第9話:イイズナはさがらない 上

 ——よう、俺を裏切るってのか。リラ


 そういったイタチ野郎は、ふふんと鼻を鳴らしながら腕を組んだ。


 後ろからはゾロゾロと土足のままなヒーハー軍団が。あきらかに友好的ではない。ヘカテーたんはさっと表情を変えて立ち上がった。


「ここ女子階やで。アンタら、いま何時やと思っとるん」

「そいつは悪かった。なにせ、あの北組のリーダーさまが来てると聞いたもんでね。こうやってご挨拶でもって伺ったわけさ」

「へぇ、それはご丁寧なことやね」


 ヘカテーたん、さすがの冷静さだ。僕を引っ張って下がらせると、リラちゃん共々かばうように一歩でた。


 一方、彼にひるんだ様子はない。連れに向かってへへ、と肩をすくめている。


 嫌な雰囲気だ。だって、踏んだ足を壁にこすりつけているし。

 あれか、僕は菌か? Tウイルスとでも言いたいのか?


 くそう、腹たつぜ。っていうかマナーがなってないよ。あなたたち、靴は踵を揃えなさい。ほら、家主なんだから君も……

 と思ったら、彼女それどころじゃないぐらいビクビクしていた。唇は紫とおり越して土器色だし、


「大丈夫?」


 と、肩を叩いてみても打ち上げられた魚みたいだった。


 これはアレかな? 会いたくて会えたから震えているのかな?

 って、んなわけないね。


「それで、何の用や? 挨拶だけならもう帰ってもらってええで」


 腕まくりするヘカテーたんに、イタチ野郎はふてぶてしく鼻を鳴らす。


 おいおい、こいつ正気か。僕らのクラスが真っ向からヘカテーたんに敵対するのは、千葉がアメリカにケンカ売るより無謀だぞ。

 せめて群馬にしときなさい。そこなら勝てるから。


「つれないねえ。ま、こいつを見てもおなじ態度でいられるかな」


 イタチ野郎は指を鳴らした。

 すると、どこに隠れていたのか二人のレイダーどもが、ある男を脇から抱えてやってきた。

 その男は、頬に大きなあざをこさえて力なくうつむいている。

 うわ、痛そう。あと、ゴンゴン膝が擦れているのがかわいそうだ。


「ヴォルフっ!」

「へへ、まあそう心配すんなよ。ちょいと気を失ってるだけさ」


 ペチペチと頬を叩かれて、ウル郎がうめき声をあげて目をさます。

 しばし瞳を瞬かせ、状況に気づいたのだろう。気まずそうな感じで顔をそむける。


「お、俺のことはいいっ! 気にせず——」

「おいおい、テメェはそんなことが言える立場か? 黙ってたほうが利口だと思うがね」

「くっ、貴様……!」


 ウル郎くんは悔しそうに下唇を噛みしめている。

 完全に体育会系部活状態だ。すごいことである。


「アンタ、何のつもりや」

「いやなに、保険だよほ・け・ん。なにせ、立派な幹部さまがいらっしゃる北組は、それはもう競争力があるもんで」

「アンっ——いや、ええ。なら、さっさと用事を済ませようや」

「おいおい、早合点するなよ。本当の用は、こいつにあんのさ」


 僕のほうをチラリと見て、そして無視する。眼中にないらしい。どけと一言、なんなら唾を吐かれた。

 うーん。おいち、とか言って舐めてあげたら帰るかな? ムリか。


 彼は僕を横切ると、リラちゃんの前でしゃがみこんだ。髪の毛を上からつかんで、顔をあげさせる。

 ひっひっと過呼吸寸前の状態だったリラちゃんは、正面からにらまれて悲鳴をあげた。


「なんだよ。中間試験のとき、仲間に入れてやった恩を忘れたのか?」

「ご、ごめんなっ、ごめんなさいっ」

「気持ちわりぃ女。……うん?」


 彼はふと落ちていたスケッチブックに目をとめた。

 やばっ、芸術とかに理解がなさそうだぞコイツ。


「え、あ、その……それはっ」

「それは、なんだよ?」


 リラちゃんが一瞬まごついた、その瞬間だった。

 イタチ野郎はなんの躊躇もなく、その右足を振りぬいた。


「きゃっ——!」


 悲鳴と共にリラちゃんが転がった。隅にあったチェストの脚に頭をぶつけ、にぶい音がする。


 ヘカテーたんがあわてて駆け寄った。リラちゃんを抱き起こしながら、きっと相手をにらんでいる。

 なのに彼は、そんな彼女の描いた傑作をぐりぐりと踏みにじった。


「お前、俺を舐めてんのか? 誰のおかげでここにいられるのか、もう忘れたのか?」


 こいつすごいな。お前がこのクラスにいられるのは俺のおかげだとか。気色悪いお前が生きていられるのは俺のおかげだとか。よくそこまで言えるねとしか思えない暴言の連発である。


 でもたぶん、慣れているんだろうね。リラちゃんは、とても痛々しい姿でごめんなさいとうつむいた。


「アンタっ!」


 ついにブチギレたヘカテーたんが、下唇を噛み切って「闘獣技我」と叫んだ。


 みるみるうちに姿が変わり、全身を茶色の毛が包んでいく。

 指先からはごつい爪が伸びる。そして姿勢は仁王立ち。かわいげゼロ、人食い熊そのものである。


 あ、やばい。部分変化じゃなくて、獣人モードだ。第三段階って、制御できんのか。


 ヒーハー軍団もぎょっとする。そりゃそうだ。アリさんの群れにバトルライフル持ち込むくらいオーバーキルだ。誰だってビビる。


 なのにイタチ野郎だけが、


「へぇ?」


 と、ウル郎フェイスを刃物で撫でた。しかも、ちゃんと腕を獣化させて。

 反応速度を上げるためだろう。修羅場慣れしてるなあ。


 ああ、しかもこいつの「獣」アレだ。イイズナだわ。


 皆は知っているだろうか。世界最恐にして最凶の生物がラーテルしゅじんこうだとすれば、たぶんナンバースリーくらいに入るのがこのイイズナだ。


 全自動突撃マンであるラーテルは、でも小型犬程度の大きさはあるので、勝率自体は悪くない。

 なのにネコ目最小クラスであるイタチ属のくせして、同じく全自動突撃マンと化すのが、このイカれた生物イイズナだ。


 中にはペリカンの口の中に突撃して、そのまま飲み込まれてしまうぐらい荒っぽい性格なのである。


 うーん、逃げたい。主人公くん二世かよ。


 あとさぁ、懐にナイフ忍ばせてるとかさぁ。

 中学生ならともかく、高校生にもなってそれは恥ずかしいよ。「聖パコ」のジャックナイフって呼ぼうかな?


 とはいえ、首筋ナイフマンを無視するのは難しいんだろう。

 ヘカテーたんはヘナヘナと力を失った。


 うーん、やるなあ。そもそもウル郎を一方的にやっつけた時点であり得ないんだけどね。

 すごい手腕である。一体どうやったのか。ちょっと見習いたい。フェミニスト系男子な僕は、女の子を蹴ったりはしないけども。


 しょうがない。ウル郎が死んでも別に構わない僕が闘うか。


 月に変わってお仕置きだべー、的な感じで構えをとった。

 ま、通じなくて鼻で笑われるんだけどね。


「お仲間はいま獄中だぜ? それで何ができるよ、金魚の糞」


 金魚の糞って。ちょっとひどくないですかね。

 まあ、こうやって立ち塞がるのはキャラじゃないけどさ。

 でもねえ、さすがにねえ。


 とりあえず僕はぎゅっと目をつむった。先に殴らせておくかの精神である。

 あ、一応顔だけかばっとこう。いつかモデルになれるかもしれないし。

 リラちゃんがうほうほするでかもしれない月面フェイスがボコボコしちゃまずいでしょう。


「そんな女を庇ってどうすんだよ。誰のせいでこうなってるのか知ってんのか、ええ?」


 何を思ったか大爆笑するジャック君。おっかなびっくり目を開けた僕に、彼は言った。


「聞いてみろよ。さぞおもしろい答えが返ってくるだろうさ——なあ?」


 リラちゃんがひときわ大きく震える。いや、いや、と小刻みに首を振っていた。


「あの野郎が捕まったのは、こいつの嘘が原因なんだからよ」


 最初に殴りかかったのは、アチョではなく彼らだったこと。アチョの誘い方も紳士的で、けっして強引なものではなかったこと。


 いや、そもそもの原因である写真流出でさえ、ジャック君の手びきであったこと。


 なんのことはない。つまりは元から仕組まれていたのだ。


 言動が怪しく、肉体行動に訴えやすいアチョをターゲットに。無関係と思われていた女の子を証言者にして、悪者へと仕立てあげる。被害者と目撃者がグルなのだ。どんな罪でもでっちあげられるに決まっている。最低最悪のハニートラップだった。


 血の気を引き抜かれたみたいに顔面蒼白となるリラちゃん。

 ヘカテーたんはウソやろ? と彼女のほうを向いた。


「ハハハっ! 知らなかったのかよ、やっぱ東組の奴らはトロ臭くていけねえぜっ!」


 どうやらリラちゃん、こいつと幼なじみらしい。いや、幼なじみとはいっても顔見知り程度の仲らしいけれど。

 それで、ぶっちゃけポンコツなリラちゃんは、唯一の知り合いとして頼ったこのジャック君に都合よく利用されたのだ。


 賢い奴である。

 そこそこ親しい仲なのに、それを周りにバレないようしていたなんて。

 で、いざってときの捨て駒と。ふむぅ、真似したいぜ。


 気分はワインゆらゆらフィクサーだろうか。高笑いする仕草が実にサマになってるよ、まったく。


「味方を減らして何がしたいの?」


 ジャック君は、あん? と眉をひそめた。


「なんのことだ」

「アチョは同じクラスじゃん。なんでアチョなの?」

「そいつは……うざったかったからさ。べつにいいだろ。ここは弱肉強食、そうだろうが」


 僕は、なるほど、とうなずいた。クラスメイトを背中から刺しておいてその理屈が通じるのかわからないけれど、焼肉定食しか知らない僕にはわからない何かがあるんだろう。


 ヘカテーたんはむちゃ怒ってるけどね。仲間を切り捨てるとは何事か、みたいな感じだ。

 そもそも仲間じゃないから的外れなんだけどね、それ。


「……強がってんのか? 仲間が陥れられたんだぜ。許せねえとか、なんかあるだろうが」

「ちょっと可愛いね、キミ」

「あ?」


 眉をひそめるジャック君に、僕は首をかしげてみせた。


「悪ぶって見せるなんて。僕だったら陰で大爆笑だけどなあ」

「仲間じゃ、ねえのかよ」

「アチョなんていなくても困らないじゃん」

「……心底終わってやがる。こんな話聞かされてそれかよ」


 ぺっ、とジャック君は唾を吐きすてる。僕のことなんか無視することにしたらしい。

 それが正解だよ。僕みたいなイカれ、僕でも無視するし。


 ジャック君はパチンとゆびを鳴らすと、ヒーハー軍団がウル郎くんをこっちに突き飛ばす。

 そしてリラちゃんを指差しながら、彼は宣言した。


「俺を裏切ったらどうなるか、わかってんだろうなリラ」


 そうして、試験前日はやってくるのだった。




 § § §




「そう、そういうことね」


 試験前日。授業を控えた教室で、僕からの報告をうけたミサキちゃんは渋い顔をしていた。


 教室を見渡すと、そこにはリラちゃんだけでなくあのアチョの姿もある。

 丸坊主、ほぼのけと口をあっぴろげた姿勢のまま、何を考えているのか不明なバカ顔で膝を揃えている。

 真実は何も考えてないんだけどね。そんなのわからないからか、不気味なのかみんな半径三メートル以内には近づかない。さながらネンショー卒あつかいだ。


 そしてそれはリラちゃんもだ。いや、ちがう。悪意をもって、彼女は孤立していた。


「仕方ないわ。彼は救えた、それで良しとしましょう」


 色々あった部屋突撃事件のあと。僕たちを取り巻く状況はめまぐるしく変わった。

 なかでも大きかったのは、リラちゃんの訴えとり下げだろう。


 あれだけ脅された彼女だが、どうやら翌日、その足で学校に向かったらしい。

 ミサキちゃんの睨んだとおり、学校側は罰よりも事態の収拾を望んでいたらしい。

 南組との喧嘩も両成敗と。なんなら弱き者こそ悪みたいな勢いでアチョは解放された。

 うーん、野蛮だ。


 盗撮の件も釈明しようとしたらしいんだけどね。

 そっちは自業自得なので効果なかった。怒ってたのは女子だけで、学校側はアホらしって感じだったし。


 で、めでたく裏切ってしまったリラちゃんは、報復を受けていた。


「……あっ…………!」


 荷物を抱えていたリラちゃんは、追い越すようにして通りかかった男子に肩をぶつけられた。

 結果、抱えていた本やノートをぶちまけてしまう。ぶつかった男子は口を歪めるだけで何も言わない。

 それだけじゃなく、それを見てジャックくんはニヤニヤ笑っている。


 泣きそうな顔で黙々と落ちたものをかき集めるリラちゃん。

 その姿は、こっちが悲しくなってくるほどさびしい。


 けれど、ミサキちゃんの言うことは正論だった。


 たしかに、アチョは助けられた。けれど、リラちゃんは救えない。

 だってこれが考えに考えらえた罠だから。


 まずアチョを罠にハメる。そしてそれが露見したとき、今度はリラちゃんを切り捨てる。

 アチョ退学事件にかかりきりだった僕たちには次の矢を防ぐ時間が足りない。


 僕たちが全力でかばえば退学だけは阻止できるかもしれない。

 でも、誰がそんな役目を負いたがるだろうか。


 そもそもとして僕は対立関係にあった。そんな僕たちが、いきなり手を結んだとすればいらぬ噂を立てられかねない。


 そしてなにより、リラちゃん本人がそんな針の筵でこの先やっていけるわけがない。

 いや、ちがう。たとえ仕組まれていたのだとしても、彼女は自分だけ助かることを望まない。


 事実、ヘカテーたんからのクラス移動の誘いを断っている。なすがまま、希望調査の結果に未来をゆだねると言っていた。

 大きなペナルティを支払ってまで、自分に助ける価値などないと思っているのだろう。


 それでもヘカテーたんは粘っていたが、決意は硬いと見たのか、最終的には諦めた。


 わかるだろうか。性格まで計算に入れた一手。二段構えの鉄壁の作戦なのだ。

 腕を組んだミサキちゃんは、軽蔑の眼差しをジャック君に向けた。


「醜い足の引っ張り合いね。仲間を蹴落として一体何がしたいのかしら」

「なんか考えがあるんじゃない」

「考えって、気に入らないってだけでしょう? 本当に愚かだわ」


 終始不機嫌だったミサキちゃんは、最後の最後までジャック君をにらんでいた。


 そんな彼女と別れた僕は、一人話しかけるタイミングを見計らっていた。

 だってねえ。最近、なんかちょっと目立ち気味だから堂々と話しかけたくなかったのだ。

 視線を浴びると干からびる病なのである、僕。


 そして昼休み。トイレぼっち飯していたリラちゃんに扉越しで声をかける。


 彼女はかなりびっくりしたのか、フォークかなんかを落とす音がした。


「あぁ……」


 とか言ってるから他にも落としたかもしれない。

 ごめんね。こんなところまで追いかけてくるとは思わないもんね。

 あと一応異世界設定なので、便所はバチクソ汚いから。便器もぼっとんだし。とりあえず外で食べたら?


 けれど慌てていたのはそれくらいで、彼女は本音で語ろうとせず、ただアチョの件で謝罪を繰り返すばかりだ。

 僕が気にするなと言うと、少しだけ胸のうちを打ち明けてくれた。


「生きていて良いんだって言ってもらえて、嬉しかったです。こんな、こんな私でも……」


 消え入りそうな声は、入り口で通せんぼしているアチョの胸を打ったのか。アホは、


「かわいそうだぞっ! あんなところでゴハンなんてっ!」


 とか泣きわめいた。


 いや、そこじゃねーよ。あとちゃんと封鎖しとけ。僕がマジの変態になっちゃうだろ。


 でも、アホはアホなりにいいところを突いている。

 僕は痛みにすこぶる弱いけれど、それ以上に女の子の涙に弱いのだ。泣いてる子がいたら、身を投げうってでも助けたくなってしまうのである。

 ……投げうつのは他人の体だけど。あと男は死ね。


 そして彼女を助けることは、目的と相反しない。心のトゥドゥリストにリラちゃんを助けるという項目を追加することにした。

 心のブラックリストにもオ〇〇ポ輪投げ係を押し付けようとした罪を記しているけどね。許すまじ、うほうほ侍め。


「リラちゃんさ、僕にもキミの絵くれない? ちょっと幸運のお守りにしたくてさ」


 意味不明すぎたのか、リラちゃんのハテナマークが扉越しにもわかった。


「いいです、けど……?」

「君も最後までやりきりなよ。世界ってのは意外に幸運だったりするからさ」


 で、そんな便所メシガールなリラちゃんから放課後絵をもらったあと、僕たちはとある人物をたずねることにした。


 いやー、またこのパターンか。なんか僕って、だいたい同じことしている気がする。もしかして人工知能かもしれない。

 この問題は結構センシティブで、僕たち人類がゲームみたいな世界で生きているかもしれないというのを否定できないらしいけど。

 あ、この世界ゲームだったわ。


 文句は言うまい。これも目的のためだ。僕はモテるための努力を怠らない。ベクトルは変だけど。


「……アンタっ…………!」


 その待ち人は、昔ナインちゃんが地ならしまくった花壇の側で手紙片手に立っていた。


 うっそうとした訓練用の森の影に立っているから、すごい陰気だ。そしてすごい似合っている。

 熊と森。ざ・ふぁんたじーの雑魚敵って感じだね。

 ちなみにリアルだと数十人ぶっ殺した殺人ぐまもいるので、絶対あなどらないように。


 夜目の効く僕はあたりを一周しているので、仲間である犬とか狼がいないのを知っていた。

 というか仲間一匹連れてこないとか舐めすぎだろう。これだから気の強い女の子は。いつか痛い目みるぞ。

 みせるの僕なんだけど。


 僕はアホのアチョを連れて堂々と姿をあらわす。


 そしてその待ち人——我らがヘカテーたんに、とても清々しい悪役貴族フェイスを向けたのだった。


「やあ、引き抜き相手は見つかった?」



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