第11話:負け犬のラプソディ

 糸を引くような連峰があわく、まるで夢のようにつづいている。王国三景、ラトレネ山を一望できる小川沿いの関所にして、わが学園を彩る試験のゴール地点である。


 そこに二つの影があった。とてもニコニコしていて、まるで尻尾があれば振っているかもしれない、そんな純朴な少年である。


 そしてもうひとつ。


 バックパックを背負い、肩どころか全身から、負のオーラを発している青年である。病人とまで表されるその顔つきは、いつも以上にけわしかった。


 どんな苦難を乗り越えてきたんだろう。

 ああ、あわれ。ゆっくりしろよと僕は思った。


 でも、その姿はなんか見覚えがあった。毎日鏡で見るくらい心当たりがあった。


 というか、僕のことだった。


「今日は鍋だ。クマ鍋にしてやるっ」


 どうしたの? と少年がけがれのない笑顔で首を傾げる。僕はナチュラルに舌打ちしていた。


 今日はラトレネ山登頂試験最終日。


 僕たちはヒーコラ言いながらほうほうの体でモンスターを倒し、打ちよせる障害をかわし、ときには笑い、ときには泣き、愛と友情の大冒険を終えたところだった。


 ヘカテーたんではなく、このイヌ男とかいうゴミと。


 もう一度言う。


 僕はイヌとかいう何の役にも立たないゴミと、三泊するハメになっていたのだ。


 許せるだろうかこれが。僕の頭はうるわしのヘカテーたんがみせる艶姿でいっぱいだったのに。脳内メーカーなら、くまくま大感謝祭である。


 そう、それはまるで今日は回転寿司と決めていたのに、いざ入ったらカッパ巻きしか流れてこなかったときのようだった。

 待っても待ってもきゅうり、ノリ、ごはん。ガリの補充は有料です。


 嘘みたいだろ? でも、これ本当の話なんだぜ。


 コースは僕。ソースじゃなくてコースなのがミソね。次の日ふつうにクビでした。そしていたいけな僕がこんな目にあっているのは、ぜんぶ悪魔ヘカテーたんの深謀遠慮のせいだった。


 それはヘカテーたん脅迫事件のあと。呼び出したウル郎くんを使って遊んでいたときのことだ。


 しかし、あれは楽しかったなぁ。家宝の剣で馬糞アートしたり、家宝の兜にニワトリの羽をかざってあげたりね。

 なかでもフルチンにわとり兜状態で馬に乗らせて、


「変態無免参上っ!」


 って彼のことが好きらしい「北組」の女の子の前で、馬糞ソードを掲げさせたのが一番おもしろかった。


 そんな、アチョさえだいぶヒいていて、女の子の目が尊敬からイヌのウンチを見るみたいに変わっていった夜半のこと。

 涙目包茎ポークビッツな、どこに出しても恥ずかしいど変態を、さらに酔わせて遊んでいたとき、ミサキちゃんから使いが来たのだ。


 どうやらヘカテーたん。あのあとミサキちゃんのところにたどり着き、今後の協力を約束をしたらしい。

 イタチくんの件だけでなく、パートナーのいない相手同士もつなぐ目的で。いや、それだけでなくずっ友ねと。


 うーん、絶対なめられてるけどなあ。オマエ、ザコ、手組んだるわ的な。不平等条約かよ。


 そう思ったけれど色々解決してご満悦な岸壁ちゃんのないちちや、二の腕に押しつけられるクマパイに、まあいっかぁと流すことにした。

 僕はムッツリーニではないのだ。ビバ、治外法権。


 そんなときである。


「ウチが全部やっとくで、ダーリン♡」


 といういやらしくも悪意たっぷりな必殺技を、キヤツはくり出した。


 あきれるミサキちゃんをおいて、ヘカテーたんが僕の希望調査票にペンを踊らせる。


 はしる僕の中の葛藤。信用していいのか。いや、冷静になれ。やつは敵だ、息子を殺した仇敵なのだ。エロい意味で。

 そんな僕の純真かはんしんを、大胆にも第三ボタンまで封印を開放して、打ち砕いた。


「ウチが信用できへん?」


 肩がむにゅんむにゅん。耳に息がふわわわわん、ブラがちららららんっ!

 ふわわ、ふわわわわっ。なんやこれぇぇ、まるで感覚のメリーゴーランドやぁぁ!


 ふむ、よかろう。

 我、貴公の心意気を信じようぞ。

 えちえちだからじゃないんだからねっ!


 ミサキちゃんが絶対零度をくり出してきたけど、残念ボクは氷タイプだ。そして胸部装甲とノイキャンをつけ忘れたマシンに人権などない。


 そうおうように頷いた僕は、しかし、あること見落としていた。

 顔を真っ赤にするヘカテーたんと、まぎれ込まされた「イヌ」の名前を。


 完全に騙された。ヘカテーたんの、


「一応枠いっぱい埋めとくわ」


 とかいう笑顔を信じるんじゃなかった。と、そんなわけであえなくイヌ畜生と組んでいるのである。


 つまり僕は悪くない。

 絶対、まちがいない。


 うん、自業自得だね。というかレベル低すぎである。今までの努力はなんだったんだ。


「で、でもびっくりだよっ。メルボルン君がこんなにサバイバル得意なんて」


 黙れ、殺すぞ。


 僕はなぜか、ハスキー犬からポメラニアンへとクラスチェンジしたイヌ男につばを吐く。苦笑いしながら拭われるだけで、意味はないけど。


 おかしい。なして男の好感度があがるんでせうか? これはえろげのはずでごんす。こわれてるでざます。


「おっ、お前ら早いな。なんならここで仲間を出迎える……いや、忘れてくれ」


 僕はシャブ中特有のラリってる目つきで教官を黙らせると、試験中結局一度も口を利かなかったイヌ畜生とわかれた。


 海馬からも消去した。試験などなかった。なかったのである。死ね。


 そういえばイタチ野郎はって? まだ在学中だよ。リラちゃんをキックした右足だけね。


 楽しみにしてたんだけどなぁ。絶頂のアヘ顔が、教官のツルの一声でED化するさまは。売れ残るのが自分という現実は、じつに鮮やかなグラデーションをみせたはずだ。


 ラストのブチ切れから主人公くんにおみ足じょっきんされる阿鼻叫喚劇は、大爆笑必死だっただろう。

 ヘカテーショックでそんな暇なかったけど。ナインちゃんをムシしちゃうくらい。


「煮てやるぅ、煮てやるぞぉぉぉっ!」


 同性ペナルティで二日もへっているのに、怒涛のブチギレダッシュで試験をそっこー終わらせた僕は、血走った目で鍋をつんつんしていた。


 大分前に戻ってきたヘカテーたんは、僕がもういることにびっくりして、そしてクマ鍋をしていることにもう一度びっくりして、逃げていった。


 けっ、夜道に気をつけやがれ。僕は妄想でひどいことをした。


 戻ってくるクラスメイトたちにもドン引きされ、……冷静に考えると平常運転な気もするけれど、ボッチ状態で鍋を平らげていると、試験を終えたリラちゃんが近寄ってきた。


 なんか前髪を上げてだいぶ印象の変わった彼女は、いきなり人差し指で空を突き上げた。


「ラッキィィィイしてますかぁ!」


 左手を腰に仁王立ちし、右手の親指と人差し指でラッキーの「L」字を作り、それを天高く掲げて全力でイナバウアーする奇女が、そこにはいた。


 もう一度、言う。


 左手を腰に仁王立ちし、右手の親指と人差し指でラッキーの「L」字を作り、それを天高く掲げて全力でイナバウアーする奇女が、そこにはいた。


 ……は?


 ………………は?


 目を三回こすってみる。うん、幻覚じゃないみたい。


 えっと、じゃあどういうことだ? これは現実ってこと? どっちでもない第三世界じゃなくて?


 毒キノコでも食べたかと心配したけれど、滑舌や瞳孔に違和感はない。ただ歌劇みたいに、頭おかしいことを歌いあげている。


「私、気づいたんです。私の絵には、人をラッキーにする力があるって。だってそうじゃないですかっ! 私が助かりっ、あのメルボルンさんがペナルティありで試験をパスできた。つまり私のっ! ラッキーがっ! 通じたんですっ!」


 超失礼だぞこの子。

 おかしいな。試験に出発する前は、


「う、うぅ。メルボルンさぁん」


 と表向きニートな僕に、なぜかミサキちゃんとかを差し置いて感謝していたのに。


 なにがあったんだろうか。とんでもパラダイムシフトでもおきないとこうはならないぞ。


「ご主人……あいつアタマおかしいぞ」


 現れたアチョは、ブラック企業の社畜みたいな悲しみを背負っていた。


 アホに言われたら、本当に終わりだな。僕は自他共に認めるポンコツだけれど、絶対こうはならないでおこう。人類の至上命題かもしれない。猿人に退化しないという力強い決意を示すためにも。


 っと待てよ。アチョが帰ってきているってことは、我らが大天使ナインちゃんも帰ってきているのでは?


 うわ、もしかして天才か。こうはしておれん。僕は立ちあがった。


 えーと、どこかな? あ、いたいた。今日もたなびく黄金色の髪が超キュートです。ほんと、リアル天使。


 くまとイカれラッキー女に傷つけられたハートを癒してもらおう。てかなんなら助けて。この子、本当にアタマおかしいです。

 女の子は好きだけれど、特例をもうけてもいいかもしれないと初めて思う。


 よし、必殺それとなく用事があるっぽい光線だ。


「あ、じゃあ私たち帰還報告してきますね」

「……いってらー」


 リラちゃんはウッキウキとスキップで、肩を落とすアチョを連れて行った。


 はぁ、疲れた。


 人って変わるときは変わるもんだなぁ。話が通じるだけマシかもしれない。ああ、かわらないものってなんて偉大なんだろう。また一つ、世界の真理に気づいてしまったかもしれない。


 べつの真理で癒してもらおう。みんなからまた変な目で見られるかもしれないけど。天使を独占すんなよ的な。


 ま、いっか。今日の僕はなんか無敵な感じがするのである。

 機嫌が悪いという意味で。


「つべた」


 頬をかすめた冷たい感触。ひらいた手のひらを空にむけると、ポツリポツリと雨粒がしたたりはじめた。


 地形的に天候が変わりやすいのか。まったく、雨は嫌いなんだけどなぁ。これだから山は。


 僕は反射的に空をあおぎ、——そこで強烈な違和感をおぼえた。


 うん?


 待てよ。


 リラちゃん、なにか妙なことを言ってなかったか?


 さっき彼女は帰還報告に行くといった。それならば、必ずパートナーを連れていくはずだ。

 だってこの試験は二人一緒じゃないとクリアにならないから。


 ならなんで。


 リラちゃんは、アチョを連れて行ったんだ?



 パートナーを連れて行かないと、いけないのに。



 本降りとなり、苦労をねぎらい合っていた学園生がテントに走りだす。和やかな喧騒は、雨の匂いと跳ねる泥の音に流されていった。


 理解を拒むように立ちつくす。人波にただ流される僕をみつけて、幔幕へ向かっていたナインちゃんが足をとめた。


 考えたくなかった。


 いや、違う。もうわかっていたんだ。知っていて、それを飲み込むことを拒否した。


 現実を拒絶すれば、すばらしい妄想の世界に生きていける。

 そう信じて生きてきた。そう信じていたはずなのに。


 降りしきる驟雨が僕をうつ。


 彼女のかんばせは、いつもどおりキレイだった。でも、声が出なかった。つっかえるような、こわれた楽器のような空気の音が喉を通りぬける。


 だって彼女の姿が、偽りだとしても確かめあったその輪郭が、何かちがうものに感じられたから。


 頭の中の僕がささやいた。


 止めろ叫んだのに、言ったんだ。



「リラちゃん」のパートナーがアチョなら。


「ナインちゃん」のパートナーは、誰だ?



 ドクン、と心臓が高鳴る。


 嫌な汗が吹き出すのを感じながら、震えるひざに力をこめた。


 記憶がリフレインする。あからむ頬に、すこしうるんだ瞳。ふるると揺れる艶やかな唇は、いつも月明かりに照り映えて。

 全体的に細身なのに、はだけた服からのぞく、そのしっとりとした雪肌。そばにいるだけで安心できる熱量。

 むせかえるような匂いまでが、僕の心をさらっていく。


 なのに、そんな彼女の眼差しが僕を正気に引きもどす。腕を抱え、半身のまま、ずっと無言の彼女が、どうしようもなくリアルに引きもどすんだ。


 なにって?


 まるで初対面みたいに、すげない態度で。


「おっ、こんなところで何してるの? ははぁ、なるほどそういうこと。でも悪いね。カノジョとはさ、俺がに仲良くさせてもらってるから、さ」


 突然ドン、という衝撃が僕をよろめかせた。


 視線に気づいたのか、あるいは最初から知っていて近づいてきたのか、その男は肩を回しながらもたれかかってきた。

 無遠慮にまとわりつく重み。僕はふり払うこともできず、ただ理解をこばむように、ウザ男がナインちゃんへウインクするのをただ見ていた。


 僕のなかで、はらわたを焦がすような憎悪がつらぬいた。


 衝動的な怒りが火をふいて、僕のからだをつよく叩く。

 なのに、まるで二人の間でなにか、糸のような結ばれるようにして。

 微笑みでこたえる彼女が、どうしようもなく心をしなびさせた。

 もう、そんな想いを抱くことさえ許されないような、そんな気がしたから。


 先に行くね、と彼女の唇がうごく。

 雨音に飲まれた声は、僕へのものでないことだけはわかる。


 きっと彼にだってわかったはずだ。

 それが僕たちの「決別」だって。


 照れてるのかな? そう彼が口にする。見せつけるのが心底愉快なんだ。

 トロフィーとしての彼女の価値は、たぶん僕が思う以上に高いんだ。


 知っていた。

 僕が好きなように、皆が好きなのは。


 知っていて、忘れていた。

 ほかの花に目を奪われていたんだ。


 何回やり直したって、何回生まれ直したって手に入れらない高嶺の存在を。なんの気まぐれか、ふらりふらりと彼女から降りてきてくれたから、僕はそばにあれたんだ。

 いずれまた、まぼろしのように消えてしまうって、知っていたのに。


 遠ざかる彼女がピンボケしていく。そのシルエットをなぞるよう、男は指をつつぅとはわせた。まるで、マーキングするみたいに。


 僕の目の前で。


 何度も、何度も。


「知ってた?」


 最後に彼は、左手の指でつくった輪っかの中に右手の人差し指を何度もくぐらせた。


 僕の目の前で。


 何度も、何度も。


 繰り返し、繰り返し。


「カノジョって、乱れるとすごいんだよ」


 パリンって。


 何かが、壊れるような音がした。


 ククッと笑った男は僕の前髪をいたずらに吹き上げると、どうやっても埋められなかった距離を、いともたやすく超えていった。


 肩を抱かれナインちゃんは幔幕の中に。僕の網膜には、そんな彼女の混じり気ない笑顔が輝いていた。


 僕ではなく、彼に向けられたその意味。


 それがわからないほどバカじゃない。


 ドロドロとしたマグマのような塊が、身体の奥深く、底のほうに溜まっていく。激しく煮えて、その熱が芯をとおして頭の中を沸騰させるイメージ。ぐおお、ぐおおとうなっている。目の前が真っ白に明滅し、拳からはぎりぎり炎がこぼれ落ちている。


 なのに、どうしようもなく胸だけが痛むんだ。息をするのも苦しいくらい。


 ナイフで刺されたような痛みって聞いたけど。そんな、生やさしいもんじゃない。


 思い出が霞んでいく。薄暗い雨音が積もることで。まるで世界が、光の届かない海に沈んでいってしまうみたいに。暗く深い、音さえ届かない深海へと消えていくみたいに。


 僕は泥をかぶることさえいとわず、胸をかきむしるようにして崩れ落ちた。


 苦しい、

 苦しいなぁ。


 地上にいるっていうのに溺れそうだ。


 手を伸ばしても伸ばしても、光は差してこない。もがけばもがくほど、痛みという鎖に引っ張られていく。

 なのに救いを求める愚か者は、あわれにも肺の空気を絞り尽くすんだ。


 鉛色の世界で僕は音もなく慟哭した。


 へばりつく髪の情けなさに、泣いたんだ。


 クラスメイトたちの間遠な喧騒も、脳内へと投影された薄暗い曇天も、僕の心を動かすことはない。失ってから気づくもの。そんなチープでありふれたものが、何度も何度も再生された。


 いつも見ていた景色。


 二度と味わいたくなんかなかったのに。


 ああ、忘れていた。




 これが、「負け犬」の景色だ。



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