第4話 人並みに

 眼下にずり落ちたものを見れば、さっき更衣室に置いていった自分の服とリュック、刀を入れる長袋、バスタオル。それを投げた主は目の前に立っている。


「難儀だったな。」


「あ....はい...」


「早く着ろ。見てるだけでも寒い。」

「後ろ向いててやるから。」


「.....?うぇえやッ!?」


 ここでようやく僕は、冷えきった一糸纏わぬ姿を新島さんに見られてしまっていることに気がついた。

 溜め息混じりにポケットに手を突っ込み背中を向ける。その隙に、裾に引っ掛かり転びそうになりながら元の服を着た。


「.....着ました。どうぞ。」


「あい。」


 未だ小っ恥ずかしさを頬の紅潮に浮かべたままの僕に、新島さんは取り出した茶封筒を差し出した。給料袋だ。

 だがいつもに比べてメチャクチャ分厚い。触らずも見ただけでわかる差。間違いなくこれは何倍もの額が入っている。


「こ、こんなに...!?」


「ん。あれほどの金持ちなんだ、別に不思議じゃねーよ。それは給料込みの分。」

「ほとんどがチップだと。とんだ富豪だー。」


 話しながら袋を受け取ろうとするが、何故かグッとつままれたまま抵抗される。何度か力を込めても引っ張れない。


「あの~....」


「どうした、早く取れよ。」


「......離してくれません?」


「ん?あ、スマン。」


 パッ、と指が離された。新島さんは不服そうに小さく唸りながらこちらをジトーッとした目で凝視している。

 なにか気になることでもあるのだろうか。珍しく、それも人付き合いがドライ(多分)なこの人に限って。


「いいなーそんなに貰えてェ。」


「意外と単純だった......」


「あ?」


「い、いや!別に...」


 思わず口をついて出た本音に青筋をガッツリと立てられてしまって、結局傷の手当てを受けずに頭だけ下げて飛び出してしまった。

 だが、かなりの金が入った。すっかり夜になった路地、パンパンに詰まった封筒をリュックにも入れずに握り締めたまま早歩き。

 荒くなっている鼻息に、自分でもまだまだ人間味のような物を残しているのだと安心した。

 なにか奮発しようか。ちょっと高い肉か、それともイイカンジの電化製品か。


 いや。でもどんな選択肢があろうと、僕はほとんどを返済にあてるだろう。この厚さなら百万はくだらない、大幅なスキップができることがなによりの幸福であると、卑屈さにも似た気持ちを抱いている。覆せない。

 でも、ちょっとだけなら。スーパーに行ってそこそこのサーロインを買って、フライパンで焼き塩コショウ。アクセントに、ガーリック。

 旨味と肉汁を味わい、すかさず白米をかきこみわんぱくに頬袋を膨らませて、作業的でない咀嚼を心から楽しむ。


 この封筒と違い、スーパーで買えるほどのあんまり厚くない肉でも僕にとっては十分すぎるごちそうだ。それくらいの食事を一度、それも数年振りにしたってバチは当たらないはず。

 だが今日は疲れ果てた。振り込みとスーパーには明日の学校帰りにでも寄ることにしよう。

 駅へ駆け込み、電車に乗り座席に深々と座る。この中途半端な時間なら、腹の底から周りを不幸にするほど大きな溜め息を吐くことができるのだ。


 こうして揺られているとついうたた寝してしまう。いつの間にか最寄り駅に着いていた。

 降車し、アパートへ歩き疲れた手を回して玄関の鍵を開ける。

 布団を敷きっぱなしにしておいて正解だった。財布へ封筒から一枚抜き取り、教科書と共にリュックに詰めスマホを充電器に挿す。

 取り憑いたように離れない気持ち悪さが食欲すらはね除けている。早く寝よう、楽しみが待っていると思えば嫌いな明日も少しは待ち遠しくなるはずだ。


 布団に倒れるように潜り込み、電気代を節約するためにほとんど点灯したことがない明かり、無機質な天井を数秒眺めてから目を閉じる。

 疲れも相まって、すぐに意識は眠りに落ちていく。この先にはきっと彩りがあると信じて。






 ─────────────────────






 翌朝。聞き飽きたスマホのアラームで気だるい身体を這うように布団から滑り出させる。

 立ち上がり、キッチンの棚から手に取ったコップに水道水を注ぎ一気に飲み干して、喉を伝う冷たさと胃の動く感覚で眠たい頭を起こす。

 そして八枚切りの食パンを袋から取り出し、それをさらに半分に裂いてトースターへ。

 薄さゆえに焼けるのが早い。塗るものもないので朝食はサクサクと済ませられる。


「...行くか。」


 リュックを背負い、スマホでネットニュースを眺めながら歩いて学校へ。反面教師でしか学ぶことのない6時間の牢獄。

 そこで淡々と退屈な授業をやり過ごす。これといって進展も退行もない。それでも今日は一つ希望があるからなのか、窓の外の空がいつもより鮮やかに見えていた。

 だが、昼休み前。有為に会うために校庭へ向かおうとした僕の前に、いじめの首謀者である篠崎とその取り巻き三人が立ちはだかる。


「オイ名厨~、ドコ行くの!」

「どうせ暇なんだろ?ちょっとお前に言っときたいことあるんだわ。」


「....ごめん、今急ぐから。」


「まぁそう言わずに待てっ...てッ!!」


 肩を掴まれ、僕を取り囲んだ取り巻きの身体で隠れ周りから見えない腹に拳がめり込む。

 中身を思わず吐き出しそうになるが、昨夜味わった苦しみに比べれば些細なものだ。

 無意識に、初めて篠崎に反抗してしまった。有為のもとへ行くことを邪魔されたくなかったんだろうが、自分でも驚いている。


「お前さぁ、三年の桧山ヒヤマ先輩知ってる?」


「うっ、ぐっ....名前だけは聞いたことある...」


「その人にお前のサンドバッグエピソード話したら興味持っちゃってよー。」

「今日放課後、面貸せよ。いいよな?」


「放課後...なら、大丈夫...」


「さっすがトモダチ、じゃ校門前で待っとくからよ。逃げたら今度はゲロるまでやんぞ。」


「わかった....」


 最悪な予定を取り付けて、何事もなかったかのように篠崎たちは喋りながら去っていく。

 今日の希望が一つ消えた。恨みはある、でも反撃、ましてや殺すなんてできない。

 僕がいつでも実行できるとしても。その心の準備がいつでも出来ているとしても。


 こんなところで立ち尽くしていても時間がもったいない。校庭に行こう。

 周囲に呻き声を聞かれないように、腹を押さえながら廊下を歩いて外へ。いつもの花壇が見えてくると、待ちぼうけた様子の有為がとっくに弁当箱を持って座っていた。


「あ、隼斗!」


「ごめん、遅れちゃって...」


「先生に用事でもあった?」


「別に...こっちの話だから...」


 腹が痛むせいでいつもの取り繕った空元気が作れず、声に低く唸るようなトーンが混じる。案の定訝しむ視線を向ける有為。

 つかつかとこちらに近づいてくると、いきなりシャツの裾を掴んで引っ張られ、腹が捲り上げられる。しまった、と思った時にはもう遅かった。


「うっ、わ...すごい傷...!」


「.........ッ」


「篠崎たちにやられたんでしょ!?隠しても私わかってるんだから!」


「...えっ?あ、あぁ...うん...」


 痣もあるものの、本当はあの半魚人につけられた鉤爪の傷だったが勘違いしてくれた。いい方向では決してないのだが。

 篠崎たちから僕が受けているいじめが有為に気づかれていたことについては。クラスも違うし、どうにか隠し通せていると思っていたがダメだったか。


「なんでっ....なんでこーいうことすぐに私に相談しないのさ!?」


「えっ....だって、迷惑かかるでしょ...」


「バカ!変に隠される方が迷惑なの!」

「絆創膏とかないかなぁ....ないか...もう...!」


 有為ならきっと、バレたとしてもこうして心配してくれると思っていた。情けなくもほんの少しだけそれを期待する自分がいた。

 それでも、庇護を向けられたくはなかった。痩せこけたプライドがこういう時ばかり調子づいてくる。

 応急処置ができるものはないかとポケットをまさぐる有為。しかし時間が経つのは早いもので、昼休みの終了を告げるチャイムが鳴ってしまった。


「うっわっ、やべ...!はい隼斗!お弁当!」


「あっ、ありがとう...」


「弁当箱は明日返してくれればいいから!それじゃね!」


 僕に弁当箱を押し付けるように手渡して、有為はぱたぱたと走っていった。

 僕も教室に戻らないと。だがその時、よりによってこんなタイミングで。ポケットに入れていたスマホの着信音が鳴る。

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