第9話 裏の裏は表
あるはずのない五感がよみがえり、もがきながら、寝かされていた上体を起こした。白く清潔感のあるものに包まれたここは、病室?
僕は459もの魂を、
脳を含む器官から激しく出血していたのは確か。だが先刻まで伴っていた痛み、苦しみは跡形もなく消えている。
僕の座るベッドの傍らにある椅子には男が座っていた。わけもわからず掌の内にある虚空を見回している僕を、怪訝とも安堵ともとれない眼差しで見つめる。
男は、長く伸びた髪を頭の後ろでくくっていて、くすんだ目の下に深く刻まれた隈と身体の至るところに巻かれた包帯が目立つ。
「起きたか。身体、動かせるか?」
「あ、え...?は、はい...まぁ...」
「立てる?お前お尋ね者だから、早いところ引き渡さないといけないんだ。」
「お尋ね者...ハハッ、そうですよね...」
ベッドから下り、シーツを軽く畳み整えてから足早に部屋を出ていく男についていく。僕を称したその言葉によってある程度は察した。
道中で男は、「
想像の余地がありすぎる所属とは裏腹に格好はラフで、言い様もぶっきらぼう。本当にまともな組織なんだろうな。
僕はその組織に確保され、リーダーを務める人物にこれから面会するという。
確かにただの病院、そもそも内装を知らなかった警察病院とはイメージがどこか異なる。立ち並ぶドア、無機質な空間の様式が少し常識から外れた、知ってはいけない場所のような雰囲気を感じさせてくる。
そして廊下を抜けゲートが開くと、自分達がようやく吹き抜けになった二階にいることに気づいた。
振り返ったゲートに掛かったプレートの文字は「HEALTHCARE」。刻まれた赤十字マーク。僕はあくまで意識の復帰を待つまで安置されていたに過ぎなかった。
「僕....一体どれだけ寝てました....?」
「いや、たったの一日だ。話は"課長"から聞け俺に聞くな。」
「起き次第連れてこいって役回りを押し付けられた。こっちは疲れてるのによ。」
「は、はぁ....なんか、すみません....」
「お前が謝るな。これから一緒に働くかもしれないんだ、印象は良く保とう。」
「"一緒に働く"...?」
「それも課長に聞け。」
全体的な造りが「口」の字になったマンションがあったとして、それを長方形に伸ばしさらに広大にしたような場所。
それも地上じゃない。窓なんかはどこにもなく、眼下の右手には何十人かが搭乗できそうなエレベーターがあった。
四つあるフロアも階段とエレベーターで昇降が可能のようだが、手すりを乗り越えた先に、一番下まで繋がっている金属棒があるのを見つけた。
消防士が出動の際、素早く動けるようフロアをぶち抜いて滑り降りるためのポールがあるらしい。もしかしてあれなのか?
そして「口」の字の真ん中、くり貫かれたスペースにはフェンスや木の壁、ドラム缶などがたくさん並べられている。
かなり前だが、映画で見たことがあった。特殊部隊が室内での戦いを再現した訓練で使うような、入り組んだ空間だ。
警察、その関連組織とはいったが、まさか本当に特殊部隊かなにかなのか。そして僕はそこにぶちこまれてしまうかもしれないのか。
質問をしてもまた「課長」とやらに聞け、と返ってくることはいい加減わかっていた。だから溢れ出てくる疑問は内におさめ、黙ってついていくことにした。
考察するまでもなくここは、この宗谷という男が所属する関連組織の根城。変な気は起こさない方が賢明だろう。
相当な馬鹿でない限りはこの形のない束縛から逃れることはできないことぐらいわかる。
階段を下り、斜行エレベーターに乗り込み、地上へ上昇していく会話のない時間。
だが、次々とやってきた未知の領域。少し進むごとにいちいち生じる緊張が厄介だ。
あれだけ殺しておいて仮釈放などあり得るはずもないが、早いところ僕の首を括ってしまおうという意志がないのならそう言ってほしい。
エレベーターが止まり、ようやく地上かと思いきやまだ壁がある。フェンス越しに透けた、分厚く巨大な扉を宗谷は解錠し始める。
キーカードと指紋の二段認証。重たい音を立てて開く扉を抜けたそこは、広い屋根に遮られた駐車場だった。
久々に吸い込む外の空気に、軽い感動すら覚える。しかしそんな思いも束の間、先導する宗谷は駐車場を出てすぐに踵を返し、裏手にあったデカいビルへ入っていく。
わかっていた。わかってはいたが、こんなに早く入ることになるなんて。
見覚えだけしかなかったビル。実際に目にしたことは一度もなかった。
「警視庁.....」
その本部庁舎。同時に、僕が寝ている間に東京まで身柄が移送されていたことを察した。わずかに目についた他の建物や雰囲気などが、今まで見知ったものとはどこか違っていた。
初めて訪れる都会。覚悟を決める暇もないまま、中へ遠慮なく突き進んでいく宗谷。いくつか扉を潜りながらいくつも角を曲がる。
どこに向かっているか知らないが、このアクセスの悪さを突っ込むかどうか迷い始めた時、一つの扉の前で宗谷が足を止めた。
「ここだ。」
扉を三度ノック。「どうぞ」と声が返ってくるのを確認し、ドアノブを捻った。
中に入ると、デスクにつき、書類を読んでいる男と目が合う。茶髪に、酷く淀んだ瞳を持っている人物。言い知れない凄みがプレッシャーとなってのし掛かる。
この男タダ者じゃない。さらによく見てみれば、右腕が機械の義肢になっている。
「じゃあ俺は戻るからな。コイツ任せるぞ。」
「すまん、助かる。」
「適当に座ってていいぞ。名厨 隼斗。」
宗谷は怠そうに首を回しながら部屋を出ていった。先程の地下空間とは打って変わって、一見ただのオフィスルームのような一室。そこに僕とその男だけが残された。
僕は目で促されるままに、背の低いテーブルを挟んで置かれたソファーに座る。そして男は手にした書類を机に置くと、溜め息をつきながら向かい側の席についた。
「早速質問に入る。」
「お前、今まで何人殺した?」
「....よ、459人、です...」
「本当に?余罪があるんなら今のうちに言っておいた方が身のためだ。」
「場合によっては帳消しになる。」
「.....492人です。」
「よし。なんだ、ワケありか。全部話せ。」
僕は渋々、自分がしてきたことを洗いざらい話した。我に返ってみれば目の前の男は警察とは程遠い風体、こうしてべらべら話して本当に大丈夫なのだろうか。
しかし、半魚人のくだりに差し掛かったところで男の表情が変わった。眉間に皺が寄り、思案するように顎に手を当てている。
「....どうしました?」
「いや、続けてくれ。」
僕は言う通りに続きを話す。ハディクィルとの邂逅、与えられた力、体育館での殺戮。
太刀を振るう男、魂のオーバーフロー。要素が付け足されていくごとに男の表情が見せる険しさが増していく。
「...それで、今に至ります。」
「なるほどな...こりゃあ随分と込み入った事態らしい。とりあえず元凶はそのハディクィルとかいうヤツで、お前は関係ないな。」
「殺人ショーの運営に関しては刑事課にでも投げるとするか。」
「え、じゃあ僕は....」
「焦るな。まず俺が課長として管理してる組織は警視庁特殊事象対策課。通称、"特事課"。国が設立した、対オカルト専門の秘密組織だ。」
「お前が殺したその半魚人や、この世に仇となる存在、概念を取り締まってる。無論人殺しもケースによってはやむを得ないが、課員には常にその罪を免除される権利がある。」
「そこで二択。最悪の大量殺人者として死刑になるか、特事課に入るか。選べ。」
唐突に突きつけられた、生死を分かつ選択。これは果たして再起のチャンスと呼べるのか。
元より法の手で裁かれることを前提で動いていたのに、それでも救いが差し伸べられる。しかも国が公認の上で。
受けるかどうかは僕に委ねられている。僕はゆっくりと目を伏せて、少し考えた。
この男、ただのホラ吹きとして僕の陳述を横に流さなかった。「対オカルト」というのは本当なのだろうか。
どのみち僕は、一度死んだような人間。失うものなんてないし殺す覚悟も経験もある。
この特事課という組織に与し、有無を言わせず植え付けられたあの力を利用して、正義の名の下に戦ってもいいのか。こんな僕が。
いや、迷う意味はない。断ればいよいよ僕の死が確定する。改心したわけではないし、正義感なんてはじめから持っていない。
そんな人間が、あーだこーだと言う権利なんてどこにもないだろう。僕はこれから、国に飼われる猟犬になる。
そして僕は今、ただ単純に。すっかり掌握されてしまったこの命でもまだ惜しい。まだ、死にたくなかった。
「......入れば、助かりますか。」
「ああ。約束する。その先に絞首刑よりも酷い死に方がないとは言い切れないがな。」
意志のわずかな揺らぎ。しかし、決して固くない決意を言葉に乗せて放つ。
「いや、入ります。特事課に...入ります!」
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