🔳3話

 今日も俺は朝のホームルームが始まるまで机に突っ伏して寝たふりを決め込んでいた。

 もちろんボッチだから手持ちぶさたになってると悟られないように「昨日全然寝てないんだわー」的なアピールをしてからだ。

ふふ、このちょっとした工夫。にわかボッチにはできん一手間よ(誰も見てない)。

 例の公開告白、もとい公開処刑から一週間が経っていた。

 あの件は口腔内に瞬く間に広まり、今では都子はある意味でちょっとした有名人だった。

 今ではあいつの席の周りは完全にレッドゾーンと化して誰も寄り付かなくなっている。誰が言い始めたのか分からないが触れるだけで火傷する“煉獄の華”と呼ばれているとか。

 伏せていた顔を少しだけ起こして都子に目をやる。

「うーん、なんだかなぁ」

 ひとり文庫本を読んでいる姿に思っていたことがぽつりと口から出る。

 告白の一件であいつが一瞬見せた昔泣き出す前のあの仕草――あれが頭の片隅にこびりついて取れないでいた。

 その後、学校での都子に何か変わったところがあったようには見られない。

 ただ――。

 変化がないんじゃなくて実は今もずっと無理をしている、そういう可能性がないこともない。

 まあこればっかりは本人にしかわからないことだ。

 気になりつつも俺は今日も都子を遠巻きに見ていることしかできないままだった。

そして時間だけが過ぎていった。


 ……。

 …………。

 ………………。

 帰りのホームルーム後、

「柊さん。この後、ちょっと話があるから職員室に来てもらえるかしら」

 都子が担任の柴田先生に話しかけているところを俺はたまたま見かけた。ふたりはそのまま並んで教室を出ていく。

 へぇ。都子少し残るのか。

 ふと――……それなら話しかける機会があるかもしれないと思った。

 俺と都子は絶交した元幼馴染。

 ――『私はひとりでいい。自分のことは自分でするわ』

 東野にコクられたときの都子が頭の中に蘇る。

 本来なら関わらないほうが良いのは重々承知なのだが、それでもやっぱりあのときのことが気になって仕方なかった。

 もし困っていて俺に出来ることがあるなら力を貸したい――そういう気持ちは少なからずあった。

 とはいえ、都子に迷惑がかかってしまうような目立つことしたくない。

 もし都子が職員室から帰って来た時にクラスに誰も居なかったら……そうしたらさり気なくあいつに話しかけてみよう。

 そういう条件で俺は少しだけ学校に残ってみることにした。


「ちくしょー、楓はバイトかぁ」

 時間を潰すために楓を誘ってみたのだが空振りに終わる。LINEに張り付けられた“ごめんね”と猫が謝ってる可愛いスタンプにため息をついた。

 たしか最近始めたセレクトショップでのバイトが楽しいとか言ってたもんなぁ。

 教室内は部活の準備をしている生徒や帰る前に少しダベっている生徒などまだちらほら人がいた。ボッチがぽつんと放課後の教室にいるのは明らかに不自然。てか、ひじょーに気まずい。

 そこで俺は校内を少し散策しようと教室を出た。

廊下はちょうど西日が差し込む時間帯だったので床に反射して絶妙に眩しかった。吹奏楽部のパート練習だろうか、オーボエだかフルートだかを持った女子たちとすれ違う。窓から見えるグラウンドではサッカー部が列を作って準備運動をしてるのが見えた。

 思えば高校に入って放課後残るのは初めてだった。学校というのは日中と放課後ではがらりと変わる。それがすごく新鮮に感じた。

「ちょっと屋上にでも行ってみようかな」

 ふと、そう思って屋上へと足を運んでみる。

 屋上にも吹奏楽部の生徒がいた。これは楽器に疎い俺でもトランペットだとわかった。練習の邪魔にならないように給水タンクのあるほうへと回り込んだ。

 絶交した幼馴染に話しかけようとしてるんだよな、俺。

 これってボッチ的にはかなりの重要イベじゃないか?

 うーん、冷静に考えると気が重くなってきた。

 やっぱ止めようかな……。

 弱気な自分がひょっこりと顔を出す。

 ただ、その一方で俺自身把握できない何かに背中を押されているような感覚もあった。

 回り込んだ貯水タンクの裏側は辺りが一望できるようになっていた。

「おおっ。すげーな」

 少し錆ついてるフェンス越しに見たそこからの景色に息を呑む。バカと煙はなんとやらとか言うけどこんなんテンション上がらないほうがおかしい。

 先ほどまで感じていた億劫さが少し紛れたような気がした。

 ふと、高校近くの歩道で小学生くらいの子どもたちを見つける。

 男の子に遅れまいと時折小走りになる女の子。まるで昔の俺と都子のようだった。思わず笑ってしまう。

「あ――」

 そこで先ほどから俺の背中を押しているものの正体に気付いた。


 そうか、久しぶりに都子と話せるから俺はちょっと浮かれてるのか。


「ん? あれは……」

 そのとき、窓越しに見える廊下を都子が歩いているのが見えた。どうやらもう職員室での話が終わったらしい。

 鞄を持っていないし方向から見てたぶんクラスに戻るところなのだろう。もたもたしてたらせっかくの機会が水の泡だ。

 俺は急いで都子の後を追うことにした。


 教室の前まで戻ったところでドアの小窓から中を覗いてみる。

 居た――……っ。

 教室にはまだ都子の姿があった。

 しかもラッキーなことに他には誰もいない。

 よし……っ。

 話しかけるならここしかない。

「ふぅ……」

 大きく深呼吸をしてからゆっくりとドアを引いた。

 教室へと一歩踏み入れる。

 都子はまだ俺に気付いていないようで窓の方を向いたままだ。

 茜色に染まるその後ろ姿はどこか幻想的で――。

 早く話しかけなきゃ解けて消えてしまうんじゃないだろうか……。

 そんな焦燥感にも似た気持ちに駆り立てられて俺は考えるよりも先に言葉が出ていた。

「あの、……」

 ただ――。

 だからというわけじゃないが、

「ひちゃぶり?」

 盛大にやらかしてしまった。

 ちなみに「久しぶり」と言いたかったと自分で通訳しておく。

 ほ、ほあーーーーっ! 

 なんっっっで噛んでんだよ! 一番大事なとこじゃねーか! こんなの完全な陰キャムーブだよ! 今世界で一番陰キャしてるよ俺! 

 あー帰りたい……とりあえず一晩くらい部屋の隅で三角座りしていたい!

 やっちまった感から教室中の机をなぎ倒して転げまわりそうになったがなんとか冷静を装ってみる。

 都子がゆっくりと振り返った。

「……」

 しかし、反応はない。

 何事もなかったかのように自分の席で鞄に教科書をしまい始める。

 ……あれ? もしかして聞こえてなかったのか?

 もう一度声をかけようとして俺はその言葉を呑んだ。

 いや、ちょっと待てよ……考えてみれば都子が俺のこと覚えてないってことも全然ある。

 俺だけ幼馴染だと思ってたとか完全にイタイ奴じゃんっ。

 くそぅ。こんな慣れないことやっぱ止めときゃよかった。

「あの、ほら。小学校の時、家が近くでよく遊んでた涼川悠人……なんだけど……覚えてないかな?」

「……」

 しどろもどろになりながらさり気なく補足しつつ話しかけるもやはり無言。支度を終えた都子は何事もなかったかのように俺の横を通り抜けていこうとする。

「あ、ちょっと待った。みや――じゃなくて、えーっと、柊さん?」

 そう呼んだ瞬間、

「――っ」

 都子が弾かれたように振り返った。


 ――思えばこれが初めてだった、高校生になって都子と目が合ったのは。


 視線を交わしたとき火花が散った音が聞こえたような気がする。

 都子が鋭く見据えてくる。

 うっ――。

 俺はその瞳にくぎ付けになった。

「……」

「……」

 実際に目が合っていたのは一秒もなかっただろう。

 しかし、俺には途方もなく長く感じた。

 その間ずっとあいつの瞳の奥で渦巻いている怒りが、憎しみが、悲しみが、絶望が――奔流となって俺の中に流れ込んでくる。


 そう、都子は俺のことを忘れてなんていなかったのだ。


 もちろん好意的な意味でない。

 現実から目を背けたくなるほどそれが伝わってきた。

 都子が俺から視線を切る。


「今さら何の用かしら。本当に頭にくる」


 その言葉は刃物のように俺の胸にゆっくりと深く突き刺さった。

 身体が強張って指先すら動かせず、声を上げることもできない。

 都子はそんな俺の横を通り過ぎていき――。

 ぴしゃり。

 背中の方からドアの閉まる音が聞こえた。

 俺ひとりだけになった教室を静寂が包み込んだ。

「……はは」

 都子が居なくなったことに安心している自分に気付き、乾いた笑いが出る。

 なにが俺と都子は絶交した仲だ……。

 なにがそんなことはわかってるつもりだ……。

 全然わかってねーじゃん、俺。

 心のどこかでガキの頃のことだと思ってたんだろ? 

 お互い大人になった今ならまた普通に話せるようになるって高をくくってたんだろ?

 ……久しぶりに話せるから浮かれてたってなんだよ。

 先ほどまでの場違いな自分が急に恥ずかしくなり、うなじのあたりが粟立った。

 いつの間にか背中が冷たい汗でじっとりと濡れていてワイシャツが張り付いて気持ち悪かった。

 黒板の上の壁時計が秒針を刻む音だけが教室に空しく響いている。

「あ。この時計音出るやつだったんだ……」

 そんなどうでもいいことを、ふと思った。

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