part8

 目が覚めると、ジュンセは母親の顔を目にし、夢を見ているのだと思った。

 病弱だったジュンセの母親は、ジュンセが生まれてから数か月後、十九歳の若さで亡くなっているからだ。

 母親については、父親から見せられていた映像記録で、その顔をハッキリと覚えていた。

 澄んだような髪をした、穏やかで優雅な雰囲気の女性。

 今現在、ジュンセが目にしている顔だ。

 ふと、ジュンセは母親の表情に違和感を覚えた。

 どこか緊張しているようにも、照れているよにも見える様子で、今にも爆発しそうなくらい顔を赤くしている。

 そして、謳泉学園の赤い制服を着ている事に気付き、ジュンセの意識がどんどん鮮明になっていく。

 五感が生々しい現実を認識し、目の前の母親が夢でないと分かると、ジュンセは飛び跳ねるように身体を起こした。

「母ちゃん?」

 口に馴染んだ呼び方で呼ぶと、母親、スミネは想像以上の感動を覚え、ジュンセから顔を逸らした。

「う、うんゴメン、ちょっとタンマ。ちょっとヤバいから……」

 鼻声で言いながら、スミネはハンカチを取り出し、顔に押し当てた。

 それからしばらく、微かなすすり泣きの声が保健室に木霊し、ようやく収まると、スミネは目の端を赤くして、改めてジュンセと向き合う。

「ゴメンね。体感二年ちょい振りに息子に会った上にね、初めて母ちゃんなんて呼んでくれるからその……感激過ぎてね、ヤバかったの、察して」

「えっと、まあ……そうなんだろうな」

 時間を置いた事でジュンセはすっかり冷静になり、突然の母親との再会を受け入れられた。

 しかし、物心つく前に死別していた為、会話をするのは初めてである。

 ジュンセ自身も話したい気持ちはあるが、何を話せばいいのかと戸惑ってしまうのだ。

 逆にスミネは、話したい事をたくさん用意していたのに、いざジュンセと対面すると、高揚と緊張に呑まれて、どう接したらいいか混乱してしまっていた。

 そうして二人は、気恥ずかしい沈黙の中で、どう切り出すかを悶々と迷ってしまう。

 このままではらちが明かないと、スミネは強引にネタを絞り出す。

「何か気まずいよね、久しぶりにおっぱい飲む?」

 ぶふっ、とジュンセは思わず吹き出した。

 スミネの発言が、冗談か本気か分かり辛いからだ。

「いや、確かに飲んでたんだろうけど。何年前の話だよ」

「あははー、私的にはこの間だからねー」

「だからって……何?俺の前でもそのノリなの?」

 半笑いでジュンセが聞くと、スミネの顔が固まった。

「え?そのノリ?え、どう言う事?」

「え、だって、父ちゃんと母ちゃんは、その……」

 言いながら急に気まずくなって、ジュンセは目を逸らした。

 そんな息子の反応に、スミネは嫌な汗をかいて顔を引きつらせる。

「あの~ジュンセ?私とご主……父ちゃんでいいんだよね?」

「あ、ああ」

「うん、父ちゃんとの、その……関係とかは、知ってたり?」

「えっと、父ちゃんから、色々そういう、動画を……」

「アイツ息子に親のハメ撮り動画を見せてたって言うの⁉」

 悲鳴じみた声でスミネはダイレクトな単語を放ち、ジュンセは更に気まずくなって渋面を浮かべた。

 ジュンセの両親は、ハッキリ言って普通の夫婦とは言い難かった。

 簡単に言うと、高校に上がったばかりのスミネを、ジュンセの父親は言葉巧みに騙し、陥れ、その痴態を弱みとして脅し、欲求と快楽の為に犯される日々が続いた。

 そして、その様子の一部を録画して保管していた父親は、思春期真っ只中のジュンセに見せていたのだ。

「ちょっと待って、今高校生なんだから、何時からそういうの見せられてたの⁉まさか小学校の頃とか⁉」

「イヤ、さすがに、中学の頃で……でもその時は……」

「ああああああもおおおおお、イヤぁぁぁぁぁ……」

 補足しようとするジュンセの言葉を聞かずに、スミネは頭を抱えてジュンセの使うベッドに頭を埋めた。

「ええぇぇぇだからアレでしょ?私のアレやコレやを大体知ってるって……?」

「あー、まあ。確かに……色々ヤバかった気が……」

「だああああああ、言わないでぇぇぇぇぇ!」

 奇声を上げながら、スミネはゴロゴロと悶え暴れる。

 動画での淫らな痴態を恥ずかしがっているようだが、今も十分醜態を晒している所を見るに、ジュンセは目の前の女性が父親から話をよく聞かされた母親なのだなと実感した。

「えっと、でも母ちゃんは、父ちゃんの事……」

 ジュンセの問い掛けを先読みし、スミネは顔を上げてヤケクソ気味に回答する。

「ええ大好きですよ愛してますよ!散々恥ずかしい調教をされた末に快楽堕ちして、身も心も捧げるまでになりましたよもう!」

「ちょ、もっと言葉を選ぶとかさぁ……」

「ああ、うん、そうだね。ごめん、タダでさえ緊張しまくってたから、パニくっちゃって」

 息子に宥められている状況が別の恥ずかしさを生み、我に返ったスミネは一旦落ち着こうと息を整える。

「あーあ、もっとこうさぁ、感動の再会的な……まあ具体的なイメージは無かったんだけど、そういうのがしたかったよ」

 残念そうに笑うスミネを見て、ジュンセは温めていた疑問を投げる。

「何で、母ちゃんが……今、この学校に?」

 スミネが亡くなったのは、ざっと一五年ほど前である。

 年齢的にリバイブによる蘇生の対象であるにしても、ジュンセと同じ時期に謳泉学園にいるのは異常なのだ。

「リバイブについては、生徒会長から聞いてるんだよね?」

「そうだけど」

 リバイブを知っている事にも驚きつつ、ジュンセは首肯する。

「それじゃあ、簡単に説明するけど……まずご主……父ちゃんがね、この謳泉学園の関係者と知り合いだったの」

「えっ⁉」

 予想外の事実に、ジュンセは息を呑んだ。

 当然だが、保護者である父親は、ジュンセの謳泉学園への入学を承知している。

学校を選ぶ際も、よく相談に乗っていた。

だが父親は、謳泉学園を知っているような事など、ジュンセには全く言わなかったのだ。

「知らなかった」

「うん。何て言うかさ……不幸にもジュンセは、この学校を知る理由が出来ちゃったからね。たぶん私との再会はサプライズにしようと、父ちゃんは考えたんだと思う」

 謳泉学園を紹介された理由、ミサトとトウヤの事を思い浮かべ、ジュンセは表情を暗くする。

「話を戻すね。知り合いにいた謳泉学園の関係者から、私の夫である父ちゃんは、私が蘇って謳泉学園へ入学する事を聞いたの。で、父ちゃんはある提案をしたの」

「提案?」

「そう。私を、ジュンセが高校生になる頃に蘇生させられないかって」

「っ、そんな事が出来たのか?」

「まあ完全に実験だよ。リバイブの新しいデータが取れるって事で承認されて、私は十年以上、リバイブに漬け込まれてたの。一応、あの飼育委員の子たちと、似たような感じだね」

 ちょっとした小話をするように語るスミネだが、母親がミオたちのように実験を受けたと知り、ジュンセは心中穏やかではいられなかった。

「大丈夫なのか?何て言うか……」

「ああ、全然問題ないよ。一応他の生徒さんたちよりかは検査とかが多かったり、リバイブを少し強く扱えたりするけど、特に困った事は無いかな」

「けど……」

「結果論だけど、お陰でこうして、大きくなったジュンセに会えたし、助ける事も出来たの」

 幸せそうな顔でスミネが言うと、ジュンセは助ける、という部分が気になり、自身に起きた事を尋ねる。

「俺、飼育委員の奴らに……負けたんだよな」

「うん。頑張ってたけど、腕章から供給されるリバイブを身体が受け入れきれなくなっちゃって、オーバーヒートした感じだね」

「オーバーヒート?最後の、急に全身が爆発したアレ?」

「そう。腕章は常にリバイブを身体に供給してくれるんだけど、それを攻撃とかで消費しないと身体に蓄積されて、限界を超えると体外に放出する為に暴発するの。その際に、全身が爆発してダメージになっちゃう」

 身を持って体験したジュンセだが、改めて聞くと、腕章を使う危険性を実感し、身震いした。

「……守ってるだけじゃ、ダメだったのか」

「そうだね、あの戦い方は、マドカだったら、覚悟が足りない、て言うと思う」

 スミネの口からマドカの名前が上がり、ジュンセは反射的に聞き返す。

「マドカ先輩を知ってるのか?」

「そりゃね。実は私、マドカとは同期生なんだ。研究の為って事で、私は一年留年したから、今は学年が違うんだけど」

 言って、スミネは制服の内ポケットから保健委員ピンを取り出した。

「それと、保健委員である私は、風紀委員だったマドカのサポートも仕事なの。だから付き合いも長くて……あの子は、私の初めての親友なの」

 少し寂しそうな顔になるスミネを見て、ジュンセは胸を痛くした。

「ごめん、母ちゃん」

「ジュンセが謝る事じゃないよ。危ない時は何度もあった。それでこの前、限界が来たってだけ」

 遠くを見るような目で、スミネはしばし、保健室の窓から空を眺めた。

「マドカ自身が選んだ事だもん。それを私がグチグチ言うなんて、親友として出来ないよ」

「……マドカ先輩って、どんな人だったんだ?」

 真剣な声で質問するジュンセに、向き直ったスミネは穏やかに答える。

「真面目って言うか、律儀だったのかな」

 一呼吸置き、スミネの口から、マドカについて語られる。

 マドカは、小さい頃に事故に遭いそうになり、そこを知らない男に助けられた。しかし男は、マドカを庇って命を落とした。男は前科持ちであり、周囲の人間は、マドカの生存を喜ぶも、男には何の言葉も送らず、マドカだけが、男に感謝の気持ちを抱いた。

 以来マドカは、救ってもらった命を無駄にしないよう、善行を重ねて生きていった。

 だが高校生の時にまた事故に遭い、今度は助かる事が出来ず、マドカは命を落とした。

 そして、リバイブにより蘇生し、謳泉学園に入学した。

 救ってもらった命を失ってしまったマドカは、このまま何もしないで終わりを迎える訳にいかないと決意。人の為に働こうと行動し、その中で風紀委員の存在を知って、その役目を引き受けたのだ。

「……とまあ、そんな感じ。奉仕精神ていうの?人に尽くす事も好きだったから、人の為に頑張ってた。そういう所が好きになって、私も仲良くなった感じかな」

 懐かしむようにスミネが語ると、ジュンセは妙な空虚感に苛まれた。

 知りたかったマドカの事を、なぜ風紀委員をしていたのかを聞いて。求めていた答えが突然あっさりと見つかった事で、ジュンセの心を不完全燃焼させたのだ。

 そんなジュンセに、スミネは真面目な顔を向けた。

「それじゃあ、私からも聞くよ」 

 ひどく丁寧な口調に、ジュンセは緊張感を覚える。

「ジュンセ……どうして風紀委員を引き受けたの?」

 真っ直ぐに投げられた問い掛けに、ジュンセは心臓を掴まれたような気分になる。

 スミネの気持ちは至極単純。危険な事をしている息子を心配して、何故そんな事をしているのかを問い質しているのだ。

「友達と……力になってやりたい奴もいて……」

「ふーん。で、飼育委員の子たち相手に、あの様だったんだ」

 正直な答えを、爽やかな顔で一蹴され、ジュンセは剣呑な顔になる。

「誰かの為に頑張るのは立派だと思う。けどね、何も出来ないようなら、あんな危ない事は止めて欲しいって、私は思うよ」

 追い込まれていた心が軋み、限界を迎える。

 戸惑い、失い。苦悩し、敗北した。そして母の想いを聞き、ジュンセは何も言い返せない。

 ベッドのシーツを握り、爪が皮膚に食い込む。

 悔しさが溢れ出し、ジュンセは熱を帯びた顔を俯かせると、ベッドに雫が落ちた。

 情けなさを通り越して無様に思う。何も出来ない上に、母親にさとされて泣きべそをかいている。

 逃げ出したい気持ちと、逃げたくない意地とで葛藤かっとうが起こり、震えながらも石のように動けない。

 そうして停滞する自分がもっと嫌になり、ジュンセは衝動的に言葉を絞り出す。

「ダメだ……」

 諦めの言葉にも聞こえるが、声に込められた熱から、スミネは逆の意味なのだと受け取る。

「ダメだ。俺はまだ、ここで止めたくないんだ。ごめん、母ちゃん」

 顔を合わせないまま、母の想いからも目を背けている。そう自覚しながらも、ジュンセは自分の意思を伝えた。

 スミネは表情を変えず、重ねて問い掛ける。

「どうして止められないの?」

 短い沈黙の中で、脳裏にリアとチヒロが浮かんだ。何故か二人が浮かんだのか分からないまま、ジュンセは一緒に出た答えを告げる。

「正直わかんねぇよ。けど、俺はこのまま終わりたくないんだ。何も無いまま、また失くすのは嫌なんだ」

 つたなくも素直な想いが保健室に木霊し、スミネは神妙な面持ちになって、静かに、ほんの僅かな動きで頷いた。

「なら、どうするの?」

「それは……」

「どうすれば、ジュンセは飼育委員とちゃんと戦えるの?」

 思わぬ問い掛けに、ジュンセは顔を上げた。

「どうって、え?」

「だから、私が何をしてあげれば、ジュンセは飼育委員の子たちと戦えるの?さっきみたいに行くと、また負けるだけだし、私は特別だから、万が一の時以外は戦っちゃいけないの」  

 まるで今日の晩ごはんは何がいいか聞くような調子で、スミネが問い詰めてくる。

「母ちゃん。俺を止めようとしてたんじゃ」

「だって、ジュンセは止めたくないんでしょ?風紀委員」

 諭すように聞き返され、ジュンセは強く頷いた。

「だったら私は、ジュンセの背中を押したいよ。母親失格かも知れないけど……」

 躊躇うように言葉が止まり、哀愁あいしゅうに染まる顔が垣間見える。

 スミネはそれを振り払い、ジュンセに風紀委員ピンを差し出して、儚げに微笑んだ。

「何にも出来ない気持ちは解っちゃうからね。やりたい気持ちがあって、出来る力があるなら、その邪魔をしたくはないよ。ジュンセにはまだ、出来る事があるんだから」

 スミネの意思を受け、ジュンセの中で熱さと冷たさが混ざり合う。どうしようもない自分自身に苛まれ、思考が乱れる。衝動的にピンを受け取り、ベッドから飛び出す。背中を向けたまま、ジュンセは問うた。

「アイツらは、どうすれば、どう戦えば死なせずにできる?」

 しゃがれた声で発せられた、まとまりの無い質問だ。

スミネはそれを読み解き、ジュンセの疑問に答える。

「あの子たちは、私やジュンセみたいに、腕章から特殊なリバイブをもらって強化されてるの。けどそれは、理屈的には暴走している状態と近い。腕章があるから、安全ではあるんだけどね。私の予想だけど、飼育委員の子たちは、ヒュウガくんがジュンセに用意した仮想敵みたいな役なの」

「仮想敵?」

「そう。腕章はダメージを受けると、強化が維持できなくなってエラーを起こすの。さっきのジュンセみたいにね。同じく暴走した生徒も、腕章からのリバイブを使った攻撃で鎮静化する。その時の力加減を、あの子たちで練習しろって魂胆だと思う」

「アイツ、そんな事を」

 ヒュウガの顔を思い浮かべながら、ジュンセは忌々しげに呟く。

「危なくないのか?飼育委員の奴らは」

「そうやって相手を心配している内は、大丈夫じゃないかな?腕章からのリバイブは、実際の力加減に近い感覚だってマドカも言ってたし、ジュンセが相手の事を考えて戦えばね。それに血の気が多い感じだったし、多少痛い目を見ても大丈夫でしょ」

 最後の方は気楽な調子で終わったが、ジュンセの不安は拭えない。

「もし、暴走したら?」

「……そうだね。追い込まれて、気持ちが乱れたら可能性はゼロじゃない。だから、暴走させないように戦うの」

 難しい事だと思い、ジュンセの身体が強張る。そんなジュンセを、スミネが助ける。

「人ってね、理不尽な事に惑うけど、納得が行けば、大概の事は受け入れられるものなんだよ」

 ほがらかな言葉が胸に染み、ジュンセは目を拭って、赤くなっている顔をスミネに向けた。

「認めたくない事とか、嫌な事があっても、それが本当に仕方がない事だったり、偉いと思えちゃう言葉だったりすると、不思議と冷静に考えちゃう。達観した感じって言うの?」

 どこか開き直った様子で語り、スミネは自信に満ちた目で、ジュンセを見据えた。

「ここからは、私よりジュンセの方が分かるんじゃない?私より、飼育委員の子たちと話してたなら。あの子たちの事を気遣ってあげられたジュンセなら。答えの出し方を見つけられる」

 スミネが言い切った直後、ジュンセは考え、すぐに答えを出した。

 飼育委員たちの問題で、確かめなければならない事を。

「ありがとう母ちゃん。俺、行ってくる」

「うん。行ってらっしゃい」

 穏やかに言葉を交わし、ジュンセは保健室から飛び出した。

 それを見送り、スミネは気持ちを整えるように深呼吸する。

 そして、身体を反らして窓から空を仰ぎ見た。

「はぁ……、人の弱みを見つける才能。父親譲りって事かな~。て言うか私って、あんなにもチョロかったのかな~」

 自分の気持ちを誤魔化すように、スミネは下手な悪態を吐く。

 そして、生きている実感を味わうように後悔した。


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