part6

 マドカから逃げたトウヤは、完全に自我を失った状態で校内を彷徨い、刺激を与えてくる場所へと、引き付けられるように向かっている。

 その進行方向には、体育館があった。

 床が叩かれる音が外まで響き、トウヤを引き寄せているのだ。

 今のトウヤが現れれば、大騒ぎになるのは必至ひっし

 それを防ぐべく、生徒の為の組織の長、カノウが現れ、トウヤの前に立ちはだかる。

 その左腕には、『生徒会長』と記された腕章が付いていた。

 現れたカノウに対し、思考できないトウヤは野獣のように突進した。

 そんなトウヤを、カノウは憐憫れんびんの目で見据え、静かに左手をかざした。

 すると、トウヤの右肩辺りに衝撃が生じ、火花を散らすと共に、仰向けに倒される。

「やはり、加減が難しいな」

 残念そうに言うと、カノウは逃げ出そうとするトウヤの進行方向に、かざした手を振った。 

 トウヤの身体にまた衝撃が生まれ、その圧力に負けて倒れる。

 撫でるようにカノウは手を振り続け、その度に発生する衝撃が、トウヤを痛め付けた。

 それが何度か繰り返されると、トウヤはボロボロになって地に伏した。

「……すまない」 

 懺悔ざんげするように、厳かな声で告げると、カノウは右の手を腕章へと運ぶ。

 その時だった。

「待ってください!」

 雷にも負けないくらいの叫びが届き、カノウは手を止めた。

 声の主を探すと、駆けつけて来たジュンセの姿を見つけ、吃驚する。

「ジュンセ?」

「会長!俺にやらせてください!」

 いさましく吠えながら、ジュンセはマドカから受け取った、安全ピンを見せる。

「マドカの風紀委員ピン……」

 更に驚き、ジュンセに扱えるのだろうか、とカノウは注意深い顔になる。

 フラフラと立ち上がったトウヤが、大きな音を発するジュンセの方を見る。

 暴走したトウヤと再び対峙し、ジュンセは息を呑んだ。

 だが、もう混乱はしていない。

 託された力、風紀委員ピンを強く握り、金具から針を外した。

 それを起動の合図として、何処からともなく腕章が飛んで来た。

 『風紀』と記された表面に目と口が浮かび、腕章はジュンセの周囲を飛び回る。

 まるでジュンセの事を値踏ねぶみするように見て回すと、腕章はケケケッ、と不気味な笑い声を出す。

 そして、腕章はジュンセの左腕へと突撃し、その口を大きく開いて、制服の上からジュンセの左腕に噛みついた。

「いっ……」

 犬にも噛まれた事の無いジュンセは、牙の立つ独特の感触と痛みに声を漏らす。

 だが、マドカに教えてもらった使い方の手順では、まだ途中だ。次がもっと怖い。

「ミサト……トウヤ」

 友の名を呟き、勇気を振り絞ると、ジュンセはピンの針を、腕に噛みつく腕章に突き刺す。

 針は腕章を貫き、ジュンセの腕の血肉をも切り裂いた。

「ぐっううっ……」

 苦悶くもんの声を漏らしつつも、ジュンセは焼けるような激痛に耐える。

 飛び出た針に、自動で金具が引っ掛かり、ジュンセの腕に腕章が留められた。

 そこで腕の痛みは途切れ、腕章から火の粉のような粒子が吹き出し、ジュンセの身体を包み込んだ。

 粒子が全身に溶け込み、ジュンセは溢れ出す活力を感じて、不思議な高揚こうよう感を覚える。

 身に宿った力で、何かを成せるような感覚だ。ジュンセは強い眼差しでトウヤを見据える。

「待ってろ、トウヤ!」

 必ず助けるという意思の元、ジュンセは駆け出し、トウヤに突撃した。

 同時に、右の手を腕章に近付ける。

 腕章から口が飛び出し、ジュンセの右手に噛みつくと、そこから粒子が溢れ出した。

 すでにトウヤはダメージを蓄積ちくせきし、あとは決め技を打ち込んで、暴走した力を吹き飛ばせば、元の状態に戻る。

 マドカの教えを信じ、ジュンセは走りながら構えた。

 距離が縮まると、向かって来るジュンセに対し、トウヤも飛びかかって来る。

 雑に振るわれた腕を躱すと同時に、トウヤのボディに右の拳を打ち込む。

 直撃を受けたトウヤは身体を曲げ、その背から灰色の粒子が吹き出し、霧散むさんした。

 それと同時に、明るい粒子も大量に漏れ、消えていく。

その様子を、カノウは苦々しい顔で見届けた。

 ガクリと腕を落とし、倒れ込むトウヤをジュンセは受け止める。

「トウヤ、トウヤ!」

 仰向けに支えながら、その場に膝を突き、ジュンセは強く呼びかける。

 ゆっくりと、トウヤの目が開いた。

「……ジュンセ?」

「トウヤ!」

 反応を示してくれた事に歓喜の声を上げ、ジュンセは続けてまくし立てる。

「ごめんな。俺お前たちと、どうしてけばいいか分かんなくて。ずっと考えて、あちこち回って、相談して……でも良かった……!」

 誤解を解こうと謝り、元に戻った事を心から喜んで、ジュンセは涙目になる。

 そんなジュンセを見て、トウヤも感極まったような顔で、瞳がうるんでいく。

「俺……俺だって怖くて……でも、やっぱ……お前らの事、考えて……だから、会いたかったのに……」

「ああ、ごめんな。でも大丈夫だ、同じ学校なんだから。もういつでも会える」

「俺……ミサトに、あんな事……そんな、つもり……」

「分かってる!事故は、仕方なかったんだ!お前がミサトを本気で恨むなんて無い。大丈夫だ。これから、また一緒に遊んで、お前らのバカ騒ぎを、俺が抑えてやるから。これからなんだよ、トウヤ!」

「ミサ、ト……」

 トウヤの目から徐々に光が薄れ、声も弱々しくなっていく。

 それに気付けるだけの余裕は、今のジュンセには無かった。

「ああ、会いに行こう。少し休んだら、また三人で……」

「ミ……サ……、ジュ、ン……ごめ……」

 ピタリと呼吸が途切れ、目の焦点しょうてんが合わなくなり、トウヤは、動かなくなった。

「トウヤ?おい……どうした?」

 様子がおかしいと、ジュンセは揺すりながら声を掛ける。

 反応は無かった。

「おい、トウヤ……トウヤ⁉」

 思考が止まり、ジュンセはとにかく声を掛ける。

 しかし、いつまで経っても、トウヤが反応を示す事は無かった。

「あー、やっぱり駄目だったか~」

 呑気のんきな声が聞こえて、ジュンセは顔を上げる。

 軽快な足取りをして、ヒュウガがやって来た。

「……残念だが、そのお友達、もう死んでる」

 端的に、そしてハッキリと、ヒュウガは事実を告げた。

 だが、ジュンセには理解も納得も出来なかった。

「……だって、俺ならトウヤを助けられるかもって……」

「そんな都合のいい事言ったかな~?俺はマドカやカノウより可能性があるって言ったはずだぞ?」

「でも……可能性、高いって……」

「確かにな、数パーセントと十数パーセントよりはあるって話し。お前の場合はまあ、そうだな……二十パーセントくらいか?」

 あまりにも粗末な返しに、ジュンセは今までに無い憤りを感じた。

 だが、怒りに従う前に、カノウがヒュウガのかたわらまで詰め寄り、流れるような動きで、拳を叩き込んだ。

「ぐっ……カノウ、テメェ……」

 鳩尾みぞおちに入れられ、ヒュウガは忌々しげに呻きながら、カノウを睨んだ。

「どう見てもお前が悪い。マドカはどうした?」

 文句を一蹴いっしゅうして、カノウは一番の気掛かりを問うた。

「アイツのお友達女子に任せた。保健室に運ばれてる」

「そうか。もういい、お前は行け」 

 一方的な物言いに舌打ちするも、ヒュウガは指示に従い、その場を後にした。

 それを横目に、カノウはジュンセの元まで歩み寄り、トウヤの亡骸なきがらに手を伸ばす。

 トウヤの瞼を優しく閉じ、哀悼あいとうの意を表するように、カノウも目を閉じた。

「会長……トウヤは……」

 縋るようなジュンセの問い掛けを受け、カノウは面と向き合う。

「すまない、ジュンセ。ヒュウガの言う通り、私にも助けられたかどうか分からない。彼を助ける事が出来るのは、マドカだけ、だっただろう」

「そんな……」

 深く悔やむカノウの言葉で、ようやくトウヤの死を実感する。

 またも直面する友の死に、ジュンセは感情を抑えきれず、涙を流す。

 駄々をこねる幼子のように、昂ぶった気持ちに任せて、泣き叫んだ。

 空を覆う雷雲が、ジュンセの嘆きを掻き消そうとするように、雷鳴を轟かせた。

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