第19話 掠れ掻き

 早鐘を打つ心臓、全神経が研ぎ澄まされていき身体が軽くなる全能感。最早慣れたものだ。

 だが、今回は様子が違った。鼻から垂れてきた生暖かいものを手の甲で拭う。


「鼻血......」


 体育館でやった時と同じだ。数段重い肩の怠さを除いた副作用はないものの、流石にさっきの六倍となると直接的なダメージは避けられないか。

 ということは少なからずタイムリミットはあるはず、早いところ仕留めなければ。

 深く腰を落とし、刀を構えて地面を蹴る。


 跳躍。自分でも驚くほど跳んだ。ただでさえ十メートルを超える体長を持ち、さらに地上までのスパンがあるにもかかわらず化物と同じ目線の高さまで。

 化物は空中にいる僕に気づき、容赦なく身体をくねらせて飛行し、少し下で口を開け僕が落ちてくるのを待ち構える。


 そう簡単に食われるか。空中で身を翻し、切っ先を下に向けたまま落下する。そして、力の限り腕を伸ばし上顎に刀を突き刺す。

 怪物は痛みに悶え暴れるが、三十人分のパワーをもってすればこの程度の揺れは単なるレクリエーションだ。

 力加減を調整し、柄を軸に身体を回転させ頭の上に着地。ここまで来ればもう大した手順は必要ない。


『殺せ』『殺してしまえ』『八つ裂きにしろ』 


「わかってるよォオ!!」


 身体に突き刺した柄を握ったまま、力任せに体表を駆け抜ける。ゴリゴリと鈍い音を立てながら硬い鱗を裂き、肉に刃が通る感触。

 走力も、膂力も、何もかも勝ってる。振り落とす暇さえ与えるものか。このまま真っ二つにしてやる。


「ウウォオォォァアアアッ!!!」


 雄叫びと共に、ついに尾の先まで通り抜けた刀を引っこ抜いて飛び降りると、制御を失った化物の身体が地面に横たわり風を起こす。

 暴れられたから、綺麗に切り分けるのは無理だったか。全身を見渡してみると、螺旋状に刀で裂いた後が走っている。

 これでひとまずは安心か。


「っぅぐっ...!?げほっ!!」


 急に喉の奥から上がってきたものを、手の中に吐き出す。血の塊だった。

 流石に鼻血くらいで済むわけないか。さらに全身が重くなり、動かしにくくなっていく。

 空を覆っていた雲が消え、陽が射し込んできているのに目の前が暗くなる。そして躓くように足を取られ、僕は砂地の上に力なく倒れた。


 それを最後に、指一本動かせなくなった。それに腹も減ってきた、やっぱり胃の消化も倍になるみたいだ。

 あのコロッケ、美味しかったな。やっぱりおかわりしておけばよかった。

 そんな呑気なことを考えている内に、意識が深い、安らかなところへ落ち込む。もし目覚めたらどうしようか。


 まずは、賀科に謝ることにしようかな。







 ─────────────────────







 ────特事課地下寮、医務室。


 身体を包む滑らかなシーツの感触、隣で聞こえる書類をめくる音で目を覚ます。この天井を見るのは二度目。

 また、気を失ったのか。だがあの時と違ってどうにも身体が怠い。一度死んで甦った、というような過程を経ていないから、この目覚めはきっと心地のいいリセットじゃない。

 僕は生きている。しかし気になるのは、僕以外の課員がどうなったか。


「ん、おはよう。」

「あーもう夕方かぁ...これ飲める?」


 そばの丸椅子に座っていた、書類の束を脇に挟んだ女性が僕にペットボトル入りのオレンジジュースを手渡す。

 女性は肩ほどの長さをしたブラウンの髪を緩く後ろで括っていて、赤いフレームの眼鏡をかけている。スキニーパンツに薄手のカーディガン、その上から白衣を羽織っていた。

 ペットボトルを受け取ると女性は微笑み、再び書類に視線を向ける。


「あ、あの...僕...一体どのくらい...」


「移動時間も含めて、三時間くらい寝てたって聞いたよ?それにしてもお手柄だね。こーんなでっかい相手を斬っちゃったんでしょ?」


「まぁ...そうですけど...」

「あれは、僕の力じゃないようなもので...」


「他人の魂をー、って?別にわたしはいいと思うけどな。」

「この課の異名、聞いたことある?"死神"なんだよぉ?あ、聞きたいことあればどうぞ。」


 ペットボトルを開け、中身を少し飲む。酸味がやたらと強く感じえらの辺りが少し痛んだ。

 そして、いくつか質問をした。まずは僕の容態について。

 魂のオーバーフローであっという間に死に至る、数百単位での行使でなかっただけあって受けた損傷は軽微。鼻と喉の粘膜が多少傷ついた程度で済んだという。


「まぁ、命に別状はないよ。でもカラオケはしばらくできないかなー。」


「は、はぁ...」


 次に他の課員や住民への被害。不破や賀科、野次馬、刑事たちは無事だった。

 しかし、建物内にいた人達はそうはいかなかった。桧山に"赤い糸"を切られた者は原因不明の心臓発作で死亡、桧山本人も頸椎に深刻な損傷を負って絶命していた。

 児童、保育園職員共に生存者はゼロ。運悪くほとんどが建物の倒壊に巻き込まれたという。


 遺族への釈明は、国ぐるみで課が行う隠蔽工作のもとで行われる。話を聞く中で僕が納得いなかったのはそこだ。

 しかし特事課は秘密組織。密かに武装した、様々な黒い出自を持つ人間が街中を歩いているかもしれない事実が世に知れ渡ってしまえば、国民の不安が跳ね上がるのは避けられない。

 故にこれは仕方のないことだと、女性は伏し目がちになりながらも告げた。


「町に被害が波及しなかっただけマシって考えた方が、精神衛生的には良し、かも。あそこで食い止められちゃうなんて、誰も思ってなかっただろうし。」

「あんまり、気負うの良くないよ?」


「はい....大丈夫です。」


 最後に女性の名前。女性は、特殊事象対策課地下寮、医務室所属。雨ノ宮ウノミヤ 美玲ミレイと名乗る。

 地下寮には配置替えで来たそうで、そもそもの課への来訪要因は関係の縺れによる人殺し。    

 僕の時のような特例措置スカウトにより、となるまでは看護士をやっていたという。


 しかしここで、僕はふと気づいた。目を離した間に手に持っていたはずの書類がどこかへ消えている。

 机なんかに触れる素振り、というかそもそもそんなものは置いていないしどこかへ隠した様子だって見られない。

 すると、雨ノ宮はおもむろに左胸に手を当て中へ。前腕の中程までが音もなくズブズブと飲み込まれていき、中をまさぐっているようだ。出血もない。

 そしてそこから、ミントタブレットのケースを取り出し中身を一粒口へ放り込み、何事もなかったかのように元に戻した。


「えっ...えっ、え!?」


「ん?あぁゴメン、そういえば初見かぁ。」

「クロム魔術については聞いてる?」


「そっ、それはまぁそうですけど...」


「これ、人によって特徴が変わるんだ。さっきの模擬戦でも見たでしょ?賀科君が装甲アーマーの中に仕込んでた"Aアブゾーブ・ゲル"。」

「わたしのは"インサイド"。液体金属を溜めれるところが人より柔らかいから、こーやって物を入れておけるんだー。便利でしょ。」

「そもそもクロム魔術を使うにはポータルを作らないといけなくて...まぁ、それは後から説明してくれるからいっかな。」

「名厨君、立てる?」


「は、はい。」


 雨ノ宮は僕をベッドから立ち上がらせると、カーテンに遮られた奥の壁に立て掛けてあった僕の刀をこちらに渡す。

 そして、女子寮「402号室」に向かうように言った。三人目の同期と顔合わせがてら、二人でクロム魔術の受領に向かってほしいと不破からの指示だという。


「あの、雨ノ宮さん。」

「その同期って...どんな人なんですか?女の人なんですよね...?」


「ん?うん。言っちゃえば、ちょ~っとキツイ性格なのかなぁ?あんまり食堂にも顔出さないみたいだし。でも名厨君とは同い年。」

「でも、制式装備的な立ち位置になってるクロム魔術の受け取りは義務だよ。流石にあの子も無視できないとは思うけど...ガンバってね。」


「その人がここに来た理由っていうのは...?」


「んー...わたしも要領得ないんだけどね?簡単に言うと...」

「人を、呪い殺しちゃったんだって。」

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