🔳14話

「おねーちゃん。いらっしゃいませー」

 リビングにいた咲が出迎えてくる。

 先日、都子が涼川家に来た時にふたりはちゃっかり連絡先を交換していたらしい。

 そして今日の昼休み、俺が教室に戻った後に咲から都子に「勉強おしえてー」とのラインがあって――……今に至るというわけだ。

 てか、話を聞いた感じけっこう頻繁にやり取りしているっぽい。

 ……咲のやつめ、マジで俺のこと変に言ったりしてないだろうな。

 都子たちはお喋りをしながら勉強の準備をしているので(と言っても咲が一方的に話しているだけなのだが)、俺はその間に飲み物でも持ってくることにした。

「オレンジジュースで良かった?」

「……ありがとう。そんな気を遣わなくていいのに」

「このくらい全然。なんかうちの妹が無理言っちゃったみたいで悪いね。お前な、柊さんに迷惑かけるなっての」

「だって明日のテストでわからないところがあったんだもん。おねーちゃん、迷惑なんかじゃないよね」

「ええ。もちろん」

「わーい。おねーちゃん大好きー」

 隣に座る都子の腰に抱きつき頬ずりをしている咲。

「……」

 なでなでなでなでなでなでなでなで。

 そんな妹を都子が無言で撫でまわしている。表情にはあまり出ないもののまんざらでもなさそうだ。

 都子の膝で「うにゃー」ととろけていた咲が言ってくる。

「それにこれはおにぃのためでもあるだからね」

「俺の?」

「ほら。そろそろ中間テストだってぼやいてたじゃん。高校入っていきなり赤点なんて取ったらまたママにどやされるよ」

 我が家の教育方針は他の家庭に比べてもかなり自由奔放なほうだと思う。ただ、ひとつだけ約束がある。それは定期テストでは赤点を取らないこと。これは単に世間体が悪いからとかではなく、「社会に出ればやりたくないことだってやらなきゃいけなくなるのだから学生のうちに要領よく生きるコツを覚えなさいよ」ということらしい。夢を叶えて漫画家になった両親だが、漫画だけ描いていたわけじゃない背中を見て育った俺としては中々に説得力のある言葉だった。

 と、まあちょっと良い話になりそうだが断じて違う。

 以前、俺は解答欄をひとつずらして記入するというミスで赤点を取ってしまったのだが、そのときは弁解の余地なく満面の笑みの母さんから“キン肉マン48の殺人技”を一通りかけられた。原作で明かされている技が半分くらいしかなかったからまだよかったものの何度か三途の川を渡りそうになった。

 要するに赤点=命がヤバいということだ。

「おにぃ。テスト危ないかもって言ってたよね」

「う……っ」

「だ・か・ら・さ。おねーちゃんに教えてもらえばいいじゃん」

「柊さんに……?」

 たしか楓から聞いた話では都子は中学校では学期末テストで全科目一位だったな。

 教えてもらえるなら正直助かるんだけど――……。

 横目で見ると都子と視線が合った。

「……私は構わないけど」

 ふいっと視線を外し、横髪を撫でながら言ってくる。

 こうして急遽、俺も都子に勉強を見てもらうことになった。


「不安な教科とかあるのかしら?」

「実は数学がちょっとヤバいかも。ちょっとノート取れなくてさ……」

 都子が察したように頷く。

「そうね。あの先生、走り書きで読みづらいわね。それにわかっていること前提だから授業スピードは速いし説明も不十分。仕事が雑すぎると思うわ」

「数学好きなんだなー、とは伝わってくるけどね」

「でも教師向きじゃないわ」

 中々に手厳しい。

 でも葉に着せぬ言いっぷりは都子らしいと思った。

「そうね。テスト範囲に入る前にまず二次関数の復習から始めましょうか」

「そうしてもらえると助かります……」


 ……。


 …………。


 ………………。


 お世辞抜きに都子の教え方はお世辞抜きにわかりやすかった。

 ポイントを絞ってくれているので主旨が明確。具体例を交えて説明してくれるし、トピックごとにオリジナルの問題を作ってくれるので知識が定着している実感がある。

 都子はもしかしたら学校の先生なんか向いてるかもしれない。

 一時間後、切りの良いところまで進んだので少し休憩することになった。

「ふぃ~~~~。ちょっとおやつ取ってくる」

 咲がフラフラとした足取りでリビングから退場していく。

「すごい頑張るのね、咲ちゃん」

「あー……あれね。なんか近々誕生日だからテストで良い点取ってプレゼントはずんでもらおうって作戦らしい」

「誕生日?」

「そう。五月二十六日。毎年一か月前から誕プレアピールしてくるから嫌でも覚えちゃったよ」

「なんだか咲ちゃんらしいわね」

 都子が口元に手を当てて微笑む。

 リビングには俺と都子のふたりきりだ。

 静寂がおとずれ、ふと楓の言葉が脳裏を過った。

 ――「それってボクから見たらただの幼馴染だと思うけどね」

 たしかに客観的には俺と都子は良好な関係に見えるかもしれない。

 今日だって勉強まで教えてくれている。

 ただ、それでも――……。

「どうかした?」

「え――」

 声をかけられはっと我に返る。

 どうやら気付かないうちに都子のことをじっと見てしまっていたらしい。

(俺たち幼馴染に戻れたのかな?)

 そう尋ねたかったけど声にならなかった。

「……?」

 不思議そうに小首を傾げる都子。

 何か言わなきゃ、そんな焦りから俺は慌てて話をひねり出した。

「いや、なんというか柊さんに勉強教えてもらうようになったのが新鮮だなぁと思って」

 瞬間、都子の瞳が大きく揺らいだ。

 やば――っ。

言ってしまった後に迂闊だったと気付く。

 小学校の頃の都子は勉強が出来る方ではなくむしろ俺が教えていたぐらいだった。

 おそらく相当努力を重ねたのだろう。

 勉強だけじゃない。

 高校に入って再会した都子は頼りなかった面影はなく、周りから一目置かれる存在に変わっていた。

 しかし、人間不信から孤立するようにもなっていた。

 その原因は俺との絶交だ。

 今の一言は張本人である俺が言って良いものではなかった。

「今のは違ったよね……ごめん」

「……別に構わないわ」

 そう言ってくれてはいるが都子は顔を伏せてしまう。

 重苦しい沈黙がリビングに落ちる。

「じゃーんおかし持ってきたよー。やっぱ勉強の後は甘いものでしょー」

 そこに両手で菓子袋を抱えた咲が戻ってきた。

「……」

「……」

「あり?」

 妙な空気を察したのかぱちくりと瞳を瞬かせている。

「もしかして咲がいない間になにかあった?」

「あー、いや……」

 言い淀んでいる俺の代わりに都子が首を横に振った。

「気のせいよ。何でもないわ」

「ほんとにぃ? えっちぃことされてない? おにぃが変な事したら遠慮なく言ってね。一週間ご飯カリフラワーの刑に処すから」

 談笑しているふたりを見て俺はほっと胸を撫で下ろした。

 ――『それってボクから見たらただの幼馴染だと思うけどね』

 楓はああ言ってくれたけどやはりなんか違う……。

 正体はわからないもののそう思うに至る違和感。

 そんなものが俺と都子の間には確かにあった。

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