第一章「終わりの始まり」
第1話 灰色の中で
「
「はっ、はい!」
六月の二年二組。四時限目を授業中の教室。頬杖をついてうたた寝していた僕を教科担任が叩き起こす。やや目にかかった髪を指でずらし、寝ぼけ眼をこすりながら勢い余って立ち上がると、容赦なく冷笑が突き刺さってくる。
「ここ、やってみろ。」
「....はい。」
わかるわけがない、と考えながら黒板のとこへ渋々歩いていく。この教諭は普段は生徒に対してあれほど声を張り上げることはない。
ではなぜ僕にだけああなのか。それを再認識させる切っかけが、机の間を通り抜けようとする僕の足に引っ掛かった。
体勢を崩し、膝を床に打ち付ける。たちまち沸き上がるゲラゲラ笑い。そう、僕はいじめを受けている。
ここは地元でも有名な、落ちこぼれが集まる底辺高だ。家庭の都合で一人暮らしをしている僕には進学校なんて手に余るし、そもそも頭が弱くてどうしようもない。
だから誰でも入れるようなこんな高校に通い続けないと、高卒の資格が得られないから。仕方なく。
「オ~イなにコケてんだよ名厨ぁ~!お前マジドンくせーんだから気を付けろよな~。」
「う、うん。ごめん...」
転ばせてきたのは、このクラスのリーダー格である男子、
校則ギリギリを攻めた限りなく黒に近い茶髪、常に浮かべる薄ら笑いは好青年のそれでなく蛇のように狡猾だ。
でも反撃したり、余計な口を利いたりすればもっと痛い目に遭う。教諭たちもまったくの無関心、なにをしていてもやんわりと注意するだけ。僕はただ耐えるしかない。
黒板の前に立ち、催促されるままに当てずっぽうな答えを書く。当然教諭は半笑いで僕の答えを取り下げて正解を書く。
どうせここにいる人間、ほとんど勉強なんてまともにしようとするヤツなんかいない。結局はサンドバッグにしたいだけ。
僕だって、勉強する気なんてとっくに失せているさ。ノートも白紙。教科書を流し読みするだけで高得点が取れるテストなんてなんの意味もありはしない。
いつもの猫背で、自分の席に戻る。この時間は何よりも苦痛だ。
暇だしやることもないし、スマホで時間を潰しているヤツを同じように真似ても僕だけが見つかって取り上げられる。
「はい、それじゃ今日はここまでェー。」
チャイムが鳴った。ようやく束の間、解放される。僕は気配を殺しながら教室を出て廊下を歩く。
行く先は校庭。校舎の中をうろうろしていては声をかけられてしまう。
ただでさえ疲れているんだから、たった数十分の昼休みくらいは落ち着いた時間を過ごしたいんだ。
校庭に並んだ、ろくに世話されていないくたびれた草花が飛び出している花壇に腰掛ける。今月は四台目のスマホを購入する羽目になったために金欠、昼食はない。
ボーッと、空を見上げる。この最悪な場所から僕を掬い上げるスポットライトにもなりゃしない太陽が、忌々しく照りつける。
そこへ、足音が近づいてきた。ついにこの場所も使えなくなるかと毎度の事吉凶の二択を迫られるが、今回は良い方らしい。
「よっ、隼斗!」
「
だが振り切って真面目ではない。時に羽目を外し、時に集中する。彼女は、ごく短い"学生"という期間における在り方の理想像とも呼べるだろう。
そんな彼女がこんなところにいるのは、僕のせいである。彼女は元々行く予定だった進学校の合格を蹴ってまで、この底辺高までわざわざついてきたのだ。
幼馴染みなんだからと言っても聞かなかった、両親からの猛反対も押し切った。いないと寂しいのは確かだけど、無理をしてまで構わなくてもいい。僕はそれを未だに口に出せない。
「ほい、またお弁当作ってきたぞー。どうせ今日もお昼抜く気だったんでしょ?」
「...ごめん、いつもありがとう。」
「素直でよろしい。ごめんねー、半分くらい夕べの余り物。定期探してたら遅くなってー。」
「気にしないよ。有為料理上手いし。」
割り箸を手に、彼女が使うには大きい弁当箱のフタを開ける。そこにはタコ足に切ったウインナーや卵焼き、根菜の和え物。唐揚げ。鮭フレークがかかった白米が入っていた。
僕は節約のために食費を極力削る。それを見かねて、こうして有為はしょっちゅう弁当を作ってきてくれる。
口に運び、ゆっくりと味わう。いつものことだが非の打ち所が見当たらない。
僕なんかのためにここまでしてくれて、自分の進路さえ歪めさせてしまって。食べる度に申し訳なくなってくる。
横で購買の惣菜パンを頬張っているのも、この弁当のために時間を割いているから。謝罪の代わりに米一粒残さず完食する。
「ごちそうさま。美味しかった。」
「はい、弁当箱。」
「ありがと。隼斗は気持ちよく完食してくれるから嬉しーな。」
「その点ウチの弟ときたら...やれ味が薄いだの濃いだのってさぁ!」
「あはは...弟くんまだ小二、あれ小三?」
「小三。」
「子供は味覚が鋭いからね...ひょっとしたら反抗期ってやつじゃない?」
「だったら直りそうにもないなぁ....いっつも生意気だし!」
束の間、憩いの時間を予鈴のチャイムが断つ。僕達は急いで立ち上がり校舎へ駆け込む。
廊下で有為と別れ、それぞれの教室へ。クラスが同じじゃなくてよかったと心底思う。
同じ教室にいたなら常日頃感じる疎外感、指される後ろ指は和らぐだろう。それでも嫌でも晒すことになる醜態は見られたくなかった。
席に着くと、またストレスがつのるだけの時間が始まってしまう。ただ虚空を見つめ、その場にいないふりをしながらやり過ごす。
このやり方には慣れている。決して問題を当てられたりなんかしないように、さながら置物であるという面をして。
やがて五時限目、六時限目が過ぎた。待ちに待った下校時間。いち早くリュックを背負って足早に教室を出ていく。
靴を履き替えて玄関の扉を潜る。特別な理由がない限りは一秒でも長居なんてしたくない。
部活動もしない。ここで無為に時間を使うくらいなら家で寝ていたいから。
「おっ、隼斗~!」
校門を通り過ぎる直前で、有為に呼び止められてしまった。こんな環境に半ば強制的に置かれているため友人がゼロに等しいのは向こうも同じ、暇をしたならすぐ僕に声をかけてくる。
「ちょうどよかった。今日ご飯行かない?」
「...家族と食べなよ。どうせ奢るって言うんでしょ?もう今月二回も奢られてる。」
「バレてる~。いいじゃん、行こーよ。」
「なんなら割り勘にする?」
「いや、本当にごめん。今日はバイト入ってて行けないんだ...また今度誘ってよ。」
「そっか...わかったー。ところで隼斗さ...」
「なんのバイトしてるの?」
「教えない。」
「またそれか!いい加減教えてくれないと次もまた奢ってやるぞー。」
「でもま、仕方ないかぁ。それじゃあね。」
「また明日。」
成立していない脅しを受け、手を振りながら別れる。本当に申し訳ない。バイトの内容は誰にも明かすことができない。
いくら信頼できる有為が相手でも、どこかでボロが出る疑いがないとは言い切れない。これは僕が墓場まで持っていかないといけないことなんだ。
夕暮れの道を一人歩く。後をつけられていないかどうかを曲がり角ごとに確認しながら。
「....よし。」
帰ってきた。僕の住む1Rの風呂無しボロアパート。軋む金属の階段を上り、自分の部屋の鍵穴に鍵を突っ込んで回す。
中へ入り、玄関で靴を脱ぐ。ここまで来れば僕を阻むものはなにもない。深呼吸をする。
我ながら殺風景な部屋。テレビはない、時勢の情報はスマホのネットニュースから。
ただ貧相な飯を食い、寝て起きるだけの場所だけど、心から安心できる。布団に潜っている間だけ全てを忘れられる。
でも今日はバイトがある。また帰ってくるのは日付が変わってからになるだろう。教科書をちゃぶ台の上に置き、空っぽになったリュックを背負う。
そして、キッチンと壁の隙間に差し込んで仕舞っていた長袋を引っ張り出し、ついている紐を持ち上げて肩にかける。
使い慣れた仕事道具だ。これがなくては始まらない。僕はスマホを操作して、バイト先の担当の人に今から出発する旨を伝えるべく電話をかけた。
『もしもし。』
「もしもし、
『あぁー、了解。』
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