第23話 初めて《ファースト》

 向けられる、底の知れない饗庭の眼差しを背に僕達はを出た。狭苦しい重圧から解放されて、如月と同時に溜め息をつく。

 その偶然に驚き、顔を見合わせる。しかし互いに、途端に逸らしてしまった理由は、きっとまたすれ違っているのだろう。

 あんな正義漢ぶったことを堂々と宣っておいて今更だけど、やっぱり如月とうまくはやっていけないと思う。


 すると、如月は部屋に戻ろうとした僕の前に立ちはだかる。そして僕がポケットに入れていたオレンジジュースのペットボトルに手を伸ばしてするりと抜き取った。


「ちょっ、それ飲みかけ....」


 間髪入れず蓋を開け、如月はボトルを呷り中身を飲み干してしまった。僕の目を見たまま。

 口の端を伝い垂れた一滴を手の甲で拭って、空っぽになったペットボトルだけをこちらに投げ返してくる。


「ちょうど喉渇いてたの。私の裸覗いたことはこれで手打ちにしてあげる。」


「だからわざとじゃないって......というか、僕のなんだから勝手に飲まないでよ。」


「間接キスだ、って?変態。」

「ホントは期待してたんでしょ。」


「だからぁッ!...いきなりそんなことされたら誰だって驚くと思うよ...」

「....僕も、間接キスなんてしたことない!だからビックリしたんだ!」


「...ふ~ん。まあいいわ、じゃーね。」


 ジャージのポケットに両手を突っ込み立ち去る背中が下りていく階段に消えるまで、僕は空のボトルを手にしたまま立ち尽くしていた。

 振り返り様に見せたイタズラっぽい笑顔が、なぜか脳裏に焼き付いてしまった。

 そして、思い出したように自分の唇を指の腹で撫でる。繋がりも感触もまるであったものじゃないクセに、ぬけぬけと。


「...なにやってんだ、僕。」


 我に返り、やがてとぼとぼと歩き始める。腹は減った。食堂に行ってみようと思ったが、自分が今食べたいものがわからない。

 とりあえず、部屋に戻ることにしよう。棟を移り、キーカードで401号室の扉を開ける。


「名厨!どこ行ってたんだよ~。超心配したんだぜ~?」


 ドタバタと賀科が出迎えてくれた。顔を合わせるなり強引に肩を組んでくる。

 そういえば、医務室で目を覚ましてから一度も声をかけていなかった。


「クロム魔術の受け取りにさ...」


「あぁ~。え、起き抜け早々あの部屋に呼び出されたの?」


「うん。如月さんと一緒に取得させるのが手っ取り早いからだって。」


「あの人かぁ...顔カワイイけど、素性がさ...?怖くね?」


「呪いが云々っていう話?」


「違う!あの顔して男誑かしちゃうトコだよ!俺も正直危なかったぜ...気を付けような。」


「仲良くしようよ...同い年だし、ちょっと性格キツイかもだけどさ...?」


 話しながら、賀科は僕と肩を組んだまま引っ張るようにして部屋を出ようとする。


「ど、どこ行くの。」


「食堂だよ~。お前と食いたかったからずっと待ってたんだぜ。」


「ごめん...心配させて。」


「いいよ。無事でよかった。」


 そのまま、僕達は食堂へ歩き出す。ようやく謝ることができたおかげか、気が緩んで空腹が表れてきた。

 頭の中、食べたことも見たこともない食べ物が矢継ぎ早に浮かぶが、やはりこれ一つと決めることはできなかった。

 午後9時。廊下を抜け、食堂の扉を開くと時間が時間なだけにそこにいる人はさほど多くない、と思っていたが。


「席空いてっかな~...お、あそこでいっか。」


 中は案外賑わっていた。あてがわれる任務などの関係で、夕食の時間が遅れることは日常茶飯事らしい。

 現に僕も、ゴタゴタが重なり食べるのがこんな時間になっている。


「間宮さ~んどもッス~。」


「ん、二人ともお疲れさん。」

「今日はなんにする?」


「俺は天丼の気分だなぁ~!できます?」


「誰だと思ってんのさ。名厨くんは?」


「じゃあ僕も、同じので...」


「はいよ。適当に座って待ってて~。」


 キッチンにいる間宮さんに注文を済ませ、賀科に促され端にあるテーブル席に座る。間を繋ぐ話題はやっぱりクロム魔術。

 操作量がどうとか、扱い方のコツはもう掴んだのかどうかとか、既に使用を前提とした訓練を行う約束まで取り付けようとしてくる。


「今度どこまでデカイ武器作れるかやってみようぜ!幽棲刀ゲシュペンストで振れるんだったらメチャクチャ強そうじゃん?」


「刀の方が扱い慣れてるし...しばらくは幽棲刀ゲシュペンスト単体に頼ることになると思うよ...」

「というか、疑問とかないんだね...?魔術なんて普通はあり得ないものなのに。」


「俺は順応性高い方なの。元々魔法とか、信じてるタイプだったし。」

「というか、気になるのは如月の...」


 賀科が言いかけたところに、間宮さんがプレートに乗せた天丼を二杯運んできてくれた。揚げたての香ばしい香りを感じ取った途端、胃は動き、唾液が湧いて出てくる。

 しかし僕達が食べ始めようとした時、間宮さんはキッチンへ戻ることなく空いている隣の座席に座ると、深く息を吐き出しながら伸びをした。


「アレ、戻らなくていいンスか?」


「ちょっと休憩。」

「好きに食べな、私はアンタたちの話聞きたいだけだから。」


「へェー....じゃ、いただきます!」


「...いただきます。」


 箸を手に取り、まず目についた海老天を掴んで頬張る。衣はサクサクとしていながらも分厚くなくしっかり海老の食感を残していた。

 甘辛いタレもばっちり絡んで美味い。天ぷらなんて、食べたのいつぶりだろう。

 僕は気づけば丼を持ち上げ、わんぱくにがっついていた。二人の目も気にせずに。


「...そんなにいい食べっぷり見せられちゃったら、こっちまで腹減ってきちゃうな。」


「....あ、すみません、つい...」


「いいよ。嬉しい。」

「....よし、休憩終わり。」


「えッ、もう戻るの?間宮サンの話も聞きたかったッスよ~。」


「食事中にする話じゃないよ。ごゆっくり。」


 上体を捻り、関節を音を立てて鳴らしながら間宮さんはキッチンへ戻っていく。

 僕も正直間宮さんのことはよく知らない。だからわずかながら興味はあった。食堂ここじゃないどこかで会えれば、話を聞いてみたい。

 すると賀科は丼の米をかきこみ、それを咀嚼し飲み込みながら新たな話題を振る。


「名厨さぁ、明日か明後日暇?」

「初の休みだぜ。土日だし。どっか行かね?」


「あぁ...そういえば。予定は特にないけど。」

「僕は大丈夫だよ。」


「俺も訓練やらでろくに街繰り出せてないンだよ~。ホラ、俺優秀じゃん?」

「例の如月って娘も誘おうぜ。親睦も兼ねて、東京観光してーんだよ!」


「応じてくれるかなぁ...あの人、人付き合いがそもそも嫌いそうで...」


「と、思うじゃん...?」

「つーか仲良くしようっつったのお前だろ!」


 丼を持ったまま、賀科は視線を僕から逸らし後方を一瞬指差した。振り向いてその方向を見てみると、ハンバーグやら唐揚げやら、脂っこく茶色いおかずの大皿に囲まれた甘利がいた。

 満面の笑みを見せ、頬袋を作りながらハイペースで食べ進めている。しかしとんでもない量だ。あれを女性一人で食べるのか。


「....如月って娘と相部屋なんだ、甘利サン。そして如月が唯一仲良~く話す相手も、な。」


「...つまり、交渉代理?」


「イエ~ス。じゃ、ちょっと行ってくるわ。」


 残りを詰め込んだ賀科は口を押さえ、もぐもぐと噛みながら甘利が一人で食事をするテーブルへ向かっていく。

 確かに関わりが浅い僕達が頼もうものなら、簡単に突っぱねられてしまい相手にもされないだろう。

 でもさっきの玄関先で見せた小競り合いを見る限り、如月は甘利をあだ名で呼ぶほど親しく見ているらしい。彼女からの頼みならいくらかハードルが下がるだろう。


 そして、賀科は交渉を始める。会話の内容は周りの声に紛れ聞き取れないが順調のようだ。

 しかし途中で、甘利が両手を合わせ逆に賀科になにかを頼んでいる。というか急に顔を寄せてヒソヒソ話し始めたぞ。

 さらに甘利は小皿に箸で小さな緑色の粒のようなものを集め始めた。あれはおそらく、いや間違いない。グリーンピースの山だ。


「え、どういう......?」


 賀科は会釈をして応じる。そして、緑色が山盛りになった小皿を片手にサムズアップをしながら軽い足取りで戻ってきた。


「交渉成立ゥ~!頼んでみるってさ。」

「いや、甘利サンの方も如月が消極的なのを見かねてたっぽくてさ?ノリノリでオッケーしてくれたぜ!」


「...そうなんだ...で、なんでグリーンピースそんなにもらってきたんだよ。」


「苦手なんだってよ~。シュウマイの上に乗っかってるヤツ代わりに全部食ってくれって。」

「残すと間宮サンがうるさいとさ。別に美味くねーけど、肉と食っちゃえば変わんなくね?」


 小皿を傾け乗っているグリーンピースを口へ全て放り込む賀科。あの二人、しっかり取り引きしてきやがった。

 それにしても、甘利さんは普段からあんな量を食べているのだろうか。もしそうならあんなスラッとした体型を常に維持できているのは驚きだ。


「甘利サンのメテオクロムどんななんだろうな...弓矢使うってのは聞いたことあっけど。」


「矢作ったり...?」


「うん、そりゃ間違いねーな。」

「魔術...実際にあるってビビったけどさ、ぶっちゃけ漫画みたいでちょっとワクワクしてるんだよねー...わかる?」


「...まぁポジティブに考えれば、そうかも。」


 食べたものを水で流し込みながら、僕はふと思った。有為以外の友達とこうして食事をするのは、考えてみれば始めてだった。

 内容は常識から外れていても、会話のトーンは何気ないもの。有為との時間を僕は特別視していたから、あまりリラックスできていなかったように思えた。だから。


「もっと.....話しておけばよかったな.....」


「え、なんか言った名厨?」


「...なにも。」


「イヤイヤ絶対なんか言っただろ!」


「...言ってない、気のせいでしょ。」


「え~ッ嘘だァー。」

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