第21話 銀泉

 不安でいっぱいの胸中、少し後ろをついてくる足音に怯えながら進む廊下。不用意に振り返ろうものならなにをされるかわからない。

 男子寮五階。男子寮五階。それだけを考えて気を紛らわせるのに精一杯で、なにもないところで躓きかける。

 ふらつく度に背後から浴びせられる溜め息が僕のメンタルを火で炙るように傷つけた。


「あ、あの~、如月さん...?」


「なによ。早く進まないと蹴るわよ。」


「一応弁解するけど、あれ僕わざとじゃ...」


「だからなに?私の裸見た事実には変わりないでしょ。」


「本当にごめん...すぐ忘れるように努力するからさ...」


「いいわよ、別に。アンタもどうせ、私を使。そう割り切ってるだけ。」

「金取らないだけ感謝してほしいわ。」


 これは非常によろしくない。これから少なくとも一年半は共に過ごさなければならない相手に初っ端からろくでもない軋轢が生まれてしまった。

 目を合わせることなく交わされたこの会話だけでも、単なる他人以上に距離を置かれたのが痛い程わかる。

 如月の言う通り、見たという事実は今後一生消えない。ことあるごとにあの光景が頭にちらつくかもしれない。


 その度に僕は頭の中で謝罪し続けるのだろうと考えると、まずまともに友人として付き合っていこうという気持ちは失せる。

 この時点で僕は、この女と同じ空間にいることが嫌になっていた。こちらの気持ちもつゆ知らず、見たくもないものを見せてきた側が勝手に怒ってこっちをじっと睨んでる。

 こいつと仲良くするなんて、多分無理だ。初手で信頼を欠いてしまった以上もうどうしようもないんだ。


 そして僕達は、男子寮五階。特別支援者が住んでいるという一室の前に到着した。

 しかし扉にはドアノブがなく、キーカードを使った一方的な電子ロックだけで開閉が可能な仕様らしい。

 カードを機械にスキャンさせると、スライドする扉が壁の隙間に吸い込まれる。そして視界に広がる異様な光景。


 自分達のものより数段広い部屋ではあるようだが、しかしその半分近くが打ちっぱなしコンクリートの壁と白いタイル。

 もう半分を区切る金属檻の向こう側には生活空間があり、水道やトイレなんかの設備も揃っている。だがこれはまるで、座敷牢だ。

 その畳の上で、一人の人物が檻に寄りかかって本を読んでいた。


 黒く長い後ろ髪を一房に縛り、黒いパーカーとスウェットを着用した男。立てた膝に頬杖をつき、超然とした雰囲気を放っている。

 そして山積みにされたスピリチュアルな表題を持つ無数の本と、規則的に揺れる鉄球の置物、それら全てに降り注ぐ無機質な白色灯の光。

 そして、点々と多数存在する正方形をした、サイズがバラバラな金属の塊。

 男は僕達の入室に気づくと、読んでいた本を開いたまま逆さにして床に置き、立ち上がることなくゆっくりと身体の向きを変えた。


「初めまして。不破から話は聞いてるよ。名厨くんに、如月さん。」

「俺は饗庭。饗庭アイバ 舟矢シュウヤ。此処でクロム魔術の受け渡し役をやらせてもらっている者だ。」

「見ての通り、俺は半ば囚われの身でね。やり取りは檻越しになるが勘弁してくれ。」


 低くも透き通る声、淡々とした口調で名乗る饗庭という男は片手を挙げながら挨拶する。

 囚われているのは見ての通り、よく周囲を観察してみれば監視カメラまである。しかし協力者という立場であるというのに、彼はこのような扱いを受けていいのだろうか。


「...アンタ、課員なの?これじゃ犯罪者の面会と変わらないじゃない。」


「ハハハ、俺はあくまで協力者。君たち課員、もとい課員候補生に許されているのはあくまで「クロム魔術」だ。」

「その源泉になる僕の力はまた別の魔術って扱いになる。野放しにするのも危険なんで、にこうして捕縛され続けているのさ。」

「退屈も不満もないよ。ネットは流石に無理だけど、申請すればこうして好きな本だって読ませてくれるしね。」


 そして饗庭は僕達に檻の側まで近づくように言ったあと、早速ということでクロム魔術についての詳しい説明を開始した。

 如月は途中からめんどくさそうにしていたが、僕はしっかり聴くようにした。こんな組織が正式に配る力なら、きっと有用なはず。


 饗庭の魔術は触れた人間の全身に見えない"ポータル"の出入り口を作り、心臓の「ポンプ」と胃袋のものを溜め込むための「柔軟性」を兼ねたような役割を持つ「ポケット」をその者の心臓部に置くもの。

 そして体内に存在する金属成分の凝集、硬化と軟化を自在に行える魔術の二つ。及び饗庭のみが行えるそれらの他者への感覚的な享受。

 説明だけではさっぱりわからなかった。ただしこればかりは言葉ではどうしようもないと饗庭は静かに笑う。


 液体金属は全身を血液のように巡り、いつでも全身にあるポケットを中心に外へ出せる。

 しかしポケットの柔軟性は人によってまちまち、溜め込んでおける許容量や体外に出して操作する時の精度、同時に操作できる量も人によって異なる。

 硬化、軟化は自由だが、それは自身のポケットを一度出入りしたものに限るらしく、原則では使用する量を液体の状態で排出してからでないと硬化させてはいけないらしい。

 クロム魔術はポータル生成、金属操作。以上の二つを掛け合わせることによって成り立っているもので、それぞれ単体での使用は"特例"を除いて許されない。


「そもそも、俺自身がこの魔術を身に付けた時は二つでワンセットであるものとして完成させられていたからね。」

「分割使用の禁止はあまり気にしなくてもいいかな。」


「あ、もしかして雨ノ宮さんのあれは...」


「よく気づいたね。彼女、自身のクロムの特性を"ポケット"と呼んでいただろ?」

「彼女は軽度の金属アレルギーなんだ。肌に赤みと痒みが出る程度のものだけどね。」


「金属アレルギー...なら液体金属なんか身体の中に入れたらまずいんじゃ...?」


「当然害になる。だからアレルギーや特別な事情のある者は特別、クロム魔術を得なくてもいいことになってる。」

「重要なのはここからだ。個々が持つ、についてさ。」


 饗庭はポケットから、直径五センチほどの金属球体を取り出した。ただの鉄球であるように見えるが、これこそにそのが発現する秘密が隠されているのだという。


「液体金属を最初に受け渡す時、これを融かして混ぜる。この金属は、隕鉄なんだ。」

「課では"メテオクロム"と呼んでる。隕鉄が混ざっているとクロム魔術には、人によって違う能力が宿るんだ。」

「念力のように遠隔操作ができたり、物体の複製コピーができるようになったり...はたまた、金属をゲル状に変化させたりね。」


「賀科のやっていたあれですか....」


「そう。"Aアブゾーブ・ゲル"。しかしこのメテオクロムにはまだまだ謎が多いんだ。」

「人の深層意識を読み取ったり、過去や経験を反映したりするのかと俺は考察してる。」

「金属アレルギーを持っていた雨ノ宮さんのメテオクロムが、一点のみに存在できるポケットのみの柔軟性を強化、外部からの干渉を受け入れるように変質させるものだったようにねぇ...」


「何ニヤニヤしてんのよ...意味わかんない。」


ポケットと液体金属の内包はさっきも言った通りワンセット。ポケットの維持のためには少量でも身体に入れなければならなかった。そこは彼女も容認してくれたよ。」

「それでもポケットの内側は痒みが出るみたいだ。中に手を突っ込んで掻いているところを見たことがあるよ。それにしても神秘的な変異だ。」


 手にした隕鉄の球体を天井の光に翳しながらやや早口で話す饗庭、口角を嬉しそうにつり上げている。

 専門分野は語りたくなる性分なのだろうか。一聴しただけでは意味不明な、方向を間違えた探求者の妄言だと思われるだろうが、それでも僕には新鮮極まりないものだった。

 なにしろ僕は既にいろんなを目にしてきた。だから謎の説得力があった。

 異常が通常なこの組織、生きていくためにはこの程度、受け入れなくては。


「すまない、少し話しすぎた。」

「受領を始めようか。名厨くん、もっとこっちに寄ってくれ。」

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