第8話 罪と罰
誰だ、この男は。格好とはアンバランスな得物、死体にこれといった恐怖を抱かないという点では"裏側"のショー出演者と似通ってはいるが。
いくらでもいる人員、欠けたとしても困らないはずだが、まさか僕を止めに来たのか。顔を合わせたことのない出演者がほとんどとはいえ、コイツはどうなんだ。
だが、誰であっても僕は。
『殺そう?ねっ?』
「....その前に殺してやる。」
『殺そうよ。早くぅ。ハヤトもそうでしょ?』
「わかってる...!」
ハバキを叩いてからずっと、頭の中で有為が喚いている。完全に元の心優しさはない、でもこれは有為の魂だ。
この刀がそうさせるのか。無理矢理僕の意思を投影して、力を増長するために。
解釈違いというやつだ。これは有為であって、有為ではない。彼女は本心から人に怒りを抱いても、こんなネチネチとした言葉を吐くような性格じゃない。
だから、早く終わらせたい。何者なのか知らないが、こんな奴を相手にしている場合じゃないんだ。
今僕の身体には二人分の魂がある。身体能力は実質二倍、体格が同等程度であるならこちらに軍配が上がるはずだ。
「───
床板を踏み締め、数歩の長い助走を経て跳躍する。このくらいなら、ヤク漬け犯罪者相手に何度もやってきた。
落下の速度を伴った刃を振り下ろす。しかし男は右手に持っている太刀で受けず、寸前でもう片方の腕を前に構えた。
斬撃をつかみ取ろうってのか。僕にとっての特例だった人外でも、そんなバカな真似はしなかったよ。
「
刃が、なにか硬いものに衝突する感触。形は歪だが、盾だ。銀色の金属でできた盾が男の左腕にくっついている。
どこから取り出した。いや、取り出したというよりも。
「"生み出した"...!?」
「お、勘イイね。悪りーけど説明すんのはめんどくせえ。後で課長にでも聞いてくれー。」
続く連続攻撃も、攻防一体の構えによっていなされる。新島曰く、僕を含むショーの出演者は基本的に血で血を洗うような殺し合いを是とされる。
故に渡されるのは防御手段の乏しい得物。それによって、受け手を欠いた動きを強制されるという共通点があるらしい。
もちろん早くあんな場から逃げ出したいという思考もあるだろうが、それが嫌でも身体に染み付いてしまうんだ。ギリギリのところで反撃を避けるのが精一杯。
今もこうして、戦い慣れし、攻撃一辺倒の僕への対処が出来るようになりつつあるのなら、おそらくこの男は出演者の一人ではない。例から漏れる。
だったらどこの人間だ。僕が言えたことじゃないが、こんな大きな得物をぶら下げているのは目立つし、銃刀法違反。
それが許されて、かつここまで動ける上場慣れさえしている。正体が読めない。
何度目かの袈裟斬り。ついに短かった均衡が崩される。男は振り下ろす動きに合わせて盾を持ち上げた。
「パリィ、だと...!!」
二人分の魂を使っても、こうして追い抜かれるのが時間の問題だったならもはやトントン。なんなら僕より動けるんじゃないか。
瞬発力でのゴリ押し。無理矢理打ち上げられた刀を引き戻してがら空きになった胴を守るしかない。
いや、地に足は着いてる。体勢を崩してでも後ろへ跳べばいい。一瞬の隙を埋められるほどの動きはできるようになっているんだ。
バックステップ、押し退けられるようにして、衝撃を利用しながら刀を握る右腕を背後へ引っ張っていく。向こうも同じように身体を翻し横一文字に薙いでくるつもりだ。
太刀のリーチがあるとはいえ、数メートル距離を取ることができれば。
「逃ィィがすかァア!!」
なんだ、左腕の盾が消えている。身体の陰になっていた太刀の刀身を見ると、二倍以上に伸びているではないか。
生み出していたはずの盾を消した。融かしたのか?そして再び太刀に延長の刃としてくっつけやがった。
こいつもまさか、なにかしらの特殊能力を?まずい。一歩下がった程度じゃせっかく作ろうとした数メートルを難なく埋めるこの長大さを覆せない。
少々危ない賭けだが受けるしかない。幸い刀を動かす準備だけは間に合った。
この男、あれを筋力で無理矢理振り回せても流石にスピードは鈍重。迫り来る刃に合わせて刀を構える。
しかし、寸前で太刀が半回転した。刃はこちらを向かない。
峰打ちだと、なめやがって。殺すのか殺さないのかすら掴み所がないのかよ。
「───ッぐぅッ!!」
鈍い衝撃が全身の骨を伝播する。当然その場に踏み止まれるわけもなく、重厚さを伴ってぶつかる刃は僕の身体を軽く吹き飛ばした。
体育館の床板の上を転がっていき全身を打ち付ける痛みに、たまらず刀を床に突き刺してその場に停止する。
だがそれが悪手だった。そのまま転がり距離を稼ぐべきだった。無防備になった僕めがけて、太刀の延長も盾も解いた男が刃を振り回しながら走ってくる様が目に入った。
「つーかお前速えーな...!マジで高校生?」
「ただの、高校生に...見えるかッ。」
「そりゃそうだ、400...くらい殺っただろ?」
このダメージ、男が完全に接近する前に再び万全の体勢を整えるには時間が足りない。
どうせ僕は殺される。そうでないなら捕縛。だがそれは死刑台に立たされてからだ。
まだ殺さないといけない相手が平穏に暮らしているのに、そいつを生かしておくのはどうしても我慢ならない。
この男にこのまま殺されるというのなら、ハディクィルがリスキーであるとした"アレ"を試す価値は、ある。
片膝をついたまま、刀を手前に持ってきて杖のように立てる。残念ながら持ち上げて構えるような力は残っていない。
だから、燃料が必要だ。燃え尽きたのなら継ぎ足せばイイだけの話。さっきまでの鏖殺でかなり溜まっているだろう。
数を数えておいて正解だった。これで一つ残らず絞り出すことができる。
「あ?なにする気だ?」
「....今にわかるよ。」
ハバキを震える指で弾く。辺りに甲高く金属音が響き、警戒した男は歩みを速める。
もう遅い。たった一つであれほど動けるようになるんだ、これなら圧勝どころじゃない。
やってやる。やってやるんだ。
「
唱えた瞬間、心臓がバクンと跳ねた。続けて間髪入れず頭の中で鳴り響く声。
それはどんどん数を増していき、鼓膜を内側から突き破らん程の凄まじい大音声となる。思わず割れそうな頭を抱えてうずくまる。
「うッ...!?うぁあッ、うぐぅッァアア!!」
男女交々、喚いている内容は有為と同じ。今僕が感じている苦しみからなる目の前の男に対する憎悪を糧に、『殺そう』の一点張り。
先程の数百倍だ、身体を動かそうと思えば日本を縦断するにも五分だってかからない。なんたってその確信がある。460人分の走力だぞ。
でも動けない。器がひび割れ、毀れ綻びていく苦しみの反芻から逃れられない。意識を保つのがやっとなんだ。
ハラワタが痛み、口の中に血の味が滲む。直に内臓からズタズタにされて僕は死ぬ。
そう悟った。なら、一秒でも早くこの男の首を斬り落とし、町中を走り回って桧山どもを見つけ出して殺す。
「僕はァッ、僕はァアァ.....」
鼻から、目から、口から、耳から。生暖かい血液がダラダラと垂れる。
聞いたことがある。これらの部位からの出血は重要器官の損傷を示していると。
本当かどうかは知らない。だが、確かめる意味も時間も、もうどこにもない。
このまま死ぬくらいなら、出来るだけ多く仇になった人間を消してから。
「お、お前大丈夫...!?てかなにソレ、毒でも飲み込ん...いやいつ!?」
ああ、だめだ。指先から力が抜けていく。これは罰。与えられた力を自分の溜飲を下げるためだけに使った、罰。
ハディクィルは超越者だ。立て続けに起こった不可思議な出来事、現象。
半魚人での一件で現実味が格段に増した、この世のどこか、目に見えない領域に潜む存在たちのこと。
なにも、できなかった。どのみち贖うつもりだったさ。僕の命で。
「死なせるか...!バカヤロー!」
「応援はま...だか....?....はぁッ!?」
目の前が真っ暗になった。もうなにも聞こえないし、指一本動かせない。傍から見れば手の込んだ自殺にしか見えないだろう。
悔いが残る死だ、祟ってもいい。ただ、有為の気が晴れるのなら。
人殺しの依り代に閉じ込められてもなお、僕に力を貸してくれる君の。
ただ仮初の、偽物の声だけが残った。君が君じゃなくなったとしても、僕は君のことを。
「好き......だった、よ........」
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