間話3話:アリクイの立ち往生 下
「えぇー! なんだよその依頼っ」
ギルドで依頼を請けたあと、俺はテンジたちに集合をかけていた。
で、いま文句言ったのがジルスのやつだ。言いたいことはわかる。俺がお前の立場だったらもっと文句を言っただろうさ。
「弱気になんじゃねえよ。戦うって決まってるわけじゃねえんだ。要はやり方さ」
そう言って、俺らは近場の酒場や演劇場といった盛り場を見回ることにした。
あの女から振られた依頼。それはたしかに厄介だった。
最近、このあたりの飲み屋なんかに学園生が出没する。きまって週末の夜半にあらわれ、外が白みはじめるまで騒ぐそうだ。
金払いはいいし、身なりもいいから店の女の子にも人気だったそうだが、近頃は酔うと暴れて手がつけられないらしい。
そのうえなにかあくどい商売をやってるのか、客の女の子なんかに声をかけては連れていっている。これを直ちに止めてほしい。
要約するとこんな感じか。よくある揉め事処理系の依頼だ。俺はねえが、ジルスのやつはこういった依頼を受けてたはずだ。
ただ今回の場合、相手は学園生だ。そいつが、俺たちのなかで引っかかっていた。
学園生。
そいつは、やばい。
何がやばいかって、俺たちがまだ一年なことだ。
つまり、実力的には平均的な学園生に劣る可能性がたかい。
それでなくとも同格の相手に真剣で切った張ったを演じたことはねえ。今までは酔っぱらった客とか、ちょっとしたゴロツキ相手だった。
それがいきなり格上相手だ。尻込みすんのも仕方ねえ。
だけど、今さら辞めるってわけにもいかねえんだ。
だって一度受けちまった以上、俺らが失敗したら誰かがケツを拭かなきゃいけねえ。
そうなったら出てくんのは多分ナインちゃんだ。
ナインちゃんは何も言わないだろう。でも、裏じゃどう思われるかわからねえ。嫌われるだけならまだいい。無能だと思われるならそれでもいい。
けどよ、そこらにいるモブと一緒だと思われたら、俺は死んじまうかもしれねえ。俺、こんなもんかよって突きつけられるんだからよ。
覚悟決めろよ、俺。人生やり直すって決めたんだろ。明日からじゃなくて、今日、いまここからやるんだ。
俺がそうやって街を巡っていると、テンジがみつけたとか言って走ってきた。ジルスと合流して、その店にいく。
入った瞬間、俺たちは息をのんだ。
「一人じゃ、ねえのかよ……!」
そこにいたのは今朝ぶつかった先輩どもだった。学外だというのに、わざわざ制服をきてやがる。
数は三。まだ飲み始めたばかりなのか、顔を赤らめたやつは一人もいない。
で、そいつらは二人組の女の子を囲むように座っていた。
女の子たちも遠慮はしているようだが、イヤがってる様子はない。ま、学園生だからな。黙っててもカッコよく見えるんだろうさ。
一方、俺たちはカウンターの隅に男だけで固まってすわっている。なんだよ、この差。
でもよ。俺は知ってんだ。そいつらは、ステータスだけの薄っぺらい奴だってよ。
昔、おれがコンビニでバイトしてたときだ。シフトの相方が、そんなペラいやつだった。
そいつはバンドマンでよ。俺のことを見下してんのか、音楽に人生賭けてるとか、仕事は音楽のためとかいつも言ってくるんだよ。俺が夢もねえフリーターだって知ってな。
イケメンだし、ギターケース背負うと様にはなってやがった。昼シフトの女子高生とかにも人気あったな。
でもよ、バレてんだぜ。
お前、バイトで貯めた金パチンコで溶かしてんだろってな。
しかも、金がなくなったらファンの子喰って貢がせてんだろ? 音楽に賭けてるくせに、その音楽を利用してんだろ? やってることが汚ねえんだよ。
言ってること全部がペラいんだよ。そこのお前もそうさ。さも自分のことをスゴイってアピールしてもよ。
本当のとこ、誰にも相手にされないから逃げ出すしかなかったんだろうが。
なのに、まるで自分が世界の中心みたいにホラ吹きやがって。お前自身が思ってもねえくせによ。
「あのぉ、お客さま?」
「あ、ああ」
やべぇ、ちょっと黙りすぎた。注文をとりに来た店員が不審げにしている。
俺たちはいま、警戒されないように一般人と変わらない格好をしている。
そんなやつが、他の客を恨みのこもった目で睨んでたら目立ってしょうがねえ。
俺は一つ咳ばらいすると、エールをたのむ。
あの女に知られたら文句言われそうだな。でも仕方ねえ。酒場で水はおかしいからな。
「おい、アレ!」
ジルスがそう指差したのは、囲まれていた女たちがお手洗いに立ったころだった。
もうずいぶんと酔いが回っているのか、堂々とキスなんかをしていた。
ケッ、吐き気がすんぜ。こんな奴らに騙される女も女だ。ウンザリした気分で眺めていた俺たちのまえで、それは起きた。
酒もずいぶんまわったころだろう。お手洗いに立った女たちを見て、あいつらは何かを取りだした。
筒状の何かだ。男はふたを開けると、女たちのグラスにサラサラと粉状のモノを注いだのだ。
やつらはニヒヒと顔を見合わせている。なんて奴らだ。イカれてやがる。
俺がそうやって拳を震わせていると、となりでガタンと音がした。
ジルスだ。このバカは激昂して顔を真っ赤にしている。
おいっ、待てよ。何考えてやがる。
「どこ行く気だっ」
「止めんなっ! 先輩がなんだ、オレがとっちめてやるっ!」
ああクソっ、このバカが。なにこんなときに正義感発揮してやがるっ!
お前もお前だテンジっ。オロオロ言ってないで、そこのバカを止めやがれっ!
俺は腰を浮かしかけるが、しかし、そこで思いとどまった。
ちょっと待てよ。そういえばあの女。なんかナインちゃんに依頼したって言ってなかったか。
そう、違法薬物についてだ。俺はてっきりハイになるクスリかと思ったが、そうとはかぎらねえんじゃねえか。
たしかあのバンド野郎もいってやがった。好みの女がいたとき。酒にクスリをちょいちょいってやってお持ち帰りするってよ。
そうだ。レイプドラッグとかいうやつだ。ってことはこいつら、実はやばい奴らなんじゃねえか。
昼間もそうだった。コイツら、ナインちゃんみてああだこうだ言ってなかったか? ってことはなにか。こんなふうにクスリで女子を連れ去って、何かしてるってことか。
いや、それだけじゃねえ。もし裏組織とかに関わりがあったら。おい待てよ、そんなのシャレにならねえぞ。
ここは一旦引いて、学園や憲兵にでも相談をだな……。そうだ、そうしよう。
けど、事態は俺のことなんか関係なく進んでいった。
ジルスに叱責されたからか。一瞬不快そうな顔をするも、中心的な男が止める。
そいつは立ち上がって、
「悪かった」
と、謝罪した。それにジルスがホッとした瞬間、男は掌をかえしてきた。
ぶおんと唸りをあげて振るわれた拳。油断していた鼻っぱしを思いっきりぶん殴られたジルスは、周囲のテーブル席を巻き込んで倒れこんだ。
オロオロとテンジが青い顔をしている。カモでしかなかったんだろう。男がやれと顎で指示をすると、脇の二人が蹴り技でテンジをめったうちにした。
ジルスが髪を引っ張られて連れもどされる。
頭に足をのせると、男は言った。
「お前ら一年だろ。なに一年のくせに、調子のってんだ、よっ!」
男のつま先がジルスの腹に突きささった。うっと、ジルスが苦悶をもらす。
それでも男はドムドムと、まるでタイヤでも蹴るように力をこめた。
「オラっ、オラっ!」
ほら、言わんこっちゃねえ。バカ野郎どもがっ。
俺は、俺は知らねえからな。そうだ、別に俺はわるくねえ。俺は止めたんだ。ムリだっつう忠告を無視したのはコイツらなんだ。
こいつはしょうがねえんだ。だってそうだろ? この状況で、俺が割って入ったところで何の意味があるよ。
さいわい俺は気付かれちゃいねえ。今すぐ走っていけば、助けも間に合うかも知れねえ。ああ、そうさ。これは戦略的撤退なんだ。
ふと、ジルスたちと目が合う。なんだよ、その物欲しそうな目は。
俺は助けねえぞ。そいつはお前らの選択だろうが。バカがバカみたところで、俺になんの関係があるんだよ。
俺の足を引っ張るようなやつは、勝手にくたばりやがれ。俺を巻き込むんじゃねえっ。
「あァ? なんか文句あんのか、ええっ!」
立ち尽くしている俺をみて、先輩どもがキレてきやがった。
この騒ぎをみて、女どもが逃げ出したからだろう。酔いもあるんだろう。完全にプッツン状態だ。
クソっ、チンピラ以下じゃねえか。なにが学園生だ、エリート様だ。テメエらなんかそんなもんなんだよ。怒鳴り散らかしてんじゃねえよ。人にあたってんじゃねえよっ!
クソっ、クソっ。ふざけやがってっ!
それでも俺は怒りを押し殺し、愛想笑いをしながらすすすっと遠ざかろうとした。
けれどその前に、ジルスが叫んだ。
「リング。お前だけでも逃げろっ!」
はぁ? てめえ、ふざけんな。んなこと言ったら、こいつらに仲間だってバレるじゃねえか。
なんでおまえはそんなに無能なんだ。なんでそんなにバカなんだ。もっと頭つかえよ。
クソっ、これだからバカは嫌いなんだ。
バカには何をいっても通用しねえ。救ってやる価値もねえ。いいか、助けなんて期待すんじゃねえぞ。今日ここで、お前らとは終わりだ。もう二度と挨拶なんてしてくんじゃねえぞ。人様に迷惑しかかけられねえカスが、俺に近よるんじゃねえ。転生して、もう一回頭を磨いてもらってから出直してこい。バカが。
今から俺は、寮に戻ってお宝の整理でもするからよ。じゃあな。あとは達者でやれよ。
俺はその場を急いだ。
戸惑ったような空気が流れる。はぁ? 何がおかしいんだよ。さっさとそのバカを始末しやがれ。その後で、俺がお前らをぶっ殺してやるけどよ。だから、今はいいだろうが。さっさと行かせろよ。
俺は両手を広げながら、さらに大きく胸を張った。
男が、言った。
「なんのマネだそりゃ? 仲間は俺が守るってか?」
そいつらは顔を見合わせると、ギャハハと俺を嘲笑した。
あ?
何言ってんだコイツら?
いや待てよ。
俺、何してんだ?
なんでコイツら、こんな近くに居るんだ?
なんで俺、バカの前で仁王立ちしてんだ?
「り、リング……!」
倒れ込んだジルスのやつが目をウルウルさせている。
いや、テンジもそうだ。そろいもそろって涙目になってやがる。
バカが。なに感動してやがる。俺はお前らを助けるつもりなんてねえ。
こんなの、なんかの間違いなんだ。
そうだ。俺は、お前らを見捨てて帰るつもりだった。それがなんかの間違いでこうなったんだ。
よし。今からでも謝ってさっさと帰ろう。それがいい。だってそうだろ。こんなことで怪我したらもったいねえ。君子危うきに近寄らずってな。ああ、そうだ。そうに決まってる。
だから俺は言ったんだ。
死ねよ、って。
「テメェ、舐めてんのかっ!」
ごうん。そんな音が、本当にしたんだ。
俺はミキサーのなかで翻弄される具材のように宙を舞っていた。肉ってやつが錐揉みされてるみてえだ。俺は客やテーブルを巻き込みながら壁にぶち当たった。
おうう、おううと腹をかかえながら拳を地面にうちつける。そうでもしなきゃ痛みで失神しちまいそうだったんだ。
身体の芯から粉々にするような。五臓六腑を内側から破裂させちまうような、そんなパンチだった。
ちっ、こいつ。肉食系の『闘獣技我』だ。やべえぜ、一発で眩暈がしてきやがった。膝も笑って立てやしねえ。死んだフリでもしとくか? ははっ。情けねえな、俺。
「なあおい。お前東組だろ? そんなに仲間を助けたいなら、ナインテイルって女を呼んでこいよ。そしたら見逃してやるぜ」
はぁ? バカかよテメエら。
お前らの汚ねえ指一本、ナインちゃんに触れさせるわけねえだろうが。あの子の髪の毛一本まで、全部俺がものにするんだ。肌っつう肌がふやけるまで、俺がしゃぶってやんだよ。だからテメェらには爪の垢さえくれてやるか。
いや、でも呼ぶってのは悪くねえな。だって、たぶんアチョも来るだろ。そしたらこいつらはお陀仏だ。ナインちゃんだけだって、俺たちと協力すりゃなんとかなるかもしれねえ。そうだ、そうにちがいねえ。
だから、俺は言ってやったんだ。
一昨日きやがれ、ってな。
「テメェっ!!」
右、左。足に拳、頭。交互に、連続して打撃がとんでくる。ちっ、こいつ。格闘技うめえな。マジで何もできる気がしねえ。
俺はよろけるたび、膝に手をついて立った。
それ以外、何もしてねえ。ただ両手を広げて立つ。
立つのだ。
俺がやったのは、そいつだけだ。
そいつしか、できねえんだ。
「もういい、いいんだっ。リング、早く逃げ——!」
よう。ジルス、テンジ。お前ら、なに変な顔してやがる。なに必死な顔してやがる。くだらねえだろうが。笑えんだろうが。そうだろう? 俺だって意味がわからねえ。俺にも何をやりたいかわからねえ。
俺は口元の血を拭うと、言った。
「どうした、俺はまだくたばっちゃいねえぜ」
コイツらにみたいに笑えよ。ほら、おもしろいだろうが、バカみてえだろうが。
だが、笑えばいい。笑えばいいさ。そんなの、今の俺にはちっとも痛くも痒くもねえ。
だってそうだろ? 本当の苦しみってのは、自分のなかから生まれるんだからよ。
本当はわかってたんだ。逃げたんだってことを。
やり直そうと思えばやり直せた。高認を取ればよかった。就活すればよかった。そうすりゃ親に迷惑かけねえですんだ。兄貴に色々言われなくてすんだんだ。
助けた女子にしてもそうだ。本当は知ってたんだ。俺が虐められている間も助けを求めていたことを。でも、俺は自分のことで精一杯で、見てみぬふりをしたんだ。自分のことがかわいくて、逃げ出したんだ。
他の奴らは俺をなぐさめるかもしれねえ。俺はわるくない。アイツらのせいなんだ。社会のせいなんだ、って。
けどよ、こいつは俺の人生なんだぜ。俺の命なんだぜ。
なら誰が責任を取ってくれる? 誰が俺を救ってくれる?
そんなもんはねえんだよ。人ってのはひとりなんだ。どこまで行ってもひとりなんだ。親がいてもいつかは先にくたばんだ。子供ができてもいつか巣立っていくんだ。人って生き物は結局自分と他人しかいねえんだ。そうだろうが。そんなこと、わかりきってるだろうが。
ならよ、自分のケツ拭くのは自分しかいねえじゃねえか。
自分がやりてえと思ったことに背中を押してくれんのは自分だけなんだ。
なら、立てよ。
手を広げて、自分を見せろよ。
そいつが俺のバトルフォームだろうが。
人生やり直したいって。そんな俺に神様が与えてくれた翼だろうが。
「闘獣技我、タイプ・ミナミコアリクイ」
なあ、知ってか?
この哀れな生き物を。この体長七〇センチ、体重六キロ程度しかないアリクイをよ。
ほそ長い面構え、長く伸びた舌。常足しかできねえ弱っちい手足。そしてけっして大きくはない体のくせして、こうやって仁王立ちになるんだぜ。
俺はコイツに生まれちまって、心底絶望したんだ。
だってそうだろ? せっかく生まれ変わったのに、またカスみたいな人生かよってな。
なんで弱いこともわかんねえで、手を広げて仁王立ちなんかしやがるんだってな。
でも、いまはちげえ。いまならわかるんだ。
この、空に向かって自分を見せる行為が。
この、己の奮い立たせる意味が。
「ププッ。おいおい、アリクイの分際で逆らってきやがったのかよオマエ」
こいつらは俺の細長い顔を見て笑いやがる。そんなにおもしろいか? このクソ長い舌がよ。
なら、いいぜ。好きなだけ笑えよ。それでお前らが満足できるんならよ。
けどよ。知ってるか?
たしかに俺は強くねえ。まともにケンカしちゃ敵わねえだろうさ。見た目も汚ねえ。どう考えたって踏み台にしかなれねえ。
けどよ。
獣ってのは、一つくらい奥の手を用意してるもんだぜ。
「お、おい。なんか、臭くねえか……?」
バカどもの一人が鼻をつまみながら言った。
ふん、バカが。遅えんだよ。ま、だからって待ってやったりしねえけどよ。
俺はそいつらに尻を向けると、腹に思いっきり力をこめた。
てめえらは知らねえかもしれねえけどよ。
——ミナミコアリクイの屁は、スカンクより臭えんだぜ。
「喰らえよ。ボンバー・ヘクスプロージョン!」
俺の臭腺から、スカンクの六倍を超えたクサイ屁が放出される。
色のない。しかし、その液状の物質は俺の下着、ズボンを突きやぶり、男たちの顔面へまるでシャワーのように降り注いだ。
体内で高温に熱されたその液体は、高い揮発性をともなってすさまじい臭気を発生させる。効力はすぐ発揮され、三人はすぐさま昏倒した。
俺はそいつらを踏みしめながら、思う。
笑っちまうよな。クソ漏らして人生狂っちまったのに、そのクソに人生救われるんだからよ。
けどよ。俺は決めたんだ。人生やり直すって。
だったら、クソから始めるのも悪くはねえかもってな。
俺は高々と、勝利の雄叫びをあげたのだった。
§ § §
「ふざけんな、あのアマっ! くそ、クソっ。いつかぶち犯してやるっ!」
後日。俺は怒鳴りながら石ころを蹴飛ばしていた。
女どもが顔をしかめながら遠ざかるが、知ったことか。いくら言っても腹の虫がおさまらねえ。ああ、クソ。ムカついてしょうがねえぜ。
理由は簡単だ。今さっきまで、あの気に入らねえ女に絞られてたからだ。
それもネチネチと。あいつにイヤミを言わせたら右に出るやつはいねえんじゃねえか。それぐらいしつこい女だった。
ああ、気に入らねえぜ。そりゃ、たしかに俺のミスだろう。だが、なんだその顔は。ムカつくぜ。
先日の乱闘騒ぎのあと。俺は、あの事件の後始末に駆りだされていた。
それも、大目玉の説教付きでだ。
あの女の言い分はこうだ。
「あのね、ここは飲み屋なのよ。営業妨害してどうするのよ」
事件自体は解決した。俺の証言だけでなく、店で暴れたりと現行犯だったのがよかったんだろ。奴らは謹慎のうえ、なんらかの処分が下されるらしい。
だが、それで事件解決とはならなかった。
俺のとった行動が問題視されたんだ。
俺の屁は特別だ。鼻の良いやつなら気絶するくらいには。
だから、残ったんだ。
店のなかに、吐き気のする臭いが。
で、入るは入るはクレームが。そして俺たちチームミサキの暇なやつ総出で店の消臭作業にあたることになった。
とくにあの女。これみよがしに完全防備して鼻を摘みながら嫌そうな顔をしやがる。
それだけじゃねえ。助けてやったジルスやテンジのやつも微妙な顔で礼を言ってきやがった。
ハァ? てめえらはもっと感謝しろや。
そういう理由で、俺はイラついているのだ。
ああ、そういえばあのクソどもは薬物事件となんの関係もなかったよ。ナインちゃんのことも誘いたかっただけらしい。
ケッ、これで俺の株をあげる計画もおじゃんってか。踏んだり蹴ったりだぜ。
「って、あいつは……」
この学園は広い。だからよく探すと、人の死角になってる場所がいくつもある。
俺はそういうところで一服するのが趣味だった。
けれど、今日は先客がいた。
一人はナインちゃん。いつもとはちがう、ちょっと不機嫌そうな顔で腕を組んでいる。なにか小言をいっているようだ。
そして、もう一人男がいた。壁を背にダラダラと体育座りをしている。異様に黒い髪の、なんだかよくわからないやつだ。
メルボルン。
俺はそいつのことをそれしか知らない。
まともに会話ができないからだ。いや、する気がないんだろ。女子としか話さない。その女子とも積極的に話すわけじゃない。だいたいいつもボケーとしている。
無能というか怠惰すぎて引くが、不気味に思ってるところもある。だってコイツは目立つんだ。こんな特徴のあるやつ、いくらなんでも忘れるか? だが、原作でこんなやつ『東組』にはいなかった。少なくとも俺の覚えているかぎり。
だからコイツは俺にとって、原作を変えちまったことの象徴だ。
それに気味わるいくらい厭世感がただよってきて、俺は一緒にいるのもイヤだった。他のやつは、七光り貴族みたいな扱いをしてるけどな。陰気な野郎ってのは、こっちまで暗くなりやがる。
そんなやつの目がこっちを見た。遅れてナインちゃんも俺をみる。
そういえばこの二人。本当にときどきだが一緒にいるよな。どんな関係だ?
ぬるりと立ち上がった男がどこかに行く。まるで俺がジャマみたいな態度だ。なんだアイツ。
俺が首をかしげていると、ナインちゃんが近づいてきた。
まあ、あんな奴のことなんてどうでもいい。どうせ、二人が話してたのもチームのことかなんかだろ。
俺はナインちゃんに、最近どう? みたいな当たり障りのないことを尋ねた。ってなんだよその質問。コミュ障かよ。ったく、俺はいつまでたっても。
でもナインちゃんは、裏表のなさそうな笑顔でつらつらと色んなことを話してくれた。
学園のこと、依頼のこと、おもしろかったこと。これも演技なんだろう。でも、俺にはそんなふうに思えない。
だってそうだろ。本当に嫌なら、こんなふうにできるわけねえんだからよ。だから、裏の裏に、本物の天使がいるんだ。俺はそう信じてんだよ。
「そういえば、聞いたよ」
ふと、ナインちゃんがポンと手を合わせた。
「友達を守るためにやったんでしょ? クウロラさんは怒ってたけど、やったことは間違いじゃないって。私、わかってるからね」
そう、ナインちゃんは微笑みを浮かべていた。
ったく。かなわないな。なんで全部お見通しなんだろ。俺、そんな慰めてほしそうにしてたのか。はっ、だせえ。ダサすぎるぜ。
でも、そうだな。俺、誰かに褒めてほしかったのかもな。
笑われても気にならねえっていっても。ずっとそうじゃ、どっかおかしくなっちまう。ナインちゃんには、そのことがわかってんだろうな。
じゃあ、私行くね。そう言って、ナインちゃんが俺に背をむける。
そりゃそうさ。彼女にとって、俺ってのはそんなもんだ。俺にとってナインちゃんが特別でも、ナインちゃんにとって俺はよくいるクラスメイトの一人にすぎねえ。
さっきのメルボルンと一緒さ。同じチームメイト、同じクラスにいるだけの存在にすぎねえ。
そいつを変えるには変わるしかねえ。
自分を、変えるしかねえ。
行けよ、俺。変わるんだろ。人生、薔薇色にしてえだろ。
人生、やり直したいんだろっ!
「あ、あのさ……」
俺は喉を震わせながら、ゆっくり区切るよう言葉にする。
振りむくナインちゃん。ああ、なげえ。長えなあ。声がスローモーションに聞こえやがる。でも、俺は変わるんだ。そうだろ?
「な、ナインちゃんのこと、ヘロディアちゃんって、呼んでもいいかな?」
……ハァ。俺はどんだけ情けねえんだよ。ここで名前呼びの許可とか。いや、告白したって成功しねえだろう。だが、だからってこいつはねえ。
クソっ、クソ最悪だ。もう一回死んで、今日をやり直してえ。いくら彼女でもバカにするだろ。何言ってんの? みたいな目で。
終わった、俺は。そう、確信したんだ。
でも、ナインちゃんは微笑んでくれたんだ。天使みたいに、優しく。
「うん。じゃあ私もリングくんって呼ぶね」
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