第7話:ひよってんなゴリラちゃん 中

 そうして次の日、僕は月のかがやく夜空を舞っていた。気分は義賊、ねずみ小僧だ。

 なんて、ウソだけどね。

 僕は窓を引くと、指を広げてにぱっとあいさつした。


「運命だね。こんな夜に偶然会うなんて」

「……ウソやろ、ここ六階やで」


 そんな僕に、目をこすったヘカテーたんは口の端をひきつらせた。

 これから寝るつもりだったんだろうか。色気のない無地のパジャマ姿のまま、あぜんとしている。


 すると、扉の向こうでドタバタと足音してきた。遅れて怒声や罵声も聞こえてくる。

 ヘカテーたんが扉まで駆けていって様子をたずねる。なにか尋常ではないことが起きたと思ったんだろう。


 相手の子も北組だった。女の子にしてはドスの効いた声の彼女は、切羽詰まった様子で叫んできた。


「ごめんボーリーちゃん。下着ドロって、こっち来てないっ!?」


 ぎぎぎ、とヘカテーたんがこっちを向く。

 その目には、チカン野郎っ! みたいな軽蔑が宿っていた。


「ちょ、ちょっと待ってっ! 勘違いだから。僕、ここに来るまでに何も取ってないから!」

「……ホンマか?」

「本当だよっ! 神様、いやもうヘカテーさまに誓ってっ!」


 そりゃそうだよ。わざわざヘカテーたんに会うために、がんばって「北組」の女子階に不法侵入しているんだから。

 それまでのところで、しかも誰のものかもわからない布切れを盗んでどうするのか。


 下着はそれ自体に価値があるんじゃない。

 誰のものかに価値があるんだということを僕は熱弁した。


「ここに来るまではなんも盗んでへん。誰のかわからへん下着にも興味あらへん。だからやってない。あっとるか?」

「そうそう」

「なら——ウチのベランダでも、なんもしてへんのやんな?」


 僕の額からダラダラと脂汗が流れ落ちた。


 やばい。なにがやばいって、ドアノブに指がかかっている。

 そしてその目は、まるで昆虫を見るみたいに冷たいのだ。不用意なことを言ったら一発で踏み潰されるだろう。


 ああ、思い出されるは幼い頃の記憶。アリの巣に水を流して、


「ノアの大洪水だー!」


 とか神様ごっこしていたのがなつかしい。これが因果応報か。今は僕がもてあそばれる運命らしい。アリさんにもっと優しくしとけばよかったぜ。


 仕方ない、もうこうなったら。僕は可愛らしく首をかしげた。


「洗って返すよ?」

「捨ててくれてええで」


 そうして僕は紐なしバンジーに挑戦した。いや、させられたかな。


 重力にひかれるまま六階のベランダから飛んだ僕は、それでも宝物を胸に抱きながら地面に突き刺さったのだった。




 § § §




「ホンマ、呆れるほどしぶといなあ」


 と、腰に手をあててため息をつくヘカテーたん。

 その下には枝まみれ、砂まみれのボロクズ雑巾な僕だ。


 それでもニコニコあぐらをかく。これぞ、寮母さんにも褒められためげない心だ。

 大抵の場合、反省していないと余計に怒られる効果しかなかったりする。

 あと、鞘は中身ごと刀狩り令にあった。我の天下をっ、許さんぞサル!


 まあ、こんなどうでもいい話は置いておこう。

 ナインちゃんにまたもやガオガオを拒否られたあくる日。こうやって、


「ヘカテーたん。あ・そ・ぼ!」


 と、突撃したのには理由があった。ま、まな板わめき系女子にヒスられたからなんだけどね。


「オマエ、ナントカシロ、イマスグ」


 ってな感じで、ミサキちゃんがワイン片手にインディアン化したのだ。

 うん、ちょっと属性重ねすぎだよ。疲れているんだとしてもね。


 僕は正直アホのことなんか見捨てている。

 けれどヘカテーたんと仲良くなりたいので、これを口実に尋ねていた。


 なんかいらない奴も一緒だけど。


「さあヘカテーたん。お手手繋ごっか」

「……」

「ちょ、ヴォルフ。真剣はあかん、あかんて」


 振りあげた刀を渋々おろすウル郎くん。おパンツ強奪事件もあって、僕への警戒心はとどまることを知らないようだ。


 あとイヌはいない。

 なんだろうね。僕の顔をみると涙がちょちょぎれて立っていられないらしい。

 メンタルざっこ。


 ヘカテーたんプラス一匹を連れた僕は、僕たち「東組」の女子階にまで来ていた。


 途中、出会う人みんなにへんな顔をされたけど問題はおきなかった。

 というかヘカテーたんをナンパしようとしたモブが、ウル郎くんの手によって半殺しになってから院長回診みたいになった。


 ぬるすぎじゃないか東組。僕が侵入したら下着ドロあつかいだったぞ。

 それはベランダから入ったからですね、そうですね。


 リラちゃんの部屋をノック。ぶしつけなウル郎くんがガンガン叩く。

 でも出てこないので、ヘカテーたんはふり向いた。


「やっぱ、もう寝とんちゃう。夜も遅いし——ってちょっ」


 んなわけないじゃん。彼女は僕と一緒で、影の住人なんだよ。影の実力者笑なんだよ。

 なら、夜こそが本番なわけで。

 僕は、寮母さんからパクってきたマスターキーでガチャリと勝手に開けた。


 あっけに取られる二人をおいて、僕はさっさとリラちゃんの部屋に。

 とたんにむわんと女の子特有のにおいがただよってきた。


 でも、それよりもつよい異臭に眉をひそめる。ウル郎くんなんか露骨に鼻をつまんだ。


「オイル臭……油絵?」


 正解、ヘカテーたん。ただ、それじゃ五十点しかもらえません。

 重要なのは、彼女がなにを描いているかということなのです。ここ、試験に出ますよ。


 リラちゃんは部屋の奥にいた。窓のほうをむいて、キャンパスに筆を走らせている。

 月明かりで作業をするのだろう。灯りはない。

 集中するためなのか耳栓をして、侵入してきた僕たちに気づいた様子もなかった。


「な、なあ。こんなん怒られるんちゃ——」


 遅れてきたヘカテーたんが目を大きく見開いた。


 まあ刺激強いもんね。頬に朱が走っているのはご愛嬌だろうか。僕の肩をつかみ、あわてて目をそむけている。


 ぶっきらぼうな顔をしていたウル郎くんも入ってくるなり固まった。

 おお、新鮮な反応。連れてきてよかったかもしれない。


 そしてちょうど、リラちゃんが首をまわした。


 一瞬、意味がわからなかったのだろう。耳栓を外し、なぜか脱いでいたズボンをずり上げてから、これが現実だと理解したようだ。

 硬直すると、まるで火山のようにきゅううと赤さが頭まで登っていった。


「えっ、えっ、えぇ、ええぇぇええ! なんでっ、いるん、ですかあっぁぁ!」


 ガタガタと椅子を蹴り飛ばして作品をかばうリラちゃん。

 いや、もう遅いよ。ばっちり見ちゃってるから、僕たち。


「み、み、み、見ました……か?」


 リラちゃんがしどろもどろに言う。恥ずかしがるのも無理はない。

 彼女が描いていたのは、彼女が恨んでやまないであろう張本人——アチョだったからだ。


 いや、そこはどうでもいい。重要なのは、そのアチョが裸だということだ。

 もっと正確には幸薄イケメンに背後からゾウさんぱおんぱおんするアチョという構図だ。


 つまりなんのことはない。彼女はボーイズラブを題材にしたエッチな絵を描いているのだ。


 そう。彼女がどうして教祖なのか。

 彼女は幼いころから培ってきた絵の能力を、なんと背徳的なバラの世界を描くために全振りしているのだ。


 ちなみにその才能は絵だけにとどまらない。文章や歌、実家にいたころなら彫刻と、ありとあらゆる活動に手を出している。

 彼女自身も、あまり大っぴらにできないものだと知っているのだろう。クラスメイトには誰も打ち明けていないようだ。


 ただ、ナインちゃんが知っていたように、先輩たち富裕層の間ではわりと知られた話らしい。

 なんかリラちゃん。昔はもっとアグレッシブに被写体の男の子を追いかけ回したりしていたらしい。

 それで一部の先輩女の子たちの間で有名なのだそうだ。現代アートの巨匠、「ウホウホばんざい」という名で。


 商業作品をつくるのは辞めたらしいんだけどね。これはぜんぶ個人的なおかずだろう。


 それにしても、うーん。ちゃんと見るとキツイな。

 何がキツいって、アチョが少女漫画風にイケメン化していることだ。


 そして嫌がりながらも快楽にくるうのが幸薄イケメンだ。

 気持ち悪いっていうか、おぞましい何かだった。


 僕は言った。


「もちろん。淡い紫だよね」

「……紫?」

「アンタ、もっかいジャンプしたいんか?」

「ああウソっ。ウソだよヘカテーたん!」


 エターナルフォースブリザードを発動させようとしていたヘカテーたんに弁解すると、すぐさまネタを提供した。


 とはいっても、ここに入った言い訳をするだけなんだけどね。

 いきなりアチョ関連の話をしても警戒されるだけだろう。

 だから僕は、いけにえを用意したのだ。


「彼女がね、どぅぅぅしても君の作品が見たいってさ。それで、ごめんね。こんな夜遅くに来ちゃって。でもほら、昼は彼女も用事があって」

「……そう、なんです、か?」


 同士に会ったからだろうか。我が子をかばうリラちゃんが瞳をキランとかがやかせた。

 オタクアイ、発動! なんちって。


「え、ええっと。まあ、そうやなぁ……!」


 一方、顔にびっしり汗をかきながら僕の背中をつまむヘカテーたん。

 ふざけんな、おい! という呪詛が聞こえる。


 だが、僕は気づいている。彼女の目が部屋のあっちこっちに走り、どこをみていいかわからず真っ赤になっていることに。


 そう、そうなのだ。


 原作においてヘカテーたんはとある悪役の虜囚となり、そこでアブノーマルなプレイを強要されて、でもそのうち悦ぶというか好きになってしまう変態さんなのだ。

 ♂×♂とか、攻め受けとかは彼女にとって普通に入るのだ。


 そもそもとしてリラちゃんの絵が超うまいってのもあるんだけどね。

 壁に飾られている先代王のTレックスとか、リアルというか本物すぎてドン引きだった。

 ってかなんで知ってんだよ。不敬だぞ、おい!


「ウチまだ初心者やからなぁ。夜も遅いし、迷惑やろ?」


 ヘカテーたんはひきつった顔でせやせやと一人うなずいている。

 でも、残念。魔王と一緒で、オタクからは逃げられないのだ。


 ドタドタと走ってきたリラちゃんは、僕とウル郎を弾き飛ばしてヘカテーたんの両手をにぎった。


「そんな、そんなことないです! 布教ならこの私に任せてください! 腐死鳥と呼ばれた私なら受け攻めやおい、逆カプ極道スーパー攻め様、なんでもござれですよっ! いくらでも、いくらでも聞いてくださいっ!」

「ちょ、わかった。わかったって」

「いきなりわかりませんよね。えっと、どこにあったかな。っと、これだ!」


 いきなり反転して、棚のスケッチブックを一心不乱にめくりだしたリラちゃんは、あるページを見せてきた。


 そこに描かれていたのはアチョを退学させろといつも叫ぶイタチくんと、ウル郎くん二人のあられもない姿だった。


 しかも、ウル郎くんが受け。

 サングラスを奪われたからか、両手で顔を隠しながらも開脚騎乗位で突き上げられている。

 それを陰からみつめるのは、指をくわえたイヌ男くんだ。


 なんだこの絵。線画なのに脳内をバグらせてくるんだけど。

 おぞましい以上のなにものでもなかった。


「え、え、えっ……!」

「これが下克上です。どうですか。ゾクゾクっていうか、むわんむわんみたいな気持ちになりませんかっ!」


 ヘカテーたんは口元を手をおさえて、絵とウル郎くん見比べている。

 ほっぺは真っ赤というか、もはや熟れすぎて腐ってそうだった。


 おい、その反応。今ちょっと部下を性的に見てるだろ。それリーダーとして絶対ダメだぞ。


 まあしょうがないか。女の子といえど人間だ。

 性欲はあるのだ。男の子同士の絡みをみて、お股が松本潤潤しちゃうこともあるだろう。

 僕だって、ミサキちゃんとナインちゃんが百合百合してたらTレックスしちゃうし。


 僕はパンパンと埃をはらって立ちあがる。ちなみに僕の絵はないらしい。

 ちょっと興味が、とか一刀両断された。


 ……この子、意外に毒舌だな。へこんだ僕が正面に目をやると、同じくウル郎くんが立ちあがるところだった。


 お、さすがの彼も怒るか。さすがというか、なんなら予想通りだった。


 イタチくんというのがあんまり想像できないカップリングだけど、しょせん妄想の世界だ。

 たぶん、手当たり次第テキトーに絡ませているのだろう。無機物同士に愛を見出せるみたいだし。


「……貴様っ…………!」


 でも、そんな僕の考えはてんで外れていた。


 ちがった。怒るとか、そんなことばではまったく足りない。

 人を殺しても収まりそうにない感情を、彼は発していた。


 まさしく激憤だ。

 顔を夜叉のように変えたウル郎くんは、勢いよく左手をつきだすとリラちゃんの喉をわし掴みにした。


「なんのつもりだっ! 脅しのつもりかっ!」


 首を視点にして、宙ぶらりんになるリラちゃん。

 それでも足りないのか、ウル郎くんは今にも抜刀せんと柄を握りしめている。


 リラちゃんは青い顔のまま、うめくようにパクパクと口をひらいた。

 気道を絞られて、声が出せないのだろう。涙目でとんでもなくかわいそうだ。


 それを止めたのは、これもさっとリーダーモードに戻ったヘカテーたんだった。


「やめ、ヴォルフ」

「しかしっ!」

「ウチはやめ言うたで、ヴォルフ?」


 ヘカテーたんがウル郎くんの腕をつかむ。そして、わずかに僕を一瞥した。

 なんだ今の目配せ。僕も怒ると思っているのか?


 しかし、その忠告は効果的だったようだ。

 冷静になったのか、しまったというような表情をしたウル郎くんはあわてて手を離した。


「ごめんな。だ、大丈夫? 医務室行った方がええかな?」


 ヘカテーたんはかけ寄ると、抱き起こしながらやさしく背中をさする。

 ゲホゲホと咳き込んだ彼女は、涙目になりながらもゆるやかに首をふった。


「いえ……私が、悪かったんです。ごめん、なさい……ごめんなさい」


 一転、鬱モードに入ったリラちゃんは、ごめんなさいボットみたいに謝罪をくりかえした。

 それをヘカテーたんがなぐさめる。そんなことが、つづいたのだった。


 消し飛んでしまった和やかな空気を思いながら、僕は顎をさする。


 これは、どう考えるべきなのだろう。悔しげな表情で、破れたスケッチブックをにらむウル郎くんに、僕はそんなことを思っていた。



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