第22話 インジェクター

「君、胸のレントゲンを撮ったことは?」


「レントゲン...?ないですけど。」


「まあ簡単だ。檻に密着し、胸を突き出す形でくっつけてくれ。」


「は、はい。」


 言われた通り僕は檻に近づき、身体をぴったりとくっつける。そして饗庭が左胸に掌をゆっくりと当てた。


「"装填インジェクション"。」


 すると、ぬるま湯が染み込んでいくように温かな感覚が訪れる。濡れるわけでもなく服をすり抜け、皮膚をすり抜け、内部へ。

 まるで穏やかな熱を帯びた両手で心臓を包み込まれているようだ。

 かかった時間は数十秒ほど。なんの苦もなく終わってしまった。


ポケット設置終わり。次は液体金属を流す、姿勢はそのままだ。アレルギーの類はあるか?」


「大丈夫だと思います...」


「よろしい。」


 饗庭は、持っていた隕鉄の球体を両手で挟み込む。再び開いた時には球体は消失、やはり体内に取り込んだんだ。その痕跡も見えない。

 そして、近くにある金属塊のところに歩いていき手を触れた。

 その瞬間、触った端からドロドロと塊が融けていく。高熱を発しているわけではない。ただ形を失い、しかも掌に飲み込まれている。


 床に水溜まりを作ったそれらを吸い上げ終わる前に、液体となった金属の束を引きずりながら饗庭がこちらに近づく。


「えッ、ちょちょちょ!もう!?」


「ああ。言ったろ。」

「狼狽えなくてもいい、痛みはないよ。」


「そうじゃなくて、害とかじゃなくて....身体に入れてなにか起こったりとか...!」


「いいや、ほんの少しだけ身体が重くなるくらいだ。ポータルは身体の裏側に存在する、ほとんど重さは感じないよ。」

「あとポータルの許容量には限界がある。少しでも胸が苦しくなったら報告してくれ、使用できる量はその時点での半分と決まってる。」


 僕が怪訝に身を強張らせるのにも構わず、ずるりと残りを吸い取った手が左胸にもう一度当てられる。

 すると今度は、打って変わって冷たさがじんわりと体内へ入り込む。熱を以て融かすのではなく、ただ個体を液体に変化させた。

 見たままのあり得ない現象だが、魔術であるという前提がすべてをひっくり返す。


 程なくしてひんやりとした感覚が全身に回っていく。パチパチと火花が瞬き、弾けるような痺れと共に呼吸が若干苦しくなる。

 そして胸のところにどんどん集中する僕の意識は、澱のように溜まり始めた重さに対し激しく警鐘を鳴らす。


「うわっ...こ、これ多分もう...!」


「来たか?よし、ここで止めよう。」


 五体すべてを塗り潰していたはずの冷たさが、甦った自らの体温で上書きされる。しかしそれも半ばで止まり、饗庭は手を離した。


「しばらくは肌寒いだろうけど、待ってれば普通に戻る。」

「次、如月さんの番だ。名厨くんと同じように檻に密着してくれ。」


「...嫌よ。ムネ触るんでしょ。」


「だから何だ。それはただの過程、俺は君なんかに欲情なんてしない。」


「嘘つかないで!私が目の前から消えてから、アンタのやることはわかってる!」


「....この監視カメラが見えないか?それより俺は本を読んでいた方が楽しいさ。」


「でも男にベタベタ触られるだなんて聞いてないわよ!もう少しマシなやり方を...」


 饗庭が檻の一本を力強く掴み、俯いた顔をゆっくりとこちらに向けた。わずかに歯を覗かせる口はニヤリと笑っている。

 呆れ、苛立ち。湾曲した眉と檻を握り締める手に浮き出た血管にそれらの複雑な感情が如実に表れていた。


「5回。君が、のらりくらりとクロムの受領から逃れてきた回数だ。」

「原則拒否できる限度は5回まで。これ以上拒むというのなら、君は眉唾物でさえ取り込んでしまうこの組織に、"呪いの子"として常時監視のもと個室に捕縛。研究対象モルモットとして使い潰されるんだ。」

「君はまだここに来て日が浅い。仲間だと守ってくれる相手も、来た出自ゆえに庇護をする家族もいない。」

「ただでさえ扱いがわからないと、上層部も手をこまねいている最中だよ。使い捨てにすらならない駄犬は殺される。」


「......ッ」


「だから俺は従った。こうして最低限の生活が保証される環境を選んだのさ。」

「いい加減にしてくれないかな。売女が、今更純潔を気取ってキャアキャア喚き立ててくれるなよ、耳障りだ。」

「何百人も受領をしてきたんだ、今更なにも感じない。わかったら早く...」


「...やめろよ。」


 無意識に僕は前に歩き出し、饗庭と同じように檻を強く握っていた。こちらを覗き込む瞳に瞳を合わせ、震えを抑え込む。

 最初はいい人だと思った。でも、それはいつもの幻想だったみたいだ。

 ここに来るだけじゃなく、こんな生活を強いられている相手。よく考えてみればそりゃあ同等以上のクソ野郎だなあと。


「ふざけるな...いくらなんでも言っていいことと悪いことがあるだろ....!」

「如月さん頼む。君が嫌なのはわかってる。でも、今だけこの男の言う通りにしてほしい。」

「君を守るため...なんて気持ち悪いけど、せっかく新しいクラスメイトができそうって側から失うのは...僕も嫌だ。」


「....名厨...」


「...お願いします。」


 一体僕はなにをやっているんだ。半分濡れ衣を被せられたような自分を変態呼ばわりし、そんな相手に深々と頭を下げている。

 それでも嫌だった。自分の身の回りで、正当な理由なく人が死んでいくのは限界だ。

 例え、自分を貶めた人間でも。刀を使って囁いてくる僕の本当の中身がどんなものでも、それを繕う振る舞いがハリボテだとしても。

 僕は、まともな人間でありたかった。


「.....わかったわよ...でも。」

「...目、逸らしておいて。」


「...わかった。」


 僕が背を向けると聞こえてくるものは、檻の方へ歩いていく足音と悪態をつくような如月の漏らす声。吐息。そして舌打ち。

 自分の時は数十秒だったはずの時間が、何倍にも引き延ばされたように感じた。

 流石に、饗庭のあの言い方は許せない。人は本当のことを言われた時が一番傷つくんだ。

 ざまあみろ。繋げられた首輪が同じでも小屋に入れられっぱなしのお前より、こちらの方がよっぽど自由を得ているんだよ。


「...完了だ。」


「...もーいいわよ、名厨...こっち見ても。」


 檻から離れ僕の隣に並ぶ如月。そして饗庭は、僕達にまた一つ指示を出した。

 それはクロム魔術の試用。終わったらすぐに退散しようと思っていたのに。


「"ナイフ"の形をイメージして、筋肉を使い内側の液体金属を絞り出すように力を入れる。」

「出てきたら、"柄がある"とイメージしながら手の内にある流動体を握り込むだけ。」

「クロム魔術の使用者全員が行える、簡単な武器・物体の作成方法全般はこんな感じだ。君たちのナイフの出来栄えで操作精度を見る。」


 如月も返事はしない。癪ながらも片手を出して、黙って言われた通りに頭の中で念じた。

 するとじきに掌から銀色をした液体が滲み出てくる。次第にじわじわと量の増していくそれを、視界の中に作った想像の枠、「ナイフの形」に流し込んでいく。


 するとどうだ、集中に従い刃ができ、峰ができ、柄ができ掌の上に乗った。まだ流動してはいるが確かにナイフの形だ。

 それを、ナイフであると強く折り曲げた指で包み込む。しかし皮膚が触れようかと思った、その瞬間。

 固まった。室内灯の光を鈍く反射する、鋭い刃を持つナイフが出来上がってしまった。


「名厨くんは優秀、この分なら他の武器も余裕そうだね。」

「その点如月さんはまだ鍛練が要るな。ほら、意識が分散して腕、肩に鱗みたいに金属が突き出しているだろ。ナイフの形もガタガタだ。」


 隣を見てみれば、確かに。袖をまくった如月の腕にはまだらに点々と、角張った不格好な塊がいくつも浮かんでいた。

 服で隠れた肩の裏側にも、ぼこぼこと浮き出ているものが見える。

 ナイフも、岩塊を雑に砕いたその破片の一つのように、ナイフとはとても言い難い代物。


「では、次は戻してみよう。今ナイフを出した映像を頭の中に思い浮かべ、それを逆再生するようにイメージするんだ。」


 個体が融け、液体に戻り掌に。それを想像してみると、本当に刃はみるみるうちに失くなり吸い込まれていく。跡形もなく。

 一本全てを取り込み終わり隣を見ると、既に如月は吸収を終えたようで、いかにも怠そうに肩をグルグル回していた。


「なるほど。反面、如月さんの方は名厨くんよりも吸収速度が速いようだ。」

「メテオクロムについては、自らの意思で発現させられるようになるには少し時間がかかる。流石は人の本質を汲み取るブラックボックス、メテオクロムは所有者に何らかのターニングポイントを要求すると推察されているんだ。」

「クロムの受け渡しはこれで終わり。まだ何かあるかい?」


「....ありません。」


「...あるわけないでしょ。」

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