2章:悪役令嬢と助手と孤島

第7話 大事件ですわ①


 雪解けの陽気。

 晴れ渡る空。

 太陽の日差しを浴びて煌めく海。


「うぷっ……おろろろろろ!」

 

 騒々しいカモメの鳴き声。

 揺れる漁船。

 海へと還る私の昼食だったもの。


「助々、お願いですから近寄らないでくださいましね。『今』とか『数時間』とかいう条件付きではありませんわ。『今後』という条件付きで」

「う……き、きみは平気なのか……この殺人級の船揺れが……」

ワタクシがこれほど懇願するのも珍しいことですわ。お願いだから、こちらも向かないでくださるかしら。常に水平線の彼方だけを見つめていて……」

 常に高圧的なリターヌ嬢が私に頼むと言っている姿を見るのは、少し気分が良い。

 普段煮え湯を飲まされている(比喩ではない)身としては、もう少し彼女の嫌がることをしようとも思ったが、体調の悪さのせいでそれどころではなかった。

 彼女の言葉に従い、再び身体を乗り出して海と景色を見る。


 これからあとどの程度でこの船路が終わるのかはわからないが、ひとまず目的地だけは見えてきていた。

 遥か遠くに、米粒大に見える絶海の孤島。

 そこが我々の目的地だった。


「……リターヌ嬢、きみの魔法でこの揺れを何とかすることはできないのかね……?」

「海水を操って揺れを止めろと言うんですの? まあ出来なくもありませんが、貴方のためにそこまで強力な魔法を行使する価値があるとは到底思えませんわ」

 そう言って彼女はいつものティーカップで紅茶を飲む。

 珍しいことに今日の彼女はいつもの豪奢なドレスではなく、良家のお嬢様然とした白い長袖のワンピースだ。細かい刺繡がいくつも編まれたケープを羽織り、つば付きの丸い帽子を被っている。

「海洋生物と戯れるために魔法を使った方がまだ建設的ですわね。サメとか。実際に見たことはありませんが、空を飛んだり物質をすり抜けたりするんでしょう?」

 白金のような髪と鮮やかな碧眼も相まって、どこか幻想的な雰囲気すらあった。

 今乗っているのが古ぼけた漁船ではなく、高級な巨大客船のデッキに思えてくる。


「……おろろ!」

 だが幾ら頭で思えても、状況は変わらない。

 酷い揺れによって吐き気、頭痛、眩暈が引き起こされ、体調が壊滅的状態であった私の頭は厳しい現実から逃れるように、意識を消し去って過去の記憶を沈むことを選択したのだった。



 さかのぼること一週間。

 私とリターヌ嬢の二人は、珍しく同じテーブルに座って食事をしていた。

 『元助探偵事務所』の入っている雑居ビルの一階、『喫茶どどりあ』の店内で向かい合って食事が運ばれてくるのを待つ。

 お互い、終始しかめっ面で。


「……貴方にカリスマ性が無いからですわ」

「……きみがありとあらゆる依頼を断るからだろう」

 作戦会議という名の責任の擦り付け合い。

 議題はもちろん、事務所の経営状況についてだった。

「依頼額が少ないと言っても、あるだけ有難いと思わなければいけないだろう。なにせうちはただでさえご近所様から煙たがられているのだぞ。きみのせいである事ない事すべて町中に言い触らされて、信用は地に落ちているのだ。この前など、聞いたかな? 『あの事務所は鰐と蛇と蜥蜴を飼っていて、度々依頼に来た人間を細切れにして餌にしている』などと言われているんだ。そんな中、わざわざ足を運んでくれた人に対して、きみは『安いので嫌ですわ』なんて言うものだから」

「私に相応しい依頼でなかったら断るのも当然でしょう」

「その結果が事務所存続の危機だとしてもかね」

「……」

 令嬢は優雅に紅茶を啜る。

 喫茶店に来ているのだから飲み物を注文すれば良いのに、あくまで自前のティーセットを持ち込んでの行いだった。

 私も注文した珈琲を口に含む。

 苦みがいつもより強く感じられた。


「お待たせいたしました。カレーライスとナポリタンです」

 頼んでいた料理が卓上に運ばれてくる。

 カレーライスが私。ナポリタンがリターヌ嬢だ。

 ふたり黙々と食べ始める。


 半分ほど食べ進めたところで、彼女が口を開いた。

「……わかりましたわ。精神的により大人な私が折れましょう。次に来た依頼がどれほど格安で低俗な内容でも引き受けることにしますわ」

「とか言ったところで、その依頼をこなすことになるのは私だろう」

「適材適所というものですわ。頭脳労働が私。単純肉体労働が貴方。我々は二人でひとりの探偵ですものね……」

 反省したように見えて、こういう時には心にもない適当な言葉ばかり吐くのがこの令嬢である。

 私の負担が九割九分九厘となるのが見えていた。

 

「そうだ。リターヌ嬢、きみの力を使って大道芸でも始めたらどうかね。きっと簡単に儲か、る……ぞ」

 声量が尻窄みになって言ったのには原因がある。

 信じられないことに、私の食べかけのカレーが球体となって浮いていたのだ。

「私を安売りするつもり、と解釈していいのかしら」

 ジャガイモとニンジンが白熱電球に照らされて輝きながら、ゆっくりと私の白いシャツ目掛けて前進し始める。 

「待て待て待て!! 冗談だ! さっきのは冗談!」

 カレー球は布地の寸前で停止し、皿へと引き返していった。

 危機を脱した私は木製椅子の背もたれに寄りかかる。

 彼女の力が及ぶのは水や紅茶だけかと思っていたが、こんなものまで操ることができるのか。恐ろしい女である。その気になれば白米ライスの方も持ち上げられそうだ。


「……ではそうだなあ、活動写真なんていうのはどうだろう。つい最近、ほら、三船敏朗がベネツィアでなんらかの賞を受賞したことが新聞でも話題になっただろう。私は演技ができるから、きみが八ミリフィルムを持って――」

「助々」

 リターヌ嬢が私の口の前に、人差し指を立てる。

 真剣な顔をして、こちらをじっと見つめる彼女の様子にどぎまぎしてしまった。

「な、なんだね……」

「私の理解できない言葉で喋るのは辞めてくださるかしら」

「……ッ」

 理性で止める。

 危うく『きみがいつも私にしていることだぞ』と叫ぶところだった。

 感情を落ち着けようと珈琲の入ったカップに手を伸ばすが、怒りのあまり震える手先のせいでカップとソーサーが干渉してカタカタと鳴る。

「……ふぅ」

 いつものルーティーンで天井を仰ぎ見て染みを探しているところでようやく冷静になってきた。

「兎も角、次の依頼はどんなものでも受けると言ったね。言質はとったぞ、リターヌ嬢」

 これで犬猫探しや浮気調査などを数件こなせば、今月はなんとかやり過ごせるだろう。

 ようやく一日一食の極貧生活から抜け出すことができるというものだ。


 とは言え、この前のような事件は当分遠慮しておきたい。

 探偵としての実力を示す場にはなるが、なにぶん人の生き死にがかかった仕事が何件も重なるというのは、私の身には荷が勝ちすぎる。

 過去にも、探偵として幾度かそういった殺人事件に遭遇してきた。

 殺人事件なのだから当然被害者と犯人が存在するし、探偵という役割上私はそのどちらとも真剣に向き合わなければならなかった。

 自分と同じ形をした『ヒトの死体』なんてものは、何度見ても慣れるものではないし、慣れていいものではない。慣れたと感じているのならそれは感受性が摩耗して、精神が不健康な状態にあるだけだ。

 犯人を見つけ出す行為も同義である。他人を疑い続け、言葉巧みに相手がぼろを出すよう仕向けることも、常人には耐えがたい苦痛だ。

 

 そういう意味では、心の休息期間と銘打ってしばらく何も考えずに肉体労働に徹するのも良いかもしれない。

「――あの!!」

 唐突に、店の入口から甲高い女性の声が大音量で響いた。

「あら」

 入口は私の真後ろである。

 先にその正体に気が付いたリターヌ嬢がぽつりと呟いた。

「あれは――」


「助先生がこちらにいらッしゃると聞いたんですけど!!」

 それはつい最近、事件の渦中で耳にした声だった。

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東京悪役令嬢 ~昭和浪漫~ 平 四類 @shiki4

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