🔳5ー1話
「はぁ!? みやこが引っ越し!?」
その話を聞かされたのは夕飯の時の何でもない会話の流れからだった。鶏のから揚げが俺の箸から床へと滑り落ちる。
「なに言ってんだよ、かあさん。エイプリルフールでもないのにそんな意味のないうそつくなんて子どもの教育に良くないと思うぞ」
「嘘じゃないわよ。二週間くらい前にみやちゃんのパパが急に転勤することになったんじゃない」
みやこが引っ越す……?
その時の俺にはまさに寝耳に水だった。
「マジなの……?」
すごく驚いた様子の俺に母さんも面食らったみたいに目を瞬かせている。食卓を囲んでいた父さんと妹も同じような表情をしていた。
とても演技には見えない。
つまり都子が引っ越すのは本当のことだ。
「もしかしてハル、あんた知らなかったの?」
「逆になんで教えてくれなかったんだよっ。そんな大事なことっ」
「だってみやちゃんから『自分で伝えるからおばちゃん言わないで』って頼まれてて」
「あいつが……?」
今初めて聞いたっての。みやこのやつめ、なんで言わないんだよ。今日だってふつうにあそんででたじゃねーか。
「引っ越しっていつ?」
母さんの話によると引っ越しは来週の火曜日、場所は北海道とのことだった。
うそだろ……明々後日じゃん。
なんだよそれっ。
こんなの全然――。
全然聞いてなかった。
夕食中にも関わらず俺は家を飛び出した。
向かった先は都子の住んでいるマンションだ。
自転車で行けば早かったのだろうが、さっき聞かされた話で頭がいっぱいで考えが回らなかった。
一秒でも早く都子の口から引っ越しについて聞きたかった。
結局、マンションまで走って行き、肩で息をしながらインターホンを押す。
インターホン越しに出たのは都子だった。
『はるくん……? どうしたの?』
「ちょっと話があるんだけどおりてきて」
やけに明るい照明のエントランスで少し待っていると、備え付けのエレベータが“チン”と鳴って都子が出てくる。ここでは人の出入りがあって話がしにくい。俺は都子の手を引いて外へ出て玄関の横手へと場所を移した。
もう十二月ということもあって外の空気は刺すように冷たかった。面と向き合った都子はなぜ俺がこんな時間に来たのか状況がわかっていない様子で、白くなった息を手に吹きかけていた。
「みやこ。お前、おれにかくしごとあるんじゃないのか?」
「かくしてること……?」
きょとんとしながら小首を傾げている。
「あ。はるくんのポケモンでまちがってトランセルにマスターボール使っちゃったこと……かな?」
ちょ、おま、マジなにやってんの!? と、いつもならお小言を言うところだが今日はそんな話をしに来たわけじゃない。
こんな土壇場になってもまだ自分から引っ越しのことを言おうとしない都子に腹の底からふつふつと沸き立つ気持ちがあった。
「……お前、引っ越すんだろ」
「あ――」
俺がぶっきらぼうに本題を切り出すとやっと察したのか思い詰めたように俯いてしまう。
「なんで今まで教えてくれなかったんだよ」
「……」
「しかも引っ越しは三日後とか――もうむちゃくちゃだろ」
「……」
都子は押し黙ったままだった。
そんなあいつに俺はいら立ちが隠せず大げさにため息をついてみせる。
「あのなぁ……」
「――いかない」
消え入りそうな声がかすかに聞こえた。
「は?」
「みやこおひっこししないよ」
都子は顔を伏せたままスカートを握りしめ、肩を震わせていた。
「引っ越ししないってお前――」
「はるくんのおうちにすまわせてもらう。それでずっとはるくんといっしょにいる」
「お前な……そりゃ無理だろ」
「みやこ、はるくんとはなれたくないもん」
そう言って振り向いた都子の瞳からぽろぽろと大粒の涙がこぼれ落ちた。
目の前の光景に俺は呆気に取られてしまう。
都子が何故引っ越しのことを教えてくれなかったのか、その答えがそこにはあった。
あいつはずっと悩んでいたのだ、直前になっても打ち明けられないほどに。
みやこ……。
「はるくんっ。ずっとだまっででご˝め˝ん˝なざ˝い」
「……もういいっての」
先ほどまでの胸中の不満や怒りはもうなくなっていた。
「……北海道の学校ではなめられるなよ。もうおれはそばにいられないからな」
「うぅ……はるくんのいない学校なんていきたくない」
俺の胸に顔をうずめてくる都子。
その頭にぽんぽんと優しく手を置いてなだめる。
「もうずっと会えなくなるわけじゃないだろ。夏休みとかおれんちに泊まりに来たっていいんだし」
「……˝う˝ん」
「それに引っ越しまでまだ時間はある。ギリギリまで遊ぶぞ」
「……˝う˝ん」
「じゃあ明日は朝からいつもの神社に集合な!」
「……˝う˝ん」
めそめそと泣きながらエレベータに乗る都子を見送ってから俺はマンションを後にした。
みやこが引っ越す、か……。
認めたくはないが変えようのない事実だった。
それは当時何でもできると思っていた小学生の俺に、現実という大きな壁があることを思い知らせる出来事になった。
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