第10話 北通り
ヲーリアの都の北の通り。そこはかなり騒がしい。
朝はせわしなく人が動いて、昼は金属の叩かれる音がそこらから鳴り交じり、夜は酔っ払いどもが暴れまわる。
俺は城のじいさんに頼まれて、ここにいるというジローというじいさんに物を渡しに来た。
「うわ…断ればよかった…」
広場から北の通りに行けるのだが、その間にあるアーチをくぐった瞬間に、そう感じた。
さっきまでそんなに気にならなかった音があまりにもうるさいし、熱気がすごい。通りを歩く男らはでかいし、多い。
「さっさとおつかい終わらせるか…」
この空間からいち早く抜け出したい。
最初は早歩きをしながら周りをキョロキョロして探していたシユウだが、狭くて暑い道によってその足はくたびれ、猫背になって周りを見ていた。
「こういうことだったのか…」
シユウは城のじいさんが、なぜおつかいを頼んだのかを察した。
いつものように文句を言えないその様子が、その理由を物語っていた。
この通りは働く男の道。通りの左右にはハンマーを振る人や、刃物を磨く人、木を削っている人などがいる。
ここを通るのは北から来た旅人や騎士、若い職人、大きいものを運ぶ男らなど。
この空間にいるだれもが汗を流し、黙々と作業している。
「見つかんないぞ…」
シユウは足を止めた。
「すぐわかるって言ってたくせに、いねえじゃねえか…」
城のじいさんは、白髪のじいさんだから目立つって言ってたよな。もう北通りの端までついてるのだが。
渡された箱を手に持ったまま門を見上げるシユウ。
「そこの若いの、どうした?」
覇気のある声の方へ振り返ると、タンクトップを着たデカいおやじがいた。その肩にはでかい木箱を抱えている。
シユウの汗は止まり、背をピンとさせた。
「ええっと…なんでもないですよ…」
身長195cmはあるであろう男は、シユウの顔をみるとポカンとした。そしてそのままシユウのほうへ寄っていこうとした。
「なにしてるんですか、早くしないと怒られますよ!」
その男の後ろには、エプロンを着たシユウと同じくらいの青年が立っていた。
「そうだな、ジローの爺さんは怒ると怖いからな、いそぐか。」
「ほんとですよ、ただでさえ遅れているんですから。」
男があっちを向いて再び歩き出した。
「(助かった…)」
青年は男をにらんだあと、シユウのほうをゆっくり覗き込んだ。そしてこっちへ走ってきた。
「その箱、ムーウの饅頭じゃないですか。ひょっとしてガラナさんに頼まれて届けに来てくれたんですか?」
ガラナって誰だ。でもさっきジローとか言ってたような気がするし、もうこいつに渡しておけばいいか。
「そ、そうだ、どうぞ。」
手を伸ばそうとする青年だったが、ハッとした顔をして手を止めた。
「せっかく届けに来てくれたのに失礼しました。じいさんのところへ案内します。」
エプロン君は、にっこりして軽く礼をするとタンクおやじに一声かけて通りを歩いて行く。
どうしてそうなる。こっちはいち早く涼しいとこにいきたいのに。
シユウは再び人混みの中へ入っていった。
さっき歩いた道なのはずだが、右左は見覚えのない店ばっかだ。
でもその音は耳に染み付いている。
耳を塞いで歩くシユウ。その前には平然とした男と青年がいる。
「遅い!いつまで待たせる!」
あたりから鳴り響いていたどんな音も吹き飛ばすその声。それの聞こえた方へ恐る恐る顔を向けると、ものすごい形相をしてエプロンをつけた白髪の爺さんが鍛冶場に仁王立ちしていた。
「すいません、タール港で事故が…」
タンクおやじが苦笑いしながら頭を下げる。
これだけデカいのに怖いものがあるだなんて驚きだ。しかもそれが自分よりも小さい爺さんということも。
「理由なんて聞いてない!はやく中へ入れろ!」
こんなところでも白髪の爺さんの声だけは、はっきり聞こえた。
疑って周りを見回しても、職人たちはこちらをちらりとも見ずに腕をふるっている。
タンクおやじは、さらなる咆哮が発生する前に、せっせと白髪の爺さんのいる鍛冶場の方に走っていった。
「お前も早く準備しろ、そんなんじゃいつまでたっても一人前になれないぞ。」
びくっとしたシユウ。その横にいる青年も、急いで鍛冶場に入っていった。
青年が鍛冶場に向かっていくのに気付くと、シユウは胸をなでおろす。
しかしその目線はシユウの方を刺していた。
「おぬしはなんじゃ?」
「え、ええと…」
最悪なタイミングだ。ほんとに俺はついてない。いや、何かついているのかもしれないな。
硬直するシユウを、にらみつけるその顔は変化しない。
それによってシユウの全身はさらに固まる。
「ああ、彼は届け物を持ってきてくれたんですよ。」
救済は、レンガでできている釜に、黒くてごつごつした石を入れていっていたエプロン君の声だった。
「届け物?」
鬼ジジイは俺が右手に持っている箱に視線を落とすと、猿ジジイになっていた。
「それはムーウ饅頭!」
ジジイはその箱をスッと俺から奪い、にっこりしたまま鍛冶場の隣にある家の中へ入っていった。
「なんなんだあのジジイは…」
あっけにとられるシユウ。
鍛冶の炉に瀝青炭とコークスを入れ終えた青年がマッチを懐から出す。
「君、ヲーリアは初めて?」
マッチを炉の中に投げ入れると、青年は通り側の手すりにもたれかかった。
「初めてだ。」
「やっぱりか、じいさんは世界一の鍛冶師ジローだよ。」
世界一の鍛冶師、どう見てもただの頑固ジジイにしかみえない。
「おい、準備はできたのか?」
家の中から頬に餡子をつけたジジイがでてきた。
「はい、炉の温度が上がってきたところです。」
ジジイは家から出てくると、その言葉を聞きながら炉の方に目を凝らしながら歩いていく。
「もっと入れろって、何度言ったらわかるんだ。」
そう言いながら炉の中に灰色の粉をいくつか入れるジジイ。
「そんなに入れたら、管理が難しいじゃないですか。」
「それができるのが鍛冶師だ。」
はっきり言って鍛冶師を見るのは初めてだ。だから一体なにをしているのかわけがわからない。
「道具の点検はしたのか?水もすくないぞ。これだから若いのは…」
盛り上がってきた鍛冶場。そこにいる青年はまさしく青い顔をしていた。
シユウはその顔をのぞきみると苦笑いをした。
大変そうだな…。
俺は用も済んだことだし、帰るとするか。
「じゃあ、俺はこの辺で…」
青年は首を傾げると、通りを抜けようとするシユウの方をじっとにらみつける。
「君、名前はなんていうんだい?僕はルイ。」
なんだいきなり。
足を動かそうとしたのに止められた。
「俺はシユウだ。じゃあこの辺で…」
右前足を出そうとする。
「珍しい名前だね、どうせだったら仕事手伝ってくれない?」
ルイはシユウの方へ向かいながら話を持ち掛ける。
絶対嫌だ。俺を巻き込むな。
「遠慮しとく…」
「まぁまぁ…」
ルイは抵抗するシユウを押さえつけて強引に鍛冶場に引っ張った。
その顔は、にやにやしている。
炉の炎はボワボワと音を上げ始めた。
俺にはそれが地獄の炎にしか見えない。
シユウは壁際に立って二人の仕事をみている。
ルイは炉の下にあるペダルのようなものをさっきから何回も踏んでいる。
それによって、炎の勢いがだんだん激しくなる。
ジジイはデカいハサミで銀色のブロックみたいなものを挟んで炉の中に入れた。
「おい、もっと熱上げろ。」
「やってますよ!」
「口じゃなくて足うごかせ!」
「早く動かせばいいってもんじゃないですよね!」
「うるせえ!」
その炎と同じように鍛冶場にも熱が入ってきた。
さっきまで銀色だったブロックは太陽のように光を放っている。それをびくとも動かず覗き込むジジイ。
俺が瞬きした後には、ジジイはそれを金床に抑えてハンマーでたたいていた。
その音はまわりにあった鈍い音を貫く。
俺は城のジジイが言っていた意味を理解した。
「ん?どうしたんですか?固まって。」
エプロン君は壁に貼ってある紙のほうを見ながらそこに歩いていく。
「この音どうなってるんだ?」
ジジイが金属を叩く音だけは、頭が全然痛くならない。それどころか周りの音を寄せ付けないから気分が楽になった。
「僕も気になってじいさんに聞いたんだけど、達人にしかわからないって教えてくれなかったんだよね。」
腕を組んで首をかしげるエプロン君。
「ハンマーに秘密があると思うんだけどなぁ…」
ハンマーが違うのか。地味でそこらへんにありそうなもんだけど。
「おい、ふいごだ!はやくしろ!」
「わかりました!」
ジジイのでかい声でエプロン君は炉の方へ早歩きして、再びペダルのようなものを踏んだ。
さすがにそろそろ帰りたいと思って声をかけようとするが、話しかける隙が無い。
だからと言って無断に立ち去ろうとすると、エプロン野郎がこっちに来やがる。
早くここから離れたい。
シユウは初めの三十分くらいは時計のほうへ顔を頻繁に向けていたが、二時間たったころにはジローの叩く鉄だけをみるようになっていた。
「もうそろそろ昼時ですね。」
ルイは通りにエプロンをつけた男たちが広場の方へ歩いていくのを確認したあと、シユウの横顔をみる。
「じいさん、ご飯買ってきます!」
ルイはジローがハンマーを振っているのを見ると、にやけて鍛冶場を下って広場の方へ走っていった。
そのため、炉の炎とジローの工場には鉄をたたく鋭い音のふたつだけがある。
俺の予想はあっているようだな。剣の形になってきた。でも短いな。
ほとんどショートソードの形になった鉄の色が静まっていくと、ジローはハンマーを叩くのをやめた。
「おい、突っ立ってないで手伝え。ふいごやれ。」
ジローはシユウの方を見ずに口を開けた。
「お、おう。」
シユウは炉の下にあるふいごを踏む。
炉の炎が大きくなっていくのを確認したジローは小さく笑い、その鉄を中に入れた。
「おい、ふいご遅くしろ。」
そう言われてゆっくりとふいごを踏むシユウ。
その後、ルイが昼食を持って帰ってきても二人は鍛冶を続け、剣を一本仕上げてから三人はサンドウィッチを食べた。
一区切りしたあともシユウは鍛冶の仕事をして、ついに日が暮れるまで彼は帰らなかった。
エプロンを外した男たちが通りを広場の方へ歩いていく。夕暮れの北通りは昼間とはまったく違って静けさが残る。
「二本のショートソードと一本のロングソード、ナイフを三本。今日はここまでですね。」
ルイは壁に貼ってある紙にチェックをつけてエプロンを外した。
一方、樽に入った鉄の一つを手に取っては凝視して戻し、また別の鉄を手に取るジロー。
「まだやる気ですか、近所迷惑ですよ。」
「ふん、そんなんだからこの町の鍛冶師はわしを超えられんのだ。」
ジローが手に持った鉄を樽に戻して歩き、家の扉を開けた。
「明日は八時からだ。遅れるなよ。」
その扉はやさしく閉じられた。
シユウはジローが家の中に入ったのを確認して、手すりにもたれかかった。
「疲れた…。」
休憩なしでずっとだったから、ほんとに疲れた。きっつい。
「おつかれさまです。ハイ、これ。」
ルイが出したのはナイフ。俺がつくったやつだな。
俺がナイフを受け取ると、ルイは掃除を始めた。
「それにしても、じいさんに気に入られるなんて君はすごいね。」
なんのことだ。俺がジジイに気に入られてる?
「僕なんて何度も頼み込んでやっと鍛冶場に入れてくれたのに。初日にハンマー握らせてもらえるなんてありえないよ。」
掃除を終えて手を洗うルイ。
「そうだったのか。だからきつかったのか。」
ナイフに刻んだ自分の文字をみつめるシユウ。
「たしかにきつかっただろうね。でもきついだけじゃないよ、ここが楽しいんだよ。」
何言ってんだこいつは。こちとら早く寝たいんだよ。
「おーい、仕事は終わったのかー?」
通りから三人の青年がこっちに声をかけると、ルイは鍛冶場から下りて通りに出る。
そして手すりにもたれているシユウを見上げるルイ。
「なにしてるんですか、おごりますよ。」
ルイはハッとした。
「おい、みんな今日はルイのおごりだぞ!」
「よっしゃあ!」
「やったぜ!」
ガッツポーズして騒ぐ三人に説明をするルイ。
「今日は食うぞ!」
「おー!」
俺が通りに出てその三人に加わると、ルイは鳥の鳴く空を見上げた。
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