第7話 パブリックエネミー
翌朝。隙間だらけの木の壁、隙間から射し込んでくる朝日に起こされた。
雨はもう止んでいる。雨上がり特有の匂い、確かペトリコールって言うんだっけ。でもこの言葉を教えてくれた彼女は。
あれが夢ならどんなによかったか。立ち上がり、ソファーで眠るように死んでいる少し青ざめた頬に指を添えると、残酷なほど冷たく奪われた体温が伝わる。
実感に実感を重ねて、殺意の感覚を取り戻していく。義務感や誰かのためじゃなく、ただ残り僅かな己の心の安息のために。
どうせ役に立たないものばかり入っている、リュックは邪魔になるから置いていこう。
ただ道中に銃刀法で捕まっては元も子もないので、刀袋だけはこの
早速出発しよう。しかし玄関にあたるところまで歩いたところで、振り返りその安らかな顔を一目見る。
未練タラタラなのは否定しない。それでも、彼女がもし寝息を立ててくれればと願ってしまう心がまだ残っていた。
それを振り切り、廃屋を後にする。全てを終わらせた後で僕は警察を呼び、彼女の亡骸が遺された場所を伝えてから自殺するつもりだ。
守ることすらできなかった僕には、行く末をどうこうする資格はない。どうせなら然るべき人々に葬ってほしい。
人殺しは人殺しらしく後味の悪い最悪な、お似合いの最期を遂げようと思う。
山を下り林を抜け、住宅街を通りながら町に戻る。登校中の小学生や、違う高校の生徒とすれ違いながら。
君達は最も幸運な人間の一人だ。これから自分達の日常に肉薄してくるほど大きな殺意が隣を何食わぬ顔で歩き、かつ無事で家に帰れるのだから。
この見慣れた通学路もこれで最後。だがどうせ忌々しさしか感じなかった道だ、今更思い入れなんて感じない。
そして、高校へ到着する。当然教室に向かうことはなく、全校集会が行われる体育館の裏口へ直行する。
有為以外に話す相手はいなかった。故に僕が高校生にしてはほとんど手ぶらであることに突っ込んでくるような人間はおらず、なんの妨害も受けずに隠れることが出来た。
壁を背にして座り込み、袋から出して半ばまで抜いた真っ白な刃を見つめる。信じてはいないが、ハディクィルのした説明をなんとなく理解はしている。
刃の根元、ハバキを指で弾いて望む魂の数を口にする、か。「一つ分をオマケ」しているらしいが、まだ誰かを斬っていないのにどうやってその一つ分を取り込んだんだ。
いや、あんな、まるで神のような芸当を平気でやってのけるヤツなら簡単なことなのか。
しばらく時間が経ち、ぞろぞろと体育館に入ってくる足音と話し声が耳に届く。聞くに堪えない下らない話題でバカ笑いだ。
僕を蔑む目も口は、二度と何も見ることも、喋ることもない。立ち上がり、ハバキをしならせた人差し指の爪で叩く。
「......
刀から、仏具のようなよく響く金属音が鳴り甲高く聴覚を飛び回る。そして、全身の皮膚を持ち上げられるような浮遊感。
この身体を動かす労が半分になった気分だ。羽のように軽く、どこへでも走っていけそうなほどに。
このまま扉を開ければ、僕は何もかもが終わりだ。同時に、声が聞こえた。
『殺そう?ハヤト。』
ガサつき、ザラつき、鼓膜を引っ掻くように不快なノイズが混ざっていて、それでいて有為のものとはっきりわかる唆し。
ハディクィルが寄越した「オマケ」。合点がいったそれは、有為の魂だ。
ああ、まったくその通り。殺そう。君の言う通りに。僕はもう自分の意志から逃げない。
あいつらはなんの自覚もなく他人を貶め、想像を絶する地獄へと無為に追いやることのできる外道だ。それに比べれば、他人を簡単に殺せる
「なァ!!お前ら!!」
ドアを開け放ち、白き刀を手に吹っ切れた哄笑を響かせる僕に全ての視線が集中する。当然のこと、刃物を持った人間が殴り込んでくれば場はどよめき混乱に包まれる。
だがその刃物がとんだカラクリ。半分、いや、7割近くが僕の意思だが。僕は抑えきれない昂りによってとっくに自制を失った。多分。
願ったり叶ったり、刃を振り上げながら愚民の群れへと突っ込む。いくら逃げ惑おうが容赦は与えない。問答無用で殺す。
溶けかけのバターみたいに肉が裂け、熱い血が飛び散り降り注ぐ。あの薬がもたらすようなトランス状態とは違う、得体の知れない充足感が現れている。
本当に、魂が二つになっている自覚がある。余裕で抗えるものの引っ張られる感覚はある。
胸焼けに似たわずかな苦痛も。自分でも別人のようだと思えるほど身体能力が向上していることも。
有為はきっと理不尽に、苦しみ抜いて、極大の絶望を味わいながら殺されたに違いない。そんな魂を身に宿すということは、そういうことなんだろう。
これは僕の魂を鎮めるための復讐でもある。力を貸してくれるなら、こんなにありがたいことはない。
だが、肝心の篠崎や桧山が見当たらない。あの素行のことだ、今日もサボりだろうか。
こいつらを全員殺した後で、探し出してぐちゃぐちゃにしてやる。
「どうした!?いつもみたいに僕を殴ったり、蔑んでみろよ!!」
「じゃないと死ぬんだッ、お前らの人生にとっての"最悪"がここにいるんだ!!」
「お前らが昨日まで、僕の人生の中でそうだったようにさ。」
殺意の赴くまま、誰一人逃がさずに死体の山を積み上げていく。どうせ地獄で合流だ、向こうでも舌引っこ抜いて、デコ擦り切れるまで僕に、なにより僕をこうした有為にしこたま詫び入れさせてやる。
壁際に追い詰めたラスイチ、あたふたと手を振りながら命乞いをしている女。
こいつも憶えてる。篠崎たちに混ざって僕に「ノロマ」と言ったやつだ。僕は性格が悪いから根に持っている。
しかし僕の目的は、命をもって罪を贖わせること。いたぶるのは時間の無駄だ。
騒がしい喉を水平に一閃し、冴えない断末魔を終わらせる。柄を握る手がわなわな震えているのにようやく気づいた。
僕は怒りを溜め込んでいた。自分の目的のため、余計な正体の露見を防ぐため、有為のパーソナルスペースまでもを侵害させないため。
だが、その全てが崩れ去った。そんな今、僕は自分の感情を抑える意味がなくなったというわけだ。
晴れて大量殺人者。秘匿されず、大きく胸を張って"最悪"として消してもらえる。
この人並み外れた、破綻した人格を形成した人間を皆殺しにするまで。僕は止まらない。
今日、今偶然助かっただけの連中も。"裏側"でのうのうと人の心を食い物にして、金を稼ぐ連中も。
「動くなァー。」
すっかり静寂に包まれた体育館。背後から制止の声が届く。そういえば入ってきた扉は開けっぱなしだった。
警察か。やけに早いが、しかしそれにしてはやたらと間の抜けた。
「アレ、その刀...
「するってェとお前が
両耳にピアスをたくさん開けた、金に染めた短髪の男。制服や帽子、と呼べるようなものは身に付けていない。風体はまるで漫画のキャラクター。間違いなく警官ではない。
赤いTシャツとジーパンというラフな格好をしておきながら、身の丈ほどもある長大な太刀を抜き身で肩に担いでいる。
死屍累々のこの状況を目にしても、物怖じせず辺りを観察。転がる数を数え歯を見せて笑うなんてことができてしまっている。
「何者だよ...お前。」
「あ?イヤ、こっちのセリフだわ!せっかくのオフだから裏山にザリガニ探しに行こうとしてたのによ!」
「近くのバカ高の騒ぎ声、なーんかベクトル違ってたから来てみりゃこれだぜ!」
「怪しいんでわざわざウチ戻って
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