第32話 混濁の坩堝

「お邪魔しゃーーすッ!!」


 吉良は豪快に、躊躇なく薄汚れたガラス扉を蹴破る。粉々になった破片を踏み締めながら僕達はビルへ侵入した。

 もはや一切の曇りがない正面突破。階段を駆け下りてくる足音がすぐに耳に入ってくる。

 おうおうと怒声と共に現れたのは、ナイフやら金属バットやらで武装した男たちが数人。ガラの悪い外見は隣にいる吉良とそう大差ない。


 しかし様子が変だ。口を半開きにして、呆けたような声と涎を垂れ流している。

 今にも見境なく手にした得物を振り回しかねない危うさ。こいつらまさか、既になにか薬物をやっているんじゃ。


「うェー...キマッてんじゃん!」

「こいつは手厚い歓迎だなァ!!」


 吉良はおもむろに着ていたパーカーを脱ぎ捨てて如月へ雑に投げ渡す。染み付いた香水の匂いで顔をしかめている。

 そして、両腕を広げて力を込めた。途端現れるカーブした無数の刃。クロム魔術だ。

 だが液体金属を出力してから硬化させるまでのプロセスが異様に短い。出てきたそばから固まって身体にくっつき固定されている。


「見ろッ!これが俺のメテオクロム...」

「"ソーン・エッジ"だ!!」


「ピンクッションみたいね......」


「うるせェな!!」


 まるで体内から直接刃が飛び出しているかのようだ。連なったそれを、向かってくる相手に振るう。

 拳がすれ違い、代わりに等間隔に刻まれる傷。ハナから打撃を目的としない動きだ。肉を切り裂き深い傷をつけ、相手に多量の出血を強いている。

 それを見て、揺らいだ覚悟を縛り付けて僕は刀を作り出す。鈍器を刃で受け止めると、すぐ眼前に理性を失った薬漬けの面が迫った。

 僕は、そんな様が人間に見えなかった。やっぱり素面はダメなんだ、戦いに正気を持ち込んでは100%を発揮できない。

 ナチュラルな殺意を、感情の介在しない、ただ相手を害するための心を。体現するんだ。


 横に得物を受け流し、生じた隙へ刃を滑り込ませる。実戦は久し振りなんで、身体を通り抜ける感触が柄から手に伝わると、思わず軽く身震いしてしまう。


「おッ、やるじゃんガキンチョ一号!」


「....どうも。」


 後方でこちらの様子を静観していた如月の方をふと振り返ると、受け取ったパーカーを、皺を作るまで強く握っていた。

 積み上げられた数人の亡骸。ほとんどは吉良が殺ったものだけど。

 僕もそうだが、如月はただでさえ実戦経験が少ない。加えて教室には顔を出すものの訓練にもほとんど来ない。

 人を殺したと呼べるような経験といえば、特事課入りするに至った契機、例の「呪い」だ。


 僕のように何百人と殺したり、金のために殺して、感覚を知って。知らず知らずのうちにだんだんと麻痺していって。

 彼女にはそんながない。ここに来るでさえトラウマになってしまって、かつては部屋から出ることさえも拒んでいたというのだから当然だ。

 心の距離が離れていた。まだ狂気に浸かりきっていない如月を、置いてきぼりにしてしまっている。


「......ごめん。来たくなかったら別に...」


「........いいから、行きましょ。が先に帰ったらどうすんのよ...」


「オイオイ!二号はずいぶんだらしねェな~?お前、確か呪い...」


「...吉良さん。」『吉良。』


『黙って行け。二人は見学っつったろうが。』

『殺すぞ。』


「ア゛ッ!スッ、スンマセン!!進みます!」


 短慮か、それとも単なる馬鹿なのか。状況を無視してデリカシーのない発言をする吉良に、僕は内心イライラし始めていた。

 不破に対しては終始ペコペコしているが、僕達が下手に口出ししようものならどんな癇癪が飛び出すかわかったもんじゃない。そもそも課員としての基盤がゴロツキである点から、置くべき距離感は考えるまでもないが。

 今後また同伴することもあり得る。ここは慎重に、落ち着いて対応しなければ。


 集中し、警戒を解かないようにありとあらゆる部屋のドアを開け中をしらみつぶしに探す。しかしエントランスで遭遇した数人以降、元締めの人物どころか構成員すら見つからない。

 やけに大人しいというか。気配はそこらじゅうに張り巡らされている気がするのに、あまりにも順調すぎる。

 一階、二階とトントン拍子に探索。確かに人がいた形跡は残っている。胸騒ぎがする。


 そして、三階。ついに今までの無機質な感じからは打って変わって、木製の両開き扉が目の前に現れた。

 勘が告げる、「この奥だ」と。意気揚々と乱暴にドアノブを捻って飛び込んでいく吉良。

 開け放たれた扉の奥、壁には大きなガラス窓がついていて、白昼の光が射し込む。それを背中に浴びながら悠然と立つ女性。


 暗い灰色のスリムドレスを身に付けた、美しい容姿の女性だ。隣にあるデスクに片手をついて妖艶な眼差しと共にこちらに振り返った。

 光を反射しキラキラと輝く、緩くウェーブを描く黒い長髪、顔には不織布のマスクを二重につけている。

 本当にこれが薬物密造・および販売の元締めなのか。女性はくぐもった声のまま、驚く様子もなくボソボソと話す。


「初めまして。やっぱり警察じゃないのね。」

「あんなに殺しちゃって...一体誰に雇われたのかしら?」


「女ァ...?調子狂うぜ...」

「警察だよケイサツ!一応な!大人しくお縄につけば危害は加えねェぜネーチャンよォ~。」


「やめてくださいその言い方、こっちが悪者みたいになるじゃないですか...」


「いーんだよ俺らは!!今更ビビんなッ!!」


 僕達の小競り合いを見ると、口元に手を当て不敵に微笑む女性。わずかに目線を横にそらした仕草を僕は見逃さなかった。

 こんなに追い詰められた状況で、わざわざなにもない壁に目をやるのはおかしい。多勢に無勢のこの状況下でやけに落ち着き払っているのも変だ。

 違和感に気づいて振り返ろうとした時には、もう遅かった。背中に鋭い痛みが走る。


 瞬く間に身体が弛緩し、床に倒れる。振り返り様に天井へ振り上げられて止まった僕の視界には、銃のようなものを構えた二人の男の姿が映っていた。

 一体どこから現れた。入った時にはあの女性以外に誰もいなかったはずだ。

 背中に刺さった針のようなものが床と背中の間で押さえつけられ、ズレて肉を抉りながら外れた。


 眼だけを動かして見れば、如月、吉良も同じ状態にあった。痛みにさえ反応することができず、瞼と手指を痙攣させて倒れ伏したまま動かない。

 しかし女性は僕を殺すでもなく、優しく肩に手を掛けて身体を起こし、隣にしゃがみこんで膝枕の体勢になり僕の上体を乗せた。

 そして、優しく頭を撫でる。だんだんと意思に逆らって動かなくなっていく身体といい、なんだこの異様な状況は。


 吉良は既に入眠、如月もいつ落ちてしまうかわからない有り様だ。援護は期待できない。僕がどうにかしなければ。

 取り落としてしまった刀の代わりに、掌に意識を集中させ、体内のポータルから液体金属を押し出し刀の型に流し込む。

 固めて完成させるが、もう指すら思うように曲げられない。刀は握られることなく脱力した手の中からこぼれ落ちた。


「ダメだ...!!二人とも!!二人とも早く起きてくれ...!!」


 如月が呻きながら手を伸ばそうとする。すると女性はいきなり口元のマスクをずり下ろし、両手を僕の頬に当てた。

 なにをする気だ。首がもたげられ、艶かしく薄目を閉じる顔がゆっくりと迫る。そして、ルージュの塗られた鮮やかな唇が僕の口に押し当てられた。


「がぁ...!?」


「ん゛ぅ゛ーーッ!!?」


 柔らかな感触、抵抗することもできず、侵入する舌はうねり口内を掻き回す。突然の出来事に頭が追い付かない。

 ファーストキスを唐突にしばし貪り尽くされた後、ようやく唇が離れた。涎の糸が切れ、再びマスクを装着する女性。


「私のは、"魘幻鴆毒スポイルトキシン"。薬物を生成して、その効力を自由自在に変えられる...」

「君に注射したのは筋弛緩剤。そっちの二人は睡眠剤だけど、女の子の方には少し弱いものを使わせたわ。」


「お前....最初から、弄ぶつもりで...!」


「部下たちに報告させたのよ。あなたたちのする仕草や素振りを、事細かくね。」

「あまりにも可愛いから、からかいたくなっちゃったの。ごめんね?」

「これから殺すわ。心に屈辱を残して。」

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