第10話:毒婦とヤマアラシ 上
夜の帷にもゆる炎。
スポットライトのような眩さと、はやし立てる観客の雄叫。
それはまるでミュージシャンのコンサートのようだった。
「ミカァァァァッ!」
「騙される方が悪いんすよ。大体、おれの女と寝たんだ。慰謝料はもらって当然っすよね」
青コーナー、主人公くん。
獰猛に唸る牙と、全身毛むくじゃらの獣人スタイルである。
赤コーナー、ミカ君。
全身エルフ骨格装備で、刃引きされた長物を手にしている。
殺し合う寸前じゃん。
説得するイケメンかわいそす。
抜き足差し足忍び足で観客の間をくぐると、リラちゃんたちの元に。
ブカブカの鎧を着せられ、顔面蒼白な妹ちゃんに声をかける。
「何が原因?」
リラちゃんが「なんで私じゃ……」とかぶつぶつ言ってるけどムシだ。
余裕がない。姉に聞いてもわけわかめだったから、マトモな相手が良かった。
「それが……一昨日から通達された特別ルールはご存じですよね」
「んー、なにそれ?」
妹ちゃんはハァとため息をついた。
「移籍です。
ノルマが上乗せされる代わりに、他のチームに移動できる制度です。あまりに成績が芳しくないことから、学園側が急遽変更したんですが」
事の発端は、主人公くんの元カノらしい。
全然姿を見せないと思っていた主人公くんは、コツコツ一人でエルフを狩り、頑張っていたらしい。
そんなとき、フラリと現れた元カノさんが囁いたのだ。
――私たち、やり直さない?
彼は頷いた。
むっちりした足腰に惑わされたからではない。のぞけた胸元に目が眩んだわけでもない。
頼ってきた元カノさんがボロボロで、涙をにじませていたからだ。
抱き合う二人。
寝物語に聞かされたのは、ミカ君の所業の数々だった。
いわゆる、アレだ。
付き合う前は優しくても、いざ恋人関係になるとぞんざいに扱われるアレである。
思い人が他の男、それも可愛がっていた子分に思う存分弄ばれる。
一体どんな気分だろう。
彼は憎悪した。
金を用意し、さらには自分の分のまでたった一人でこしらえたのだ。
毎年何人か死ぬ超ハードな試験にもかかわらず。
「それも掌の上だったわけですが」
金を揃え、彼女を救い出し、いざ二人だけの逃避行へ。
尊い明日を夢見た彼は、二人だけの愛の巣で、彼女のあえぎを聞いたのだ。
「うっ、あ、あ……!」
傷ついた彼女のため、身を削って用意した寝床。
震える彼女を抱きしめ、暖め合った二人だけの場所。
何人たりとも穢せない聖域に、盗人は足を開いて坐っていた。
そして、その上には彼女の姿があった。
全身を真っ赤に火照らせ、首から、腕から、胸から汗を流して、とろけたまま必死に口をおさえている。
ばちゅん、ばちゅん、と突き上げられる彼女。
混濁する意識のなかで、ミカ君の嘲笑を耳にした。
――こいつの具合、最高っしょ。
「それで今に至ると、そういう訳です」
えっぐ。
それ、ガチであかんやつやん。
いや、主人公くんに非がないとは言わないよ。
男女関係のアレコレなんて、客観的に見れば大抵どっちもどっちだ。
でも、これは違うでしょ。
彼女を見てみなよ。利用する気満々じゃないか。
元カレに近づき、成果だけを搾り取っていくなんて。人の道を外れているよ。
「でもなんで決闘? 僕ら関係ないよね」
「あいつがあたしらを巻き込んだの、マジでうっざい」
カルミちゃんは、めちゃくちゃ嫌そうな顔でキレイ君を指差した。
「学園生なら正々堂々、チーム同士で決着をつけるべきだと。なんとか三対三に変更してもらいましたが」
だから妹ちゃんがブカブカの鎧着てたのか、納得納得。
うん、やっぱ無能だ。
わかるよ。
仲間を助けたかったんだよね。
ただね。
ウチって主人公くん以外ゴミばっかでしょ?
団体戦とか不利になるだけだから。
でも、今更言い出しっぺ側が拒否とかできないしなあ。
と思ったら、兜をすぽっと被せられた。
「アンタ、ノエミと交代ね」
「ね、姉さんっ」
「えー」
「何? あーしらに逆らうの?」
妹は時間稼ぎ要因だったらしい。
おお、ちゃんとお姉ちゃんしてるのね。
「じゃ、行ってきまーす」
「い、いいんですかっ」
「殴られるだけでしょ。任せといて」
過去、こんな情けない決め台詞があっただろうか。
僕は頂に立つ男なのである。
「……メルさん、ご無事で」
「ふんっ」
「姉さんっ!」
不安そうなリラちゃん、そっけない姉、申し訳なさそうな妹の声援をうけ、リングに向かう。
変な応援も聞こえるけど。
「頼むぜ、ミカの野郎をぶっ潰してくれっ!」
「俺たちの人生がかかってるんだからな、絶対負けんなよっ!」
三馬鹿の声など聞こえない。
手に持つ紙も見なかった。
「おお、メルボルンくん。君が居てくれれば安心だよ」
死ね。
と思ったら、主人公くんがのっしのっし近づいてきた。
「ミカはおれが殺る。文句はねえな」
「だ、ダメっ――」
「了解了解。そういうチームワークってことね」
主人公くんがミカ君を相手にするとして……残るはぽっちゃり系と変態フード仮面。
うーむ。別に大差ないけど、変態にしておこう。
急に叫んだりしてキモいが、因縁浅からぬ方を受け持つべきだ。
「な、なるほど。
そういう高度な戦術だったのか」
うん、君には期待してなかった。
さっさとぽっちゃりの方に行け。
「では、両者禍根を残さぬよう」
審判から盃を受け取ると、ぐいっと酒をあおった。
強いアルコールで喉が焦げつきそうになる。
本格的だなぁ。弱い人なら一発でグロッキーだよ。
酔っ払って戦えないとかごめんだよ……と思ったら、キレイ君は口をつけていなかった。
「何してやがる。オラ、さっさと飲めよ」
「いや、宗教的な理由で酒はね」
あのさぁ。
何なんだよ。
同じくイライラしていた主人公くんは、奪い取るようにして飲み干すと、赤ら顔でゲップした。
「えーと、大丈夫? 真っ直ぐ歩けるよね」
「でーじょーぶに決まってんだろ、よってねぇって」
一番信用できないパワーワードが返ってきた。
なんか、戦う前から戦力ダウンしてるんだけど。
ま、いいや。
主人公くんの主人公たる所以を信じよう。
酔っ払いの獣化咆哮を眺めていると、ふと思い出したことがあった。
「そういえば、キレイ君って何の“獣”だっけ」
「ボクはキラナなんだけど……君は忘れていないかい?」
忘れてる?
いや、いいから早く教えてよ。
「ボクはいざという時以外、力を封印しているんだよ」
キレイ君は堂々胸を張りながら言った。
は?
えっ、は?
鳴らされるゴングとともに、先鋒のキレイ君は駆け出してゆく。
けどやっぱり、パンピーぐらいの能力しかなかった。
当然、開幕フルボッコだ。戦闘能力と耐久性能は比例しないのか、
「く、くそっ!」
と、すぐ敢闘精神あらたかに立ち向かう。結局ボッコだけど。
あのさあ、
今は林先生も名言を繰り出すよ。
頼むよ。本当に勘弁してほしい。
一方、大将の主人公くんはミカ君相手に優勢なようだった。
両手に盾を持つ敵を、猛攻の雨霰で打ちのめす。
勝てそうだった。別に全然興味ないけど。
のそっとやる気なく人間リングの中央に。
相手の変態は、腕をぶんぶんして奇声をあげていた。
ハァ、もうめんどくさいなぁ。
元からやる気がなかったけれど、いざ鉄火場に出てみても、やる気はこれっぽちも生えてこなかった。
大体、全部が茶番なんだよ。勝てもしない出来レース、僕たちは悲しいイケニエなんだ。
決闘なのに勝機なしとは。
仕方ないね、格下をボコるのが一番気持ちいいから。
僕は石を蹴って、変態仮面の仮面を吹っ飛ばした。
「真っ向勝負は久々だっけ?」
素顔が現れた瞬間、はっきり空気が変わった。
物珍しそうに見守っていた野次馬だけでなく、後ろで見守るリラちゃんや双子姉妹もが、あっ! と驚きの声をあげる。
痴情のもつれ。
くだらない決闘が、行末を決定づける天王山に変わったとわかったから。
「うそ、でしょう……!」
呆然とつぶやいたのは、誰よりも興味なさげなミサキちゃんだった。
目を見開いて、唖然としたまま口を広げている。
僕は、離れた小高い丘の上で、にやにやと高みの見物をする集団をチラリとみた。
まったく、エグい手を使うなぁ。
「ご主人……もう付いていけないぞ」
気まずそうに、けれどきっぱりと前に立った男――アチョは、握った拳を僕に向けてきたのだった。
§ § §
フードを取った男がアチョだということがわかった瞬間、どこかで大きな悲鳴があがった。
そして、女の子が人ごみをかき分けてきた。
イケメン君たちも慌てて追ってくるけれど、審判が壁になった。
「なに、してるの? 悪い冗談よね……」
アチョは、どこか怯えた様子で肩をこわばらせた。
「もう付いていけないぞ!」
「なんだって?」
「もう付いていけないって言ってるんだ、ご主人っ!」
何言ってんだこいつ。頼む、誰か文明を教えてくれ。
やり切った感を出しているのが意味不明だ。
イケメン君も戸惑っている。アホがアホしてると思っているんだろう。
「えーと、アチョはそっちチームの味方をするんだよね」
「そうだぞ、ご主人!」
「そっちのチーム、ミサキちゃんと対立してるけど、それもわかってる?」
「そうだぞ、ご主人!」
叫んだアチョはハァ、ハァと息を切らせている。
なぜ裏切り者のフォローをしているのか。アホすぎて頭痛が痛いのペインフルだった。
今更だが、ミカ君が指揮するグループは、ミサキちゃんと対立する「チーム☆アゲてけ」の子分グループだ。
特別ルールでチーム間移籍が可能と知らされた以上、いま対立チームの味方をするなど、
「私、移籍します!」
と、FA宣言するのと同じだ。
すぐにミサキちゃんが激昂した。
「……ふ、ふざけないでっ! 今、あなたは私のチームに居るのよっ。私たちは今、戦ってるの。どっちが上か、競争しているのっ。
それをわかっているのっ!」
「ご主人、もうついていけないぞ!」
「だからっ――」
彼女を手で制し、ふるふると首を振る。
何を言ってもムダだ。
大体、なんで僕に言う。
無言で裏切れ。
百歩譲ってミサキちゃんに言え。
「覚悟はいいんだね?」
「望む所だぞ、ご主人!」
アチョはごくっと唾を飲み、闘獣技我と叫んだ。
全身ニョキニョキ羽毛が生えてくる。
まったく、きっしょい生き物だなぁ。ヘカテー熊は可愛げがあったけど、男の獣化はリアルモンスターである。
やるかぁ。
リラちゃんなんか目に涙を溜めて祈っている。
さすが教祖様だ。その健気なところだけは嫌いじゃないよ。
「参った」
僕は両手を上げてひらひらした。
「は?」
「だから参ったって。無意味に怪我する必要もないでしょ」
皆が僕の顔をまじまじとみつめる。
どうしたの? まさか闘うとでも?
見てみなよ。今キレイ君が三角締めでいま失神したし。
どんだけ丈夫でも関節技には勝てないからしょうがないね。
「アンタねぇ、それでも男なの?」
「男女差別反対。男にも情けなくていい権利がある!」
「義務を果たさない人の常套句ですね、お兄さん」
びどし。
優しさとかないらしい、この姉妹。
「わ、私のラッキーが通じました。よかった、よかったですぅ」
と大袈裟にむせびなく教祖様だけが救済である。
僕は座り込み、野次馬と化していた。
気分は花見、酒と肴で大盛り上がりだ。
ほら、右ストレート。
やばい、避けて避けて。
「あいつピンチだし、さっさと助けに言った方がいいんじゃね?」
「いや、これそういうのじゃないから」
キミも趣旨全然理解してないね。
反則負けだから、それ。
というか、なんかおかしいぞ。
なんていうか、その、すごいギュルギュルする。
具体的にいえばお腹が。一歩歩くだけで冷や汗が、って表現まんまである。
座っているだけで辛い。
「なんかあいつ、顔色悪くなってね?」
「……気の所為だよ」
「それ、あーしの顔見て言えんの」
君が正しいね。
ガクガク揺さぶられるのを差し引いても、現在進行形でお腹痛いんだもん。
主人公くんも様子が変だ。明るくなるミカ君が対照的すぎて笑った。
「ははっ、どうしたんです。調子悪いんですか?」
「ミカ、てめぇぇぇっ!」
殴りかかるも、当初の勢いがなくなっている。お尻の筋肉がこわばっていた。
あの酒に下剤か何か入っていたらしい。
ドクズすぎである。
卑怯って言いたくないけど、やっぱ卑怯だろ。
僕は毒に強いのでお腹が痛いくらいだけど、主人公くんは酔いと合わさって千鳥足状態だ。
ミカ君が執拗に腹を狙う。徹底しすぎて、逆にかっこいいまであった。
「たぶんだけど、相手の剣に仕掛けがあるんだ。あの色艶、どれほどの鮮血を啜ってきたんだろうか」
「……」
「それに何より、あの剣は普通のよりも少し、そうほんの少しだけ、長いんだ。届かない場所に届いてしまう。リーチの差は、戦力の決定的な差だよ」
「な、なるほど。メルさんさすがです!」
「なんかさぁ、卑猥に聞こえんだけど?」
はぁ?
それはお前の心が汚れてるからだろ!
僕は本当に、真剣にこの戦いについて考察しただけなのに。
アホらしいぜ。
「ああっ、危ない!」
主人公くんの体勢が崩れると、セコンドの僕たちは一斉に叫ぶ。
その瞬間、ミカ君は腹をフェイントに、エルフの鎧をパージすると、
「闘獣技我!」
と叫びながら、周囲に針をまきちらした。
タイプ・ヤマアラシ。
全長三〇~九〇センチほどの背中と側面に長い針毛を持っているヤマアラシ科の動物だ。
攻撃的ではなく、世界最恐の一角たるラーテルなんぞには間違っても及ばないのだが、特殊な条件を加えると、勝利することがある。
毛皮が厚く、毒に耐性があるラーテルには天敵がいないと思われがちだが、実はコブラなどの猛毒を食らうと、数時間動けなくなる。
自浄作用があるとはいえ、野生で数時間の意識喪失は致命的だ。ヤマアラシなどの比較的温和な小動物も、こういった場合に限り、ジャイアンに一矢報いることができるのである。
「やっぱNTRって脳が溶けるんだろうなぁ」
その瞬間、主人公くんの瞳が輝いた。
狙いはカウンター。相手を引き込んで、必殺の一撃をお見舞いする。
鋭い戦術眼にミカ君が凍りつく。
針の嵐を完璧に見切った主人公くんが振りかぶった、その刹那だった。
「あぶないっ!」
横から飛びついたキレイ君が、間一髪、主人公くんを助け出す。
当然、反則負けである。
それだけじゃない。
飛びつくということは、腹部に衝撃が走るということだ。
限界ギリギリまで、強靭な精神のもと塞ぎ止めてきたそれは、予期できない力を加えられ、――決壊した。
「ははっ。これはこれは。いや、参りましたよ。そんなに怖いならさっさと言ってくれればいいのに」
鼻を摘んで高らかに勝利を歌い上げるミカ君。
はっと主人公くんが顔をあげた。蔑むような視線に気付いたんだろう。
彼は一点を見つめていた。
割れた額から血が流れ出るままその先、元カノの、心底軽蔑するような眼差しを見て、ボキッと何かが折れたような音がした。
「勝負あり!」
蹲る主人公くん。
僕は慌てて駆け出すと、彼の頭に上着をかける。
響き渡るくすくすとした笑い声に、彼は一向に立ちあがろうとしなかった。
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