第3話 HIGH!!

 観客の男はなにも言わず、手の甲で頬杖をついたままこちらを見下ろしている。何者なのかは知らないが、こんなマッチメイクを可能にするほどの金を持っているのは間違いない。

 媚を売るわけじゃないが、観たいものを提供することが出来れば高額チップも望める。問題は相手がどのようになのかだ。

 向かい側にある、相手が控えているゲートが砂埃を降らしながら持ち上がった。


 影の中から、シルエットが浮き出てくる。人のような輪郭、という浅い認識はその姿が光の下に晒された時いとも容易く覆った。

 肌はくすんだ緑色をしているが、腹部だけは白い。鱗に覆われた背中が変に隆起していた。あれは、背骨か?

 二足歩行をしている。全体的な形も人間に近しいものがある。しかし頭は魚そのもの。

 瞼のない目はぎょろりと飛び出し、首にはパクパクと口を開けるエラ。手に持った銛を構え、小さく跳び跳ねながらこちらに迫ってくる。


 鋭敏になった嗅覚が目の前の半魚人から発される生臭さをより強烈に感じさせ、薬物によってブースト、励起した精神はそこから生じたわずかな怒りを火種にありもしない闘争心を引き出す。

 さらに、操り糸だけが繋がった身体を解離した両手で遠くから動かしているような状態へ移行する。取り込んだ薬物の作用がついにピークに達した。


 一目で人間ではないと頭では理解している。しかし本来なら現れるであろう、恐れ狼狽えるような気持ちがまるで湧いてこない。

 自身の眼球越しに見る映像を、さらに外野から眺めている。五感を満たす全能感がこの状況の異様さを弛緩させていた。

 そりゃあ画面越しに観ていれば、リアルなCG映像かなにかに見えるはずだ。


 スナップをきかせて柄を振り、その勢いで鞘を抜き飛ばす。目の前に在る恐ろしい容貌にも構わず、抑えきれない本能があらぬ方向へ身体を引っ張っていく。

 僕は地面を蹴り走る。距離を詰め、胴体を斬りつけようと横薙ぎに刀を振った。しかし半魚人はしなやかな後ろ足を使ってその場で高くジャンプし、悠々と攻撃を回避する。


 やはり人外なだけあって動きが素早い。魚というよりはカエルだ。

 ジグザグに跳ねながら、反撃とばかりに手にしていた銛をこちらに投擲する。咄嗟に半身で躱すが、ギザギザした切っ先が肩の皮膚を切り裂いた。

 薬により研ぎ澄まされるのは、痛覚も同じ。ごく浅い傷だが感じられる痛みは見た目の数倍はある。

 大袈裟な呻き声を上げ傷口を押さえて蹲る。切り口がガタついてるせいかただ切られたよりも痛みが強い。


 こんなところで、こんな化け物に。たった一つ残った命まで奪われてたまるか。

 代わりがいくらでもいる使い捨てだったとしても、僕がここにいる必要のなくなるその日まで後続の追随など許しはしない。

 僕はもう一度、銛を捨てて今度は鉤爪を構え始める化け物のところへ突進する。馬鹿の一つ覚えでなく。


 間合いに入る直前で刃を反転させ、両手で固く握った柄を思い切り振り上げる。フックのように砂地に引っ掻けながら。

 舞い散る砂埃。まばたきの出来ないギョロ目にはさぞ痛いだろう。

 僕はそのまま、薬による際限のないスタミナに物を言わせ周囲を走り回りながら刀で砂を何度も掻き上げまくった。

 化け物は水掻きのついた手で必死に目を擦り、次第に膨れ上がっていく砂塵の向こうに見える僕の影へ手当たり次第に爪を振る。


 とっくに前が見えなくなっているのだろう。反面こっちは薄目を開け視界は明瞭、当てずっぽうの攻撃に頼らざるを得なくなった慌てふためく姿がよく見える。

 嗄れた叫びと共に爪の大振りを外す。それに合わせて背後に回った。

 ここまでよくも地を這いつくばらせてくれたな。低く保っていた体勢をバネのように戻す反動で、攻撃へと転ずる。


 下段から勢いをつけて振り上げる本命の刃。活きがいい、今刺身にしてやる。

 脇腹から刀身が食い込む。だがこのナマクラでは両断することはできない。刃が硬い骨にぶつかってしまい、胴の三割ほどで止まる。

 多少小骨が多い魚のようだ。だが心配無用、僕はその程度で好き嫌いはしない。

 柄を捻り、胴に刺さったままの刃が肉を抉りながら上を向く。ようやく位置を把握した化け物がもがくが、残念ながらもう手遅れだ。


 腕の力だけで斬れるほど切れ味のいい刀ではない。僕は化け物と背中合わせになる形で、刀身を柔道の一本背負いのように肩に担いだ。

 そして素早く前後に動かし、力ずくで無理矢理肉を裂いていく。化け物はガクガクと身体を震わせながら激しく暴れるが、L字の傷口に刺さった刀は簡単には外れない。

 まぐれ当たりの爪が時折身体を引っ掻くが、痛みはこちらの攻勢を強めるだけだ。


 肩辺りまで進んだところで抵抗が止む。散々浴びたどす黒く濁る体液を頭を振って払いながら、ずるりとベタつく刃を引き抜いた。

 泡立つ血を吐いて痙攣する化け物。その無様な断末魔を見下ろし、首に沿わせた切っ先から伝播するざらついた皮膚の感触が、まやかしの解けかけた背筋をじわりと凍てつかせる。

 その感覚から逃げるように、刀に力を込めて杭のように押し込む。プツッ、と突き破り、ようやくトドメを刺した。


「いや~いやぁ~!実に鮮やかな勝利だったねぇ、名厨 隼斗君!」


 響く一人分の拍手と場にそぐわないハイテンションな歓声が、に入り他をシャットアウトしていた聴覚を復活させる。

 琥珀色の液体が注がれたグラスを傍らのテーブルに置いて、小躍りしながらスタンディングオベーションをする男。

 それを背に会場を後にする。こちらに利がないのなら、賞賛などただのゴミだ。

 というよりも、薬の効き目が切れかけてだんだんと恐怖がせり出してきていた。早いところ立ち去りたかった。


 刀の血を払って、転がっていった鞘を拾って納め。医務室に併設されたシャワールームへ急ぐ。

 一歩進むごとに甦ってくる正気が、未だ鮮明な記憶と混ざり合ってダマを作り思わずえずきそうになる。

 扉をノックし、返答も待たずに飛び込む。


「終わったか。お、おい。」


 会場をモニタリング、傷の処置の準備をしていた新島さんの横を通り過ぎてもう一つ扉を潜る。大理石のタイルの上をヒタヒタと歩き、脱衣所の編みかごに脱ぎ捨てた血まみれの服を乱雑に放り込んでいく。

 考えが追い付いてくる前に、三つの個室が対に並ぶシャワールーム。その最も奥の一室へ駆け込んだ。


「うッ...!うぉえぇえぇぇ...ッ!!」


 その場にしゃがみこんで、せっかく満ち足りていたはずの胃の中身を、排水溝目掛けて全て吐き出す。最悪だ。

 人も犬も、数えるほどでしかないが殺した。この手で確かに。それなのに気持ち悪い。

 頭で理解してしまった。あんな生き物が、化け物がこの世に存在して、薬の微睡みで誤魔化されわけもわからずそいつを殺させられた。

 鼻腔をつんざく生臭さ、効き目がなくなったはずなのにまだ居座る。もうたくさんだ。


 即座にノールックでレバーを捻り、こびりついたものを洗い流す。文字通りの酸鼻、鉄の臭いと絡んで最悪を醸し出す。

 やっぱり、あの薬はまずい。狂気を虚構の正気で塗り潰して、事実を消し去ってしまう。

 記憶は残っているんだ、あんなものがなくても僕は殺せる。手応えも、ゾクゾクする心地の悪い感触だってある。

 その気になれば僕は、生き残るためならなんだってできるはずなのに。


 よろけながら立ち上がり、冷たい壁に背中からぶつかってシャワーを浴び続ける。どんな水量をもってしても、悪臭がなかなか取れない。

 もうここじゃどうしようもない。新島さんに言って消臭スプレーでも貸してもらおう。

 シャワーを止め、そのままずるずると滑りながらもう一度しゃがむ。バスタオルを受け取っていなかった。身体の水滴が乾いてから出ないと。


 そして十数分、奪われる体温に震えながらシャワールームの中で過ごした。なにかが抜け落ちたような気分を引きずって、外へ出る。


「うわっ!?」


 扉を開けた瞬間、いきなりなにかが飛んできて顔に覆い被さった。

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