第5話 賭博はなぜ悪いのか

 前回はお金のことについて書かせて頂いたが、今回もお金絡みで申し訳ないが、賭博、ギャンブルについてである。本連載は幸せな人生を送るにはが大きなテーマだが、そこに賭博、ギャンブルは避けては通れないものだと考えている。実際、小生の人生もギャンブルに翻弄された人生だった。自慢をしない主義の小生は、不幸自慢もしない主義であるため、詳しいことは書かないが、家族のギャンブルには苦しめられた。また、世の中には、自分はギャンブルをしなくても、家族、友人がギャンブルにのめり込み、人生を苦しめられている人が多数いる。

 その一方で、我が国には賭博罪といもの存在しているのだが、公営ギャンブル、スポーツくじ、宝くじ、警察は存じてないというパチンコと街中に存在している状況である。その昔は、ヤクザのしのぎで絶対悪だったものが、今は、ヤクザに取って代わった国や自治体が胴元をつとめTVをはじめとするメディアで宣伝までされている理解しがたい状況である。

 これではいくら家族がギャンブルは駄目ですといったところで説得力も糞もあったもんではない。

 賭博、ギャンブルはなぜ悪いのか?賭博罪で禁止されているからです。というのは全くもって説得力にかける状況である。

 しかし、世の中、賭博、ギャンブルを推奨する人はそうそういない。 なぜ賭博・ギャンブルは駄目なのか?

 まず、お金の方手式を思い出して頂きたい。


 収入=(幸せへの貢献度×リスク)×運


 収入というのは他人への幸せの貢献によって得られるものだが、この大原則をまず頭にたたき込んで、賭博の仕組みを紐解いてみると。

 賭博というのは何であれ、基本、親がいて多数の賭け子がいる。多数の賭け子は、親にお金を渡し、親はそこから手数料を取ってから、多数の子に賭けの結果に応じて、残ったお金を分配する。賭け子は、お金が増えたり減ったりする。ここで賭け子はお金を得ることができる事もあるのだが(収入)そのお金は幸せへの貢献なのか?そう、賭け事で得るお金というのは賭け子同士のお金の奪い合いでしかないのをお分かりいただけたでしょうか。一見賭け事は、親対賭け子に見られがちで罪悪感が薄れてしまうのですが、実は賭け子同士のお金の奪い合いでしかないのです。パチンコやカジノも一見、店対お客に見えるかもしれませんが、結局は客同士の奪い合いでしかないのです。

 他人からお金を奪う。良いことでしょうか?ほとんどの人は良いとは思わないし、ほとんどの人は街ゆく人からお金を奪おうとは思わないでしょうが、今、街に溢れているギャンブルではそれが行われている。

 それらを踏まえて、お金の方程式を見ると、賭博・ギャンブルで得るお金は、人の幸せの上に成り立っているお金なのか?答えはNOだろう。人の不幸の上に得られるお金である。賭博。ギャンブルで得たお金が残らないというのはよく聞く話で、宝くじが当たった人の末路に不幸が多きのも聞いたことがあるだろう。当然の末路で、収入の原理・原則から外れた方法なのだから。


 ただ、小生自身、賭博・ギャンブルは否定するが、賭博・ギャンブルをする人を否定したりはしない。個人の自由であると思うし、否定しない理由は、この連載のテーマである幸せになるためとだけ言っておき、次回詳しく理由を書きたいと思っている。

 

 何はともあれ、賭博・ギャンブルは人を幸せにしない。義務教育でも上記、賭博はお金の奪い合いだということをおこなって頂きたい限りだが、国家権力や自治体が権利をかこっているかぎり不可能だろう。自分達の身は自分達で守るしかない。


 幸せになるには、人を幸せにしないと幸せにはなれない。


 小生に言えるのは、これを踏まえた行動をとるのみである。


第5話:人生の塩梅

 人生には沢山の選択肢がある。合法だからという判断基準だけで選択するだけでは幸せは掴めない。その選択が他人への幸せに繋がるのか?こう自問しながら選択をする者が幸せに近づく。

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