第二章閑話

間話1話:ブチハイエナの咆哮 上

 絶対的に正しい考え方なんて存在しない。

 昔の私はそう思っていました。でも、今は違います。これからは自信を持って答えます。


 ――フェミニズムは絶対正義ですから、と。


「そうよ、男なんて死滅すればいい。不要なの……ジャップオスども」


 寝台から身を起こし、狂った世界に挨拶をする。ジャファリ王立士官学校に通う私の一日は、そうやって始まったのです。

 トントンと規則正しく響くリズムに合わせ、制服に袖を通します。姿鏡に映る私は、どこから見ても学園生です。

 ですが、まだ慣れませんね。青春を思い出させるようなこの衣装には。

 気恥ずかしくて灰色に染色したのですが、違和感が先立ってしまいます。

 最低限髪を櫛で整えて、すぐに居間の方へと向かいました。

 化粧や美容には気を払いません。時間のムダですから。中には一時間以上も手間暇かける娘がいますが、まるで理解できません。彼女たち名誉男性は、それが女の権利を奪うことに繋がるとなぜわからないのでしょう。

 胸の除去手術をしろとまではいいません。病に占いや迷信が介在できる時代では、メスを入れる恐怖があって当たり前だと思います。

 現代とちがって、ここは色んなものを人力に頼っていますから。


「エナさま、おはようございます」

「ええ、おはよう」


 私はにこりとヤハタの村の娘アエルに挨拶します。

 王国北側出身者に設られた学園寮最上階に住む私には、個人用の台所が用意されています。

 彼女は、無理を言って学園側に認めさせた、私専属の付き人のような存在でした。

 早起きなアエルは、自分も眠いはずなのに、夜型な私のために珈琲をすっと差し出してくれました。

 チェアに坐り、カップに口をつけます。口の中に広がる香り。罪悪感と実家のような安心感に、私は今日も彼女に甘えてしまいました。

 料理をする彼女の笑顔を見ていると、出会いの日が蘇ります。

 抱きしめてあげたあの日。いつからか、柔らかい表情が増えました。

 それだけではありません。どうやら父親の容体も安定したそうなのです。

 来週には会えなくなると、寂しそうに言っていました。

 ああ、これだから前時代的な家父長制度に縛られたオスどもは。

 どうして、こんな子の人生を奪うなんて。女は、娘は家長の奴隷でも、使用人でもありません。

 自分の都合で働かせたのだから、彼女が満足するまで続けさせるべきでしょう。

 彼女を見る度、そんな不条理に心が抉られて仕方ありません。

 朝食を取ったあと、雑談を楽しみます。

 ああ、この一瞬がどれだけ大切なのか、今までわかっていなかった。なんて、愚かなのでしょう。

 後ろ髪を引かれる思いでしたが、なんとかティーカップを置きます。彼女の奉仕をムダにはできません。最後にハグをすると、外へと歩き出しました。

 ああ、すみません。

 話の途中でしたね。

 この世界では多くを人力に頼っています。

 水が良い例ですね。いにしえのローマ帝国では上下水道が敷かれ、貧困層でも年二回は入浴が許されたそうですが、生まれた故郷では、そうもいきません。

 粉挽きでさえ、人力駆動が現役なのです。革職人、布商人、衣服に陶器。故郷では細分化された商店街が当たり前でした。

 鍛冶屋を営む知り合いが、蹄鉄造りと虫歯の治療ばかりを請けていることを知り、異世界の夢のなさをまざまざと直視させられました。

 ええ、そうです。

 私にとってここは異世界なんです。

 それも少し……いえ、かなり変わっています。少なくとも歴史で習った中世とはかけ離れています。

 だって、ここにはこんな「力」が当然のように跋扈しているのですから。


「男? 逆らうようなら痛めつけてやりなさい」


 道中で同志のシーラが、処罰の許可を求めてきました。

 規律違反があったようです。最近は、こういった相談が後を絶ちません。


「リンク」


 と唱え、力を分け与えます。疲労感も襲ってきましたが、目を瞑るしかありません。

 今は大事な時期です。内紛の起こっている今こそ、逆らうものを排除するチャンスなのですから。

 ですが、ウンザリしますね。山岳で分断され、伝統こそあれど、文明的には発展途上な北部です。かつての地方分権時代の独立精神を尊ぶ彼らには、呆れて物も言えません。

 いえ、傲慢でしたね。

 生まれつき異常な力が宿るこの世界です。私がもし現地人で、正しく導いてくれる人に出会えなければ、同じ結論になっていてもおかしくはありませんでした。

 私の指導者、領主代理ステファリア夫人。

 今年四十五と、この世界なら老齢に差し掛かるかの夫人は、のほほんとしていると妹に不評でしたが、私は心の底から尊敬していました。

 今は亡き良人に代わり、ニルンベルク城伯を務める夫人は、江戸時代に喩えるなら、地方大名に近いでしょうか。

 十七の婚姻直後御家騒動に巻き込まれ、女性当主の権利拡大を叫びながら、聖教会教皇から時の皇帝と、国内外を駆け回った革命家でもあります。

 良人が南部の新貴族「ベドウィン」に討たれ、子供がいないことをよく嘆いていましたが、私はむしろ、夫人の高潔さを強調しているのではないかとさえ考えてきました。

 そうではないでしょうか。子供が欲しい。そんな綺麗な表現をしながら、


「俺のため、家の伝統と財産を守るため、十ヶ月身体の自由を奪われ、心身ボロボロになりながら大怪我をしろ」


 と女性の人権侵害を押し付けてくる、オスの強欲に抗っているのですから。

 だから私は最初、僧侶になろうと思っていました。

 母なる海を教理とする聖教会は、比較的女性の権利が守られていると感じていましたし、司教といった教会の運営に関わる立場にも、女性ながら進むことができます。

 家族は教会騎士を推しましたが、頑として首を縦に振りませんでした。

 だってそうでしょう? 私は自由意志を持つ、一人の人間です。親、それも家の栄達に心血を注ぐ父になど、従う気は毛頭なかったのです。

 なのになぜ居るかといえば、尊敬する夫人が、軍を勧めたからでした。

 納得はしませんでしたが、逆らいもしませんでした。街で活動を始めた私を、いつも庇ってくれたのが夫人でした。

 そこまで言うなら、何かあるのだろうと思ったのです。

 そこで、私は驚愕しました。

 時代を超えたような衝撃でした。

 ゴシック風建造物に獣を使った馬車。店は全面ガラス張りで、ショーウインドウには洋服と、預かり知らぬところで文明開化の鐘でも鳴らされた気分です。

 そしてなにより、まるで低俗なファンタジーアニメにでも出てきそうな女性の格好に、目の前が真っ暗になりそうでした。

 恥ずかしげもなく、おっぱいぶりんぶりんで街を練り歩く名誉男性たち。

 どうして、どうしてでしょう。女は決して、


「おっぱいと愛嬌」


 の生き物ではないのに。普通に、人間として自然に、生きてはいけないのでしょうか?

 とくにあの終身名誉男性。名をナインテイルさんと呼びましたか? 私には、彼女が許せません。

 試験の最中だというのにも、みだりに男に近づく精神構造には異常さえ感じます。

 危険だとは思わないのでしょうか?

 海外は日本より性犯罪が多いと、海外の性犯罪加害者の九割が日本人男性という圧倒的事実を認めない、喋るキンタマ以下ばかりの世界。

 一見いい人風でも、深く話すとぼろぼろミソジニーが出てくる、あのおちんちんランド・ジャパン以下の世界なのです、ここは。


「あ、ボーリーさんおはようっ!」


 友達と談笑していると、大きな声を皮切りにして、教室が湧きたちました。

 北側出身者のリーダー、ヘカテーさんが現れたのです。

 駆け寄ったハスを先頭に、彼女の周りに人が集いました。友人も例外ではありません。「お姉様」と恋慕の情を隠さない者もいますし、なかには私たちの神聖な集いに、自分の欲望を叶えようと参画する者さえいます。

 いつもの景色です。彼女の周りに皆が——とくに男が集るのを、私は頬杖を突きながら見ていました。

 ああ、吐き気がする。蝿がぶぅんぶぅん飛んでいるようです。私は革表紙の本を手に、文字の世界へと向かいました。


「朝からマジメやなぁ、おはよ」

「……おはようございます」


 隔離したはずなのに、今度は彼女から馴々しく肩を叩いてきます。

 無関係でいたい。それがわかりませんか?

 わからないのでしょうね。親しき仲にも礼儀あり、諺にはそうあります。

 ズカズカ土足で踏み込んでこれるから、羽虫に集られても気にならないのでしょう。

 とはいっても、私とて最初から嫌悪していたわけではありません。むしろ好感さえ抱いていました。

 考えを否定せず、何の利害もなく耳を傾けてくれたのは、彼女だけでした。

 夫人に次いで二番目です。心から尊敬に値する、そう思った女性は。

 だからこそ、失望は一層際立ったのでした。


「そうや、あの薬。すっごい効いたで。ホンマありがとなぁ」


 ヘカテーさんは首筋をさすりながら、ニコニコと笑っています。

 売女がっ! 私はそう叫ぶのを我慢するのに必死でした。

 薬、とは過日の登山行軍試験で私が贈った塗り薬のことです。

 ええ、そうです。私とヘカテーさんは、前回の試験で同性ながらペアになり、五日間の苦楽を共にした仲でした。

 三日間に及ぶ厳しい試練です。

 渇きに耐え、絶え間なく襲ってくるモンスターたちを払い、夜なべ眼を擦りながら無理やり休息する。

 何度心が折れそうになったか、数え切れません。もし男と組むことになれば、発狂していたことでしょう。

 ですから、彼女に誘われたとき、私は歓喜に打ち震えそうでした。

 同性としか組みたくないと公言していた身です。真摯な想いが伝わったのだ、と。

 そう信じた、二日目の夜のことでした。

 夜半。

 洞窟の中で篝火にあたり、身を寄せ合います。

 火照った彼女の肌に魅入っていたとき、ソレを目撃してしまったのです。


「え、えーと、そう。ウチ、蚊に好かれる体質で。ホンマ困るわぁ、ははっ」


 彼女はそう口にしながら、慌てて首元をおさえました。

 ですが、騙されません。

 あれは穢らわしい雄のマーキング。俗に「キスマーク」といい、吸引で皮下を破壊させられながらもそれを許す、暴力容認・反人権主義者の証でした。

 ウソだ、そんなはずがない。頭の中で、そんな想いが何周もしました。

 その日は、何度も助けられました。強く、美しく、自我を持った女性。憧れの存在が、浅ましくも雄に股を開き、淫らに喘いでいる。

 そしてそれを隠し、私を騙していたのです。

 信じがたい話でした。

 いえ、信じたくなかったのでしょう。

 だから私は薬を手渡しました。

 中身は、保険として購入したマリーゴールドの煎じ薬です。高名な錬金術師のもので、打ち身にはよく効くとされています。

 願いました。

 あれは間違いだったと。本当に、言葉通り、虫刺されの痕だったのだと。

 翌朝。

 寝息を立てる彼女の首元を覗き込み、そして崩れ落ちたのでした。


 ——ああ、やっぱり。あなたも名誉男性だったのね、と。


 運命的帰結なのでしょう。あとは記憶になく、色のない日々が私を過ぎ去りました。

 信じた側が愚かだったのです。内に秘めた女性を蔑ろにする心。見抜けない者に、神の裁きが下ったのです。

 今は感謝しています。彼女の裏切りが、私を答えに導いたのですから。


「そういえば最近ヴォルフ元気ないけど、なんか知っとる?」


 兵站の授業を終え席を立とうとしたとき、彼女が話しかけてきました。

 またですか。

 なぜなのでしょう。最近、ヴォルフとハスレイシストどもを置いて、付き纏ってきます。

 前までは、誰かが割って入ってきていたのに。


「……教官からも弛んでいると、苦言を呈されていました」

「あー、一昨日はよぉ目つけられとったもんなあ。で、他はどや?」

「それだけです」

「なんでもいいんやで? ほら、噂とか小ちゃなことでも」


 首を振って否定しましたが、私は知っていました。

 ヴォルフという男が「馬糞マン」と、そう陰口を叩かれていることを。

 それは友人伝いで助けを求めてきた、ある女の子の証言でした。

 彼女は、何を血迷ったかヴォルフという下種を慕っていました。

 友人たちを交え説得しても、聞き入れない頑固な子です。

 なのに、その日はどうでしょう。ひどく憔悴した彼女は、私たちにその悍ましい正体を伝えてくれたのです。

 一部の男性は、


「性欲は我慢できない」


 と主張しますが、本当に恐ろしい話です。

 しかもそれは「支配欲」と「加害欲」が混ざっているのです。だって性欲は、男同士でも解消できるでしょう? なのに女に「性欲」を向けるのは、相手を抑えつけられないからなんです。

 そこに相手を思い遣る、尊重するという意志は一切介在しません。

 滅べ、心の底から叫びました。


「ホンマに、何も知らんねんな?」


 彼女は最後に、もう一度確認を取ってきました。

 いやにしつこいですね。頷いて見せても、ハァとため息をついています。

 これも二人のせいでしょうか。ヴォルフが覇気を失い、ハスも落ち着きを見せるようになったからかもしれません。

 雄に見捨てられ、私たち女性に粉をかけようなどと、本当に恐ろしい人です。それに、嫌でした。そんな男の話など。

 せめて、たわいない雑談にしてくれないでしょうか。私には、迷える子羊を正しき道に戻すという使命があるのですから。

 いけない。これは秘密にしなければ。

 次の試験に向けた授業も始まります。秘めた憎悪を隠しながら、彼女の元を離れたのでした。



  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る