【第二部】ハウンド・ドッグス ~警視庁公安部・特殊事象対策課・二係~
Imbécile アンベシル
「プロローグ」
第0話 寵愛
───────AM:11:17、
電灯を消した、欲望と堕落にまみれた暗い部屋で、ただ一つ爛々と輝く液晶を覗き込む。身を乗り出して。
耳に挿したイヤホンから流れ出す推しの声に耳を傾けニヤケる俺は、しがない男子高校生。しかしそんな肩書きももはや名ばかり。
友達もいないし、当然ながら彼女も。どこにでもいる惨めな若人である。不登校気味。
俺には行き交うスーツの大人たちが、喪服を着た死者に見えている。身近な人物以外に名を知られず社会に溶け込むように死んでいく者たちを見ていると気が滅入る。
なにを目標にして生きていけばいいのかわからないそんな俺に生きる希望をくれたのは、今この画面の向こうで眩しく動いている女神。
女神に毎月贈り物をして、投げ銭も欠かさない。その源は俺じゃなく親。俺を早々に見限り少し金のかかる植物と見なした奴等。だがこっちの労力が減る、かえって好都合だ。
「....っ!?」
いきなり背後でした物音に、イヤホンを外して振り返る。慣れない目を瞬かせている間にも見えてきた人間の輪郭に、俺はビビり散らかしながら椅子から転がり落ちた。
急いで手探りで電灯のスイッチを掴み、点灯させる。今度は明るすぎて逆に目が痛い。
部屋のドアの前に、男が立っていた。芸能人顔負けの美形に、シルエットの浮き出る細身のスーツ姿。
「だっ!?だっだだっ、誰だぁあ!?」
「やぁ!初めまして~!驚かせてしまったねぇ。ごめんごめん。」
「僕の名前はハディクィル。君に贈り物があってやってきたんだ。」
窓も、ドアも開いてない。一体どこから入ってきやがった。
ハディクィルと名乗ったその男は、パチンと指を鳴らしながら俺の方を指差した。特になにも変わった様子はないが、何かしたのか。
そして、ライブ配信が流れっぱなしになっているモニターを見ると、少し驚いたような顔をしている。
「あっ!その娘知ってるよ!僕もたまに見るんだ。」
「....えっ...?」
「でも君は、虚構にしか目を向けられていないんだよ。画面の向こうでしか出会えない彼女の、全てを知るためには金が必要だろう。」
「そんなこと、腹の底が透けて見えて興が冷めると思わないかい?」
「それ、は...」
まったくの図星だ。ネット上で同じことを言われたなら即座に口撃を返していたところだが、こうして面と向かって言われるとなにも反論できなくなる。
確かに彼女は素顔を出していない。アバターを被って活動している。
春風のような朗らかな笑みが、癇に障る。段々この意味不明な状況に腹が立ってきた。
「君の手で、全てを知るといい。」
「僕は君のような、欲望を持つ人間に力を与えて回っている神様なんだ。」
「君、なにか彼女の手が直接加えられている物は持っているかい?」
「直筆の...サイン色紙ならあるけど...」
「上出来!なら、それに触れてごらん。」
言われるがままに、棚に飾っていたサイン色紙を手に取る。すると、頭の中に見たことのないビジョンが駆け巡った。
豪勢なタワーマンションの駐車場。誰かもわからない視点は、高速で建物の中へ入り、エレベーターの扉をすり抜け内部を駆け上がって、一室の前で止まった。
同時に、強制的に脳内へ刻み込まれていく文字列。住所だ。部屋番号まで事細かに。
「こ、これ...は...」
「名付けて、
「でも一つデメリットがあるよ。この能力を使えば向こうにも自分の位置が明かされる。」「もっとも今みたいにビジョンが流し込まれるだけだから、変な幻覚としか思われない今のうちだよ。行ってあげるならね。」
そうひらひら手を振りながら告げると、ハディクィルは姿を消した。ふっと、渦巻く青白い光の粒子に包まれながら。
理解の追い付かない出来事が連続し、俺はしばらくその場にへたり込んでいた。
わかっている。わかっているんだ。女神には中身がいて、外側の姿がそのまま現実世界に存在しているわけがないなんてことは。
それでも、ずっと素顔が気になっていた。何故なら俺にはその裏側を知った上でも彼女を愛せる自信があるから。
立ち上がって頭の中を整理し、ようやく余裕が出てきた。そして決断する。
俺は女神に会いに行く。あの場所を、女神のいるところだと知っているのは俺だけ。
女神に会えるなら、安いもんだ。夜9時、上着に急いで袖を通しリュックに必要なものを詰め込み背負い、家を飛び出す。
今まで散々想いを乗せた俺のメッセージを読み上げてくれた。きっと受け入れてくれる。
俺は駅へ向かうため一心不乱に走る。感謝するよ、ハディクィル。そこで高みの見物でも決め込んでおけばいい。
お前の想像を超える愛を、証明してやるよ。
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