第26話 陰より出でる影

 突如飛来した新たな、剣のような刃。針のように細く真っ直ぐな刀身に、黒い細長い柄が直接くっついているように見える。

 化け物はすぐに背面に近い腕を動かし、その剣を身体から引き抜いて捨てた。僕達は剣が飛んできた後方をすぐに振り返る。


 後ろにある、また別のトイレからゆっくりと歩いて出てくる人影。ストレートヘアーの黒い髪を怠そうに掻きながら大あくび。

 現れた男の格好は、派手そのもの。髪には金色のメッシュがまだらに入っているし、羽織る服も真っ赤な革のノースリーブコート。整った顔面に乗っかっている丸いサングラス。

 露出した両腕にはびっしりと、絡み合う蛇の絵を取り囲むトライバル模様のタトゥーが彫り込まれていた。

 装着するガッツリ音漏れしているワイヤレスヘッドホンからは爆音でハードロックが流れている。


「あ゛ぁ~~ッ、よく寝たぜェ。ホントはもうチョイ惰眠を貪るつもりだったけどよォ...」

「ンーだけバタバタやられちゃあ無理だ。寝てる虎を起こしちまったな、若い衆よ。」


「誰だ...?課員?」


「あ?あぁー、聞こえねーよ?言っとくけどヘッドホンコレは外す気ねェぞ。」

「どーせ俺が誰だとか、そういう質問だろ。いやわかるよ?こんなイケメンがいきなり登場したらお近づきになりたくなるのもなァ。」


「自意識過剰...名厨、コイツ知らないの?」


「知らないよこんな人...」


 よく見れば男の両手には、化け物に突き刺さった剣の、柄部分だけと同じものが確かに握られていた。

 黒い、両端に小さな穴の空いた細い板。さらに同じ板が二つずつ、穴に通した黒い糸で繋がれたものを穿くようにして両腿まで通してあった。

 しかし不気味なのはその糸。毛糸でも、裁縫用のものでもない。細さやよれ具合によってなんとなくわかる。人の髪の毛だ。


金封握式ごんふうあくしき壱番いちばんサイ」。」

水封履式すいふうりしき弐番にばん盈流エイリュウ」。」


 男が立て続けにそう唱えた瞬間、両手の板から刀身が伸びる。化け物に刺したものとまったく同じ形状、長さだ。

 さらに、両腿にくっついていた板からいきなり水が溢れ出てきた。しかし水は服に染み込むことも流れ落ちることもなく、渦巻きながら脚にまとわりつく。

 クロム、いや違う。また別の魔術か?というかそもそもこの男、今まで寝てた?


「君達は離れときなァー、怪我するぜ。そこの甲冑兄ちゃんもな!」

「...ったくよォー、こんなところで七枚も使わされるとかよォ...」

「迷惑料はテメエの命で払うんだなァ!!」


 男は身体の前で両手の剣をクロスさせて構えると、上体を前に倒し前傾姿勢を取った。そのまま床に胸を打つと思った時、滑るように身体が動き始める。

 まるでスケートのように床を滑走し、ホームから飛び降りて線路の上に立つ。当然化け物のターゲットは男へ移った。

 しかし容赦なく振り下ろされるカミソリの一撃をひらりとかわし、男はその周囲を膝立ちの姿勢のまま滑り、回転しながら流れるように滑らかな連続攻撃を繰り出す。


 追撃も全て、剣で弾くか腕を直接切り落とすことで凌いでいる。目にも留まらぬスピードで化け物の身体に傷を刻んでいく。

 その度、黒々とした血が飛び散る。そんな中でも男は涼しい顔をし、淡々と戦いのペースを掌握していった。

 強い。賀科が手も足も出なかった相手をまるで赤子扱いだ。


 一頻りダメージを重ねると、男はついに化け物の両足を切り落とし、下がった頭を間髪入れずにスライス。

 倒れ伏す化け物を尻目に首の関節を鳴らしながら立ち上がって、靄のように刀身だけが消えた柄を懐に仕舞った。

 そして、ご丁寧に亡骸の傍らに落ちている柄も回収。こびりついた血を指の腹で拭き、振り飛ばしてからポケットに突っ込む。


 すると、天井に大きな音と共にヒビが入る。建物が崩れるというよりは、脆く薄いガラスの膜が砕けるように、剥がれていく。

 その裏に見えたのは、さっきまで居た元々の地下鉄のホーム。塵となって消え去る隔壁を目にしてどよめく人々も視界に入ってくる。

 元に戻ったのか。まさか、この化け物を殺すことが解放の条件だったとは。道理で強大であるはずだ。


 それにしてもこの男、一体何者なんだ。しかし課にとって野放しにはできない力を持つ人物なのは確か。

 僕が手にしているクロムの刀を見て興味ありげに目を丸くしているあたりからも、間違いなく課員ではない。

 ならば僕達がすべきことは一つ。仇敵を破ってくれた恩はあるが、それはそれとして別だ。

 みるみる大きくなる騒ぎに耐えかねたのか、男はついにヘッドホンを外した。


「ふゥー...あーダルっ、帰るか。」


「....待て。」

「行かせると思うのか...!お前は何者だ!」


「あ~?答えてやってもいいけど、俺なんかに構っててイイワケ?」

「お友達が虫の息だぜェ。」


 男は、解除されかけてドロドロになった鎧のクロムを纏わりつかせ、大の字に寝転がって弱々しく息をする賀科を指差す。

 そんなことは言われなくてもわかってる。急がないと取り返しのつかないことになるのも。

 それでも、僕は友達を傷つけられた怒りの矛先を探していたのかもしれない。この男に戦って勝つことで。


「...如月さん、賀科くんを頼む。」


「.....わかった。」


「お前を確保させてもらう...」

「まずは...名乗ってもらおうか。」


「えーーッ、えっとね...どうしよ...」

「あッそうだ、菅原スガワラ。そうだそれにしよう。俺は菅原スガワラ 卓人タクトだ。ヨロシク。」


「「(絶対今考えた偽名だ......)」」


「あー、もういい?俺もこう見えて忙しいんだよ。わかる?」


 目を細め肩をすくませた男は、さらに懐から髪の毛で繋がった三枚の黒い板を取り出す。そして板と板の間に頭を通し、首にかけた。

 余程勘が鈍くない限りはもう理解できる。あの黒い板は男が用いる謎の能力、その源である。即ち。


「お前らのこともまあ気になるっちゃ気になるけどォー...十本も使っちまったら流石に帰らねェーと。」

「それにお前ら、何処の誰だか知らねェーが俺を捕まえるつもりみたいだしな。そんじゃ。」

「...火封纏式ひふうまといしき参番さんばん・「烟焦霞々エンショウカカ」。」


 またなにか唱えた。能力が来る。その瞬間男の両腕が指先から、噴き出す黒煙となり形を失い空気中に撒き散らかされていく。

 あっという間に全身を、内で火の粉が舞う黒煙の塊に変えた男。その身体を空中でくねらせながら、どよめく野次馬たちの中をすり抜け奥へ逃げていく。

 急いでホームに這い上がり、人の波を掻き分け後を追う。だが煙はどんどん遠くへ。


 走っても追い付けるのか。仮に追い付いたとしても実体がない煙を捕まえられるのか。

 沸き起こる疑念を振り切るようにホームを飛び出して、階段を二段飛ばし。それでも距離は離されるばかり。


「クソッ、速すぎだろ...!!」


 ようやく駅を出た時には既に、塵一つ残さず男の姿は消えてしまっていた。立ち尽くす膝に手をついて上がった息を整える。

 妙な頭の冷静さ、同時にやってくる落胆。次から次へと、一体なんなんだまったく。

 完全に逃げられた。なら優先事項が繰り下がってくる。僕は踵を返して駅構内へ再び走る。


 ホームへ戻ると、瀕死の賀科が如月に介抱されている現場にたどり着いた。纏っていた全ての液体金属が取り払われたその姿はひどく痛々しいもの。

 全身の至るところを切り刻まれている。内臓や骨まで達しているような傷もあった。

 なんで、なんで僕は。あんなに無謀な作戦を実行する前に止めなかったんだ。

 少し考えればわかることだったろ。敵の能力が把握しきれていなかったとはいえ、たった一人前に出て囮にするだなんて。

 僕のせいだ。僕が行けばよかったんだ。


「.......如月さん...」


「...言っとくけど私、こんな傷の手当てとか絶対ムリだからね。」

「もう甘利ナギちゃんに電話した...すぐ来てくれるって言ってたから大丈夫...大丈夫だから、さ...?」

「......その目、怖いからやめてくんない...さっきからずっと瞳孔開きっぱなしだよ....」


「............」

「......ごめん。」

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