🔳7話

 ここは俺の通っている藤沢市立西高校の正門前通り。春のうららかな陽気の中、並木の桜から舞い散る花弁が陽光に反射してキラキラと輝いている。澄んだ空気も相まって気持ちの良い朝だった。

 登校する生徒たちも心なしかご機嫌に見えなくもない。そして俺はというと――……ゾンビのようなふらふらとした足取りで歩いていた。

 不意に肩を叩かれる。

「おっはよ。ハルト――ひっ」

 追い越しながら俺の正面へと回り込みこんだ楓が後ずさる。

「人の顔を見て悲鳴を上げるとは失礼な奴め。これだから顔面偏差値の高い奴は」

「いやいや、そうじゃないでしょ。どうしたの、目の下のクマ」

「んー……ちょっとな」

 大きく欠伸をしながら答える。

 そう、俺は何を隠そう俺は昨日から一睡もできないでいた。

 その原因は、

 ――『俺はもう一度、柊さんの幼馴染になってみせる』

 という昨日の宣言だ。

 あの時は必死だったからとりあえず約束を取りつけたことに安堵してたけど冷静になって考えてみると目標達成までのハードルは途方もなく高い。

 なんせ一度絶交した相手から信頼を勝ち取らなければいけないのだ。

 具体的にどうすればいいのかなんて簡単に思い浮かぶわけもなく……気がついたら夜が明けていたというわけだ。

 そもそも自分で言っといてなんだが「もう一度幼馴染になる」というのが意味不明だ。

 幼馴染ってなに? どうなったら幼馴染? 幼馴染んでいるのと馴染んでいないボーダーラインってあるの? もうね、幼馴染っていう単語がゲシュタルト崩壊起こしてよくわからなくなってるんだが。

 と、昨日の迷走は置いといてだ。何も思いつかないからって今の都子を放っておく選択肢は俺にはない。それだけは確実に言える。

 自分だけではちょっと手詰まりだよなぁ……。

 そう思って楓に尋ねてみることにした。友好関係の広いこいつなら良いアドバイスをくれるかもしれない。

「なあ楓。人と仲良くするためにはどうしたらいいと思う?」

「え? なんからしくないこと訊いてくるね。ハルトってそういうの興味ないのかと思ってた」

「あのな。俺は別に好きでボッチでいるわけじゃないぞ。ただ自然とそうなっちゃうだけだ」

「逆ならかっこいいのにね~」

 ごもっとも。

 自分で言ってちょっと空しくなった。

 そんな俺を余所に楓が顎に右手の人差し指を当てながら「んー」と考えるように宙を見つめる。

「期待にそえなくて悪いけど絶対に人と仲良くなれる方法なんてないんじゃない?」

「はー身も蓋もねー」

「だからごめんって言ってるじゃん。だって賑やかなのが好きな人もいれば静かなのが好きな人もいるわけだし。それだって気分とかによっても変わってくるものだしさ。正解なんてないってば」

「ぐ、むむ……っ」

 たしかに……。

 やはり(友達を)持てる者の言葉は説得力が違う。

「はぁ……やっぱ一筋縄にはいかないってことだよな。どうしたもんかな――あ」

 正門をくぐったところ、遠くの昇降口辺りに都子の後ろ姿を見つけた。

 昨日あんなことがあった後だ。都子が今どう思っているのか気にはなる。

 声を掛けていいとは承諾があったものの、昨日のことがあったからこそなんて声をかけていいのかわからなかった。

「もう一度幼馴染になる」なんて意味不明なことを言って都子の傷を広げてしまったんじゃないのか。

 怒らせてしまったんじゃないのか。

悲しませてしまったんじゃないのか。

 不安が頭を過る。

 俺は、本当に都子の傍にいてもいいのか――……。

「………………」

「なんかぐだぐだ考えてる感じだね~」

「え? あ、いや……」

 図星だった。

 そんなわかりやすい顔してたのか、俺。

「仲良くなる方法なんてわからないけどひとつだけ確かなことはあるよ」

「確かなこと?」

「挨拶は大事。小学校でも習ったでしょ」

 楓が背中をぽんっと軽く押してから視線を昇降口の方へと向ける。

「ほら当たって砕けろだよ。ハルト、それなら得意じゃん?」

 どうやら先ほどの話が都子の件だとバレバレだったらしい。

 相変わらず鋭いやつだ。

 人のことを特攻するしかない脳筋扱いはやや納得いかないが、それ以外は楓の言う通りかもしれない。

 正解わからないならやるだけやってみるだけだ。

「ありがとな楓。ちょっと行ってくるわ」

「はいはい。骨は拾ってあげるからね~」

「縁起でもねぇなっ」

 走って追いかけると、下駄箱で上履きに履き替えていた都子と目が合った。

「……」

「……」

 しばしの沈黙。

 本人を目の前にして喉から声が出てこなかった。

 なんと言っても昨日まで口すらきいてもらえなかった相手だ。ちょっと尻込みするくらい大目に見てもらいたい。

 駄目で元々……当たって砕けろだ。

「お、おはよう。柊さん」

 ぎぎぎ、とまるで錆びたブリキのおもちゃみたいにぎこちなくなってしまう。

 しかし――。


「……おはよう。涼川くん」


 ぽつりと呟くように都子が返事した。

「へ?」

 思わず間の抜けた声が出た。

「貴方ね……挨拶しておいてその反応は失礼じゃないかしら」

「あ。いや、ごめん、まさか返事が返ってくるとは思わなかったから」

 普通にスルーされると覚悟していたのである意味肩透かしのような状態だった。いや、嬉しいことなんだけどさ。

 ぽかんとしていた俺を見て、都子が軽く肩を竦める。

「昨日の“約束”。私が無視したから出来なかったなんて言い訳されるのは嫌だもの。ある程度は合わせてあげることにしたの」

「そ、そんなことはしないけどさ」

 都子なりにフェアであろうとしたのか、それとも完膚なきまでに関係を終わらるためなのか、ちょっと判断がつかない。

 でも、これは俺にとって間違いなく追い風だった。

「すげー助かるよ。ありがとう」

「……そう」

 都子が鼻を鳴らして視線を外した。

 それにしても“涼川くん”、か。

 都子から久しぶりに呼ばれて首の後ろ辺りが少しくすぐったくて変な感じだった。

 まだ昔みたいにとはいかない。

 けど今はそれでいい。

 むしろまた幼馴染になってみせるという原動力になる。

『おい。柊さんが誰かと話してるぞ』『え!? 話しかけても無視されるって聞いたけど』『てか、相手は誰だ? 何話してるのかちょっと聞こえないな』

 ふと、なにやら周りが騒がしくなっているのに気付く。

「……ああやって遠巻きに見てくる人が多いのよ。煩わしい」

 うんざりとした様子で小さくため息をついている都子。

 楓の話では都子は中学校でもモテていたみたいだし高校でも周りが放っておかないのかもしれない。先日の公開告白の件があった後だからなおさらだった。

「それで? 何か用かしら」

「ああ。用ってほどの――」

 そこまで言って言葉を呑む。

 俺としてはまず挨拶を交わしただけで当初の目的は果たしたようなものだった。だが、都子はどんな考えがあるかはわからないけど協力的であることは確かだ。そうなるとそうなると少し事情が変わってくる。

 ここはもっと踏み込んでみるべきだ。

 なんて言っても期限は一か月しかないのだ。

 俺は意を決して口を開く。

「あのさ、今日一緒に帰らない?」

 一瞬、驚いたように瞳をぱちくりとさせてた。

 しかしそれも一瞬。

 すぐに鋭い目つきで見据えてくる。心なしか「ゴゴゴゴゴ……」と聞こえてきそうな気がしないでもない。

 あからさまに不機嫌そうな都子に恐るおそる続けた。

「ほ、ほら。ある程度は合わせてくれるん……だよね?」

「……小賢しいことするのね。昔はそんなじゃなかったと思うけど」

「あ、はは……」

 変わったのはお互い様だろうと思ったが口には出さなかった。都子がくるりと俺に背を向けてしまう。

 やっぱり駄目だったか……。

 いきなり踏み込みすぎたかと思ったのだが、

「いいわ。望むところよ」

 肩越しに振り返ったそう言い残して都子は足早に去っていった。

 ……一緒に帰ろうって誘われた女子の返事とは思えないよなぁ。

 よくあるラブコメとはなんか違った。

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