🔳12話

「そう言えばさ、俺の妹のことって覚えてる?」

 週明けの月曜日、帰り道で尋ねてみる。

「ええ。咲ちゃんでしょ。たしか五つ年下だから今は小学五年生じゃないかしら」

「そうそう。よくそこまで覚えてるな」

「仲良しだったんだから当然でしょ」

 今の都子から“仲良し”なんて言葉が出てきたことに驚いた。

 そう言えば小学校の頃、都子の後ろを咲がカルガモの親子みたいに付いて歩いてたような気がするな。

「それで? 咲ちゃんがどうかしたの?」

「あー、それがさ。この前、柊さんと同じクラスだって話したら『今度連れてきて』ってうるさくてさ」

「涼川くんのお家に?」

 怪訝な表情で尋ねてくる。

「そうなんだけど……」

 俺と都子は現状かなり特殊な関係だ。なんせつい先日までこれでもかと言うほど恨まれていて、今は失った信頼を取り戻そうとしている最中。

 気軽に家へと招いて良いような立場かと言われると疑問しかない。

 しかも不可抗力とはいえ仲の良かった妹をダシに使おうとしているみたいになっているのだから都子としては良い気持ちはしないはずだ。

 顎に手を当てて神妙な表情をしている都子に、俺は慌てて言葉を補足した。

「あ、いや、別にぜんっぜん無理しなくていいからさ。咲には俺の方からうまく言っておくから断ってくれても――」

「……行く」

 都子が小さく首肯する。

 そりゃそうだ。普通に考えて行くに決まってるわな……。

 ん? 今、来るって言わなかったか?

「行くわ」

 どうやら聞き間違いではなかったらしい。

「……マジ?」

「柊くんたちの都合が良ければ今日にでも」

 しかもフットワークがめっちゃ軽い。

 よほど妹に会いたいのか、都子がキラキラした瞳でじっと見上げてくる。最近割と一緒にいるがこんな表情見たことがない。

 すげー予想外。

 ……でも、これはチャンスかもしれないな。

 ――「俺はまた柊さんと幼馴染になってみせる」

 最近、一緒にいる機会は増えたものの幼馴染に戻るためには決定的な何か(・・)が足りないと感じていた。

 約束の期間ももう半分以上過ぎてしまっている。

 もしかしたらきっかけが掴めるかもしれない……。

 やれることは全部やっとこうぜ、俺。

 妹に連絡をとってみたところもう帰っているらしい。

 こうして急遽、都子を自宅に招くことになるのであった。


「涼川くんのお家、懐かしい。変わらないわね」

 そんなわけで都子を連れて自宅まで戻ってきた。

「まあ昔のまんまだからね。少しくたびれてきてるけど」

 財布から鍵を取り出し、開錠する。

「それじゃどうぞ」

「……ええ。お邪魔します」

 家の中に促すと、都子は少し緊張した様子であたりを見回していた。

玄関棚の上に飾ってあったスノードームに目を止めて「懐かしい」と呟いているのが聞こえる。あれは小学校の課外授業で長野県のスキー教室に行ったときに買ったものだ。

「ただいまー」

 俺が呼びかけると廊下の先のリビングから「あー」とも「うー」とも聞こえるうめき声のようなものがして、咲がのっそりと出てきた。

 いつものルームウェア姿で手にはカップアイス、口にスプーンをくわえている。たぶんソファーでだらけていたのだろう、容易に想像できる。

「お前な。こんな時間にアイスなんか食ってまた夕飯入らなくなるぞ」

「やだなぁ、おにぃ。女の子にとってアイスは別腹なんだよ。それよりさっきのライン何だったの――て、誰かいるの?」

 小首を傾げながら尋ねてくる。

 都子はなぜか俺の背中に隠れるようにしていた。しかし観念したのか。おずおずと出てくる。

「ひ、久しぶり。咲ちゃん」

「………………オヒサシブリデス?」

 今度は反対側に首をかくりとしている。

 たぶんこいつ都子だってわかってないな。

 まあだいぶ変わったから無理ないけど。

「ほら。この前話しただろ。咲が会いたいって言うから――」

「え!? もしかして都子おねーちゃん!?」

 駆け寄ってきた咲が訝しげに確認している。

「わ! わ! ほくろの位置とか同じ! ホントにおねーちゃんじゃん!」

「そ、そんな驚かれるほどかしら」

「そりゃ驚くよ! すっごく美人になった! 咲はずっと素質あると思ってたけど、いやー、これはおねーちゃんの可愛さバレちゃったね」

「……咲ちゃん揶揄わないで。そういう冗談は慣れてないの」

「えーホントにそう思ってるのに。まあいいや。ささ、上がって上がって!」

 咲が都子の後ろに回ってぐいぐいとリビングへと押していく。

 普段から小学生にしては大人びている妹がここまではしゃぐのは珍しい。よほど嬉しかったということだろう。

 こういう年相応な姿は兄として見ていて悪いものじゃなかった。都子を連れてきて良かったと素直に思う。

「いやーいきなり来るんだもん。びっくりしちゃった」

「ごめんなさい。涼川くんから話を聞いていてもたってもいられなくなって」

「涼川くん? おねーちゃんっておにぃのことそんな風に呼んでなかったよね?」

「それは……」

 都子が言いよどむ。

「咲。そんな細かいことどうだっていいだろ。あんまそのー、柊さんを困らせるなよ」

「柊さん……? ふたりとも他人行儀でどうしちゃったの?」

 今の俺と都子は昔のような幼馴染の関係ではない。

 誤魔化そうと思ったのだがなんと言って良いやらわからなかった。いや、俺が勝手に誤魔化していいのかも微妙なところだ。

 かと言ってことのあらましを説明するわけにもいかず――。

「……」

「……」

 都子も黙ったままだった。

「……おにぃ。お菓子」

 変な間が空いてしまったところ咲が突然言ってくる。

「は?」

「お茶請けだよ、お茶請け。切らしてたから買ってきて」

「咲ちゃん。そんな気を遣わないで」

「いーのいーの。咲、おねーちゃんとお話したいし、色々と。そのときにおにぃがいてもお邪魔なだけだしね」

「邪魔って……おいおい」

「なぁに? おにぃは女の子だけの話に混ざりたいの?」

「いや、そんなことはしないけど……」

 素早くリビングからメモ帳の切れ端を持ってくる咲。さらさらと書き込んでから押し付けてくる。

「じゃあよろしくね☆」

 にっこりとスマイル。

 だが目が笑っていない。

 こういう時の咲には逆らわない方がいいことを俺は長年の付き合いで知っていた。

「………………行ってきます」


 ……。

 …………。

 ………………。

 最寄りのファミマで買い物を済ませて帰ってくる。

 ったく兄貴をパシるなんて咲の奴め。

 しかもお茶請けってこんなにたくさんいるか? てか、この『ハーゲンダッツ×1』とか明らかにあいつ用な気がするんだが……しかも全部俺持ちだし。

 不満に思いつつもリビングのドアを開ける。ふたりはカーペットに座って咲がよく読んでいる小学生向けのおしゃれ雑誌をテーブルに広げていた。

 どうやら女子だけの話というのはもう終わっているようだ。

「おーい、買ってきたぞ」

「あ。おかしー」

「お菓子じゃねぇ。まずはお兄様を労いなさいっ」

「ねぇおにぃ! 見て見て!」

 俺の話を華麗にスルーしながら咲が立ち上がってくるりと回り、片手でピースを作って目元に当ててポーズを決める。

「……何を?」

「もうっ! 咲の顔だよ! メイクしてるでしょっ」

「メイク?」

 ん~~~~? 

 言われてみればたしかに頬と唇がほんのりピンクに色づいている。

 目元も心なしかぱっちりしているような気がしなくもない。

「都子おねーちゃんにしてもらったんだ」

「柊さんに?」

「わざわざ買い物に行かせてしまってごめんなさい」

「いや、こっちこそなんか咲がメイクしてもらったみたいで悪いね」

 テーブルにはシンプルな化粧ポーチが置かれていた。

「こういうも持ってるんだね。ちょっと意外」

 隣に腰を下ろしながら言うと、都子が軽く肩を竦める。

「自己防衛みたいなものね」

「自己防衛?」

 楽し気なイメージだったメイクとは真逆の単語が都子の口から飛び出した。

「涼川くん知ってる? 女子は大人しそうって思われるだけで態度を変えてくる人や駅でわざと肩ぶつけてくる人がいるのよ」

 煩わしそうに「ちっ」と舌打ちする。

 おそらく実体験なのだろう。

 都子からは闇のオーラが溢れている。

「それは……大変だな」

「だから侮られないために必要最低限は出来るようにしているの」

「おねーちゃんメイクすごく上手だと思うけどなぁ。今だってばっちり決まってるし」

「へぇ。そうなんだ」

 今まで全然意識してなかったがよく見ればたしかに都子は薄く化粧していた。

 たぶん髪も手入れしているのだろう、髪も艶やかで枝毛ひとつなさそうだ。

 そのとき――。

「……涼川くん、その、」

 ばちり。

 目と目が合って火花が散ったような感覚を覚える。

 慌てて視線を切った。

「ご、ごめん! こんなに見られたら気持ち悪いね」

 いかんいかんっ。

 どうも小学校の時と同じような距離感で接しちゃうことあるよなぁ……これは反省だ。

「そうじゃなくて……少し恥ずかしかっただけ」

 都子が横髪を一束取って落ち着かないように撫でつけている。

 横を向いてしまった都子の耳はリンゴのように赤くなっていた。

「おねーちゃん今度はもっと派手なメイクしてー」

 卓上ミラーと睨めっこしていた咲が都子に抱き着く。

「……うん。いいよ。一応、そういうのも一通り揃えてるから」

「わーいやったー」

 そそくさと準備をし始める。

 都子がメイク……ねぇ。

 髪をひっつき虫だらけにして笑ってたあの頃からは想像もつかなかった。

 でもそうだよな。

 もう高校生なんだからそりゃ変わるわな。

 メイクだってできるようになるか。

 その後、時折雑談を交えながら俺は都子が咲にメイクするのを眺めていた。


「それじゃまたね、おねーちゃん」

 玄関でぶんぶんと手を振る咲に見送られながら家を後にする。もう日が落ちてしまっていたので俺は都子を送っていくことになった。

「咲ってばホントお喋りだよなぁ。こんな時間までつき合わせちゃってごめんね、柊さん」

「いいの。私も楽しかったし」

 都子が小さく鼻歌を口ずさんでいる。

「そう言えば俺が買い出し行っている間、咲と何話してたの?」

「……秘密」

 ぐっ……そんな風に言われると余計気になる。

 咲のやつめ、俺のこと愚痴ってたりしないだろうな。

 俺がよほど神妙な顔をしていたのか、都子はくすりと笑う。

「別に大したことじゃないわ。これからも仲良くしましょうってなっただけ」

 そんな話をしていたらある分かれ道に差し掛かった。

 あ。ここは――。

「こっち」

 流れで反対側の道へと進もうとしていた都子を俺は制止した。

「え……?」

「そっちの道今工事中なんだよね。こっちに新しく道ができたからそこから帰ろうか」

「そう……なの」

 やや強引に切り出し過ぎたか都子は少し唖然としている。

 道が新しく出来たのは本当だ。

でもどちらから帰っても実は大して時間は変わらない。

 俺は反対側の道を通りたくなかった。

 だから、俺はこの日小さな嘘をついた。

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