第5話 事件ですわ⑤

 事件直後に判明した真相にようやく着地した。

 搭載したエンジンは火を吹き、滑走路は遥か彼方に未だ見えずというかなり危うい着地ではあったが。

 ほとんど不時着に近いかもしれない。

 とは言え、着地は着地である。


 唯一自分の中で反省すべき点があるとするならば、それはやはりリターヌ嬢の力を借りざるを追えない状況になってしまったことだ。

 彼女を魔女たらしめる魔法という力。

 自在に水を操り、人に害なす忌むべき力である。



「既に必要ないとは思いますが、このトリックを仕掛けることのできる条件について確認していきましょう。それはトリックの肝となる『灯油入りティーポット』を用意できることです」

 ティーポットを指し示そうとしたが、目の前にあるものはどれもこれも割れて原型を留めていなかったため諦める。

「奥本青年が先ほど仰っていた話によると、紅茶を用意しているのは執事かコックであり、最近はもっぱらコックの方であるということでしたね」

 奥本青年の方を向くと、彼はこくりと頷いた。

 どことなく緊張感のある表情。まるで弁論大会前の学生のようだ。

「本日も紅茶を用意したのはコックさん、あなたで間違いありませんね?」


 コックは黒い前髪の下から鋭い一重の瞳を覗かせる。

「確かに俺です。それはそうなんですけど――」

「つまり!」

 彼が反論を重ねようとする前に遮った。

 これも名探偵のテクニックである。

「事件の真相はこうです。コックが用意した灯油入りティーポットを執事が奥本氏の書斎まで運ぶ。その後、奥本氏は自身で内側から部屋の鍵をかけて密室を作ったのちに、ラジオの電源をいれて椅子に座った。すると先ほどの実験のように共振現象でティーポットは割れ、中の灯油は暖炉に流れ込んで発火し、炎に包まれた奥本氏は帰らぬ人となった」


「あの――」

「コックさん! 貴方の心の裡、動機まではうかがい知ることはできませんが、如何なる理由があったとしても、決して人は『人の命』を奪ってはいけないのです……!」

「いやちょっと、あの探偵さん、そもそもあなたの語ったトリックには……ごぼッ――」

 コックが胸を押さえて体を折る。

 すぐに堪えられなくなったのか、跪いて床に両手をついた。

 彼は酷く苦しそうに何度も咳をする。

 酷く苦しいだろう、私も経験があるからよくわかる。

「ぅ……ゴホッ! がッ! ……ゲホッ!!」

「おや、犯人だと言い当てられたのがよほど衝撃的だったようですね。大丈夫、ゆっくり深呼吸をしてください。徐々に落ち着いてきますよ」


「お……前ッ!? ま……ガホッ……法を……!?」

 コックが我々の方を睨みつける。

 その瞳には明らかに敵意と憎悪が宿っている。

 勘違いされても困るので、私は一歩引いてリターヌ嬢の横に立った。

「リターヌ嬢、やりすぎでは……?」

「どちらかというと『足りない』が正解ですわね。貴方が調子に乗って水道管まで壊そうとしなければ、ギリギリ足りなかったかもしれませんわ」

 

「が……ガフッ……ははッ!」

 男は咳と嬌声が入り混じった声を上げると、上半身を持ち上げて膝立ちの状態になる。先ほどまでの苦痛に満ちた表情ではなく、喉を押さえながらもどこか余裕のある顔。

 その余裕の正体はすぐに判明した。

 状況にそぐわないコックの表情を見つめながら呆然としている私の前に、ぽつりぽつりと、火花が散る。

 マッチのような小さな火花は次第に苛烈さを増し、一瞬のうちに手のひら大の火の玉へと変化した。

 計五個。

 揺らめく炎の塊が宙に舞う。


「お、おおおぉ……!」

 予想はできていたのに、情けない反応しかできなかった。

 驚いてさらに一歩後ずさる。

 そこは厨房の壁だ。

「り、リタ――」

「――なんとかすると言ったでしょう。令嬢は嘘をつきませんわ」


 この時ほどに彼女が頼もしく見えたことは無い。

 人間を焼き殺し、後には黒炭しか残さない殺人火球。

 常人ではひと目見ただけで恐怖のあまり発狂しかねないそれ、、を目の前にして、あくまで平静を保ち。

「……ふぅ」

 あろうことか鷹揚に紅茶を啜っていた。

「思ったより格下ザコですわね」


 じゅ。

 という微かな音。

 瞬きする暇も無く刹那のうちに、火の玉は消えていた。

 火の玉の出現から消失までが、まるで手品のように仕組まれた出来事だったように思えてくる。

 それが存在した証明として微かに残っているのは、花火で遊んだ後に充満する火薬の匂いだけだ。

 厨房にいる誰もが、目を丸くして今起きた幻想的な現象を頭の中で繰り返し再生し直している。


 当然そこには、コックも含まれていた。

「水道管を壊さなくとも、手持ちの水だけで十分でしたわね。最悪、この部屋を沈めるくらいは想定していましたのに」

 リターヌ嬢がコックへと向ける視線に明らかな変化が見られる。

 先ほどまでは彼を注視し、神経を張り詰めさせていた雰囲気があったが、緊張は解けて見下すような視線に変わっていた。

 彼女が大抵の人に向ける一般的な視線である。


「……助々、貴方が無様に口を開けて惚けることが大好きなのは知っていますわ。けど今はそんな間抜けな猿みたいなことをしている場合では無いでしょう? 探偵役として、ひとまずこの場を納めなさい」

 そう言って彼女は再び紅茶に口をつけた。


 


$$$$$




「さて。ということで二人きり、いや三人きりとなったわけだが。コックさん、いくつか質問させてもらってもいいだろうか?」

 相変わらず水が吹き出し続け、床が尋常ではなく潤った厨房。

 向かい合うのは私とリターヌ嬢に対して、コックただ一人だった。


 真犯人の監視と拘束。

 さらなる被害者を生まないためにも警察が来るまでは必要な役目だ。

 だが、一瞬とは言え宙に舞う恐怖の火の玉を見てしまった人間は進んでやりたがるはずもない(正確にはなぜかひとりやりたがる女性がいたが例外である)。

 この役を買って出た私たちは、奥本青年含め他の方々には退場していただいた上で、舞台を推理の場から尋問へと移行させる。

 舞台装置として厨房に椅子を持ち込み、コックを座らせた上で両手両足を太い麻縄で拘束した。念の為、麻縄は水でたっぷりと湿らせてある。


 コックは手足を縛られながらも、萎縮せず我々を睨みつけていた。

「何も話さない。警察が来るまで黙秘する」

 非常に賢い選択だ。

 私もいざと言う時はそうしようかな、と心に決めている。

「警察が来たら、科学捜査で俺の無実は立証されるさ。あんたたちみたいなエセ科学ではない本物の科学捜査でね」

 今までの大人しそうな態度は演技だったのか、彼の口調は三人だけになった途端砕けたものへと変化していた。


「浅はか」

 リターヌ嬢がぴしゃりと言い放つ。

「雨季のウユニ塩湖ほどに、またはウユニ塩湖に旅行へと訪れて自分の内側にある特別な何かに気づいたと思っている単位ギリギリの大学生くらい浅はかですわね。警察の科学捜査? 貴方の魔法陣すら見つけられない彼らが、私が行使する魔法に気付けると思っているんですの?」

「はぁ? なんであんたの魔法の話が出てくるんだよ」

「はぁ? 私の魔法の話以外、なぜする必要があるの。……いいかしら。警察が来たらあの喧しい女使用人がまず詰めかけるでしょう。『助先生の推理によって既に犯人は判明しました!! 再現可能なトリックもありますッ!!』と。警察も馬鹿ではないですから、そんな与太話、最初は無視か話半分にしか聞かないでしょうね。けれど、魔法による犯罪に対して科学捜査など無意味。次第に事件への取っ掛かりが無くなり、藁にも縋る思いで『助々とんでもトリック』の再現実験を始めるはずですわ」

 真相は魔法による犯罪。

 『椅子の下から出現した火の玉に焼かれて死亡』なのだ。

 証拠など、警察はもとより常人には見つけられない。

 真実に近づけば近づくほど、真相への道筋が蜃気楼のように不確かで曖昧なものになっていくのを前にしたら、きっと私のとんでもトリックに縋りたくもなる。

 実はその蜃気楼こそが答えなのであることには、きっと誰も気付けない。


「実験の結果はどうなるか、わかるかしら?」

 コックは声も出せず、ただ目の前の令嬢を苛立たしげに睨みつけている。 

「私がいる限り、何回、何十回、何億回実験したところで助々のトリックは必ず成功しますわ」

 彼女の持つティーカップから、紅茶の雫が立ち上がり、重力に反して宙に浮く。

 黄金色の水球は厨房の灯りに照らされてきらきらと輝いていた。

「観念して私の質問に答えなさい。返答次第によっては貴方の処遇についても考えてあげますわ」

 水球はぽちゃんとカップに戻る。

「おいおい、それは聞いてないな。彼は警察に引き渡すに決まっているだろう」


「まずは最初の質問ですわ」

 私の訴えはいとも容易く棄却された。

「貴方は魔法が使えますわね?」

「イエス」

「正直でよろしい。私は従順な人間には慈愛を持って接しますわ。では次の質問。貴方はなぜ奥本氏を殺害したの?」

「…………。…………ご、ゴボッ!! ガボッ……!!」

「待て待て待て!! リターヌ嬢、きみ、短気すぎるぞ! すぐに彼を溺死させようとするな! そもそも、魔法は秘するものじゃなかったのか!?」

「魔法使いに対して秘するも何もないでしょう」

「確かにその通りかもしれないが、そうそう安売りしていいものでもないだろう。もし誰か覗き見ていたらどうするんだ」

「……なら助々、貴方は扉の前に立って入り口を塞いで置きなさい」

 彼女に命令されて仕方なく扉の前に立つ。

 触れてみてわかるが、金属製の分厚い扉である。

 扉に耳をつけても外側の音は全く聞こえない。一応これなら知らぬ間に話を聞かれていたという心配はないだろう。


「なら質問を変えましょう。貴方は自分の意思で奥本氏を殺害したの? それとも誰かに他の人間に依頼されて殺害したのかしら?」

「依頼された」

「誰に? どうして?」

「察してくれよ。それだけは何されようと俺の口からは言わない」

「まあ、いいでしょう。正直言って、誰が誰を殺したとか、殺すことで利益がどうとか、そんなものにほとほと興味ありませんわ」

 本題はここからですわ、と令嬢は言った。


「貴方も私と同じ、異なる世界からこの世界に来た人間ですわね?」

「……だったら?」

 その質問に対して、コックは初めて口を歪めて――笑った。

 状況にそぐわない奇妙な笑みだった。

 まるで目の前にある恐ろしい狂犬の影が、人の手で作った影絵であると気付いたような、そんな安堵が漏れ出ている。

 リターヌ嬢はそれに気が付いているだろうか。


「別にこの世界に魔法を使う者がひとりもいないとは思っていませんわ。実際、この国にも高度な魔法を使うことのできる人間が幾人かはいるでしょう。ですが、貴方の使う魔法は、私が元居た世界と同じ魔術体系にあると感じましたわ」

「ああ、あの魔法陣のことか?」

 私は二人の会話についていけない。

 言語としては母語である日本語が用いられているようであるが、単語も文章も私の脳内で意味を持ったモノになることが無い。むしろ、日本語であることがより一層理解を遠ざけているようにも思えた。

 地球外生命体が未知の言語で喋っていたほうが、まだ安心して聞いていられる。


「わかっているのなら話が早いですわね。私はあの魔法陣から、貴方がこの世界の外側から来た人間だと直感しました。だとしたら、知りたいことはただひとつ」

 彼女はカップをソーサーに置く。

「貴方はどうやって、、、、、この世界に来たの?」

 


「やっぱ、そこだよな」

 男は口元を一層歪めて答えた。

 長い前髪の間から覗く眼を細めると、黒目が拡張されたかのように瞳のなかは真っ黒に染まる。以前、黴臭い和綴じの本の中でこんな姿の妖怪の絵を見たことがあったのを思い出した。

 不気味さで言うならば、この男とその妖怪に引けを取らない。


「……あーあ、あんたたちにも食べて欲しかったなあ、俺の料理」

 唐突に、コックは世間話のような軽い調子で呟く。

「食べてみたらきっと驚く。美味いんだよ、俺の作る料理。金持ちに雇われているくらいだからそれなりに。なんせ、料理も仕事殺しも失敗したことないからな。どっちも取り掛かればまず最高のモノに仕上げられる。……なあ知ってる? 上手い料理を作る秘訣」

 さっきまで言葉少なだった男は、堰を切ったように語り始めた。

 語っていること自体はなんでもない内容なのに、なぜか悪寒が走った。

「お黙りなさい。貴方は私の質問だけに答えれば良いの」

「新鮮な食材に高品質な道具。レシピ通りの完璧な手順。真心を込めた丁寧な所作。ああ、どれもかなり良いセン、かなり正解に近い。でも一番大事なのは……」


下拵したごしらえ、だ。何より、入念な下拵えが上手い料理の秘訣なん……ゴホッ!!」

「黙れと言ったのが、聞こえなかったかしら?」

 リターヌ嬢の辞書に躊躇という文字は無い。

 彼の喉は再び水で満たされ、言葉は遮られた。

「……ごほッ! でさ、俺はさ……このコツを知ってるから、絶対失敗しないんだ」



「す、助先生ッ!!」

 聞き慣れない叫び声がして、びくりと身体が強張る。

 後ろの方、つまり厨房の扉を隔てた向こう側からした声だ。厨房の鉄扉の厚みを鑑みると、相当な大音量で発せられたことがわかる。

 焦燥感のある響きから、私は即座に扉を開いた。

 声の主は女中、茜空氏である。

 ちょこんと小さな体躯を使用人服に包み、怯えた表情で私を見上げていた。


「えっと、どうしたのでしょうか?」

 言い終わる前に、私はそれ、、気付いた。

 今は真冬である。

 山中にある邸宅なこともあって、暖房を焚かなければ快適には過ごせない。

 リビングと奥本氏の書籍はどちらも暖房設備があったため、十分な暖かさだったが、通路やこの厨房なんかはその恩恵がほとんど受けられず比較的底冷えする寒さである。

 なのに。

 なのに、通路から信じられないような熱気、、が、厨房へと流れ込んで来た。


「助先生、火事です!!」

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