第13話:カッコウの托卵 下
壁。
全長三メートルの
知識として、オスの大顎は退化していると知っていた。
しかし、巨大な複眼を光らせ、壁に張りつきながら這う姿には、身体が固くなる。
「あの
お、さすが主人公くん。男は真っ向勝負らしい。
彼は闘獣技我の名の下に、突き出した爪を使って大雀蜂の顔に組みついた。
「頭をおさえて針を使わせない、と。よく実行できるなぁ」
前足と触覚が迫っているが、主人公くんは寄せ付けない。
年末の格闘技を見ているような気分だった。
「がんばれ、がんばれっ!」
「て、テメェらっ。終わったんなら、手貸せっ!」
「今からだからもうちょっと……何やってんの?」
「え、毒を抜かないと」
キレイ君は太ももの毒を吸い出そうとしていた。
まったく、一体何を習ったんだい?
良い子の皆、覚えておこうね。
毒は口で吸い出さない。これ、お兄さんとの約束だよ。
僕はキレイ君をどかして治療を始めた。
「あー、やっぱりこの傷って……」
水筒で傷口を洗い、ポーチから取り出した薬を塗る。
包帯を巻いて、よしオッケー。チュッ、と脚にキスしておく。
「わたしの、ことは、いいわ」
「ミサキちゃん?」
「誰も助けてなんて、言ってない。さっさと離しなさいっ」
ミサキちゃんは肩を担いだ僕を睨みつけると、ドンと自ら地面に倒れ込んだ。
きっと、それが精一杯のプライドだったんだろう。僕が近付くと、彼女は顔をくしゃくしゃに歪めた。
「ミサキちゃん……」
「邪魔しないでっ! 私は負けてない、まだ負けてないのっ!」
膝に手をつき、ミサキちゃんは立ちあがろうとする。
そんな彼女の頬を、キレイ君が思いっきり叩いた。
「……な、何するのよっ!」
おいおい、マジか。
僕はひやひやしながら見守る。
「君は間違ってる! 僕たちは、試験に勝つためだけに来たんじゃない。君を助けるためでもあるんだっ」
「誰も頼んでないわっ」
「ボクたちは仲間だろうっ!」
大声で怒鳴り返さされ、ミサキちゃんが硬直する。
目に涙を溜めながら、キレイ君は優しく語りかけた。
「キミは頼んでない、頼んでないと言うけれど、同じクラスなんだ。そんなにボクたちが信用できないかい?」
「これは、チーム対抗戦で……」
「今、ボクたちは色んなチームで協力して
その意味、君にならわかるよね?」
彼の言っていることは正しかった。
ミサキちゃんも囮チームの陽動には気づいているだろう。
ここにいる僕たちは、あくまでチームの一部に過ぎない。
彼はリーダー役を全うした。
みんなをまとめ上げ、作戦を立て、そして先頭に立つ。
本当はミサキちゃんがするべき仕事を、彼が実行したのである。
「わたし、は……」
ミサキちゃんは、ぐっと唇を噛みしめた。
彼の言葉がいかに正論か、無力さとともに味わっているのかもしれない。
僕としては、吸引未遂のせいで若干納得いかないけどね。黙っとこう。
「キレイ君の言う通りだよ。今の君って足を引っ張ってるだけだし」
「……っ…………」
「ま、今回はお姫様気分で見てなって」
あれ?
よく考えたら僕も役立たずか。
説教ウゼェ、とか内心思ってそう。
「オラ、何くっちゃべってやがるっ!」
ぶおん唸りをあげて、一本の節足が降ってきた。
鉄パイプ級のドデカさである。よくこんなモンスターと戦えるよ。
遅れて毛皮を逆立てながら、ずざざぁと主人公くんが滑ってきた。かっこよすぎの股本潤である。
一方、キングは痛みを訴えるようにして絶叫した。昆虫って、痛覚がないって聞いたことあるんだけどなぁ。
「クソがっ、しぶてぇ」
「待った」
彼は再び、敵と組もうと上体をかがめた。
だが、そう何度も立ちあう体力は残ってないだろう。
僕はミサキちゃんに向き直ると、脚の傷を指差した。
「あいつにやられたの?」
「道中で、だけれど……?」
「オイ、それが今どう関係すんだよっ」
ふむ。
つまり
僕は黄色と黒の下半身、真っ黒な先端を凝視した。
うーん、もしかしてだけど、ね。
「メルボルン君、何か作戦を思いついたのかい?」
「一瞬注意引けたら決められるかな」
「……まあ、できなくはねえが」
敵は上半身を起こし、お尻の先端を突き出している。
人間大のエルフでさえ、ミサキちゃんを昏倒させる激毒だ。いくら僕が毒に強いとはいえ、あんなデカさの毒針……そもそも身体に穴ができるか。
刺されたら一発即死である。
――本当に刺されたら、だけど。
「Tレックスとして、Tレックスでは負けられない。兜合わせナリ」
「……頭大丈夫か?」
「僕、いっきまーす」
僕は闘獣技我と唱えながら、全力疾走する。
ま、変化しないけど。魂までTレックス化してしまうから、気軽にやっちゃいけない。
シュプレヒコールみたいなもんである。
絹を引き裂くような悲鳴を背景に、僕は相手の目がけて駆け抜けた。
スカイタイプ種の毒針はやっかいだ。
二度刺さればアレルギー反応で死ぬ、そんな領域じゃない。
流し込まれた毒素で全身ズタボロになる、そんなシロモノである。
だから主人公くんも、必死に頭をおさえていた。
ゲームじゃ必殺なんて普通だが、リアルじゃ「必ず殺す」と書くのだ。
絶対食らってはいけない。
だけど――
一間、
一尺、
一寸。
彼我の間合いが詰まっていき、相手の下半身が押しつけられる。
僕はその漆黒に染まった先端を見て、にやりと勝利の笑みをうかべた。
――大雀蜂のオスには毒針がない。
僕の身体に先端がふれた。
黒いそれは、僕の身体に突き刺さることもなく衝撃を与えるだけ。
おもしろいよね。あれだけ恐れていた毒針が、ただの示威だなんて。
僕は爪を突き立てると、ブチュブチュっと嫌な音を立てて胴を切り裂く。
そのまま脇を駆け抜けると、主人公くんに合図を送った。
「やるじゃねえかっ!」
僕を追って、ねじれた敵の身体に主人公くんが迫る。
蟲は胴体に比べ、脚がもろく作られている。
彼の爪が片側の脚を全部引っこ抜いた頃には、
「はぁー、疲れた」
僕はヘナヘナと座り込んだ。
こんなに運動したのは久しぶりだ。
戦力のほぼ十割を担っていた主人公くんも疲れたのだろう。ぐるぐる腕を回していた。
「まじめのくせに根性あるじゃねえか、テメェ」
「僕は夜の家庭学習以外やる気ないよ」
根性っていうか原作知識だし。
ゲームにおいて、
あの巨体だ、弱いわけがない。辻褄を合わせるため、欠けている部分があると思っていたのである。
生物知識に自信があったら、もっと早く動いていたけど。
「く、くそ。なんて手ごわいんだ」
僕たちが休んでいる間、キレイ君にエルフキングを解体させる。
マチェットでギコギコ触覚を切っているが、うまくいってないようだ。
モンハン最強武器は、やっぱり剥ぎ取りナイフだったらしい。
「しっかし、意外にザコだったな。オレ様ほぼ一人で相手できるたぁ」
「報酬額は強さよりも危険度で決まるからね」
「ンなもんか? 一億万なんていうからには、もっと歯ごたえが……」
「ねえ、何か聞こえないかしら?」
座り込んでいたミサキちゃんが、ポツリと言った。
その瞬間である。
ごごご、と地面が揺れはじめた。
ガチ、ガチと
ぶぅぅんと耳障りな羽音までしていた。
「ね、ねえ。まずくない、かしら」
ミサキちゃんがぶるっと身震いした。
「知ってる? 震度って地震の規模を示してるわけじゃないんだよ」
「何わけわかンねえこと言ってやがる!」
「わかってるって。ちょっと失礼」
「きゃっ!」
彼女を肩に担いだ、瞬間だった。
地面を食い破るようにして、一匹の大きな
全長五メートル。
頭楯の下には、立派な大顎が聳えている。
胴体の黄色と黒の紋様の奥には、ドロリと黒の液体が滴る針がある。
弱点を全て克服したその姿。
その複眼が、僕らをとらえる。
「くそっ、だからンなバカ高い報酬だったのかよ!」
主人公くんは顔を強張らせる。ラーテルでさえ戦意を砕かれたらしい。
「……ふ、ふ、ふふふっ」
「何しているのっ! 早く逃げないとっ!」
ミサキちゃんが怒鳴るも、キレイ君は不敵に笑うだけ。
それどころか腕を組み、女王に向かって仁王立ちしている。
まるで先に行けとばかりに。
「確かにボクには才能がなかった。どれだけ努力しても、どれだけ鍛錬を積んでも、部分獣化……腕一本強化するので精一杯だった」
「オイ、死にてぇのかテメェっ!」
「だけど気付いたんだ。血は、エネルギーは、溜めることができるって」
彼は身体の前で手を交差させた。
燐光が彼の身体から放たれ、同時に風が彼を中心に渦巻いている。
どくん、どくんと彼の腕や首筋が脈打った。
凄まじい波動である。
肌を刺す空気は、目の前の女王蜂にさえ劣っていない。
それは、ヘカテーたんに匹敵するぐらいの強大なオーラだった。
「今こそ封印を解くとき。
努力は、僕を裏切れないっ!」
――完全獣化、タイプ・キリン。
体高五メートル、
体重二トン。
百獣の王が群れでかかっても、簡単に一蹴してしまう草食獣。
黄色に黒の斑点を持つその獣は、津波のような速度で、殺到した。
§ § §
試験最終日。
どんよりした雲が空に蓋をしている。
前日の森の王討伐作戦を終え、僕は東組の本拠地に集まっていた。
リラちゃん、双子たち「チームポンコツ」に三馬鹿、イケメンたちもそろっている。
昨日の戦闘がこたえたのだろう。皆うつろな目をしていた。
「もう出歩いていいの?」
「……今日は言い返さないでおくわ」
松葉杖で歩くミサキちゃんは、どこかすっきりした表情をしていた。
無力さを思い知り、色々考えさせられたのかもしれない。
それか、ちゅうちゅうしたときに毒舌成分が混じっていたとか?
うーむ、僕は世界平和の使者だったらしい。
「今回の試験、私の完敗だわ」
焦って無理な作戦を立てたこと。裏切りを見抜けなかったこと。他チームに気を配れなかったこと。無茶な作戦に賭け、死にかけたこと。最後まで後手を踏み続けたこと。
すべてが失敗だったと、彼女は語った。
「私はリーダーにはふさわしくなかった。でも、諦めたわけじゃない。雪辱は次の戦いで晴らすわ」
実にミサキちゃんらしいなぁ。
僕はふふっと笑った。
「なによ。感じ悪いわね」
「次はあったのかなって」
はぁ? みたいな顔をする彼女を制する。
我らが担任、顔面昆虫系と名高い教官殿の登場である。
彼は壇上に立つと、ボード片手に全体を一度見渡し、労いの言葉をかけた。
皆ムシしてるけど。
かわいそす。教師といえど顔なのだ。
彼は悲哀を背中から漂わせながら本題に入った。
「我々東組から、上位三組に入ったチームがある」
色めき立つ者たち。
関係なしとそっぽを向く者たち。
皆多種多様な反応をしている。
僕はほくそ笑む一団に目をやった。
勝った、そう思ってるんだろう?
度肝引っこ抜いてやる。
昆虫系の教官は、勿体ぶるようにして勝者の名を口にした。
――三位、代表者ミサキ・クウロラ。
「は?」
当のミサキちゃんでさえ、意味がわからないという顔をした。
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