第二章

第1話:宝物を忘れるリス 上

 純白のブレザーに空色のリボンが揺れている。月明かりに照らされた黄金色の髪が淡く白んでいる。

 ああ、なんて神々しいんだ。崇め仰ぐ僕に、天使さまは神聖なお言葉をお授けになった。


「ヘロディアちゃん? 調子乗ってんじゃねえよっ。ナインテイルさまだろうがっ!」


 儚げなルックスと違って、たん、たん、と強かに跳ねながら罵詈雑言を吐き散らす。

 頬は色っぽく上気しているのに、蹲踞の姿勢で繋がって、前のめりに僕の胸ぐらを掴む様は、まさにサキュバスだった。


 これが噂のスパイダー騎乗位か。

 凄く……イイです。

 って、こっちに人権ないけど。


 僕は今、自分のベッドで仰向けになって後手に縛られている。その上にはナインちゃん。

 彼女はエンジェルスマイルで髪をかき上げていた。


「マジでキモい。その顔面でなれなれしくしないでほしいんだけど。一回死んで生まれ直して、魂も取り替えてきてくれない?」


 うわーお、エグ。女の子が女の子しているところって、生々しすぎだよ。

 本人が聞いたら人間不信になる。南無南無、哀れな誰かさん。


 でも、僕は好奇心をおさえられなかった。


「ねえ、ヘロディアちゃん」

「なあに、にー君?」


 ニコニコしながら首をギュッとされた。

 タイムタイム。僕は意外と丈夫だけれど、首は死んじゃうから。


 あと、にー君呼ばわりは酷くないですか?

 一応学園には行ってるんですけど。


「名前で呼んで欲しくないって言ったのにー君だよね。人の嫌がることして、アレもイヤ、コレもイヤなんて通じると思う?」

「嫌なことをされた側はずっと心に残る。もう過去なのに。ごめんね、どうして人は過ちを——」

「あ、ポエハラもやめて」


 なら優しくしてください。


 どうして、こんなにダイレクトアタックが得意なんだろう。

 心にとかじゃなくて、もう電極ぶっ刺すみたいな感じだ。ロボトミー感あるね。


 ああでも、女医さんって考えたら悪い気はしないな。

 いや、解釈が一致しないね。やっぱり、女医さんはスレンダーじゃないと。

 僕は医療系イメクラにはうるさいのだ。白衣はポッケが黄ばんでいて、艶めく黒髪ロングをボサしている、ずぼらインテリがいい。

 イメージはミサキちゃん。カップラーメンの残骸を放置して、固形のスープと化した残骸を片づけたい。

 間接キスだね、ちゅ。とか言って嫌がられながら。


「ぅげ」


 突然、胸のあたりをキュってつねられた。


「ねえ、聞いてるの?」


 文字通り息の掛かる距離で偏差値激高のご尊顔が、ぷうと唇を尖らせている。

 可愛らしく振る舞ってるけど、激おこプンプンなことを、僕は知っていた。

 グーの十秒前だぞ、これ。

 避けたりはできない。だって縛られ、さらにはマウントまで取られているのだ。

 これなんてエロゲ? ああ、エロゲだったわこの世界。


「失礼だよね。こっちがこんなに頑張ってるのに」

「集中、集中しているでござる」

「いま他の女のこと考えてたでしょ」

「ソ、ソンナコトナイデスヨ」

「……」


 なんでこう、女の子って鋭いんだろうか。

 どんな些細な浮気も見逃さないその眼はまるで歴戦の探偵のようであった、とかナレーションつけたいぜ。

 ちなみに女の子から言われたくない台詞ナンバーワン、


「なんで返信してくれないの?」


 を放つときの眼は、もはやヘイ・シモを超えると噂である。

 母数一、標本一なランク王国以下の信頼度だった。


「こ、今度の試験はドウナルンダロー?」

「……」

「かっ、会場のラトレネ山がきれいなんだってねっ」

「……それで?」

「君のほうが綺麗だよ」


 僕はキメ顔でそういった。


「クウロラさんと比べたら?」


 エンジェルスマイルでクロスカウンターを放つナインちゃん。

 うん、慣れないことはやめようね。


「……ラトレネ山かな」


 ごめんミサキちゃん、

 君は山以下だ。


「そういう意味じゃないよ?」

「違った?」

「もぉ、わかってるくせに」

「ナンノコトカ、ワカリマセン」

「質問、変えたほうがい?」

「お願いします」


 マイ・エンジェルはぷにっと頬を指差した。

 うーん、ぐうかわ。


「私とクウロラさん、どっちが可愛い?」


 前言撤回。

 やっぱ鬼畜です。


「一緒です」

「そうだね。で、どっち?」

「……ヘロディアたん」

「どのくらい?」

「言葉じゃ、表せないくらい」

「もっと具体的に」

「……ギブです」

「絶対服従よね?」

「にゃー」


 そっか。これが修羅場か。あれでも、別にミサキちゃんと仲良くなってないんだけど。

 そんな言い訳、通じないみたいだ。僕はひたすら、ナインちゃんの良いところを千個唱えたのだった。


 しょうがないね、大天使の神託だもん。

 うーん、朝からハードだ。まる。




 § § §




 彼女が帰っていったのは、夜が明ける手前だった。


 僕は体力がないけれど、生物学上は雄だし、ずっと動いているのはナインちゃんだ。

 疲れたんだろう。ぐったりと眠る彼女の隣で身体を拭いたり、部屋を掃除しているうちにタイムリミットが迫っていた。

 残念なことに定休日なんかないんだよ、この学園。


 低血圧な彼女を起こし、髪やら服やらを整えてから女子階にまで送り届けていると、もう始業時間が迫っていた。

 いや、いつもはもっとギリギリなんだけどね。二度寝したら、絶対遅刻するという合理的判断だ。

 そして彼女は僕が遅刻するとキレる。


 しかし、暇だなぁ。

 Tレックスも沈静化しているし。


「よし、アチョでも見にいくか」


 天変地異並みのセリフと共に、色々籠った部屋を飛びだす。


 中間試験が終わったあと、僕はわりと充実した生活を送っていた。

 学園に慣れたのもあるし、手の抜き方を学んだのもある。なにより大きいのは、ナインちゃんとの契約だ。


 前にも言ったけれど、僕は遺伝性の変な病気を患っている。

 ガオガオしないと、豚や牛に興奮してしまうとんでもない病だ。

 だからだろうか。

 若干うつ気味だったらしい。

 それが一転、かわいい子と仲良くなれて心も頭もハッピーだ。

 それも複数回。

 正直、僕はポンコツだからソッコー見限られて殺されるんだろうと思っていたけれど、今日の今日まで生き延びている。


 ああやって、彼女が深夜突撃してくるのは珍しいことじゃなくなっていた。

 契約した日に合鍵は渡してあった。それでも、最初は僕からだったけれど、今は向こうの都合次第で乗りこんでくる。

 時間を置くと、僕が従順じゃなくなることに気づいたんだろう。今やもう、彼女の私物が部屋を占領しているありさまだった。


 因みに主従関係も逆転している。初めてこそ僕が上だったのだけれど、そのうち下になり、気づいたら縛られて身動きひとつできなくなっていた。

 変なことしたらパンチされる。グーで。

 僕は丈夫だし、女の子なナインちゃんは非力だから痕になったりはしないけれど、でも痛いのは嫌なので逆らわない。

 十分満足だし。


 あと服も脱いでくれない。最初のとき、


「メルボルン君がずっと入ってるみたい」


 と睨んでいたけど、根に持っているんだろうか。一時間泣き喚いたら、ブラだけは外してくれるようになった。

 でも、すごいんだよ。ホックが三つもある。

 支えよっか? って聞いたら殴られたけど。


「あ、やってるやってる」


 僕は手庇をつくると、動く影をみつけた。


 そんなふうにTレックスはご満悦なんだけれど、学園生活も充実するようになっていた。

 そっちも九割、彼女のせいだ。


 クラスは今、リーダーを決める派閥争いでとてもピリピリしている。

 代表例がミサキちゃんだ。あの黒くて舌までブラックな彼女は、学業や課外活動と精を注いでいる。三馬鹿なんかを使ってね。


 一方、リーダーは嫌。けど、権力は欲しい。みたいな中間層もけっこういる。

 ナインちゃんもそれだ。


 どういう方法で、どういう形に収まるのかまだわからない。ただ、リーダーの権力は絶大だ。

 対抗戦のとき前面に立つのはもちろん、予算管理から寮部屋の差配、果てはクラス代表として表彰を受ける。

 心地よい学園生活を送るならば、最低でも幹部クラス。

 これが一般的な認識だ。


 ということで僕たちはこき使われていた。


「うおおおおおっ!」


 奴隷一号、アホのアチョである。

 面と向かって奴隷宣言はしてないけれど、僕は「カイヌシ」とか言われているので一緒だと思う。


 それにしても暑苦しい。半径三メートル以内はムリだね。男の汗とかないわ。

 僕は女の子の汗なら舐められるくらい好きだけれど、男の汗は便所のヨゴレぐらい嫌いだった。


「やっぱ中止にしようかな、意味なさそうだし」


 そう。

 こんなこと言っといて、

 今アホが走っているのは僕のせいだったりする。


 きっかけは中間試験後。

 僕たちも右よ左よと依頼に駆り出されるのだけれど、ちょいちょい目につくことがあったのだ。

 命令不能とかは諦めた。バッジがじゃなくて、元々混乱状態にあるポケモンなのだ。

 そういうのじゃなく、もっと根本的な問題である。


 アチョって弱くね、と。


 強くはない、が正確かな。

 というのもこのアホ。序盤は再生力もあって強力だけれど、中盤くらいから攻撃力が伸び悩み、徐々にフェードアウトする。

 最終的な評価は中堅がいいところだ。その頭脳抜きで。


 クラスでは上位でも、多士済々な「魔の世代」では力不足。

 バケモノ揃いのエース格には当然及ばない。


 そこで僕は思ったのだ。今のうちに強化しておけばよくね、と。


 そして始まったアチョ魔改造計画。

 僕は日の出と共に訓練迷宮へ閉じ込めると、放課後は依頼、夜は武術としこたま鍛えることにした。


 学園はどうした?

 知らないよ、

 僕はアチョじゃない。


 でも、やりすぎたみたい。あのアチョでも、月残業三百時間みたいになっていた。

 軟弱者とビンタしたら、ナインちゃんに止められた。

 というかサイコパス認定されたので、僕は渋々計画を止めたのだった。


 その名残がランニングである。

 僕は一度もチェックしたことないけど、律儀に言いつけを守っているようだ。

 うん、えらいえらい。


 因みに、僕たちの活動成果はナインちゃんに吸い上げられている。

 君もけっこうサイコパスじゃない?


「うーん、今日も平和だ」


 青々とした朝の空をあおぎながら言った。とかいって先々週、他所のクラスで阿鼻叫喚の殺傷事件があったけど。

 全然興味なかった。ミサキちゃん以外気にしてなかった。

 そして、そんなぬるま湯の『東組』が僕はとっても大好きだった。


 飽きたので戻ることにした。


「ご主人っ!」


 なんか聞こえた気がしたけどムシした。

 だってめんどくさいし。

 ああ、疲れた疲れた。




 § § §




「お、今日は早いじゃん」


 朝食後。

 着替えて部屋を出ようとした所で、男に呼び止められた。


 うわ、コイツかよ。

 僕はげんなりした。

 気にせず絡んでくるけど。


 なんでめげないんだろう。こう言ってはなんだが、僕は色々諦めてられてきた。

 前世では、


「やればできる子……かも」


 とか気まずげによく言われたし。

 今世でも寮母さんに、


「良いところもあるのよ」


 とか涙された。

 そんな僕には、コイツは宇宙人のようだった。


「それにしてもさ、キミって大人しそうっていうか、はっきり言って地味じゃん。どうやって仲良くなったわけ?」

「はぁ」

「そんなに隠すことなくない? 俺にもさ、ちょっとその幸運ってやつを分けて欲しいんだって。そっちのほうが平等じゃん」


 名前はウザ・ウザ男。

 一種の人権活動家みたいなやつだ。


 好きな言葉は平等、かな。

 最近僕がよくナインちゃんと話すからだろう。

 俺にもチャンスをくれと世界平和を唱えている。

 めんどくさいヤツだ。


 そして僕は、人権を叫ぶ輩が大嫌いだった。

 ニートにも人権があるって主張する奴いないし。


「うぜぇ。アチョでも呼ぶか……あ」

「あれ、メルボルン君?」


 靴を履いていたナインちゃんが、可愛らしく手を振ってきた。


 なんでだろう。

 僕より疲れているはずなのに肌は艶めいているし、唇はプルプルしている。心なしか髪まで活力を感じた。

 数時間前の痴態なんて想像させない、いつもの大天使さまだった。


 うーん、ぐうかわ。

 けど、超バッドタイミングだった。


「あ、ナインちゃん。聞いたよこの前の件。憲兵に協力したんだって? すごいなあ」


 ウザ男は僕を押しのけると、にこやかにナインちゃんへ近づく。


 パッと見で身長は変わらないんだけど、強引なのってやっぱモテるのかなあ。

 ルックスは……うん、うんって感じ。

 べつに悲しくないよ? 内面で勝負する派なのだ。それにしても高そうな靴履いてるなあ。


「う、うん。皆の協力もあったし、ね」


 ナインちゃんが困った顔で愛想笑いをしている。


 しかし、なんでこういう輩ってナチュラルに人を足蹴にできるんだろうね。僕が言えた義理じゃないけど。

 今までこういうことなかったんだけど、相手も貴族だとこうなっちゃうんだよなあ。

 侮られてる感半端ないっす。


「今いいかしら?」


 と、救いの手を差し出したのは髪も真っ黒、服も真っ黒な女の子だった。


 僕たちのチームリーダーであり、やかましい(意味深)ミサキちゃんは、ツヤツヤした黒髪を靡かせている。

 しかし、髪を耳にかける仕草って、なんでこんな吸引力があるんだろう。

 雰囲気イケメンって言葉あるけど、女の子も愛嬌とか立ち振る舞いって重要だよね。ダイソンと違って、いつかは吸引力なくなるけど。

 うーん、めちゃくちゃ品のない例えだな。


 とか考えてたらウザ男が舌打ちした。


「——ああ、ナインちゃん。何かあったら連絡してよ。グループじゃ言えない愚痴もあるっしょ」


 ナインちゃんは、目尻をピクピクさせていた。

 お前、路地裏来いみたいな目で見てるし。

 これ、絶対あとでグーパンだ。


「あなたも大変ね。そこの彼に守ってもらったら? 仲が良いようだし」

「そんなんじゃないよ〜。クウロラさんこそ、よく話してるじゃない」

「……悪い冗談だわ」


 手で払ってからミサキちゃんは歩きだす。その瞬間、陰でぺっとナインちゃんが唾を吐いた。

 君ら、仲悪いね。

 というか、ちょっと否定に力入ってません? 僕、ナチュラル疎外感に弱いんですが。


 先を行く二人は次の試験について話し始めた。表情の動かないミサキちゃんと、嬉々として話すナインちゃん。

 でも僕は知っている。その内心が、見た目通りじゃないことに。


「いつも愚痴ってるのに、よく楽しそうにできるなぁ」


 僕はちょっと引いていた。


「あなたにも協力してもらうわよ。……聞いているの?」


 唐突にミサキちゃんがふり向いた。

 欠伸に気がついたらしい。


「メルボルン君、眠そうだね。夜ふかし?」

「天使と悪魔に襲撃される夢をみたんだ」

「そうなんだ」

「ふざけないで」


 聞いてる聞いてる。僕は人生で一度も騒いだことのない優等生なのだ。

 だから聞いているとは限らないって? いいんだよ。細かいことは。


 それに原作知識があるから、流れは知っている。

 小難しい名前やらルールをこねくり回してるけどね。

 知ってるんだ。次の試験が、ただのデートイベントだって。


 女の子を誘って一対一の山デート。何を心配すればいいのか。

 これに怯えるなら、恋愛ゲームの途中で全員性転換してボーイズラブ展開になるのを心配しないと。


 最近は主人公君も大人しい、

 実に平穏な日々なのだ。


 僕がわかったフリしてうんうん頷いていると、ふと誰かが走ってきた。


 多分知り合いだ。

 チームミサキの誰かだろう。

 男だから忘れたけど。

 朝からなんだろう?

 僕に関係ないといいんだけど。


「た、助けてくれ! や、やべえんだ。しくじっちまって、それで――」

「落ち着きなさい。深呼吸して、何があったのかはっきりするの」


 ミサキちゃんが彼の肩に手を置いた。

 そいつは顔を真っ青にして、膝に手を付きながら叫んだ。


「じ、ジルスのやつが——!」


 ——殺されちまう。



 あれ?

 デートイベントは?



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