第24話 休日
──────翌日。土曜日。
僕はベッドの上で目を覚まし、洗面台へ向かい歯を磨いている賀科の隣に並び顔を洗う。今日は三人で東京観光をする日だ。
唐突に取り付けられた予定だが、どうせなにもすることはなかったんだ。せっかくだから楽しむつもりでいる。
昨日食事をした後僕達は部屋に戻り、シャワーを浴びてから軽く荷物をまとめ、ベッドに倒れ込み泥のように就寝した。
疲れが溜まっていたのだろう。賀科はまだ話したがっていたが、瞬く間に眠りに落ちて気がつけば朝だ。
元々アパートに置いていた着替えなんかは全てこの部屋に移動されていた。流石は国の抱える秘密組織、手早いものだ。
しかし、今まで着るものに頓着してこなかったせいで、ある服はワイシャツと黒いスラックス。体育用のジャージ。あとはインナーの黒無地Tシャツくらい。
ファッションにも疎いし。というかそもそも、同い年二人との小旅行なのにその辺に気を遣う必要はあるのだろうか。
ショーで着た衣装も貸し出しだった。こびりついた血を自分で洗う必要がない点においては自前より優れていたが。
リビングに戻り、仕方なく、新しいワイシャツを着てスラックスを穿く。
僕がまだ高校生であったという証はこのセットと残った教科書だけ。学ランも返還されたが、流石に着る気はしない。
自分の引き出しのなさとすっかり慣れた着心地に辟易していると、ワックスで整髪しながら洗面台から賀科が戻ってきた。
スカジャンと股下の深いズボンをバッチリ着て、準備万端といった様子だ。
「...名厨...お前まさかその格好で行くの?」
「これしか服ないんだよ。あんまり出掛けないし、買い物も学校帰りに済ませてたし、余所行きのなんて一着も...」
「...制服って余所行きの内に入るのかな。」
「しゃあないなァ!ちょっと待っとけよ...」
賀科はベッド脇にあるプラスチックのタンスを開け中身を漁り始める。そして、一着の黒い、薄手のパーカーを取り出して僕に渡した。
「これやるよ。上から羽織っとけ!」
「え...いいの、もらっても。」
「俺そういうのあんま似合わないんだわ。お前の方がシュッとしてる方だし。」
「逆に悪いな、人の着てたモンで。この際だし開拓しよう!後で服屋も探して寄ろうぜ。」
「...うん。ありがとう。」
受け取ったパーカーに袖を通してみると意外にもジャストサイズだった。生地も厚くなく、この時期に着るにはちょうどいい具合だ。
ファスナーは上げず、前を開けてみる。よくわからないけど、ワイシャツの白が見える方が全身真っ黒よりはマシな見映えになるだろう。
「おお、イイ感じじゃん!」
「そろそろ出るけど準備大丈夫?」
「大丈夫。でもアレ、どうしようかな...?」
僕は、壁に立て掛けてあったままの
常に持ち歩いた方が安心なのだろうが、折角の旅行だというのに刀を持ち歩くのは些か気分が悪いというか、モヤモヤが伴う気がする。
しかしながらこの世界には、まだ誰も知らないような脅威がどこに潜んでいるのかわかったものじゃない。
備えあれば憂いなしとは言ったものの、その備えが新たな憂いを生むのならまた話が変わってくる。
「いや置いてっていいっしょ~。なんかあったら不破サンに連絡すれば飛んで来るよ。」
「どうせ日帰りなんだし気楽に行こうぜ?最悪俺達にはクロムがあるし。」
「確かに.....荷物だし、置いていこっか。」
「よっしゃ、行こうぜ。」
軽く持ち物を詰めたリュックを背負い、僕達は部屋を出て階段を下りていく。イベントの前に訪れる妙な気持ちの高揚と緊張感が皮膚の表面をざわつかせるようだ。
エレベーターの見えるところに到着すると、既に用意を済ませた如月が待っていた。しかしその様子からは苛立ちが窺える。
甘利さん、かなり強引に説得したみたいだ。腕を組んで周囲に睨みをきかせながら、タンタンと靴の爪先で床を打っている。
そんな言葉を交わさずとも五感で感じ取れるほどの剣幕を目撃し、即座に手近な自販機の裏に僕達は素早く身を隠す。
メチャクチャ怖い。迂闊に近づこうものなら何をされるかわからない。明らかに待ちぼうけを食らって、僕達を探してる。
「......先行けよぉお名厨ァ~...!」
「賀科くんこそ先に行ってよ...!」
「というか如月さんなんであんな怒ってるんだよ...!?交渉成立したんじゃないの...!?」
「いや確かに甘利サンも"頼んでみる"とは言ってたよ...!?でもあの人、なんかちょっといい加減なトコない...?」
「ま、まぁ...薄々思ってはいた...かも。」
すると、如月がついに僕達に気づいた。キッと鋭い視線がこちらに向くや否や、ツカツカと靴音を響かせながら近づいてくる。
「「ヒィッ!!」」
「ちょっと待てっ!!」
反射的に背中を向け逃げ出そうとした僕達は大声で呼び止められた。恐る恐る振り向くと、呆れ顔をした如月が腰に手を当て立っている。
ほとんど思いつきみたいな提案を、
でもバッチリ準備はしてきてるようだ。名称もわからない、肩の露出した黒い薄い服。細身のダメージジーンズ。
そして、一体何を入れるのかというほど小さな手提げカバン。よく見ればうっすらと化粧もしている。
しかしこの旅行を楽しみにしてきた、というような雰囲気は表情を見てわかる通りまったくのゼロだが。
「急に私呼んどいて、アンタらなんで逃げようとすんのよ!?」
「だって顔が怖えもん!!急なのは悪かった!そこは謝るよ!」
「せっかく珍しい同い年同士なんだから、仲良くしようと思ってさ...!」
「それはナギちゃんから聞いた。言っとくけど私はただの付き合いで着いてくだけだから。」
「好きにショッピングさせてもらうわ。」
「いやそれじゃ三人で行く意味が...」
「....まぁいいや、行くか。とりあえず...」
釈然としない気分が立ち込める中、エレベーターに乗り込みスイッチを押す。斜めに上昇していく広いゴンドラ内、如月はやたらと距離を取って壁に寄りかかっている。
会話もない。こんな状態で本当に旅行なんかが成立するのか。空気最悪だぞ。
僕達はエレベーターを降りても無言のまま、駅の方へ向かう。持ち直す試みすら行われず、ただ淡々と。
一歩離れたところを歩く如月。その横でギクシャクした目配せだけをする僕と賀科。
ああ、せっかくの機会がこんなことで有耶無耶になってしまうのか。賀科も若干後悔し始めているように見える。
僕の知るそれよりもよほど近代的な駅に踏み入り、切符を購入して地下鉄の中へ。ちらほらと乗客のいる車両に揺られながら向かう先は、渋谷。
座席に並んで座ると思わず溜め息が漏れる。相変わらず如月はスマホに夢中、僕達と関わるつもりは本当にないらしい。
買い物をしたあと、適当に合流すればいいか。そう思索を始めたその時、異変が起こる。
「...あ?なんだ?」
車内を照らす蛍光灯がチカチカ点滅する。車両を区切るドアのガラス越しに見ても、ここだけじゃないすべての車両で同じような現象が起こっていた。
一抹の不安が走ったその時、床に、ゴトッ、となにか硬いものが落下する音がした。
「如月...?如月!!」
隣を見ると、スマホを取り落とした如月が気を失ったのか、床に突っ伏すように倒れていた。まるで眠るように。
原因不明、突然の出来事。例の"呪い"が影響している可能性も考えたが、検討がつかない。
「な...何が...!?」
「お、おいおいどんどん倒れてんぞ!?」
隣の車両もだ。乗客が次々とその場に力なくバタバタと倒れていく。
高速で走る地下鉄内、逃走の手段もない。その内に影響は僕達にも波及し始める。
意識が急激に薄弱になり、全身の筋肉が緩んで立っていられなくなってしまう。ダメだ。瞼が凄まじく重い。
一体どこの誰が。こんなときに限って、刀を持ってきてない。不破を呼び出そうにもそもそもポケットのスマホに手を伸ばせない。
最悪だ。弛緩した顎を間抜けにもあんぐりと開けたまま、僕と賀科は意識を失った。
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