第5話 噛み合い

「もしもし、新島さん?」


『もしもし。飛び入りのオファーだ。』

『昨日の客がまたお前を指名した。倍額でだ。今夜すぐに来い、開演する。』


「えっ、今日は...ちょっと...」


『あ?お前に拒否権あると思うのか?』

『それじゃ、急げよ。』


 向こうから通話が切られる。これはまずい、最悪のダブルブッキングが完成してしまった。

 桧山先輩とやらの権威がどれほどなのか僕は知らない。だから呼び出しをシカトすればどんな目に遭わされるかがわからない。

 かといってショーの方を捨てるのもダメだ。僕は最早、墓場へ入るその時まであの"裏側"の情報を脳ミソの中に保管しておかなくてはならない存在。一度でも逃げるということは、それは死を意味する。


 僕は頭を抱えながら教室へ戻る。授業開始ギリギリだったことへの焦りなど、微塵も感じなくなっていた。

 頭の中を埋め尽くす不安と葛藤、気づけば午後の授業を全てその思考に費やしていた。

 その結果僕が出した答えは、篠崎たちの呼び出しから逃げることだった。ただの消去法、すっぽかすと間違いなく殺されるショーより怒り狂った不良にボコボコにされる方がマシだ。

 いくらあんな連中でも、感情に任せて他人を殺すほど馬鹿じゃないはず。


 放課後、他の場所へ寄るフリをしながら篠崎の目をかわし、校門を抜けずにグラウンドを通りフェンスの裏口を抜けて遠回りする。

 こうでもしないと現在例の場所で待機しているのであろうグループに見つかってしまう。時間がない、早くクラブへ急がなくては。

 早足でアパートに戻り、リュックを背負ったまま刀袋を回収して部屋を出る。そして駅へ向かい電車の中へ。


 まばらな乗客と共に車両に揺られ、刻々とつのる緊張感がやってくる。客が同じということはまたあの半魚人のような尋常の知を逸脱した存在が相手となる可能性があるということ。

 薬でその時は誤魔化せても、記憶には残る。ただでさえ脆くひび割れた正気を蝕む、傷跡として、ハッキリと。

 今回は薬を使うのはやめよう、あれに頼ってたらいつかおかしくなる。僕は殺せるんだ、自分の意志で動かないと。


 しばらく時が経ち、二日連続となる東京に再びやってきた。「G1adiat0rグラディエーター」の扉を開けて地下エリアへ進む。

 ノックを計四回、間を空けて二回ずつ。鍵が開いたドアを抜け、開閉係の冷ややかなチラ見を受けつつ華美な明かりが照らす廊下を走る。

 準備を済ませなければ。控え室に飛び込み、荷物を置いてカーテンを開く。


 しかしどこを見ても着替えらしきものが置かれていない。衣装が設定されていないのか。

 いや、あの客のことだ、またなにか趣向を凝らしたようなふざけたものを寄越してくるに違いない。

 確認すべくスマホを取り出そうとしたその時、控え室の扉が開けられた。


「新島さん...一体これは...」


「あー、あの客がドタキャンしやがった。だから衣装もない。」

「"もっと面白いものが見つかった"、だと。」


「ドタキャン...?なら報酬金は...」


「あるわけねーだろ。」


「というか、先に電話してくれればよかったじゃないですか!」


「こっちだって準備があったんだから仕方ねーだろが。わかったら帰れ。」

「片付けがある。骨折り損はお互い様だ。」


「もう....わかりましたよ...」


 荷物を背負い直し、新島さんとすれ違いに控え室を出て肩を落としながら廊下を引き返す。

 あの客、傍若無人が過ぎるんじゃないか。一体何者なのか知らないが。

 これじゃ交通費を無駄にしただけ、前回の分があるとはいえ勿体ない。

 報酬も貰えず、篠崎らの呼び出しを無視する賭けも失敗する形となった。最悪の結果だ。

 このまま戻れば夜になっているだろう。気の短い不良連中なら痺れを切らすどころの話ではない。


 何発殴られるか。土下座でもなんでもしないとショーにすら出られなくなるかもしれない。

 プライドなんてとうに捨てた、生きていくためと割り切ればなんだって出来る。躊躇うな。

 再び乗り込んだ電車の中、また同じ光景を眺め続ける。窓の外の空が暗くなり始めているところを除いて。

 日が落ちるごとに焦りが沸き起こり、その度に大丈夫だと自分に言い聞かせる。毎夜毎夜色んなものに苛まれていた、出演者を始めさせられたばかりの頃を思い出す。


 本来持っていた目的のスーパーに向かうことさえも忘れて、自分で自分を追い詰めパニックになりかけてきた頭を鎮めるためにとにかく迅速に帰る。

 明日起こるであろう不明瞭な仕置きを耐え抜くための覚悟を決める時間が、このすっかり逆立った神経を一旦寝かせるために必要なんだ。

 そんなことを考えながら夜道を歩き、アパートのある敷地内にようやく戻ってきた瞬間、しかし足音が迫る。

 それも複数。思わず目を伏せてしまう。まだ背後を振り返る勇気はないが、僕を取り囲むように五、六と数が増えていく。


 視界に入る、ワイシャツ姿のガラの悪い、顔も見たことのない学生たち。その中の最も体つきがごつい金髪の男が、斜め前からやってきて僕の肩を叩いた。

 銀のネックレスと甘ったるい香水の臭い。ポケットに突っ込んでいた骨張ったゴツゴツとした手で。


「こんばんはァ~。君が名厨クンかな?」


「は...はい....」


篠崎ザキのヤツに聞いてるよォ~。仲良くしてやってるんだってェ?」

「俺、桧山ヒヤマ 祐悟ユウゴな。俺のこと知ってる?」


「名前、くらいは...篠崎くんに...」


「あっそう~。つーか早速名厨クンに聞きたいことがあんだけどさァ...」


 桧山が顎で合図をした瞬間、背後にいた取り巻きの背の高い一人が僕を羽交い締めにする。もう始まってしまった、反撃すれば余計に角が立ってなにが起こるかわからない。

 満足するまで殴らせて、この場をなんとか収めるしかない。

 歯を食い縛った瞬間、手前に回ってきた桧山は握り拳を突き出して腹を抉るように打った。


「あぁがッ、はぁッ....!!」


「な~んで呼んだのにブッチしちゃうのかな名厨クゥウン!?なあ!?なぁあ!?」

「俺達ずゥゥ~~~っと、お前ん家の前で待ってたんだけど~~ッ!!」


 何度も、何度も。怒りを込めたボディブローを食らいまくる。

 それが一頻り止んだと思えば、僕は苦しみにふらつく身体をがっちりと押さえられながら、敷地の隣にある駐車場のスペースに連れ込まれてしまった。

 いつも横を通る場所だが、今日は見慣れないワゴン車が停まっている。その陰に身体を転がされ、入れ替わり立ち替わり殴る、蹴る。


 意識が朦朧としながらも、僕はこの場にいる人間の顔を把握することに努めた。ほとんどは学生のようだが、一人、黒いレザージャケットを着た男がいる。

 アゴヒゲをたくわえ、一人我関せずといった顔で煙草をふかしている。

 ヤクザかゴロツキか。鈍り始めた頭では、不良たちの信用する関係者でありながら学生でないことだけはわかった。

 すると、その男が煙草を踏み消して溜め息をつき、口を開く。


「オイ、桧山よォ。そろそろ場所移した方がいいんじゃねえか?」

「誰かに見られたら流石に俺はその辺の尻拭いしねえからな。」


「ハァ、ハァ....了解ッス。」


 取り巻きが、地面に倒れ伏したまま鼻血を出してぜえぜえと呼吸をしている虫の息の僕を持ち上げようとする。

 しかしその時、このリンチ現場に躍り出てくる人物がいた。恐怖と緊張に上擦った声を街灯の下で絞り出している。


「なに....やってんの...!!」


「...有...為....!?」

「ダメだ、来ちゃダメだ...!!」


 突然現れた制服姿の有為。這いずり、諭そうと伸ばす僕の手を桧山が蹴り飛ばす。

 有為は意を決したように拳を固く握り、つかつかとこちらに駆け寄ってくる。当然取り巻きに押さえられるが、それにも構わず視線を僕へ向けたまま前へ進もうとする。

 どうして助けようとする、敵わない相手だということは見ればわかるはずだ。

 君を失ってしまったら僕はもう終わりだ。今からでも間に合うからどうか逃げてくれ。君まで世界の裏側に引き入れるのはたとえ死んでもごめんなんだ。


「隼斗ぉ!!すぐっ、すぐ助けるから!!」


「名厨ァ、コイツなに?彼女?」


「....友達です...!お願いです、そいつには...」


「手を出さないで、ってか?ヤダねェ。」

「つーか割と顔カワイイじゃん?ハハッ、イイコト考えちゃったなァ~俺。」


 嫌な予感が走る両腕を押さえられてしまい、もがく有為。無理をして顔がひきつっている。

 だが腕っ節だけが無駄に強い不良相手には、華奢な力では振りほどくことは叶わず。

 そこへ桧山が近づいていく。止めようとしても、馬乗りにされ拘束されていることもあって打ちのめされた身体は簡単には動かない。

 ギリギリと頸動脈を締め上げられ、意識がだんだんと遠退いていく。怒りの感情だけで繋ぎ止めようとするが、それでも限界がある。

 桧山は有為の頭を乱暴に撫で回すと、下卑た笑い声を上げた。


サカキさん、計画変更ッス。せっかくなんでこの女使いましょうよォ。」


「...あいよ。お前マジワルだな。」


「名厨ァア~!俺達これからこの子とやることあっから、お先に失礼するわ!」

篠崎ザキ経由で動画回してやるよォ。お前が見たことねーカワイイトコたくさん撮ってな!ギャハハハハ!!」


 響く爆笑、抵抗空しく闇に包まれていく視界。ワゴン車に有為が乱暴に押し込まれ、ジャケットの男は運転席に乗り込む。

 最後に耳に入った「西の廃墟」という言葉を確かに記憶に刻み付け、僕は意識を失った。

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