🔳11話

「おにぃ。出かけるの?」

 日曜日、玄関で靴ひもを結び直しているところ声をかけられ振り返る。

 栗色の髪をシュシュで結ったサイドテール。

 愛嬌のある大きな瞳。

 幼い少女特有の薄い肉付きの身体にキャミソールとショートパンツのルームウェアを着ている。

 こいつは小学五年生の妹、涼(すず)川(かわ)咲(さき)だ。

「おー。ちょっと走ってくる」

「またぁ!? 最近休みの日は毎回だよね。しかも夕方くらいまで帰らないし」

「平塚まで行ってるからな」

「なにそれちょー遠いじゃんっ。え? おにぃってフルマラソンでも目指してるの?」

「いや、別に」

 何か目的があるわけじゃない。ただ走るだけ。走ることで頭がいっぱいになるあの感覚が好きだった。

「あー、ただのマゾか」

「こら咲。お兄ちゃんを嗜好がちょっとユニークな人のよう言わない」

「はいはい~」

 こ、こいつ完全に聞き流してやがる。

 最近妹からの扱いがぞんざいな気がするぜ……なんかちょっと悲しい。

「じゃあ咲、人形焼きでいいから」

「は?」

「平塚まで走るんでしょ? 駅前で売ってるから買ってきて。もちろんおにぃのおごりで」

「馬鹿言ってんじゃないよ、キミ。買ってきてやってもいいけど自分のお小遣いで買いなさい。咲はまだもらってるだろ」

「あーなんか最近家事が忙しくて疲れたまってるなー。甘いものでもあれば元気になるんだけどなー」

「く……っ」

 それを言われるとぐうの音も出ない。

 うちの両親は夫婦で漫画家をやっており、仕事場は近くにあるものの超多忙で家には全然寄り付かないでいた。ちなみに締め切り前の“修羅場”という時期には俺もよく駆り出されている。

 そんな両親に代わり家事全般やってくれているのが咲だった。俺も手伝おうとはしたが妹いわく「じゃま」とのこと。あえなく戦力外通告されてしまい、ほぼ雑用しかやらせてもらえない。

 と、言うわけで俺は咲には頭が上がらなかったりする。

「い、いつもがんばってる咲に人形焼きプレゼントさせてください」

「かわいい咲ちゃん。はい」

「……いつもがんばってるかわいい咲ちゃんに人形焼きプレゼントさせてください」

「きゃー。ホント!? おにぃ大好きっ」

 俺の首に手を回してぶら下がるようにして抱き着いてくる。

 これだけ喜ばれると打算だとわかっていても悪い気はしない。

 キャバ嬢に貢いじゃうオトナの気持ちってこんな気持ちなんかな……我が妹ながら末恐ろしいぜ。

 てか、学校では男子は放っておかないんじゃないか? 彼氏とかお兄ちゃんの目の黒いうちは許さんからな。

「それにしてもおにぃってば寂しい休日だよね。せっかくの高校生の無駄づかいだよ。咲だったら友だちと遊んだりとか――あっ」

 咲が慌てて両手で口を塞ぐ。

「おい。その“やっちゃった”みたいなやつやめろ。マジっぽくなるだろ」

 人形焼き買わずに帰ってきてやろうかな。

 ちょっと悔しかったので見栄を張ってしまう。

「あのなぁ。俺にだって友達はいるっての」

「楓くんだけでしょ?」

「ふっふっふ。甘いな、咲。いつまでもボッチな兄だと思うなよ。いるんだなー、もうひとり」

「へー良かったじゃん」

 反応うすっ。

 それどころか慈悲のこもった眼差しで見られてしまう。

 なんか冷たくあしらわれるより逆に心が痛いんだが……。

「まあ友達とはちょっと違うんだけどさ。ほらお前も知ってるやつだぞ」

「咲も?」

「幼馴染の都子。少し前にこっちに戻ってきたんだってさ」

「えーーーー!? 都子おねーちゃん!?」

 先ほどと違って素で喜んでいる咲。

 まあそれもそのはず。小学校の頃、両親が留守にしている関係から都子と俺んちで遊ぶことが多かった。そのときによく面倒を見てくれていたこともあって咲は都子にとても懐いていたのだ。

 しまった……っ。

 話の流れで自分から言ったことだがすぐに失敗したと気付いた。

 今、俺と都子の関係はひじょーにセンシティブなものになっている。

 しかし、そんなことを知らない咲は当然――。

「咲も都子おねーちゃんに会いたいっ。今度連れてきてっ」

 ……と、こうなるわけだ。

「ま、まあ誘えたら誘ってみる」

「なにそれ! 絶対誘わないやつじゃん! 咲にはそんなの通用しないから。連れてきてくれるって約束したからね! 約束破ったら本気で怒るから」

 ぐっ……これはマジなやつだ。

 以前、咲を怒らせてしまったことがあったのだが、その時は一週間俺だけゴーヤ料理が続いた。

 これは今度都子に聞いてみるしかないな……。

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