🔳4話

 ――これは夢だ。

 小学校の頃の夢。

「はるくん、まって~」

 耳がちぎれそうなくらい冷え込んだ朝、どこか気の抜けたような声が聞こえたので俺は振り返る。

 カルガモの子どもみたいな危うさを感じる足取りで走ってくるのはかつての都子だった。

 この頃の都子は髪をおさげに結っており、いつも困ったように眉毛をハの字にしていた。

 見るからに気弱で頼りなさそう。

 まあ実際その通りで上級生やクラスの男子、はては下級生にまでからかわれる始末だった。その度に都子が泣きついてくるので俺はもれなく巻き込まれることになる。ときには上級生との喧嘩なんてこともあった。

 ――『なんでこんな鈍くさいやつの面倒をみなきゃいけないだ』

そう思うことは数えきれないほどあったけど、都子を邪険にしたらこの世で一番怒らせてはいけない母さんから大目玉を食らうことになる。

 なんという理不尽。

 俺は幼くして社会の理というものを知ることとなった。

 ………………白状しよう。


 俺は最初、都子のことは嫌いだった。


 でも――……。

 その気持ちは次第になくなっていったというのもまた本当のことだった。

「はるくん、あしはやい。おいてくなんてひどいよぅ」

 俺は大仰に肩を竦めてみせる。

「あのな、みやこが家出てくるのがおそいからちこくしそうになってるんだろ。寒いからっていつもギリギリまでねすぎなんだよ、おまえは」

「えーっ。きょうはちがうよぅ。きょうはね、あさごはんおいしかったからおかわりしてたの」

「すげーどうでもいい。ほら、ランドセルかせっておれがもってやるから急ぐぞ」

「う、うん。はるくん、ありがとぉ」

 都子のランドセルをひったくって肩にかける。

「はるくん。て」

「は? て?」

「にぎってくれたら、みやこはやくはしれるかも」

「ああ、手な。お前そういっておれにひっぱらせる気だろ」

「えへへ。そうかも」

 都子が少し頬を赤らめながら困ったように笑った。

 俺が手を差し出すと握ってくる。

「ったく、みやこはホントおれがいないとだめだよな」

「そんなのあっっったりまえだよぅ」

「いばって言うことじゃないだろ。まあいいや、じゃあいくぞ」

 俺が前を向いて走り出そうとした。

 そのとき――。

 繋いでいた手が振り払われる。

「え? みやこ?」

 振り返るとそこには幼い頃の都子の姿はなく、高校生になって再会したあいつが佇んでいた。

 俺の責めるように見据えてくる。


「気安く触れないでもらえるかしら?」


「うおぉ――っ」

 そこで俺は跳ねるように目を覚ました。

 視界には自室の天井がぼんやりと映っている。

「なんつー夢だ……」

 上半身だけ起き上がって大きくため息をついた。

 昔、いつも俺のあとをついて回っていた都子。

 そして、今の誰も寄せ付けないようにしている都子。

 まるで別人だった。

 昨日の放課後のことが脳裏にチラつき、緊張から首筋を針で刺されたような痛みが走る。

 ――『今さら何の用かしら。本当に頭にくる』

 都子は俺のことを覚えていた。

 そして恨んでいた。

 絶交……。

 たぶん、あいつがあそこまで変わってしまった原因は俺との絶交だ。

 もしあの時のことで都子が苦しんでいるのだとすれば――。

 右手を固く握りしめ、じっと見つめる。


「俺は都子を放っておくことなんてできない」

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