪感情は持っていなかった。
「も、もしかしたら聞こえてなかったのかも。で、でも、確認するのは・・・伊坂くんにだけは、悪く思われたくないよ。」
けど、『もしも』と思ってしまう。
もしも、伊坂くんがワタシの言ったことが聞こえていたら。
もしも、あの時はそれに反応するのが遅かっただけなら。
でも、それを確かめる勇気はなかった。
万が一、伊坂くんに悪い感情を持たれたら、耐えられそうにないから。
「ねぇ、おばあちゃん。ワタシ、どうしたらいいかなぁ」
ワタシは、どうすればいいのかわからなかった。
だから、おばあちゃんに問いかけて・・・
--ガラッ
「え?」
「あ?」
突然、襖が開く音がした。
この屋敷で、唯一の和室はこの部屋だけ。
襖があるのもこの部屋だけだ。
つまり。
「い、伊坂くんっ!?」
「やっと見つけた、黒葉さん」
そこには、いつもと変わらない様子の伊坂くんが立っていた。
「あ、あの、ワタシ・・・」
どうしよう、心の準備ができてない。
伊坂くんはいつも通りだけど、もしも・・・
ぐるぐると益体のない思考が頭の中を回って、動けないワタシの前に、伊坂くんはやってきた。
そして。
「その、ごめん」
「え?」
突然謝られた。
「え?」
「いや、黒葉さんが飛び出したのって、オレがキモいこと言ったから、だよね?本当にごめん!!言い訳がましいけど、そんなつもりはなくて」
「? 何のお話ですか・・・?」
「え?いや、オレ、さっきすごいキモいことを・・・」
「キモい・・・?いえ、特にそんなことは思っていませんけど」
「え?マジで?」
はて?伊坂くんは何か気持ちの悪いことを言っていただろうか。
正直、ワタシは伊坂くんに対してはだいぶバイアスがかかっているので、大抵のことは悪く受け取れないと思うからわからない。
けど。
(・・・ワタシの言っていたこと、聞こえていなかったのかな。よかった)
怪訝そうな顔をする伊坂くんだが、反応から察するに、ワタシの匂い云々の話は聞こえていなかったみたいだ。
ワタシは、ほっと胸を撫でおろし・・・
「じゃあ、なんで部屋を飛び出してここに来たの?」
「あ・・・」
マズい。
伊坂くんに聞こえていなかったのはいいが、だとすると飛び出してきた理由がなくなる。
というより。
(きゃ、客観的に見ると、ワタシって招いたお客様の前で突然叫んで逃げて、探し回らせたってことだよねっ!?ものすごく失礼なことしてるっ!?)
どうしよう。別の意味で嫌われてしまうかもしれない。
ワタシの頭は、さっきからずっと混乱しっぱなしで、うまい回答など思いつくはずもない。
一体どうすれば・・・
「もしかして、このお仏壇に線香とか上げるタイミングだったりした?」
「え?あ、そっ!!そうです!!ワタシ、お休みの日はいつもこの時間にここに来てて!!だから!!」
「あ、そうだったんだ」
(ご、ごめんなさい、おばあちゃん)
伊坂くんは、どうやらワタシに都合のいい勘違いをしてくれたみたいだ。
咄嗟に、ワタシは伊坂くんの言うことに乗った。
胸の中で、おばあちゃんをダシに使った罪悪感を抱きながら。
(で、でも!!これで伊坂くんに嫌われないで済んだ。よかった・・・)
「ねぇ、黒葉さん」
「あ、はい。なんでしょう」
「オレも、お線香あげていい?」
「え?それは、全然構わないですけど・・・?」
今度こそ危機を完全に乗り切って落ち着いていると、伊坂くんがおずおずと聞いてきた。
ワタシとしては全く構わないが、どうしてそんなことを言い出したのだろう。
「いや、黒葉さんって一人暮らしなんだよね?でも、このおばあさんはすごく大事にしてるみたいだったから。オレは黒葉さんに招いてもらった側だし、いつもお世話になってるから、黒葉さんの家族にはしっかり挨拶しときたいなって」
「伊坂くん・・・はい、じゃあ、挨拶してあげてください。おばあちゃんも、きっと喜ぶと思いますから」
それは、どこまでも伊坂くんらしい理由だった。
ちょっとだけ怖い外見に反して、伊坂くんはとても優しくて、礼儀正しく、まじめないい人なのだから。
「じゃあ、失礼して・・・」
そうして、伊坂くんとワタシは、おばあちゃんの仏壇の前で線香に火を点けて黙祷した。
「・・・・・」
「・・・(チラっ)」
薄く目を開けて隣の伊坂くんを伺うと、やっぱり熱心に祈ってくれていた。
ワタシの大好きな、けど、伊坂くんは初めて会うおばあちゃんのために。
(伊坂くん・・・ありがとう)
そんな伊坂くんに、ワタシは心の中でお礼を言って・・・
--鶫にも、いつか・・・
(おばあちゃん。ワタシ、おばあちゃんが言ってくれたこと、まだ思い出せないけど)
それは、遙か昔に思い出。
魔女であることを嫌がるワタシに、おばあちゃんが言ってくれたこと。
昔のことだから、何を言ってくれたのかは覚えていない。
けど。
「・・・・・」
ワタシは、隣を見る。
伊坂くんは、やっぱり真剣に手を合わせてくれていた。
そんな伊坂くんを見ながら、ワタシは思う。
(もうすぐ、もうすぐ思い出せそうな気がするよ。伊坂くんが、隣にいるなら)
「伊坂くん、もう大丈夫ですよ。おばあちゃんは、きっと伊坂くんのことを歓迎してくれてますから」
「ん?ああ、結構長く目をつぶってたな。そうだね、それなら、オレもありがたいかな。黒葉さんにはお世話になってるし」
「あはは・・・今日はワタシがだいぶご迷惑かけちゃってますけどね。もうすぐお昼ですし」
「あ、本当だ。そういや、おなか減ったな・・・」
「なら、迷惑かけたお詫びに、お昼ごちそうしますね。朝の内にある程度仕込みはしてあるので、すぐできますよ」
「え?いいの?」
「はい。お詫びはしたいですし。誰かに自分で作ったご飯を食べてもらえるのって嬉しいんですよ?」
「そ、そっか。なら、ごちそうになろうかな・・・」
「フフッ!!腕が鳴ります!!」
そうして、ワタシたちはおばあちゃんに背を向けて、部屋を出た。
背中を向けていたから、わからなかったけど。
『・・・・・』
おばあちゃんが、ワタシに向かって笑いかけてくれている気がするのだった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます