第5話:たこやき大好きだぐま 下

 すがすがしい朝日で僕は目覚めた。


 空は滴るような赤につつまれ、地平線は闇にのまれつつある。ふふ、これが逢魔が時というやつかな。今日から僕、いや俺は肉食系なのだ。道ゆく女の子をかどわかす魔となったのだ。


 僕は「へ」の字に伸びる、ドラゴンのような影を見つめていた。


「アンタ……何しとるん?」


 突然、空から声が降ってきた。


 僕はゆっくりと顔をあげる。そこには黒いパンツに包まれた長い脚が伸びていた。裾からのぞくくるぶしが、むしゃぶりつきたいくらい白い。

 視線を上にすれば、モデルみたいにすらりとした上半身がある。内から押しあげるふくらみが、胸元の刺繍を暴力的にゆがめていた。


 クマ女こと、ヘカテーちゃんだ。


 彼女はとても微妙な表情で、地面に寝転んでいるというか、地面に転がされている僕を見下ろしていた。


「おはよう」

「……」


 僕のあいさつに、ヘカテーちゃんは瞬きひとつしない。

 かける言葉がみつからない。そんな感じの表情だった。


 いや、だからって挨拶をしなくていい理由にはならないんだけど。

 はあ、これだから若い子は。礼儀がなってないよまったく。


「やあ、昨日ぶりだね。ちょっと待ってね、すぐ起きるから」

「それは、ゆっくりしてくれてええんやけど……大丈夫なん、それ?」

「それって?」


 指をさすヘカテ―ちゃんに、僕は顔だけをもぞもぞ動かした。


 首と膝を支点として、お尻丸出しで空に突きだした姿勢。袖や裾なんかはほつれ、枝があちこちささっている。

 髪には砂がちらほら。汚水をぶっかけられたから変な匂いもする。

 おまけに顔なんか蜂に集団レイプされたみたいにボコボコしていた。


 うん、やばいね。ドラゴンっていうか干からびた芋虫だね。

 僕はパンパン埃をはらうと、生ゴミ散らかるゴミ捨て場から這いでた。


「ホームをレスした気分を味わいたくてさ」

「ボコられたんやろ」


 僕が両手を広げて仰々しくいうと、ヘカテーちゃんは冷たく一刀両断した。


 何が悲しいって、それが何も間違っていないっていうのが悲しかった。




 § § §




 僕がなぜ袋叩きにあったのか。それを説明するには、唇強奪事件までさかのぼらないといけない。


 渋るワンコ系イケメン二人を追い払ったヘカテーちゃんは、僕から距離をとって座った。


「ウチらのクラス、一人退学してんねん」


 それは先々週のこと。「北組」で白昼堂々の傷害事件が起きたということを覚えているだろうか。


 実はその事件、僕たちのクラスもまったくの無関係ではない。

 というか、発端に関しては当事者級にかかわっていた。


 前にも言ったと思うけれど、僕たち一年生にはどのクラスにもリーダーを決める派閥戦争がある。


 それはゆるゆるな「東組」も例外じゃない。

 そしてエリートな「北組」ならもっと激しくなるのも当然だった。


「リーダーはウチって決まってるんやけどな。副リーダーにさっきのウル郎くんヴォルフイヌ男くんハスが立候補してるんやけど。まあピリピリしとってな」


 二人は授業に課題と日々健全に競いあう、いわゆる宿敵と書いてライバルと読む関係だったそうだ。


 今回のパートナーを決める対決でも、健全な形で決着がつくだろう。

 そんな予想は覆される。常識なんか通じない天下無双の無法者、主人公くんの横槍だった。


「はっ、ケンカ上等ぉぉ!」


 何の因縁か。主人公くんはウル郎くんのグループにからんで邪魔をしまくったそうだ。


 徐々に水をあけられるウル郎くんグループ。健全に競っていたころは多少の交流もあったそうだが、仲違いもやむなしだろう。

 苦戦の原因が、なんだかわからない妨害というのも彼らをこじらせた。


 うん、一つ言わせてほしい。またお前かよっ!

 前回といい今回といい、いちいち邪魔しやがって。


 まあバーサーカーに文句を言ってもしょうがない。

 問題は、ここからさらに血を血であらう骨肉の争いに発展したことだ。


 真相はわからないらしい。ただ、今度はイヌ男くんグループの一人が真っ昼間に突然、


「お前らのせいだっ!」


 と斬りかかってきたそうだ。結果、ウル郎くんのグループに重傷者が複数でた。

 犯人は捕縛という結末になったそうだ。


 彼らの関係はさらに悪化した。今では修復不可能なほどらしく、闇討ちなんかも起きているそうだ。


 修羅の国かよ、そこ。


「やからな。二人とはペアになられへんねん」


 ヘカテーちゃんは額を指で支えながら、どこかつかれたように言った。


 いや、事実として疲れているのだろう。彼ら二人はまごうことなきクラスを代表する人材だ。

 もちろん求心力もある。痴情のもつれが、クラスを二分した大戦争にならないはいいきれない。


 彼女としては、手を取りあって頑張りたいのだろう。

 そもそもの原因が彼女にあるので救えないんだけどね。


「でも、それ教えてよかったの?」


 当たり前だけれど、クラスの内部情報というのは社外秘みたいなものだ。

 不仲は見ていても伝わるけれど、だからってペラペラ漏らしていいものじゃない。


「ニセとはいえ、一応恋人やしなあ。これくらいはサービスしといたる」


 ヘカテーたんはきらりと光る歯をこぼしてわらった。

 あれ? なんか寒気が。


「サービス?」

「これからな、話し合いがあんねん。ホンマはウチが行こう思うてたんやけど」


 彼女は言った。これから関係者間で和解の話し合いがもたれるらしい。

 そこには当然、斬られた人間も出席するそうだ。


 さあこの怒れる彼らをどう導くか。よほど敬虔な神父でもなければできないような無理難題だ。

 彼女は大笑いすると、目だけはガンギマリのままバンバン背中を叩いてきた。


「ウチ、はじめてやってん」

「へ、へぇ……」

「ウチ、はじめてやってん」

「……」


 そのときの肩の軋みはまだ覚えている。

 知ってる? 人間ってバキンボキンって音がするんだよ。


 そうして僕は、一人頼れるものなく棍棒にお鍋のフタ装備で魔王軍に挑んだのだった。ちゃんちゃん。


 うーん、代償デカすぎた。唯一の救いといえば、


「ちょっとやりすぎやったな」


 と、こうやって労ってもらえることぐらいだった。

 まあそんな理由で、僕はゴミ捨て場に捨てられていたのだった。


 あー、いちち。にしてもウル郎め、マジで殴ってくれちゃって。さてはヘカテーちゃんガチ恋勢だな。

 好きな子のファーストキスを奪われたのがそんなに悔しいか。ったくもう、のろのろしてるそっちが悪いのにさ。


 というかヘカテーちゃん甘すぎない?


 ふつう許さないよ。ナインちゃんは計算したうえの天使だけど、ヘカテーちゃんはガチ素の包容力モンスターって感じだ。

 僕のママよりよっぽどマザーしてる。僕のママ、なんとかの母みたいな異名もってるのに。


 ううむ、こんな優しい子を困らせるなんて。あいつらめ、許せん!


「まあ気にしないで。背中の傷と一緒で、女の子に頼られるのは男の勲章だから」


 僕は柔らかい感触に頭を預けながら、ハードボイルドに言った。


「……アンタ、その姿勢でよく言えるなあ」

「ありがとう?」


 これみよがしにため息をつかれた。何がダメなんだろう。

 僕は寝返りしようとして、けどブロックされた。


「こっち向くのは許さへん」

「えぇー! なんでもしてくれるって言ったのにぃ」

「はぁ。ホンマ、返すときは閻魔顔を地でいくやっちゃなあ。どんな教育を受けてきたんか、親の顔が見てみたいわ」

「見たことないの?」

「あるわけないやろ。……ってあかんあかん。こんな漫才やっとったら日が暮れてまう」


 ヘカテーちゃんがまるでアメリカ人みたいにかぶりをふる。


 よくわからない。何が不満なんだろう。なんでもしてくれるっていうから、ひざまくらをお願いしただけなのに。

 ズボン脱いでって言わないだけ良心的じゃない?


 しぶしぶ彼女の膝に手をおいて、頬をすりすりする。

 って痛い、いたいよ。ぎゅむむぅってほっぺをつねられた。

 君のつねるはもはやちぎるだからっ。お肌もぎもぎだから。


「ああもう、ウチが悪かったから。はよお願いしてくれへんかなぁ」

「ひざまくらで良いって言ってるじゃん」

「それやとウチの気がすまへんの……それ以上やったら本気で沈めるで」


 ヘカテーちゃんは、だったらと両手をワキワキさせた僕をみて顔を悪鬼みたいにした。

 うわお、覇気みたいなやつで今ハエが墜落した。


 まあ、まじめな話をすれば彼女としてもきちんと取引をしたいんだろう。


 律儀だからだけじゃない。冷静に考えると、彼女にはよそのクラスを誘惑して、集団で襲わせたというとんでもない罪状がある。


 出るところに出れば彼女のクラスに退学者が出るかもしれない。

 いや、そもそもを突き詰めてしまうと僕が悪いんだけどね。


 それにしても。

 お願い、お願いかぁ。


 個人的にはバレーボールのユニフォーム姿で、


「トス行くよー」


 とかやりたい。うん、どんなボールをトスしちゃうんだろうね。


 あとめちゃくちゃどうでもいいけど、僕はビーチバレーより室内バレーのほうが好きだったりする。

 なんなんだろうね、僕は水着とか露出の多い衣装はあんまり好きくないのだ。


 いや、ごめんなさいプロの皆さん。真剣なのにそんな目で見て。でも男なんて、所詮自走式下半身でしかないのだ。


「となるとミニスカサンタ? 婦警さんとかもいいなあ。異世界設定にならってお姫様と騎士っていうのも」

「話、聞いとったか?」

「――ごめんなさいウソですウソ。そういえばちょうど僕困ってたなぁ!」


 あわてて立ちあがると、身ぶり手ぶりおおげさに「東組」で起きている事件のことを話した。


 僕がリラちゃんのことで困っているのは、これまでの血と涙のにじむ大捜査でご存じだと思うけれど、なかでも彼女とどう会うかは、いまだにいい考えが浮かんでいない。


 というのも彼女には友達がいない。もちろん恋人もだ。

 ガチのコミュ障系な彼女だから、そもそも会う約束さえむずかしいのだ。


 いつもだったらすぐ大天使ナインちゃんを頼っていたけれど、正直すごくまよってる。

 なんていうかな。真の陰キャって、キラッキラの一軍相手だと意味なく劣等感を覚えたりするのだ。


 ソースは僕。イケメンに優しくされたりすると、


「ボッチを仲間はずれにしない俺カッコいいがしたいだけでしょ?」


 とか、ひがみ全開の思考がチンカスみたいにへばりつくのだ。ホント、産まれてきてゴメンね。


 ということで、ヘカテーちゃんは良い人選じゃないだろうか。だって部外者だし。


 少なくともイヤー・ブレイカーが行くよりマシなはずだ。

 いや、ちがうね。ミサキちゃんが行くぐらいなら三馬鹿のほうがマシまであるね。


 そうして僕たちはリラちゃんの部屋の前で「あ・そ・ぼー!」とノックしていた。


 よし、頼むぞヘカテー。君のスーパー包容力に期待するしかない。

 相手が女の子という問題はあるけど、君なら女の子相手でもバブバブしてあげられるはずだ。


 僕は、……なんだろうね。刺身のつま?

 ああ、ほらあれ。ブスを横に置いて自撮りする感じ。

 ナチュラルボーン、引き立て役ってわけですよ。


「ほんで、リラちゃんっちゅうのはどんな子なんや」

「身長一七三メル、体重一三二クル。朝食はバター缶三つをデザートに」

「ほぉ。それはなんていうか、おおらかやねえ」


 言葉をえらんだヘカテ―ちゃん。うーむ、配信者向きだなお主。


「何度もダイエットしようと山にこもったけど、リバウンドで増量。昔いた婚約者には豚とフラれ、妹にはいつ産まれるの? と聞かれるしまつ。それがわからないものだよね。いまやスレンダー美女なんだから」

「へぇ、なんや親近感が…………!」


 ヘカテーちゃんはそう呟いてから、はっと口元をおさえた。

 いやいや、遅いから。反応した時点で君の負けだし。


 僕は顎をこじりながらとぼけた顔で、


「ではなかったような気がするなぁ」


 とか言ってやった。


 ちなみにリラちゃんも上背があるけれど、スレンダーってかガリだしソバカス瓶ぞこメガネで超やぼったい。昔デブだったかなんてのも知らない。


「な、なんでアンタ……!」


 ヘカテーちゃんはプルプル全身を震わせながらうつむいている。耳まで真っ赤で、もう泣き出しそうなくらいだった。


 最高かよ。この子、からかい甲斐しかないんだけど。

 Tレックスがガオガオうるさい。調子に乗った僕はさらにからかってやった。


「ぶっとばしたるっ!」


 ギャアギャア言いながら彼女が飛びかかってきた。

 結果、月面みたいだった僕のフェイスにクレーターができた。どころかほっぺむびゅうされて口裂け男にされそうだ。


 やべれ、やべれ。そんなときだった、ゆっくりとドアノブが回ったのは。


「あ、あの……どうしたん、ですか?」


 そうひょっこり顔を出したのは、なっがい前髪で顔をかくして、首を肩のなかに引っこませた少女だった。

 僕たちはあわてて距離をとる。というか、思いっきり突き飛ばされて空を舞いかけた。


 だから痛い、痛いって。照れ隠しは、一定ラインを超えるとかわいくないんだってば。


「アンタがリラちゃん、やんな?」


 ヘカテーちゃんは、僕のことなんか下からいなかったみたいに声をかけた。

 手すりにぶら下がっているせいで、本当にカヤの外だ。


 うんこれ、リラちゃん気づいてないね。このままスネークごっこするか。段ボールないけど。


 それにしてもさすがだね。ペットボトルに用をたす、ネトゲ廃人みたいな汚臭全開なのによく会話しようと思えるものだ。


「そう……です。ごめんなさい……迷惑、ですか?」

「あ、ごめんちゃうねん。ちょっとお願いがあってな」


 ヘカテーちゃんは簡潔に説明した。アチョの事件について謝罪と和解の話し合いをしたいこと。できるだけ負担をかけないようにすること。自分はある人物から仲裁を頼まれたということ。


「そ、その……ごめんなさい。説明した、とおりなんで。あの……ごめんなさい」


 でも彼女は、べつに責めてもいないのに扉の隙間から謝ってきた。


 僕のほうから顔はみえないけれど、若干涙声になっている気もする。

 そのオドオドした口調といい、僕らとおなじ闇のオーラを感じた。


「ちょい待ちっ!」


 閉じられようとする扉にヘカテーちゃんが待ったをかける。

 いや、待ったをかけさせられたのは僕の腕なんだけどね。挟まれたせいで、奇怪な悲鳴を押し殺した。


「……誰か、いるんです、か?」

「あ、どうも僕もいます」

「……ど、どうも……」

「ええねんええねんこんなん気にせんとって。そんなことよりな、もう一回よう考えてみてくれへんか。そらイヤやろうけど。やけど同じクラスなんやから。一回ぐらい、チャンスあげてもいいんちゃう?」


 マイアームを使い捨てにしたことなんか感じさせない慈母の愛をみせたヘカテーちゃんは、まるで自分のことのように語りかける。

 一方、そんな心からの声に身体をびくりとふるわせたリラちゃんは、より一層深くうつむいた。


「そ、その……ごめん、なさい」

「あっ、ちょっ!」


 抵抗むなしくがちゃんと鍵をかけられた。


 ヘカテーちゃんはすこし呆然とすると、バツがわるそうに頭をかいた。

 自信があったのかもしれない。壁に体重をあずけ、悔しそうに下唇をかんでいる。


「感触はどう?」


 僕は腕をぶらぶらさせながら、言った。


「せやなあ。何とも言われへんけど、決意は固そうにみえたなあ」

「決意?」

「せやせや。絶対訴えは取りさげへん、そんな感じやった」


 ヘカテーちゃんはこう分析した。彼女はこちらの話に耳をかたむける意思はあった。これがアチョへの嫌悪で溢れかえっていたら、話題を切り出した時点で鍵をかけられただろう。


 でも、彼女は最後まで言い分をきいて、そのうえで断りを入れてきた。

 つまりそれは強い決意のあらわれだというのだ。


「ヘカテーたんに詰められただけで涙ぐむのに? そんなに意思がある子だっけ?」

「たん?」


 ギロリと僕を睨んでから、顎にゆびをあててむずかしそうな顔をした。


「たぶん、やけどな。ウチが思うにあの涙は、罪悪感、ちゃうかな」

「なんでそう思うの?」

「乙女の勘や」


 どの口が言ってるの? とか茶々入れたらぶん殴られそうなのでやめた。乙女じゃなくなったの僕のせいだし。


 というか、罪悪感ってなんだよ。被害者のくせに加害者ぶらないでよ。

 あれ? でもなんか、同じセリフをどこかで聞いたような。どこだっけ?


 ま、いっか。めんどくさいし。アチョなんかもう死刑にしろよ。

 僕はあくびをすると、力になれんくてごめんなと謝るヘカテーちゃんと別れたのだった。


 そうして、僕たちのはじめての共同作業は終わった。

 事件解決へのとっかかりなど見つかるわけもなく、試験一週間前を迎えたのである。



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