第10話 残滓
もはやその場凌ぎとも言える承諾。弱い意志が露呈した、覚悟の欠如。それでも僕はまだ生き延びたかった。
死にたがったのは尊厳を重んじたためじゃない。ただの自棄だ。
どこにでも溢れているありふれた考え、「死ねば救われる」というヤツだ。
警視庁の一敷地を使って活動している時点で疑う余地もなく、この組織は本物。常に窮地に立たされているんだ、何を信じようとどう裏切られようと痛くも痒くもない。
「ああ、悪い。自己紹介がまだだったな。」
「俺は
「な、名厨 隼斗です。」
「おう。じゃあ、持ち物の返還するか。」
不破はデスクの裏に置いてあったいくつかの物品を運んできて、テーブルに並べる。
刀が出てくることはわかっていた。だが続いて取り出されたものに、僕は驚愕した。
山中の廃屋に置きっぱなしにしてきたはずの僕のリュックと、湿気を吸った学ラン。
「あ、そうだ。お前宗谷から聞いてるか?お前と戦った、
「....いいえ。」
「お前のその刀、斬った人間の魂を身体に無理矢理入れられるって言ったな。八幡相手に使ったんだろ?最大数。」
「極度の内出血を起こして死にかけてたみたいだが、いきなり現場にハディクィルが現れたんだと。」
体育館にやってきた、太刀を持った男。
僕は過度な魂を身体にトレースしようとした反動により瀕死の状態にあった。パッと見でも助かる見込みのない出血をしていたらしい。
ありとあらゆる粘膜がオシャカ。身体も裂け始めていて、放っておけばたいした時間を要せずに死亡するとその場では判断された。
それでも今こうして生きているのは、他ならないハディクィルの手によるものだという。
ハディクィルは倒れた僕に近づこうとする八幡の前に突然どこからともなく現れそれを制止、堪えきれないといったようなニヤけ面で僕を一瞥し、「今回だけだよ」と呟きおもむろに指を鳴らした。
するとたちどころに出血が止まり痙攣も取り除かれ、最終的にはなんと肉体が完全に再生。僕が寝ている間に行われた検査でもなんの異常も見られなかったらしい。
そして眠るように気を失ったまま、ここまで滞りなく移送。以後ハディクィルの姿も確認されていないという。
まさに神出鬼没。カラクリは不明だが、当たり前のように姿を現しては消す。それだけでも厄介な存在であると不破は言う。
「"超越者"を自称できるほどの力は持ってるってワケか...だが、他人に力を手渡すことができるのが何よりマズイ。ハディクィル、要マークだな。」
「これで荷物は全部だ。確認してくれ、と言いたいところだが。」
「これらがあった現場、憶えてるな?」
「.....」
「身元の確認は取れた。円堂 有為。家族に聞けば、お前の幼馴染みだったんだってな。」
「リュックだが、中は見ても見なくても構わない。要らないならこっちで処理....」
次の言葉を待たずに、僕はリュックを引っ掴んでファスナーを乱暴に開いた。気を遣ってくれているのは伝わった。
でも僕にとってこの中身は唯一、行く末を他人に委ねてしまえばずっとズルズルと尾を引く悔恨の種になるかもしれない物。自分の手でカタをつけたかった。
教科書や邪魔なものをところ構わず撒き散らしながら、目的のものを引っ張り出す。傾かないよう、こぼれないよう奥底に置いておいた、有為から受け取った弁当。
封を解いてはいなかった。次々と立て込んでしまい食べる時間がなかったから。
結び目を引っ張り布を取り払うと、いつも僕のために使っていた少し大きい弁当箱が。それを手に取り、じっと見つめる。
もう返す相手はいない。僕の意志に関係なく命も、魂まで奪われてしまった有為は。
ならせめて、遺されたこれはせめて、僕が弔わなければならないと思った。腹に収め血肉とすることで恨みだけで奪った、459分の1くらいは救われてほしかった。
「.......少し外す。仕事のメールが来た。」
なんの通知もないスマホを不器用に懐から出した不破は、部屋を出ていく。視界の外で扉が閉じる音が聞こえた途端、堰を切ったように涙が溢れ出してきた。
そして、僕は弁当箱の蓋を開け中身にがっつく。飢えた獣のように、箸も使わず。
やっぱり料理が上手いなぁ。これだけ放ったらかしにしてしまったのに、ボロボロになった心を満たすなにかがある。
止めどない感情と共に食らう。これが最後になるというのに、
「どうしよう、有為....」
「.....味....わかんないよ....!」
手を止めることはなかった。詰め込みすぎが誘う吃逆にも構わず食べ続けた。
その中身が空っぽになるまで、みっともない嗚咽を漏らして。そして噛むごとに、本当に彼女を失った実感が湧く。
僕はこの特殊事象対策課で、全てをやり直す。あれだけの他人を殺した罪を背負う覚悟はまだできていないけど。
復讐は大義名分にはならないことに気づいた。君を奪われたのは酷く悲しくて、僕は怒りに呑み込まれていた。だからといって降って湧いた力に甘え寄りかかり、あんなことをしでかしていい理由にはならなかったんだ。
だが、まだ残っていた良心の呵責が、踏ん切りをつけてくれる。地獄に堕ちるのは、形だけの正義を抱えて生きてからでも遅くない。
未だ知らないどこかで君とまた出会って、胸を張って精一杯生きたと言えるように。僕はそんな、哀れで愚かな心の貧しい人間だと、自らを正当に卑下して肯定できるように。
「.....ごちそうさま...」
僕が殺した人間の、親しかった誰かに殺されるのならそれでもいい。当然の報いだ。
人を呪わばなんとやら。だが穴に埋まることさえ僕には烏滸がましい、せいぜい僕を惨たらしく野垂れ死なせてくれ。
自分から命を終わらせるなんて逃げるようなズルは、絶対にしないからさ。
弁当箱の蓋を閉じ、ようやく口の中に味が現れ始め沈黙が流れる。その時間がしばらく続いたであろう頃に不破が扉を開けた。
僕の泣き腫らした目、食い散らかした跡を一瞥しどこか納得したように首を動かしている。
「....大丈夫か、名厨。」
「はい...すみません、気を遣ってもらって...」
「.......なんか、懐かしいな。」
「まぁいい。動けるなら顔洗ってこい、そこに洗面所がある。」
「準備ができたらまた地下エリアに戻るぞ。お前の先輩にあたる奴らに挨拶だ。部屋も用意しなきゃならねぇ。」
「....わかりました。」
指差された方向には、確かに洗面所があった。少し余裕ができ、改めて部屋を見回す。ここはデスクや書類、置いてあるものこそ事務所そのものだが。
この洗面所に加えシャワールームまである。カーテンレールに引っ掛かったハンガー、カーテンに隔てられたベッド。冷蔵庫。
人一人が生活するには十分すぎる空間。不破はおそらく、ここで寝泊まりしている。
鏡の前に立ち、レバーを捻って出てきた水を両手で作った器に溜め顔にぶつける。熱くなった皮膚を打つ冷たさが気持ちを引き戻す。
あまり時間を取りたくない、軽く顔全体、特に目元を洗い流す程度で水を止める。そして再び書類を手に取っている不破に向き直った。
「おう、行ける?」
「はい。いつでも。」
「それじゃ要るもん持って駐車場まで来い。場所はさっき通ったからわかるだろ?」
「あとここ俺の部屋でもあるから、なんか残ってたら勝手に捨てるからな。」
「やっぱり、住んでるんですね...」
「ああ。アクセスが悪い悪いって評判だが。」
「俺には関係ない話だ。裏道がある。」
不破はハンガーラックにかけていたカーキ色のボロボロのコートに袖を通すと、おもむろに窓を開けた。さらにその縁へ足をかける。
次に行われる行動、過ったありえないはずの予想は否応なしに的中してしまう。
「ちょっ、不破さん!?」
不破が窓から飛び降りた。それも身を翻しながら腕を振った勢いで、開けた窓をしっかりと閉めていって。
急いで駆け寄り、また窓を開けて下を覗く。そこには死体も血痕もなく、代わりに外壁から不自然に、等間隔に突き出た、ボルダリングのような足場に掴まった不破と目が合った。
裏道、とするにはあまりに荒々しい。とんでもない身体能力を前提としたルート。
片手のみでぶら下がりながら、不破は顔をややしかめてこちらを見上げる。
「おい、早く準備しろ。」
「あんまり人に見られるといけないんで、とっとと下りたいんだ。」
「不思議そうな顔してんなよ。今更だぞ。」
「裏道って...これがですか!?」
「そうだよ?ホラ、動いた動いた。」
「窓閉めとけよ。」
視線を下に戻した不破は、慣れた手付きで軽々と地上へ下りていく。
特殊事象対策課。こんな化け物じみたフィジカルを素で発揮する人間が平然と在籍する裏側の窓際部署。
課長だからこそのものかもしれないが、これならこの組織が、姿を見せず脅威をもたらしてくる大いなる存在に立ち向かうと掲げているのも頷ける。
フィクションではない。実際に目の前で起こり続ける現実離れした現実。何事もなかったかのようにコートの埃を払いながら「行け」のジェスチャーをする不破。
僕は言われた通り窓を閉め、散らかしっぱなしになったモノをかき集め始める。
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