第20話 不明瞭

 彼女の名前は、如月キサラギ 真桜マオ高校二年生で、素行不良の多い女子生徒だったという。文武両道、優等生になれる素質はあったもののその道を避け、常に身の回りでは黒い噂が絶えないと評されていた。

 動機は全て親への反逆のため。他人に敷かれるレールに嫌気が差した、反抗期の典型的パターンらしい。


 悪い大人との付き合いも多々あり、彼女が起こした"呪殺事件"は自身の「買い手」である平凡なサラリーマンと共にある夜訪れたラブホテル内で起きた。

 課に確保された際、彼女は自身の売春行為を認めている。目的はストレス発散と金稼ぎ。

 そのサラリーマンとはこれまでに何度か交遊があり、羽振りも良く如月は単なる「太客」として認識していた。


 しかしサラリーマンは、間柄がただの金銭的援助を伴う肉体関係であるという如月の認識とは食い違った考えを持ってしまい、彼女に結婚と共に更に踏み込んだ行為を無理矢理迫った。

 如月は恐怖し、当然その場から逃げ出そうとするが、男女の力の差はどうしようもなくすぐに捕らえられてしまう。


 目の前で薄ら笑いを浮かべながら顔を近づける男を心の中で、強く、強く憎んだその時、それは突然起こった。

 いきなり男が喉に何かが詰まったように呼吸をしたかと思うと、口や鼻、耳。目からも大量の血液を垂れ流し始めたという。

 溢れ出てくる自分の血に溺れながら、男は彼女の上で息絶える。そして重たい死体を退かし、彼女は無我夢中で逃げた。


 その後清掃員が死体を発見。現場に残された彼女の私物から如月が特定、ほどなく確保。

 男の死因が立証できないかつ、以上の供述がまるで意味不明であることから特事課に移送されてきた。

 課は現在、如月の持つ力を「呪い」であると睨んでいる。しかしながら確証は未だ得られていない。

 知覚できないもの。試そうにも効力が人命の損失に直結するリスクがある上、不破の"心眼"にも反応がなかったらしくお手上げ状態。


 しかし今までその「呪い」の力が発現したことはない。それでも如月は塞ぎ込み、他者との関わり合いを避けているという。

 当然だ。ただ心の中で死ねと思っただけでその相手が死んでしまうのかもしれない。

 そんな力が自身に宿っているのかもしれない。その恐怖は計り知れないだろう。

 意思決定が伴わなかった分、僕よりもよっぽど自己を苛む要素が強い。


「そんなわけで...如月さんもここの生活には慣れてきたみたいだし、地雷踏まなければ大丈夫だとは思うけど...」

「一応気を付けて。みんなも、無意識に如月さんを避けちゃってるみたいなんだ。」

「そこが人嫌いに拍車かけてるのかもしれないからさ。もし突っぱねられても仲良くしてあげてね。」


「...わかりました。ありがとうございます。」


 キャップを閉めたジュースをポケットに入れ、雨ノ宮に頭を下げて僕は医務室を出る。そして言われた通りに階段を下り、向こう側の女子寮に立ち入った。

 なんだか良くないことをしている気分になって、変に緊張してきた。いや大丈夫。特段、男子は立ち入り禁止なんかになっているわけではなさそうだったし。


 やや重い足取りで僕は「402号室」のドアの前に立ち、一呼吸置いてからノックした。

 足音が近づいてくる。少し身構えたが、出てきた相手は予想外の人物。


「あれ?名厨くんじゃん!わざわざ女子寮に、どったの?」


「あれっ、甘利さん...!?」


 スーツを脱ぎ、モコモコしたフリース生地のパジャマを羽織った甘利。裏腹にその下は覗き込めば透けてしまいそうなほど薄い下着だ。

 しかし、僕が出会う女性が奔放な格好ばかりしている気がしてならない。ケースが多く慣れてはいるが、かといって遠慮なく視界に入れていいものじゃないから応対に困るんだよ。


 ほら、胸元を両手で隠して、わざとらしい照れ顔を作りながらクネクネし始めた。面倒くさい予感がする。


「コラコラ~、モジモジしないで用件を言いたまえ!アタシの部屋着見に来たとか~?」

「やっぱ男の子だねぇ~。でもダメだぞ!アタシはフィアンセであるふわっちのために...」


「あのー.......如月キサラギ 真桜マオさんの部屋ってここで合ってますか?」


「おっ、そっちか。真桜ちゃんなら今シャワー浴びてる途中だけど、なんか用事なの?」


「いえ、クロム魔術の受け取りをするそうで...僕と一緒に。それで呼びに来たんですけど...」

「...出直しましょうか。」


「そーだねー。アタシから言おっか....」


「ナギちゃ~ん、コンディショナー切れて...」


「あ゛っ!」「えっ。」


 最悪の鉢合わせだ。風呂場から出てきたばかりの、一糸纏わぬ濡れた姿であろうとも、フル回転する頭はその女子が如月本人であると結論を弾き出した。

 金色の髪から垂れた水が滴り落ち足下のバスマットに落下。一滴一滴が吸い込まれるにつれ、如月の頬の紅潮、わなわなという震えは凄まじいものとなっていく。


「わわわッ!?ちょっ、ちょい失礼!!」


 焦った甘利が勢いよく扉を閉める。それとほぼ同時に向こう側から聞こえてくる悲鳴、必死に状況を取り繕う甘利の声。

 もっと面倒なことになった。ただでさえ接しにくい出自であるというのに、こんな顔の合わせ方、第一印象もへったくれもない。

 どう言い訳したものか。わざとでないことだけは理解してくれると助かるんだが。


 騒ぎ声は遠ざかって、僕は溜め息をつき壁を背にしてうなだれる。なんだって玄関先にいるタイミングで、それも裸で出てくるんだよ。

 ラッキーだなんて思っちゃいない。それでも嫌なものは記憶にこびりつくものだ。

 ここで悟りでも開けたら、どんなに楽か。腰の曲線、わずかに突き出た小ぶりな胸の形。シミ一つない真っ白い肌。

 それらの要らない情報が頭から離れてくれないし、顔も熱い。思春期のクソッタレめ。


 体育座りの状態で、永遠かと思える程の時間を過ごしながら如月が出てくるのを待つ。

 クロムの受け取りが義務であり、それを指示されたのなら僕達に拒否権はない。必ず出てくるはずだが。


『だいじょーぶ!名厨くん悪気があったわけじゃないんだからさぁ!』


『無理無理無理...!私がと動くの!?冗談じゃ...!』


『そもそもぉ!今まで受け取りかわしてきたんだから、いい加減処分されちゃうよ!』

『同い年なんだから仲良くなれるって!いーから観念しろ!』


『そういう問題じゃ...!ちょっ、離し』


 扉越しに聞こえる押し問答の末、中から如月が甘利の手で押し出された。間髪入れず玄関の扉は閉められ内側から施錠される。

 グレーのジャージ上下を着て、動かないドアノブをガチャガチャと動かす如月はまだ頭も満足に乾かせていないようで、その動きによって背の中程まで伸びた髪が揺れシャンプーの甘い匂いが漂う。


「ちょっとナギちゃん!せめて付き添いくらいしてくれてもいいじゃない!」


『ダメダメ!アタシ経由で話したりするつもりでしょ!仲良くしなぁて!』


「くっそぉ...最ッ悪。」


 しゃがみこんだ姿勢のまま呆気に取られた僕に、突き刺すような侮蔑の視線が向く。申し訳ないという気持ちはあるけど、無警戒に出てきたそっちも悪いんじゃないか。

 如月はポケットに両手を突っ込んで、腕を組みながらダルそうに息を吐きこちらに近づいてスニーカーの爪先で僕の足を小突いた。


「何やってんのよ、変態。」


「え...えっと.....すいませんでした。」


「そうじゃないわよ馬鹿。クロムの受け取り行くんでしょ、前歩いて。」

「私前だとまたジロジロ見るでしょ。」


「見ないよ!別に、見たくもないし....」


「はァ!?私のカラダ散々舐め回しといて何様なのよアンタ!」


「比喩だよねそれ!?誰かに聞かれたら誤解されるからやめてよ!?」

「...というか、僕受け取り場所知らないよ...」


「...チッ、男子寮五階!早く歩けッ変態!」

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