part11

 スッキリとした目覚めだった。

 顔を洗い、制服に着替え、寮の食堂で朝食を摂り、自室でゆったりと時を待つ。

 ふと、ジュンセは懐に入れた風紀委員ピンを取り出し、感慨深く眺めた。

 まだ入学して1ヶ月くらいだ。けれど、色々な事が起きた。そんな風に感傷かんしょうに浸っていると、気付けば指定された時刻が迫っていた。

 部屋を出て、寮から出発し、謳泉学園に向かう。

 人とすれ違う事はあれど、見知った顔は見なかった。早く用件を済ませたいと、ジュンセは歩調を早める。

 不穏なほど順調に進み、ジュンセは仮校舎前の校庭に到着した。

 そこで、意外な人物を見つける。

「どうしてここに⁉」

 ジュンセは先に校庭に訪れていたリアの存在に驚愕する。対するリアは、バツの悪そうな顔で立ち尽くしていた。

「来たか。時間より少し早めなのは、さすが風紀委員って所か、クソ真面目め」

 嘲るような言葉、けれど固さを感じる声音と共に、仮校舎からヒュウガが現れた。

 得意げな顔で見て来るのがしゃくに障り、ジュンセは一旦無視して、リアに問い掛ける。

「昨日言ってた先輩って、コイツの事だったのか⁉」

 無遠慮に指を差し、コイツ呼ばわりするジュンセに、リアは複雑な顔になって肯定する。

「ごめん、黙ってるつもりも無かったんだけど、なんかその……」

「おいおい、せっかく俺たちの為に来てもらったのに、困らせてやるなよ」

 ニカニカとおちょくるようにヒュウガが言い、ジュンセはあからさまに不機嫌な顔になる。

「また人を利用するつもりか」

「確かに利用はするさ。だが、要望を出された上で、だ。前の飼育委員の連中の時みたいにな」

 ヒュウガの言い分に、遺憾いかんながらジュンセは納得してしまう。リアはリバイブについて知りたがっており、有識者であるヒュウガの存在を知れば頼るのが道理だ。

 ちょっとした嫉妬を抱くが、それに気付かないまま、ジュンセは忌々しげに重ねて問うた。

「今度は何を……そもそも、アンタは何がしたいんだ。飼育委員の件といい、回りくどい事を。確か、リバイブの暴走も、アンタが何かしでかしたせいで増えたんだろ?」

「後半に関してはまあまあ、ちょっとやらかした感はあるさ。リバイブを知覚しやすいようにした結果、感情の振れ幅とより密接に作用するようになった。現在進行形で、カノウが阻害してくれなきゃ、もっと面倒な状況だったかもしれんし」

 億劫そうにヒュウガが語ると、ジュンセはカノウの名前が出た事に訝しむ。現在進行形で阻害、リバイブを知覚しやすく。気になる単語を問い質そうと思ったが、先にヒュウガが話を切り上げる。

「まあそんな事は、どうでもいいんだ。今は実験だ、実験。リア」 

 ヒュウガの号令に従い、リアは渡されていたもう一つの風紀委員ピンを取り出した。

 そして、小刻みに震えながら、禍々しく「風紀」の文字が彫られたピンを起動する。

 何処からともなく、風紀委員の腕章が飛来する。いつもジュンセの腕に噛みつき、共に戦っている腕章だ。

 もはや相棒とも言える腕章が、リアに向かって行き、ジュンセは狼狽する。

 腕章は雑な絵のような口を大きく開き、リアの持つもう一つの風紀委員ピンに食らい付く。リアの手を諸共にしゃぶり、奪うようにしてリアから離れると、バキバキと金属の砕ける音を鳴らしてピンを咀嚼する。

 ギラリと鋭い目が光り、同時にリアは噛まれた手から全身に熱が伝播するのを感じる。

 息を荒くして苦悶し始めるリアを見て、ジュンセは焦燥を覚える。

「おい、何をする気だ⁉」

「ようし、説明するぞ。今まさに、風紀委員の腕章をアップデート、同時に、リアのリバイブと同調させた」

 大仰な説明口調に苛立ちながらも、ジュンセは黙ってヒュウガの能書きを聞く。

「これにより、風紀委員として腕章を使って戦う事で、リアの中のリバイブが活性化し相乗的に腕章も活性化する。お前さんの身体能力向上効果もグレードアップして、理論上では、リバイブを確実に3年間保ち続け、卒業後の時間も伸びる計算だ」

 いつもながら鼻につく得意げな解説だったが、その内容を理解し、ジュンセの頭が冷えていく。簡単に言えば、自分が風紀委員として戦う事で、リアの時間を増やせるという事だ。

 胡散臭うさんくささは健在だが、嘘を吐いているようにも見えない。戸惑いながらリアの様子を伺うと、その相貌は希望と歓喜に染まっていた。

 口車に乗るのは釈然しゃくぜんとしないが、ジュンセはリアの為に戦うという事に、異存はなかった。

「ただこのままだと、リアは死ぬ」

 一切の躊躇いを感じさせない語調でヒュウガが告げ、ジュンセとリアが揃って唖然とする。先に我に返り、リアが聞き返した。

「そんな、話が違う!」

「別に違わないぞ、言ってないだけで」

 冷淡に一蹴されると、リアの顔に恐慌きょうこうの色が滲みだす。

 それを見て、ジュンセも焦りを取り戻し、ヒュウガに言及する。

「おい、俺を呼んだって事は、戦わせる為だろ。何とだ?」

「よく分かってるじゃないか。戦ってもらうぜ……」

 言いながら、ヒュウガは安全ピンを取り出し、格好付けるように前方へ突き付ける。

「俺とな」

 ピンを起動する。刹那、高速で回転して現れた腕章が、不規則なカーブを描きながらヒュウガの腕に噛みつき、ヒュウガは針で腕章を刺し留める。

 明るい色の粒子が荒々しく吹き出し、ヒュウガの全身に吸収される。同時に、回転していた腕章も火花を散らしながら急停止し、そこに記された文字が明瞭となる。

その文字に、ジュンセは仰天し、思わず口に出して読み上げる。

「ば、番長?」

「そう、番長だ。同じ委員系だと生徒会、カノウの部下みたいだったからな」

 自身のイメージに合わない苦肉の策、とまでは言わずに、ヒュウガは意気揚々と腕章を見せつける。

 リアの命が掛かっている状況で、あまりにも度の過ぎたたわむれに、ジュンセはいきどおる。

「ふざけるな。つまりアンタをぶっ飛ばせばいいんだろ⁉」

「その通りだ。言っとくが俺は強いぞ、本気で来いよ」

「上等だ」

 雄々しく吠えながら、ジュンセは風紀委員ピンを起動する。浮遊していた風紀委員の腕章が、今度はジュンセの腕に噛み付き、ピンで刺し留められる。

 全身にリバイブの力を感じると、それがいつも以上の熱量であると認識する。だが、そんな事を気にしている暇は無いと、ジュンセはヒュウガに向けて駆け出した。

「ああ、ちょっと待て」

 呑気な声で制止され、ジュンセは強引に自身にブレーキを掛け、態勢を崩す。

「何だ⁉時間がないんだろ⁉」

「こっちも本気を出すからな。武器を用意する」

 先程までの調子から一変、生真面目な口調で言うと、ヒュウガは何かを招くような動きで手を振った。

 すると、仮校舎の昇降口から、赤い制服を着た女子生徒が現れた。その正体に、ジュンセは愕然とし、全身を強張らせた。

「ミサト……?」

 現れたのは、ジュンセが風紀委員を引き受けた理由の友、ミサトだった。何故この場にいるのか理解できずに混乱していると、後ろで別の驚きを受けていたリアが声を上げる。

「その人、生きてたんですか⁉」

 反射的にリアの方へ振り返り、全身の熱が引いて行く。リアの言った、生き返った、という言葉の意味に、ジュンセは無意識に怯える。

 数秒の沈黙が生まれ、ヒュウガが口火を切る。

「リア、何があったか、説明してやれ」

 突然に説明を任され、リアは動転する。しかし、今にも飛び掛かってきそうな目で見てくるジュンセに気付き、恐る恐る、その時の事を話した。

「その人、この前にそこの仮校舎で、首を……吊ってたの」

 語るのもおぞましいという調子で、リアは何とか声を絞り出した。だが、ジュンセは微塵も受け入れない。

 ミサトが、首を吊った?つまり、自決したという事?バカバカしくて思わず息が漏れた。

「でも、今出て来たって事は、生きてたんですよね」

 希望の兆しを見い出したように、リアが熱っぽく言い放つと、ヒュウガが真実を伝える。 

「イヤ?死んでるぞ、その女」

 酷くあっさりとした、気兼ねが無い解答。言葉の意味より、ヒュウガの態度の方が、リアは恐ろしいと感じた。

 動悸どうきが起きる。思考が乱れる。そんな状態におちいりながら、ジュンセは再びヒュウガと対峙し、なけなしの理性で言葉を紡ぐ。

「何で?」

 何に対しての疑問か瞭然りょうぜんとしない問い掛けだが、話を進める為にヒュウガは答える。

「知るか、そんなもん。2度も死んだヤツの考えなんざ、気にするだけ無駄だ」

 さげすむような態度を前にし、ジュンセの頬に怒りの赤みが浮かび上がる。

 ヒュウガは密かに嗤った。

「まあ、お陰様で、良い研究材料が手に入った。リバイブの枯渇以外で死んだ人間の身体には、リバイブが残されている。こいつはそれを調整して、俺の意のままに動く人形になってもらったよ。別にいいだろ、自分で命を捨てるような奴の身体、有効に使ってもよ」

 殊更ことさらにミサトの死を強調し、悪態を吐くと、ヒュウガはジュンセに向けて手をかざし、招くように振った。

「来いよ。じゃないと、まだギリギリ生きてるお友達も死んじゃうぜ?」

 分かりやすい挑発だ。その真意を汲み取る余地もない。沸点を越え、ジュンセは突撃する。

「ヒュウガぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!」

 咆哮ほうこう。爆発した感情と強化された脚力は、先程とは比にならない勢いを生みだし、弾丸のように敵へ迫った。しかし、横殴りの衝撃がジュンセを襲い、その身体を押し飛ばした。

 地面を転がり、何が起きたのかと起き上がる。目の前の光景に、ジュンセは戦慄せんりつした。

 見えたのは腕だ、リバイブによって形作られた、筋骨隆々で、常人ではありえない程に巨大な剛腕。それを伸ばすのは、未だ音もなくたたずむむミサトであった。

「お前の相手は、こっちだ」

 涼しげな顔で宣言し、ヒュウガは指揮者のように手を振った。

 それに呼応し、ミサトの周囲にドス黒い色を粒子、リバイブが吹き荒れ、その矮躯わいくを浮かせる。ミサトを中心に、リバイブは人の形を形成した。

 その全長は、およそ3メートル。巨人となったミサトを前にし、現実離れしたスケール感に腰を抜かしたリアは顔を引き攣らせ、その場にへたり込む。

 巨大化したミサトが踏み出す。ドスッ、と巨躯きょくに見合った重い音が刻まれ、ジュンセに迫る。

「止めろ、ミサト」

 弱々しく声を漏らすが、届く事は無い。鈍重な動きで振られた足が、ジュンセに激突する。

 殆どノーガードだった。胸元辺りに極太のつま先が叩きつけられ、ジュンセはボールのように蹴り飛ばされる。

 地面にうつ伏せで落下し、全身が軋む。痛みが理性を呼び起こし、元凶たるヒュウガへの攻撃を命じる。

 野獣のように四肢を振り、一直線に駆ける。当然その突撃はミサトによって阻まれた。

 重機の如く無骨で豪然な動きの腕が襲いかかり、咄嗟に腕を使って防御する。しかし、圧倒的な威力に、抵抗も虚しく押し返される。どうにかミサトを避けてヒュウガに向かおうとするが、激情に任せた身のこなしでは不可能だ。辛うじて本能で防御や回避に移る事は出来ているが、大きさに物を言わせた攻撃は、咄嗟の判断で受け流せるモノではない。 

 ヒュウガに辿り着くこと叶わず、ジュンセは殆ど一方的に、ミサトに蹂躙じゅうりんされた。

 幾度となく地に倒れ、それでもジュンセは立ち上がる。しかし、その目は赤くはれ上がり、酷薄な現実にむせび泣いていた。

「何で……何でなんだよミサト」

 なおも迫る巨人に向けて、ジュンセは語り掛ける。なぜ自ら命を捨てたのか。なぜ、独りで決断してしまったのか。

「俺は、お前と会えて嬉しかったのに。お前がもっと生きていけるよにしたかったのに、お前と、また一緒に遊んでいたかったのに」

 泣き喚き、思いの丈をぶつける。だが、ミサトは止まらない。人の形をしたリバイブの巨体に表情は無く、その中にいるミサトの顔も見えはしない。

「ミサト!」

 渾身こんしんの叫びだった。空気が震え、同時にミサトも制止する。

 奇跡なのかどうか分からない。だがこの機を逃す訳にはいかない。巨体の股下を潜り抜け、ジュンセはヒュウガの元へ走った。

 拳を握り、腕を振りかぶる。鬼気迫る顔で接近するジュンセに対し、ヒュウガが見せた対応は、小さな嘆息だった。奇跡など、最初から起きていなかったのだ。

「ジュンセっ、危ない!」

 悲鳴じみたリアの声が聞こえ、振り向いたが、もう遅い。

 ミサトの手がジュンセの身体を掴み取り、そのまま地に押し付けると、腕を引きながら地面に擦り付けた。バチバチと火花が散り、身体を削る痛みが、ジュンセを襲う。

 小物を手に取る要領で持ち上げられ、ゴミを捨てるように、仮校舎へと放り捨てられた。

 衝突の衝撃で外壁に亀裂が入り、潰された虫のように、ジュンセは崩れ落ちる。

「死体に泣き付いてどうするつもりだっての」

 呆れた顔でヒュウガは吐き捨て、ジュンセの様子を伺う。ここまで多大なダメージ受けてはいるが、ジュンセはまだ意識を保ち、両足で立つ事が出来た。腕章から得られるリバイブの力の恩恵、その賜物たまものであり、身体を守る為にリバイブが回され、オーバーヒートも起きる危険も無い。戦闘は続行可能だ。

 けれど、心が持たなかった。 

 糸が切れたように、ジュンセは片膝を着いた。

「……ジュンセ?」

 動かなくなったジュンセを見て、リアから血の気が引いて行く。このままジュンセが倒れてしまったら、自分はどうなるのか?そんな恐怖が全身を這い、堪らず声を張り上げる。

「ジュンセっ!立って!戦って!」

 強く懇願するが、ジュンセの耳にリアの声は届かない。

 思考が正常に働かず、身体が思う通りに動かない。つまり、戦意を失ったという事だ。

 そう見做みなしたヒュウガは憐憫の目をしながら、ミサトを操作して、最後の一撃を仕掛ける。

 迫り来る巨大な拳を前にしても、ジュンセは動けなかった。

「ジュンセ!」

 リアの絶叫が響き、激突の音が轟く。

 ミサトの拳は、ジュンセには届かなかった。

「邪魔が入ったか」

 舌打ちまじりにヒュウガが呟く。

 剛腕の一撃を止めたのは、戦端が亀の甲羅を模した錫杖だ。それを携えるのは、赤い制服を着る物静かな女子生徒、ハルカ。そして、更にその背中を支えているのは、小柄な青い制服を着た女子生徒、チヒロだ。共に飼育委員の腕章腕に装着し、ミサトの拳を抑えている。

「大丈夫ですか?ジュンセさん」

「チヒロ、ハルカ……」

 目の前に現れた二人の名を、呆然と呟く。そんな様子を気に掛けながらも、チヒロは目の前の脅威に意識を向ける。

「くらえぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ」

 元気な裂帛と共に、ユンが跳躍しながらニ丁拳銃を斉射する。しかし、口径の小さい弾丸では効果が得られず、躍起になったユンは、翼を羽ばたかせ、勢いの付けたドロップキックを繰り出した。

 体重の掛かった攻撃に、ミサトの身体は傾いた。その隙を逃さず、ハルカとチヒロも突撃する。全力のスイングと、渾身のタックルを叩き込んで、ミサトの巨躯を後退させた。

 大迫力の押し返しを目にし、ジュンセは放心する。そこへ、頼もしい声が掛けられる。

「待たせたな、ジュンセ」

 燈色の剣を携えたミオが、ジュンセに歩み寄った。

「たまたまお前がここへ向かうのを見かけてな。気になって付いて来た。遠くから話を聞いて、物騒な空気になったから、援軍を呼んだ。先に飛び出したかったが……オレは無茶をして一度やらかしたからな。チヒロたちを待っていたら遅れた」

 淡々と事情を説明するが、ジュンセは気が抜けた状態のままで、聞いているのか聞いていないのか怪しかった。

 嘆息しつつ、ミオはジュンセの頭をワシャワシャと掻き、面と向かいあった。

「しっかりしろ、とも言いたいが。今は、好きなだけ泣け。話は大体聞いてて察した」

 慈しむような瞳を向けて、ミオは勇ましく続ける。 

「多分、オレたちじゃあの野郎勝てないし、お前の友達も助けられない。だけど、お前が立ち直るまでの時間は稼いでやる。幸い今日はチヒロがいる。アイツはオレ達のバッファーみたいな役回りだからな、しばらくは何とかなる」

「ミオ……なんで」

 ジュンセの双眸そうぼうに光が戻り始め、ミオは安堵する。

「バカな事は聞くな。いいか?今は好きなだけ泣け。そして気が済んだら、もっと周りをよく見てみろ。お前にも、まだできる事があるだろう」

 激励げきれいのような言葉を残し、ミオも戦闘に参加する。

忙しなく動き続ける事で、巨大な敵を翻弄するが、決定打に欠ける為、勝機を掴む事は出来ない。一度だけ隙を見つけて、ミオがヒュウガを狙うが、純粋に戦闘力に差があった。返り討ちに遭い、ミオは再びミサトを抑えるべく、チヒロたちと連携する。

 その光景をぼんやりと見ながら、ジュンセは疲弊ひへいした思考でミオの言葉を反芻する。

 好きなだけ泣け。その言葉に従い、思い耽る。

 また独りになってしまった。

 全身にこびり付く痛みが、かけがえのない友たちの、最初の死を想起させる。

 間違いなく、ミサトに生きていて欲しかったから、風紀委員を引き受けた。いつか暴走してしまっても、絶対に助ける為に、全力で職務に励み、準備をしていた。

 きっとそれが、間違いだったのだろう。トウヤの時と同じだ。

 また一緒に過ごす為にと奔走した結果、当人たちを蔑ろにしてしまっていたのだ。

 それともう一つ、ジュンセは、心の底ではミサトの事を恐れていたのだ。再開した時の、絶望に沈んでいたミサトと向き合う事を、ジュンセは無意識に避けていた。

 その事実を自覚し、悔恨かいこんの念がジュンセを呑み込む。全身から、力が抜けてくずおれる。

「ミサト……ごめん」

 懺悔をした所で、何一つ変わらない。それでも、口にせずにはいられなかった。

もっと周りをよく見てみろ。続けられた言葉を思いだし、ジュンセは視線を巡らせた。

 紅潮こうちょうした顔で息を荒げ、横たわるリアの姿が視界に入った。

「リア!」

 喉に痛みを覚える程の叫びを上げ、ジュンセは姿勢の乱れた走りで、リアに駆け寄る。リアの身を案じると言うより、リアに縋ろうとしているような様をしていた。

「リア!大丈夫か⁉」

 熱くなった身体を抱き上げ、狂ったように声を掛ける。

「ジュンセ、ごめんね」

 憔悴しょうすいしたようなか細い声音だが、リアは力の限り、胸に抱いた慙愧ざんきの念を明かした。

「私が、あんな人を頼ったから、ジュンセを傷つけた。あの人は、ジュンセの友達を助けようともしてくれたから、私も、助けてもらいたかった」

「アイツが、ミサトを?」

 信じられなかったが、今のリアの言葉を嘘とは思わなかった。

 全身を苛む熱と不快感に耐えながら、リアは話を続ける。

「前に話してた、私のしたい事……私は、私はね……」

 瞳から涙を零して、リアは願いを告白した。

「私は、生きていたいの。ただ、生きていたいの。何かをしたい訳でも、何かになりたい訳でも無い。でも、もっとずっと、生きていたいの」

 透明に見えて淀んでいる。純粋でいて貪欲である願い。枯れ果てそうになったジュンセの心に、温もりが蘇る。

「ジュンセが辛いんだって、悲しいんだって分かる!でも、でも!」

 胸ぐらを掴み、這い上がるようにして、リアは顔を寄せた。

 グシャグシャになった無邪気な泣き顔で、必死の思いを打ち明ける。

「死にたくない。まだ死にたくないよ。助けてよぉ、ジュンセぇ」

 しゃがれた声で、リアは利己的な救いを求めた。

 その願いは、今のジュンセに取って、何よりも尊い希望であり、眩いほどの救いだった。

 激情を抱き覚醒し、思考能力が戻った所で、一つの想いを知覚する。

 ジュンセはそれを忌避し、嫌悪し、自身を醜悪しゅうあくな人間だと卑下した。

 凍結されるような感覚が燃えかけた心の熱を奪い、空虚な心境に至る。

 歓喜と悲嘆の狭間、ただ一つ、リアの願いだけが、ジュンセの中に残った。

「約束してくれ」

 冷やかでいて荘厳な声音を、リアは噛みしめるようにして受け取る。

「最後まで、生きていたいって。ここに居たいって、ここで在りたいって、そう言ってくれ。そしたら俺は、リアの為だけにでも、戦えるから」

 言葉の意味を、リアは理解できなかった。けれど、ジュンセの想いの強さを感じた。

 リアが静かに頷き、了承を得たジュンセは、リアをその場に残して、立ち上がった。

「ぐっ」

 苦悶の声を上げて、押し飛ばされたミオは地面に倒れ伏す。

「しつこいぞ。お前たちじゃ、大したデータが取れないんだよ」

 辟易した声でヒュウガが言い放ち、ミオは顔をしかめるが、直後に表情が緩み、その場で胡座あぐらをかいた。

「そうだな、もうオレたちの出番は終わりみたいだ」

 ミオが告げると、チヒロやユン、ハルカも戦闘態勢を解き、安心した顔で下がった。

 その意図を察し、ヒュウガは機嫌良さそうに視線を向ける。

「意外と、立ち直れたみたいだな」

 足取りは逞しく、表情は精悍。まるで別人になったかのように、ジュンセは歩いていた。

 その様子に、ヒュウガは益々高揚する。先程のような生半可な戦闘よりも、良い実戦データが取れそうだからだ。

「さて、まずは一発」

 ミサトを操り、拳を震わせる。それを、ジュンセは真正面から受け止めた。

「何だと⁉」

 声を上げてヒュウガが狼狽する。理由は、ジュンセの攻撃の受け止め方だ。ジュンセの背中、足元に、砂の結晶のような物質が構成されている。

「リバイブの物質構成だと⁉何でおまえが出来る⁉」

 焦燥に駆られて問い質すが、ジュンセは答える事無く、抑えたミサトの拳に目がけて、反撃の鉄拳を繰り出した。

 刹那、ジュンセは意識する。自身の身体、周辺、そしてミサトの巨躯を構成するリバイブを。主の意思に呼応し、風紀委員の腕章が発動する。

 ぶつけた拳を通し、破壊のリバイブを送り込んで、人型を形成するリバイブを内部から粉砕した。

 拳から腕、胸部に掛けて爆発が連鎖し、巨体が崩壊する。その中からミサトが飛び出すと、ジュンセは落ちてくる身体を抱き止めた。

 着ていた制服どころか、生身の身体が、所々ひび割れている。ヒュウガが施したのは、体内に残ったリバイブの出力を強引に引き上げる技術だった。その反動に、身体は耐えられなかったのだ。

 生気を失っている顔は、やはり物のように固まり、絶望の色しか見えない。

程なくして、ミサトの身体は完全に崩れ去る。火葬を待たずして、灰となったミサトは、ジュンセの腕から完全に消失した。

「ミサト……」

 ジュンセの顔に再び悲しみが宿る。

 遠巻きに見ていたミオたちも言葉を失い、心配そうにジュンセを見守っていた。唯一敵対しているヒュウガだけが、何の感動も受けず、無粋な問い掛けを投げる。

「なるほど、カノウからリバイブの扱いを教えて貰っ……」

 言葉の途中で、ジュンセが肉迫する。

 最早、問答は無用だ。今はただ、眼前の敵との戦いに注力し、リアの命を救う。それだけが、ジュンセの行動原理、生きる意義となっていた。

 鋭い鉄拳が迫るが、ヒュウガもこれを受け止め、反撃に転じる。素手による殴り合いが繰り広げられ、どちらも一進一退。不意にヒュウガの振った拳が、宙に出現した壁とぶつかった。

 壁はジュンセがリバイブを構築して出現させたものだ。動きの止まったヒュウガに回し蹴りを打ち込み、吹っ飛ばす。

 追撃に踏み込むが、左右から人影が現れ、ジュンセを阻んだ。

 ヒュウガが作りだしたリバイブの人形だ。サイズはヒュウガの等身大。素早い動きでジュンセを翻弄し、攻め立てるが、ジュンセはその動きを見切り、リバイブの壁で防御、反撃の拳で粉砕する。

 戦いの中で、ジュンセはリバイブの知覚を理解した。空気中に漂う匂い、身体の中に感じる痛み、他者の中に在る温もり、それらの中に、独特な感触を持ってるのがリバイブである。

 昨日のカノウとの稽古で、漠然とした手応えを得てはいたが、ここに来てようやく実感した。

 ヒュウガの背後にある匂い。固まれと強く命令し、それを腕章が受信する。

 具体的に座標が指定された事で、腕章は的確にリバイブを制御し、ヒュウガの背後にリバイブが凝固した壁がそそり立つ。

 背中の衝撃に気を取られ、ヒュウガに一瞬の隙が生まれる。

 即座に接近し、ジュンセはヒュウガを壁に押し付け、容赦なく殴りつけた。何度も何度も何度も、握った拳を振るい、上体に叩きつけ、暴力を行使する。

 少しずつ、リアは身体が楽になっていくのを感じた。しかし、ひたすらにヒュウガを殴るジュンセを、痛々しくも思った。そう思う資格が無いと分かりながら。

 渾身の右腕が炸裂し、横殴りの衝撃でヒュウガは壁の押し付けから逃れる。しかし、倒れる直前で首を掴まれ、そのまま持ち上げられた。

 バキンッ、と持ち上げた先で衝撃が生まれる。再びジュンセが壁を出現させ、ヒュウガにぶつけたのだ。

 壁は螺旋らせんを描くようにして伸び、ジュンセはヒュウガを壁に押し付けたまま走る。

 リバイブで足場を形成し、螺旋の軌跡を辿るように駆け上がる。壁に押し付けられたヒュウガは、擦り付けられる衝撃を受け、削られるような痛みに襲われる。

 数メートルほど登り詰めた所で、ジュンセは跳躍し、足場や壁は霧散する。

 そして、真下にリバイブによるかたまりが空中に構築され、ジュンセはヒュウガを掴んだまま落下した。

「うおぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ」

 雄叫びと共に、ヒュウガをリバイブの塊に叩きつける。塊は砕け、ジュンセの手からヒュウガが離れる。

 自由落下による衝撃が更にヒュウガを打ちのめし、ジュンセも着地に失敗して倒れる。

 息を切らした二人は、力を振り絞って立ち上がろうとする。

 総合的なダメージが僅かに上回り、ヒュウガは仰向けに倒れ、意識を失う。同時に番長の腕章も腕から外れ、飛び去って行った。

 なんとか立ち上がったジュンセも、全身に残る痛みと、爆発的に行使したリバイブの制御の反動で疲弊し、今にも倒れそうな状態だ。

「……リア」

 足を引きずりながら、ジュンセはリアの元へ向かおうとする。

 何となく、ミオたちの助けを期待したが、駆け寄ってくれる気配がない。不思議に思いながら、飼育委員の面々に目をやった。

 そこには、ぼんやりとジュンセを眺めて休んでいるミオたちがいた。ミサトを抑えていた為、ミオたちも疲弊しているとは考えられるが、この状況で黙って見ているだけの大人しい性格をしていただろうか?そんな疑問が湧き、ジュンセは違和感を覚える。

 そして、違和感は消えぬまま、ジュンセの思考を乱し始めた。

「……ミオ、チヒロ!」

 名前を呼ぶが、反応が無い。

「ハルカ、ユン!」

 同じく、二人も静かに座り込んでいた。

 焦燥に駆られ、身体に鞭を打って、リアに駆け寄る。

「リア」

 傍に寄って様子を伺うと、リアは疲れたように眠っていた。呼吸をしているので、生きているのだと分かる。手を添えてリアの中のリバイブを感じ取り、正常かどうかは断定できないが、確かに機能はしていると分かる。

「みんな、一体どうして」

 不安に呑まれ、疑問を口にすると、その答えが下された。

「心配は無い、ジュンセ」

「会長⁉」

 カノウの声が聞こえ、ジュンセは辺りを見渡した。しかし、カノウの姿は見えず、リバイブも知覚できない。

「彼女たちは大丈夫だ。そして、よくヒュウガに勝ったな、ジュンセ」

「会長、何処にいるんです⁉」

「今はゆっくり休むと良い。落ち着いたら、また話をしよう」

 それっきり、カノウの声は聞こえなくなった。

 理解の及ばない恐怖心に眩暈めまいを覚え、ついに限界が訪れる。膝を着き、手を着いて、そのままジュンセは倒れた。風紀委員の腕章も、離れて行く。

 死屍累々と洒落にならない言葉が似合う現場。そこへ白衣の天使ならぬ、保健の母が訪れた。

 スミネは大きく深呼吸し、努めて静謐せいひつな心持で、職務に当たった。

 


       

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