🔳18話
咲の誕生日、学校帰りに都子が俺んちに寄ってプレゼントを渡す手はずになっている。
――「いきなり渡して驚かせたいの」
都子の希望から俺は口止めをされていた。
あいつにこんな遊び心があったのはちょっと意外だったけど、その遊び心はわからなくもない。
都子の狙い通りサプライズは大成功。
いや、それ以上だった。
妹は感極まって涙していた。普段飄々としている咲だけど実は結構涙もろかったりするのだ。
そんな咲におろおろと慌てていた都子はちょっと新鮮だと思った、本人には申し訳ないけど。
その後、咲の提案から俺と都子と三人で軽いパーティーを開くことになる。ちなみにお菓子とジュースは俺持ちだ……解せぬ。
とっぷりと日が暮れたころパーティーはお開きとなり、俺は都子を家まで送っていくことにした。
楽しかったのだろう、隣を歩く都子が上機嫌なのは雰囲気で伝わってくる。
先ほどまで咲が賑やかだったのもあって、帰り道の静けさがより際立っていた。そして、それは嫌でも現実へと引き戻した。
あと二日で五月が終わる――……。
それは都子が交わした“例の約束”の期限でもあった。
俺と都子がまた幼馴染に戻るためには何か足りない。
……ただ、肝心なその何かがわからないでいた。
一緒に下校したり昼休みを過ごそうが、休日に買い物に行こうが、こうして妹の誕生日を祝おうが――拭いされない違和感が影のようにぴったりと俺の背後に張り付いていた。
まだすべてやり切ったなんて言いたくはないけどこれ以上なにをすればいいのかなんてわからなかった。
……もしこのまま期限が過ぎてしまったら俺はもう二度と都子には話しかけたりできない。
そういう条件だ。
………………心はもう折れかけていた。
分かれ道に差し掛かったところだった。
隣を歩いていた都子が止まる。
「ねえ涼川くん」
「……ん?」
俺は期限間際で頭がいっぱいになっていて、つい上の空になってしまっていた。
あれ? ここって――。
都子が送っていくときに通っている道とは反対を指さす。
「今日はこっちから帰りましょう」
「え――」
瞬間、心臓を鷲掴みにされたような感覚が襲った。
都子は俺の返事を聞くことなく先へと進んで行ってしまう。
「あ、柊さん。ちょ、ちょっと待って――」
ひとりにするわけにもいかない。
俺はあいつの後を追った。
「……」
「……」
会話はなかった。
少し前を歩く都子の背中を俺は黙って付いて行く。
ある予感に俺の心臓はバクバクと早鐘を打っていた。
そして、その予感は確信へと変わる。
また、都子がまた足を止めた。
「ここ。寄っていきましょうか」
そう言って指さしたのは竹林に挟まれる古びた石畳の階段だった。
この先に何があるのか、俺も都子もわかっている。
……やっぱりそうなるよな。
長いながい階段を上がっていく。
すると、そこには少しくたびれた鳥居があった。
そう――……。
ここは昔、俺と都子が遊び場に使っていた小さな神社だった。
それはつまり、俺が都子に絶交を突きつけた場所でもある。
無人の境内をぼんやりとしたクリーム色の街灯が頼りなく照らしている。
「……懐かしい」
都子がしげしげと周りを見渡しながら中腹へと歩いていく。
俺は入り口に立ち尽くし、その離れていく背中を見ていた。
俺たちにとってここは色々な意味でトクベツな場所だ。
ただなんとなく思い出したから寄ってみた、なんてことはないはずだ。
ここに来たのにはきっと大きな意味がある。
そして、今の俺たちにとってそんなものひとつしかなかった。
終わりなんてものは突然訪れるものだ。
あの分かれ道をこちら側に進んだとき、予感はあった。
都子は終わらせるつもりなのだ、あの約束を。
「涼川くん」
呼びかけてくる。
そして、ゆっくりとこちらに向き直り、
「私たち幼馴染に戻れたと思う?」
真っすぐに見つめてくる。
「……っ」
俺はその視線に耐えられず逃げるように顔を伏せた。
情けない顔をしてたと思う。
都子の問いかけに俺は答えることができなかった。
でも――それが答えになってしまっていた。
まだ期限は少し残ってるなんて抗議する気はない。
そもそもここまで俺のわがままにつき合ってくれただけでも都子には感謝しかなかった。
――もう、ここまでだった。
結局、俺は足りなかった何かを俺は最後まで見つけられなかった。
ああ……そうだ。
せめて約束守れなかったことは謝らないと――。
「柊さん。俺はこんなこと言える立場じゃないんだけど、その、ここまでつき合ってもらったのに――」
「……ベンチ」
俺の言葉を遮って都子が言う。
「え?」
ベンチ……?
都子が拝殿の横を指さしている。
「あそこ。なくなったのね」
「……そうみたいだね」
言われてみれば確かにそうだった。
でも、今そんな話をするんだろうという疑問が頭の中を過った。
最後の別れくらいきちんと言わせてくれてもいいのに――。
そんな思いが胸の中でくすぶる。
そんな俺を余所に都子はベンチのあった拝殿横へと歩を進める。
「よく座ってたわね……涼川くんがゲームしてて私が横でそれを覗いてて。覚えてる?」
「あー……うん。あったね」
「ベンチ。いつ撤去されたのかしら」
「どうなんだろう……。ごめん、ちょっとわからないや」
とりとめのない会話が続いた。
もう決着はついたのだから都子はすぐにでもこの場を後にするものだと思っていた。
都子は一体何が言いたいんだ……?
覚悟していたものとは違った要領の得ない展開に、得体の知れない不安が徐々に大きくなっていく。
都子が俺へと向き直った。
そして目と目が合う。
「涼川くん。貴方、ずっとこの場所を避けていたでしょ」
「え――?」
突然、言い当てられて困惑する。
「私が久しぶりに涼川くんのお家に行った日のこと覚えている? 帰りに送ってくれたとき、貴方は『工事中だから』って違う道から帰ったでしょ。でも本当は工事なんてしてなかった」
「それは……」
そう、たしかにあのとき俺は咄嗟に嘘をついてしまった。
「私とさっきの道を通ったら絶対に神社の話になるものね」
これも都子の言う通りだった。
騙したことを怒っているのだろうか……?
でも、ここにきて今さらそんな話を蒸し返す意味は俺にはないように思えた。
俺が答えられずにいると、
「やっぱり――」
都子の声が震え、瞳が大きく揺らいだ。
そして。
「やっぱり貴方もあのとき辛かったのよね。ごめんなさい」
次の瞬間。都子が深々と頭を下げた。
………………は?
――わからなかった。
都子が謝る意味が。
俺も辛かったという意味が。
都子が俯いたまま制服のスカートを握りしめている。これは都子が本当に辛い時に見せる小さい頃の癖だった。
その姿に堪らなく焦る。
俺はもう――っ。
これ以上都子を傷付けるわけにはいかないのだ。
「い、いきなり何言ってるんだよ。あのとき……? もしかして俺が絶交しようって言ったこと? だとしたら柊さんには謝らなきゃいけないことなんてないじゃないか」
そうだ、あの絶交は俺のエゴ。
一方的に突きつけて滅茶苦茶に都子を傷付けた俺の罪。
今となっては事情なんて汲む必要はない。
俺の言葉を否定するように都子がかぶりを振る。
「ううん。違う。五年前のあの日、ここで私は貴方に拒絶された。それがショックで私は貴方を強く憎むことでしか自分を保てなかった。自分が傷付けられたことしか考えられなかった」
都子が唇を噛みしめながら絞り出すように続ける。
「……絶交を突き付けなきゃいけなかった貴方の気持ちを考えることなんて思いつかなかった」
「俺の……気持ち?」
「霧島くんから中学校の頃の話を聞いたわ。ずっと責任を感じていたから周りに壁を作っていたんでしょ? この神社の前も通れなくなるほど傷ついていたんでしょ?」
考えが追い付かなかった。
胸のあたりがまるで古傷が開いたかのようにずきずきと痛む。
俺が傷ついていた……?
ずっと蓋をして抑え込んでいた本当の気持ちに脳が悲鳴を上げる。
「今回のことだって私は自分のことしか考えていなかった。怖かったの。貴方のことを幼馴染だなんて認めてしまったら『もう誰も信じない』って心に決めた自分を否定することになるから。だから私は自分に嘘をついた」
都子が俺へと歩み寄り、両手を俺の頬へと添えた。
「柊さん……?」
「でも、白状するね」
緊張で冷え切った俺に都子の温もりが広がっていく。
「最初に放課後呼び出されたとき本当は嬉しかったの」
「一緒に下校できて嬉しかった」
「お昼ごはんを誘ってくれて嬉しかった」
「真ん中記念日のこと覚えてくれて嬉しかった」
「久しぶりにお家に遊びに行けて嬉しかった」
「一緒に中間テストの勉強できて嬉しかった」
「一緒に買い物に行けて本当は嬉しかった」
都子がまるで宝物を愛でるようにひとつひとつ言葉を紡いでいく。
「貴方はどうだった?」
「俺は……俺は……っ」
そうだ――……。
俺はそこで今まで足りないと思っていた何かに気付いた。
この一か月、俺は本当に楽しかったんだ。
都子のために幼馴染戻りたかったんじゃない。
俺自身が都子と幼馴染でいたかったんだ。
俺はずっと寂しかったんだ、都子と絶交して。
涙が止まらなかった。
「都子……ごめん……あのときは本当にごめん」
「私の方こそ貴方に頼りきりだった。ごめんなさい、ハルくん」
お互いに懐かしい響きだった。
都子が自分の額を俺のそれにやさしく触れてくる。
「俺、都子と仲直りがしたい……っ」
「うん。私も」
こうして、俺たちは“本当の仲直り”が出来たのだった。
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