第3話:蝗って煌に似てるよね 上


 丘から見下ろす花畑は、切りそろえられた緑に染まっている。今にも泣き出しそうな乳房雲は、陽の光をさえぎり、一帯に濃淡のある影を落としていた。


「すき、キライ、すき、キライ、すき」


 僕の手の中には、手折った一輪のアネモネがあった。

 朝立のせいで、淡い紫の萼片は僅かばかりの滴を浮かべていた。剪定バサミを使わなかったからか。うなだれるその様は、何だか泣きべそをかいているようで、首を垂れる子供を連想させた。

 時々、荒れ模様を予感させる突風に揺らされたアネモネは、とても儚く見えた。ちっぽけな人間一人一人の手にはどうしようもない、何か大きな流れに身を任せているようだった。

 それは、このひどく無意味で愚かしい行為への、免罪符となるような気がしていた。


「キライ、すき、……きらい」


 最後の一枚を引き抜くと、残った茎をギュッと潰す。千切った萼片は凪いだ風に任せ、ふたたび、摘んできたアネモネを手に取った。

 すき、きらい、すき、きらい、すき、きらい。

 呪文のように繰り返し、残骸をうずたかく積み上げる行為に没頭する。

 獰猛に立ち籠めるアネモネの香りが僕の脳を強く、どこまでも隷属的に痺れさせる。それは、怒りや苦しみ、痛みを忘れさせた。どこか遠い陶酔の世界へと連れ去ってくれる、そんな気分だった。


「ご主人……もう止めたほうがいいぞ」


 両手いっぱいに花を抱えたアチョが、ひどく嗄れた声でそう言った。

 僕は彼を一瞥して、何か反論するでもなく、また新しい花を手に取った。

 無視したつもりはなかった。ただ、口を開くのが億劫だった。何かを考え、伝えようとするのが面倒だった。

 なのに、彼を連れてきたのはどうしてか。

 孤独が嫌だったのかもしれない。だけど一人が良かったのかもしれない。一人が嫌で、一人で在りたかった。

 たぶん、そうだ。声を上げて笑うと、それはとてもつっかえた音がした。

 また、彼に向き合って、悲しく崩れ落ちた彼女を地面へと横たえる。それを何度も繰り返し、手だけで地面を弄ると、新しい花がなくなっていることに気づく。

 地面を叩いてアチョに催促した。


「ご主人……もうないぞ」

「はぁ?」


 言い訳するなよ。僕は強く、そして冷たくアチョを睨んだ。

 試験前に立ち寄ったウェリントン村は、一時城下街でも話題になるほど、アネモネが一面に咲いていた。この開花シーズンだ。少しの時間、何本か摘んできたぐらいではなくなったりしない。

 立ち上がると、舌打ちしながら眼前の光景を示して見せた。


「もう、ないぞ。ご主人……朝からずっとやっているから」


 正面を見ると、彼の言葉が偽りでないことを知った。

 あれだけきれいだった花畑は、みるも無惨に刈り取られていた。

 胸の中で、どうしようもないもやもやが膨れあがった。

 ひどく気分が悪かった。ひどく苛々した。積み上がった、背丈と同じほどの瓦礫の山を、思いっきり薙ぎ払う。緑の大地に深い爪痕が残ると、アチョが怯えたように身を縮こまらせた。

 僕は何もかもがどうでもよくなって、地面へと座り込む。


「ご主人……」


 うるさい、うるさいなあ。鬱陶しくてたまらない。やっぱり一人がよかったかなあ。

 曇天を頭上に、僕は地面で仰向けとなる。空は、もう今にも滴ってきそうな色合いをしていた。


 ――ああ、今日も雨か。


 僕は立ち上がる気にもなれず、ずっと、ずっと空を見上げていた。




 § § §




 日本は安全な国である。

 そう思い込んでいる人はいないだろうか。


 いや、治安は良いんだけどね。

 犯罪件数なら世界トップ一〇に入り込んでくるぐらい少ないし、汚職や銃乱射などの重犯罪もあまりない。

 トップの西洋諸国との人口比を鑑みると、日本は安全な国であるといえる。


 ではなく、僕が言及したいのは生き物についてだ。

 なんとなく、アマゾンの奥地などに潜んでいる生物の方が危険だと、思い込んでいる人は居ないだろうか。

 外来種の侵略などとニュースで見聞きして、日本の生き物は小さくて弱いのだと勘違いしている人は多いと思う。


 しかし、そんなことはまったくない。


 たとえば黄色い悪魔――オオスズメバチは、世界でも有数のモンスター扱いされていたりする。

 そう。

 日本には、実に、実に危険極まりない生物が多数存在する。

 そして前にも言ったけれど、エルフと称し「蟲」を擬人化させるこの「聖パコ」製作陣は、当たり前だけれど日本メーカーである。

 しかも割と老舗。

 そのムダに技術だけはある企業が、日本の危険生物を参考にすると、ね。


「し、死ぬぅぅ、死んじゃいますぅぅぅ!! あ、あっちいけぇぇえ!」


 半泣きなリラちゃんは、法衣っぽい制服を振り乱し、小枝ブンブンしている。

 努力は認めるんだけどねえ、努力は。


 跳躍しながらジグザグに迫ってくるのは、ジャンピングタイプとか呼称されるエルフの一人だ。

 キリキリと鳴く敵は、樹上に留まったかと思うと、極度に発達した大腿筋……というか腿節を膨れ上がらせる。

 一方、グワングワンとベルトコンベアの入り口のような咥内に、その退化した腕……というか前足を突っ込んでいる。

 きしょい複眼は、完全にリラちゃんをお肉として捉えていた。


「だからバッタじゃん。

 制作って病気か?」


 エルフに親でも殺されてるだろ。

 ちなみに近縁種のデザートエルフなども大体ふざけてます。


「し、シティエルフには負けたことなかったのにぃぃっ!」


 必死に逃げるリラちゃんを僕は鼻で笑う。

 当たり前である。それに負けたら軍人名乗るな。

 ちなみにシティの意味がわかる人、君は世を斜に構えています。

 大喜利する時以外は空気読めない子なので、気をつけましょう。


 そんな僕の抗議を無視して、二人? は真昼の逢引に興じている。

 逢引っていうか、合挽き五秒前って感じだけど。

 戦いに向いてない彼女が決死の綱渡りをしているのには、理由があった。




 試験初日。

 チームに分かれた僕たちが、割り振られた野営地で顔を合わせたときのことだ。


「近寄んなし、キモブスっ!」

「ぷげらっ」


 ボンキュボンなカルミちゃんに話しかけた僕は、開口一番ぶん殴られた。


 またかよ。

 抵抗する気にもなれない。

 いや、僕が百悪いよ。

 たださ、同じ鍋をつつく仲間だよね?


「けっ、くだんねえ」


 お次は主人公くん。

 ポケットに手を突っ込んだ番長歩きで、一人薮の方へと向かう。

 これに怒ったのが、綺麗事大好きなキレイ君である。

 ムダな努力だというのに、主人公くんの前で立ち塞がった。


「どけボケ」

「行かせないよ。リーダーとして、ボクには責任があるんだ」


 お前はリーダーじゃないけどな。

 そんなコントの裏で事態は深刻化していた。


「ねえ、キレイ君」

「ボクはキラナなんだけど……何かな?」

「双子、もういないよ」


 彼は今はもぬけの殻となっている場所を見た。

 アホな姉と違って、妹は如才なさそうだからなあ。

 そして妹にも嫌われていることが確定した。

 当たり前か。


 この間に主人公くんが姿を消す。


 はい、皆が半分になるまで三秒もかかりました。

 これ言うの、教師がデスゲームの主催者だった時だけだな。

 一人残ってくれただけでも良しとししよう。予想できてたし。


「残ったメンバーで分担しよっか」

「それじゃダメだっ!!」


 キレイ君はくわっと目を見開いた。

 いや、お前がダメだわ。


「ボクたちはチームだっ。皆の力を合わせないと、試験を乗り越えることは。いいや、これから戦い抜く力をつけることはできない。たとえ今日乗り切れたとしても、次に繋がらないんだ!!」

「……その今日が乗り切れないんだけど」

「ボクには見えるっ。心を入れ替え、みんなが手を取り合う未来がっ! そう、そうさ。これは試練なんだ。信じて待つ、その心を鍛えるための。そうと決まれば、全員揃った時のために努力しておかないと」


 違うだろ。

 なんで待つんだ。

 せめて説得に行け。


 そんな叫びは届かず、キレイ君もどこかに行った。

 損耗率六割越え。

 猿に竹槍を持たせた軍隊でも、もうちょいマシだと思う。


 僕はがっくし肩を落とす。

 後ろには教祖が居た。


「頑張りましょう、“L”は信じるものを見捨てませんよ」


 うん、黙れ。

 自信満々なリラちゃんと、僕は二人っきりの戦争を始めることになったのだった。




 はい、回想終わり。


 何だこのチーム。

 まさかこの僕が最強……だと?

 働き蟻の法則、恐るべし。


「来ないで、来ないでくださいぃぃっ!

 か、神様、神様助けてぇぇぇ!」


 はぁ、ポンコツだなぁ。

 あと髪切ったら?

 三つ編み掴まれてピンチだし。

 リアルだと、ポンコツかわいいは死んじゃうぞ♡


 その間にバッタが顔面突撃してきた。

 さすが鉄砲エルフ。

 こいつらが大量発生する年は、一面焼け野原になるらしい。

 蝗よりよっぽど危険生物だ。現代でも蝗害対策はヒーコラやってるんだけどな。


「しかもこいつら百均なんだよなぁ。そりゃ誰も狩らないよ」


 僕は学園から支給された図鑑ハンティングリスト――絵あり、注釈付き――をめくった。


「ちょ、ちょっメルさん。た、たすけてっ、助けてくださいぃぃ!」


 ちゃんリラは服を啄まれながら、必死に逃げている。

 僕はえぇ、みたいな顔をしてみた。


「はぁ、ハァァァァッ!? 何をのんきに鼻を穿っているんですかっ!」


 なんでだろ、

 馴れ馴れしいからかな。

 一緒に寝た仲? だから、目くじらは立てなかったけど。

 僕は、あだ名文化否定派過激勢なのである。


「ほら、言うでしょ。可愛い子には旅をさせろって」

「先にあっちの世界に旅立っちゃいますよぉぉぉっ!」


 リラ腹に長耳族バッタ・ヘッドがジャストヒット。

 さらには髪の毛を咥えられて引きずられる。

 苦悶の声を上げてのたうち回る様は、ゴブリンぐらい醜い。

 華麗にくっころしてくれよぉ。


「しょうがないなぁ」


 僕はぼやきながら、なぜ彼女が入学できたのか心底疑問に思った。

 バッタは頭から突っ込んでくるので、短刀を向けとけば全自動で刺さってくれる。

 パンピーならいざ知らず、学園生なら余裕で勝てる。

 大谷さんならホームランにできる。


「一対一なら子供でも勝てる、って書いてあるんだけどなぁ」


 図鑑、不良品なんだろうか。


「リラちゃんさ、とりあえず髪型変えたら? 服の中にしまうとか」

「うぅぅ、でも私、すごい癖っ毛でぇ。もっとうまく“血”を操れれば、いいんですけどぉ」


 よわったなぁ。

 試験会場であるビーエスエス樹林は、大まかに三つの領域に分けられる。

 今は一番浅い層なんだけど、かなりギリギリだ。

 だから利益が出ない。どころか食費も賄えない。

 二日目にして、初日分どころかプラス収支にさえならなかった。


 それは髪型がダサいから……ではなく、彼女の戦闘力がアリンコ級だからだ。


「覚醒値」


 これが原因である。

 おさらいすると、彼女の「獣」は和名で書くと大猩猩――マウンテンゴリラである。

 獣の中では知性があり、メンタル弱者だが、肉体的に優れている。

 そんな彼女が戦闘能力を発揮できないのは、とある理由があった。


「なんで私、にさえなれないでしょうか」

「たるんでるからじゃない?」

「むっ」

「はいはい、動かないの」


 ぐびんぐびん泣くちゃんリラぼでぇに、お薬を塗ってあげる。


 血に眠る「獣」の力をどれだけ引き出せるか。覚醒値はそれを表すのだけれど、彼女の場合、それがびっくりするぐらい低いのだ。

 強力な獣――たとえば「熊」の血が流れていても、力を引き出せきゃパンピーと一緒だ。


 そして彼女は初歩の初歩、感覚強化さえできない覚醒値弱者だ。


 努力や実戦で成長するが、上がり幅は多種多様だ。

 生まれつき限界近い奴もいれば、死ぬほど努力してそこそこって奴もいる。

 宿った「獣」ほど才能主義ってわけじゃないだけだ。


「リアルだとキリンのほうが百獣の王より強くなっちゃうしね」


 メタ的に考えると、制作側も苦慮を重ねたんだろう。

 マスクデータだが、肉食系が高い傾向にあるのは明らかだった。異常に高い奴は強力な「獣」だと断言して良い。

 そして学園には「覚醒値」至上主義な人間もわりといる。引き出せる割合ごとに「王級」とか名前つけてね。


 アホである。

 高けりゃいいってもんじゃない。

 僕を見てみろ、すぐ下半身が変態するんだぞ。

 何の得があるんじゃ!


「鼠は一生、チーズ食ってろってことである」


 彼女を背負い、てくてく歩き出す。

 え? バッタはどうした?

 蹴ったら飛んでいったよ。

 言ったでしょ、ザコだって。


「もっと努力、した方がいいんでしょうか」

「ちっぱいは大きくならないよ」

「メルさんっ?」

「首絞めないで、痛いから」


 どんぶらこ、どんぶらこ。

 僕たちはぬくぬく帰路に着いたのだった。

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