第6話 陥穽の腐れ
─────約一時間後。
苦しみの残滓に揉まれながら、冷たく硬いアスファルトの上で身を起こす。完全に絞め技が決まっていたためか頭が痛い。
直ぐ様思考回路が再起動を始め、手繰り寄せた記憶を基にこのふらつく足を運ばせる場所が割り出された。
今が何時か、そんなことはどうでもいい。空が暗ければ夜。それだけのことだ。
「西の廃墟.....廃墟.....廃墟.....!」
亡霊のようにぶつぶつと呟きながら取り出した、画面のひび割れているスマホのコンパスを頼りに西へひたすら走る。後生大事にリュックと刀袋は忘れず。
端から見ればただの挙動不審人物だろうが気にしていられない。僕には世間体なんかよりも、何よりも先に優先すべきことがある。
どんどんと寂れた町を外れ、活気と人っ気が減っていく。やがて雨が降り出した。
シャッター街を抜け、夜中の公園を縦断。道があろうとなかろうと西方へ走り続ける。
ついに山道へ立ち入った。足場の悪いショートカットを通り続け、何度も枝を踏み折る。
この夜中、普段なら感じるだろう静けさ、纏う雰囲気に対する不気味さなど微塵もなく突き進む。
そのことに一辺倒になった神経では、木々が風に揺れる音や鈴虫の声、自身の足音さえも耳に届かない。
そしてようやく、ボロボロになった廃墟同然の粗雑で小さな家屋のようなものが見えてくる。袋から刀を取り出し、固く逆手に柄を握り踏み込む。
雨滴がしたたりカビ臭い、廃屋。雨風を凌ぐのがやっとな外壁の状態にあっても、中は意外にも若干の生活感を残していた。
転がっている酒の新しい空き缶。こぼれ出した中身。レンズの砕けた眼鏡。
やつらがここでなにを行ったのか。それは革がはがれ綿が飛び出したソファーのそばに横たわる人物により理解した。
「有為...?」
終わった。現実逃避、無限に湧く一片ですら瞬く間に塗り替える目の前の亡骸。
衣服を引き裂かれ、剥ぎ取られ。あられもない姿をさらけ出す有為。指先一本すら動かさずに、見開かれた死んでいる瞳は虚空を向く。
頭から流れている血液、棄てられた、赤がこびりついている錆び付いた金槌が、その命を絶ったいきさつを否が応でも見せつける。
僕にたった一つ残された「マトモ」。人殺しでありながらも人間としてのよすがを繋ぎ止めていた鎖とも呼べるものが、切れた。
息を切らしながら覚束ない足取りで近づいてしゃがみこみ、冷えきった身体を抱き抱え瞼を閉じてやる。もはや確かめるまでもない、有為はここで、奴等に理不尽に殺された。
僕なんかに構わせてしまったばっかりに、想像を絶する恐怖と絶望の中で死んだんだ。
何故か涙は出ない。悲しいという気持ちは胸を裂くほどあるはずなのに。
僕は、とっくに狂っていた。半魚人の存在を知っただけであれほど身体が堪えたのは、これまでの経験により凝り固まった思考が見て見ぬふりをしようとしたから。
人なんて何人も殺した。だから他人が誰を殺そうとどうでもよくなっているのだろう。
自分ではそうでないと否定しても、頭がそういう構造に出来上がってしまっているのだから仕方がない。
それでも僕は、自分の心には従う。涙が出なくても、この手の震えが雨で冷えた寒さがもたらしたものでも。
今ならいくらでも、君のために殺せる。君を殺したやつも、結果的に僕の隠したがった真実へ君を近づかせたやつらも。
みんなみんな、殺すよ。君は嫌がるだろうけど僕はやる。だって君はさっきこの世からいなくなった。
もう止めなくていいよ。僕の世話なんてしなくていいよ。僕が楽になったら、すぐにそっちに行って安心させてあげる。
遅くなってごめんね。サラサラとした有為の髪を恐る恐る撫でてみる。
僕にもっと意気地があれば、力があれば。他人の目なんか気にしないで君だけを守ることができるヒーローに、なれたのに。
こんな、手触りをしているんだ。他人の髪って。でも、こんな事になってからじゃダメだよね。卑怯だよね。
今までずっと言えなかった。君を特別な人として見ていたことを。
逝って、行って謝る前に。僕は。
「あいつらを....殺すから....」
「こんばんは、名厨 隼斗君。」
耳に飛び込んだその声に、僕は限りなく丁重かつ素早く、抱えていた身体を寝かせる。
そして、踵で踏んだ鞘から刀を抜き放ち逆手に握ったまま、声のした方へ咆哮と共に刃を振るった。
しかし、振り抜けない。がら空きになった窓の裏に轟く雷鳴。逆光で陰になったシルエットの指が僕の刀を掴んでいた。
それもただつまんでいるだけ。徐々に見えてくるその姿は、やつら同様に禍根たる者。
「随分なご挨拶だね。僕はただ"こんばんは"と言っただけじゃないか!」
「お前...お前もだァア....ッ!!」
この男、嘗めたことに格好も一緒だ。ショーをドタキャンしこの事態を招いた張本人。あの富豪の客だ。
お前が余計な注文を入れなければ、僕はただ殴られるだけで済んだのに。だから、有為が殺されたのはコイツのせいでもある。
足をずりずりと滑らせながらいくら力を込めても、押し切れない。親指、人差し指と中指で刀身を挟んでいるだけなのに。何故だ。
「無駄だよォ~。僕は誰にも負けない。」
反対に引っ張ろうとしてもびくともしない。上体がやや反るまで柄を引いた時、男は指を離した。
反動で僕は床を転がりながら後方へ退かされる。体勢を整え、再び攻撃を仕掛けようと頭を上げたその時、広げた男の掌から見えない何かが飛び出した。
それは風を切る音をだけ立てながらこちらに迫り、僕の両手両足首に絡み付いて壁の方へ押しやった。
そして壁面にくっつき、枷のように四肢を拘束する。魔法?超能力?一体なにをした。
「悪いね、少々手荒なやり方をさせてもらったよ。言っておくけど、僕は君と戦うためにこんなボロ小屋に来たわけじゃない。」
「何者なんだよ...お前...!」
「"ハディクィル"。暇を持て余す、どこにでもいるただの超越者さ。」
「僕は君に贈り物をしたいだけなんだ。君の、復讐を手伝う
ハディクィルと名乗った男は、僕の取り落とした刀を拾い上げクルクルと回し見る。
そして輝きを失った鈍色の刀身に指の腹をツーッと滑らせると、肩をすくめ鼻で笑った。
「失礼。こんな使い古したナマクラでは、沢山の人を斬り殺すには不十分だと思ってね。」
「新しく作り替えてあげよう。」
ハディクィルが切っ先に手をかざし、そのままゆっくりと横にスライドさせていく。すると立ちどころに錆が消え、刀身がまばゆいばかりの純白に染まり始める。
続いて、掌が通過したところからうねる炎の塊が連なったような美しい刃文が現れた。元の薄汚さが見る影もなく、血を流すには烏滸がましいと思える高貴な、美術品のごとき輝きを持つ刀に変わる。
鍔は円い、彫刻のないごくシンプルなものになり、柄糸もほどかれ新たに絹のように繊細な帯が空中でするすると巻かれていく。
ハディクィルは、すっかり生まれ変わった刀を床に突き立て、一度しか言わないと前置きしてから僕に授けた謎めいた
「その刀、もとい力の名は、
いいかい?魂とは、身体を動かすためのガソリン、精神とはそのガソリンを燃焼させるためのエンジンだよ。
何らかの方法で魂という名のガソリンが尽きてしまえば、身体は二度と動くことはなく精神というエンジンは単なるガラクタに成り下がる。ガス欠を起こした車のように。
そして魂は元々いた精神にしか適合しない。その刀はそんな理をブッ壊すのさ。
ハバキを指で弾いて、取り込んだ魂のうち望む数を口にすれば、その分の魂を君の身体か刀に流し込める。君が望めばさらに自由に形を変えて魂を操ることができるかもね。
もっとも、数を誤って君の精神の器が持つ最大容量を超えてしまうと....」
「....どうなるんだ。」
「僕にもわからない!頭がおかしくなって死ぬのか、もっととんでもないことが起きるのか。まあ、それは自分で確かめてみてくれ。」
「とにかく、その刀は君の物だ。うまく使ってくれよ。」
「"一つ分"は、オマケしといてあげよう。」
そう言って手を振ると、ハディクィルはつむじ風に巻き上げられた霧のようにふっと姿を消してしまった。手足を拘束していた透明な枷が消え、床に身体が投げ出される。
残されたのはこの刀と、未だ応えぬ有為の亡骸だけ。どういうわけか家に帰る気分にはならなかった。
超越者、か。仰々しくも確かに相応しい名乗りだと思うよ。あんなイカれたマッチメイクを行えたのも頷ける。
人の順応性とは恐ろしい。狂気にも不可思議にも、少し身を沈めていればすぐに慣れ、それそのものに対しなんとも思わなくなる。
僕もそうだ。次々と見たこともない超常現象に見舞われたせいで、そんな"例外たち"の存在を認め始めている。
明日にでも学校に行こう。記憶が正しければ、朝から全校集会があったはずだから。
有為の身体を持ち上げ、ソファーの上にそっと寝かせ脱いだ自分の学ランを身体にかける。その背もたれの裏、軋む床に僕は座り込んだ。
ようやく聴こえ始めた篠突く雨音が、やるせない現実と飽和して溶けていく。君と一緒ならどこでだって安心して眠れる。
きっとこんな時間は、最初で最後になるだろう。僕は目を閉じ、絶対の壁に隔たれた温もりのない同衾をして夜を明かした。
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