part4

 昨日の夜は雨が強かったようで、中庭のあちこちに水溜りが出来ている。

 リアと別れてから少し歩き回り、疲れたジュンセは中庭のベンチを見つけ、座って休んでいた。

 独特な雨の匂いに鼻腔をくすぐられながら、ジュンセはしばらくの間、西日の空を ぼんやりと眺める。

 首が疲れると、重い溜め息を吐いて下を向いた。

 フワフワのオレンジ毛に象徴的な長耳、見覚えのある可愛らしいウサギと目が合った。

「……あ?」

 妙な空気に呑まれたジュンセは、うっかり威嚇するような呻き声を漏らしてしまう。

 ウサギは全く動じず、のんびりとした目でジュンセを見上げ続けた。

 睨めっこが続くと、不思議と気分が晴れていき、ジュンセは柔らかく息を吐いて、立ち上がる。

 すると、少し離れた場所に人影を確認する。

ユルフワと広がる長い髪と愛嬌あいきょうのある顔立ちをした、青い制服を着た小柄な女子生徒。

 飼育委員のチヒロだ。

 植栽しょくさいされた低木に隠れるようにして、ジュンセとウサギの様子をおずおずと見ていた。

 視線がぶつかり、チヒロは気まずそうに目を逸らす。

 目の前で堂々としているウサギよりもずっと、小動物のような印象を感じさせる仕草だ。

 そんなチヒロを見ると、無意識に庇護欲ひごよくのような気持ちが湧き上がる。

 ジュンセはウサギを掴み上げて、ゆっくりと近付いた。

「また逃げ出したのか、コイツ?」

 怯えられないよう優しく語り掛けると、チヒロは首を横に振った。

「わ、私が、連れて来て……」

「連れて来た?連れ出して、逃げられたのか?」

「違います……あの、その子なら……知ってるかなって」

「知ってる?」

「はい。前に捕まえてくれたので、その子の事は、知ってるかなって」

「前に……」

 初めてチヒロたちと会った時の事かと思い、ジュンセは不思議そうな顔になる。

「それって、俺がコイツを知ってるかもって事か?」

 掴んだウサギを掲げ上げて聞くと、チヒロは強く頷いた。

「え?それ、どういう事だ?」

 純粋な疑問を投げると、チヒロは緊張した様子で言い淀む。

 だがすぐにジュンセと向き合い、勇気を振り絞って、その意図を明かした。

「あの、さっき見かけた時、すごく辛そうにしてたから……」

 紡がれた言葉に、ジュンセは胸を打たれた。

 告白した勢いに任せて、チヒロは続ける。

「アニマルセラピーと言って、動物との触れ合いで心のケアになる事があって……一度会ったこの子なら、印象も残ってて、効果も上がるかもって……」

 自分の為に来てくれたのだとハッキリ理解し、ジュンセはその善意に少し戸惑い、ポッと出たどうでもいい質問を投げる。

「いや、ちょっと待て。確かに落ち込んでて、あちこち歩き回ってたけど……え?いつから俺の様子を見て、ここに?」

「えっと、ついさっき見かけて、見たらすごく心配になって、急いで飼育小屋までその子を連れに……意外と早く見つけられて、よかったです」

 つまりチヒロは、たまたま落ち込んでいたジュンセを見つけて、飼育小屋までウサギを取りに行き、当てもなくジュンセを探して運よく見つけ、ウサギを寄越よこしたと言う訳だ。

 その行動力に驚嘆きょうたんすると共に、ジュンセは根本的な疑問を覚える。

「何で、そこまでして……」

「その……その子も返してくれて、いきなり襲ってきたユンの事も許してくれたので、優しい良い人なんだなって思って……だから見つけた時、すごく気になったんです。だから……何かしたくて」

 言って、チヒロは右手を左の腕に運んだ。 

 そこには『飼育委員』と記された腕章が付いていた。

 それに気付き、ジュンセは腕章に注目しながら、親しげな口調で問うた。

「その腕章、痛くないか?」

「っ、どうして⁉」

 直に刺している事を見抜かれたと、チヒロは焦りを覚える。

 それをなだめるように、ジュンセが説明する。

「……俺も刺した事あるからさ、さっき引き受けたばかりだけど、俺、風紀委員なんだ」

「風紀、委員?」

「なあ、もう少し話せるか?」

「え?あ……はい」

 申し出が受け入れられると、二人はベンチに座り、楽な体勢になる。

 短い沈黙の後、ウサギを抱えたジュンセが切り出した。

「名前、言ってなかったな。ジュンセって言うんだ。3組」

「あ、私はチヒロって言います。1組です」

 互いに名前とクラスを教えると、ジュンセは一気に踏み込んだ事を聞く。

「前に一緒にいた女子たちは、チヒロの友達か?」

「友達、というか……長く一緒に暮らしてて、家族みたいな子たちなんです」

「そ、そうなのか……」

 思った以上に深い繋がりだと分かり、ジュンセはいきなりつまずいた気分になる。

 だが、その程度で引き下がりたくはなかった。

「チヒロ以外は、さ。制服が……」

「はい。あの子たちは、一度……」

「悪い。無理に言わなくていい」

 遮るようにして言うと、ジュンセは相談したい事を語る。

「俺も、友達に赤い制服がいて……変な誤解があって、話し辛くなったんだ」

 ミサトの事、そして、トウヤの事も含めた相談だ。

「そいつらと、どう付き合っていけば良いか分からなくて。そっちは、すごく仲良さそうだったからさ」

 弱々しくジュンセが話すと、チヒロは残念そうな顔になって答える。

「……ごめんなさい。私たちの繋がりは、たぶん他の人たちよりも特殊で、この学校でも、他の人たちと違う所があって」

「違うって、飼育委員の事か?」

「えっと……その話はしないようにって、言われてるんですけど、風紀委員には、いいんですか?」

 不安な顔でチヒロが尋ねると、ジュンセも同じ不安を覚える。

「いや、俺も風紀委員の事は、他に話すなって。役職が違ってもダメなのか?」

「分からないです。風紀委員があるなんて、知りませんでしたし」

「そっか……今度ちゃんと聞いといた方がいいな」

「生徒会長さんに、ですか?」

 チヒロが確認すると、ジュンセは静かに首肯した。

「やっぱり、変な学校だな」

「でも、この学校のお陰で、私はみんなと会えて……」

 素直な喜びを漏らすが、すぐにチヒロは口を噤み、申し訳なさそうな顔になる。

「すみません……ジュンセさんは、悩んでるのに」

「いや。そりゃそうだよな。死んだ友達とまた会えたら、やっぱり嬉しいよな」

 共感を得たような気がして、ジュンセはホッとし、温かい気持ちになる。

 だがそれは、チヒロがジュンセと同じだから思える事だ。

 普通に生きているからこそ、通じ合える感覚。

 カノウとヒュウガは異常だったのだ。

「ありがとな。気を遣ってくれた上に、話しに付き合ってくれて」

「え、あの……もういいんですか?」

「ああ。少しでも話せて、なんかスッキリした」

「そうですか」

 清々しい顔のジュンセを見て、チヒロは心から安堵する。

「あ、こいつも」

 チヒロにウサギを返すと、ジュンセはウサギの頭を優しく撫でる。

「確かにちょっと、癒された感じはしたよ」

 ジュンセの気持ちが伝わっているか定かではないが、ウサギは気持ちよさそうにしていた。

「よかったら、また会ってあげて下さい。この子は飼育小屋にいるので……」

「飼育小屋か……飼育委員だから、そこでこいつらの世話をしてるのか?」

「はい、まあ……あと、この学校、色んな事情の人がいるので、その人たちへの、アニマルセラピーを行ったりも……」

「今、俺がしてもらったヤツか。なるほどな」

 詰まる所、チヒロの行いは自身の職務を全うしたに過ぎないとも言える。

 しかし、その原動力であるチヒロの善意は本物だ。

 肌でそれを感じていたジュンセは、仕事を頑張るチヒロを尊敬する。

 そして、対照的な自分が、心底情けないと思った。

「それじゃあ、私はこれで……」

「ああ。気が向いたら行ってみるよ」

 軽く頭を下げ、チヒロはウサギを抱えてその場を後にした。

 その背中を見送ると、ジュンセは懐に手を入れ、カノウから支給されたスマホを取り出す。

 これからどうするべきか?などと悩むのは止めた。

 今何が出来るかを考え、直近で直面した問題を思い起こし、それと向き合う。

 その為に、ジュンセはまずカノウに連絡を取った。

「……もしもし、生徒会長?」

 またも勢い任せではあるが、それでも、ジュンセは進みたいと思った。

「あの、早速相談というか……聞きたいんですけど」

 瞳に熱を宿し、ジュンセは問うた。

「風紀委員の事、どこまでなら喋っていいですか?」

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