part5

 顔に当たる雨粒が冷たくて鬱陶うっとうしい。

 ただでさえ激しい動悸どうきに顔を熱くしているトウヤが、ますます苛立ちをつのらせていく。

 乱暴に手首を握られ引っ張られても、黙って付いて来るミサトにも憤る。

 まるで知っている顔をした別人を連れ出しているような感覚が、トウヤを苦しめるのだ。

 そうして訪れたのは、特別教室が集まる校舎の裏側。

 天気の悪さも相まって、薄暗い場所での静寂が、独特な不気味さをかもし出していた。

 手を放してミサトを解放し、トウヤはやるせない顔でミサトと向き合う。

 しかしミサトは、逃げるように目を背けて、ただ佇むだけだった。

 心が乱れ、息が荒くなる。

そんなトウヤの様子に、ミサトは怯えた。

「なんか言えよ……」

 絞り出すようにトウヤが言うが、ミサトは何も言い返せない。

「なんか言えよ、ミサト!」

 怒鳴りながら、トウヤはミサトの肩を掴み、勢いで校舎の壁に押し付ける。

「……ごめん、なさい」

 か細いうめき声のような言葉に、トウヤは愕然がくぜんとする。

 怒声やののしり合いなど、死ぬ前までは日常茶飯事にちじょうさはんじだったのに。

 こんなのはミサトではない。やはり同じ顔をしているだけの何かだ。

 そんな風に思うと、トウヤは世界に一人だけ取り残されたような孤独感を覚える。

 夢を見ているだけで、自分は確かに、死んでしまったのだと。

「あ、ああ……」

 腹の奥底から、気持ちの悪い感じが溢れ出していく。

「ああぁぁっ、あああぁぁぁぁっー」

 ミサトを押さえつけて固まったまま、トウヤは絶叫して狂ったように首だけを回した。

 意味の解らないトウヤの悶えように、ミサトは全身をうような恐怖を感じる。

 涙目でカタカタと震えるも、拒絶の言葉も、反抗する意思も出す事が出来ない。

 どうにもならない状況に思考が圧迫され、意識が遠のきそうになる。

 すると、目の前からトウヤが連れ去られていった。

 混乱する頭で周囲を見渡すと、トウヤを押さえつけるジュンセの姿を見つける。

 懐かしい光景を目にし、ミサトは無意識に安堵した。

「落ち着け、トウヤ!落ち着け」

「ああっ、あああああぁぁぁっ」

 錯乱さくらん状態でもがくトウヤを、ジュンセは羽交い絞めの形で抑えようとする。

 しかし、徐々にトウヤの力が増していき、ジュンセは強引に振り払われた。

「なっ」

 力負けした事に動揺しつつ、ジュンセはミサトを庇うようにして、トウヤと対峙する。

 そこでようやく、トウヤはジュンセに気付いた。

「っ……ジュンセ?」

「どうしたんだよお前ら、こんな所で!」

 ジュンセが来たのは、トウヤの謎の発狂と同時だ。

 だが、ジュンセが来る前に何かあったと言う訳ではない。

 トウヤは偶然ミサトと再会し、衝動的に連れ出して、気持ちが爆発した。

 これと言った返答が出せず、トウヤは目の前にいるジュンセの事を考え、激情げきじょうする。

「ジュンセ、お前……」

「え?」

「お前、何してたんだよ……?」

「は?何って、何だよ?」

「お前、今まで何してたんだよ⁉」

「今までって……」

 二人が死んでからの事なのか、入学してからの事なのか。

 質問の意図がおぼつかず、ジュンセは困惑した。

 だがすぐに、トウヤは己の意思を主張する。

「お前、あちこち行って、部活なんかも色々行ってて、それが何で、急に俺たちの前に出て来るんだよ?」

 恨み言のように告げられ、ジュンセはトウヤの誤解を理解した。

 ミサトとの事があり、それをマドカに相談する為、校舎を駆け回っていた。

 その姿を、トウヤはどこかで見ていたのだ。

 最悪、すれ違っていたかもしれない。

 先の見えない時に、仲の深かった相手に見向きもされないと思うと、その寂しさは、ひどく辛いものだろう。

 トウヤの気持ちを察し、ジュンセは誤解を解こうと語り掛ける。

「違う。人を探してただけだ!」

「俺たちじゃ、なくてか?」

「っ、確かにお前らじゃないけど、お前らの為にって……」

 上手い言葉が見つからず、ジュンセは言い淀む。

 これでは誤解を解くどころか、以前のような関係を取り戻す事もままならない。

 そんな不安が湧き出す中、ジュンセは目の前のトウヤの表情を見て、不安を更に大きくした。

 まるで何も信じられないような、虚ろな目。

 何を言っても聞き入れてもらえないような様子に、ジュンセは怯んでしまう。

 すると、不意にトウヤが言葉を零す。

「何で、こんな事になっちまったんだ?」

 その言葉に、ジュンセとミサトは悪寒を感じた。

 受け入れがたい事実が、すぐそこに迫る恐怖。 

 だが二人は抗えず、トウヤが悔やむように続けた。

「あの時、キャンプに何て行かなけりゃ……」

「トウヤ、よせ!」

 我慢できずに、ジュンセはトウヤを止めようとする。

 しかし、トウヤの視線はミサトに向けられている。

「ミサトが言い出さなけりゃ、こんな事には、こんな風には……」

 臨界寸前りんかいすんぜんのように、頬がピクピクと痙攣けいれんし、喉の辺りが震える。

 トウヤの爆発を、誰も止める事は出来なかった。

「ミサトの所為で、こんな事に……ミサトの所為で俺は死んだんだっ!」

 誰一人として望まなかった言葉。

 肌を切り裂くような迫力を持つ一声に、ジュンセは慄き、ミサトは表情を失って崩れ落ちた。

 ふと、ジュンセはトウヤの身体に異変を見つける。

 薄暗い色の粒が、トウヤの身体から噴き出すように発生している。

 雨粒ではない。

 まるで燃えさかる炎から舞い立つ、灰のようだ。

「おい、トウヤ……何だよそれ?何か出てるぞ⁉」

 不穏な雰囲気に、ジュンセは声を荒げる。

 しかし、トウヤには伝わっていない様子だった。

 き出す灰のようなものは徐々に多くなり、トウヤの身体を包んでいく。

「おい、どうしたんだ?……トウヤ⁉」

 危機感を覚え、ジュンセは強く呼びかける。

 それに応じるようにして、トウヤは面を上げ、地を蹴った。

 真っ直ぐジュンセに迫る。

ぶつかれば、タダでは済まない勢いだ。

 突然の動きにジュンセは反応が遅れ、身を守る事が出来ないまま、顔を引きつらせる。

 刹那、トウヤの身体は横殴りの衝撃に吹っ飛ばされた。

 ジュンセの視界に、サラッとした髪が流れる。

「ふう……危ない危ない」

 言葉の割には呑気な雰囲気の声。

ジュンセは、その声の主を見て、目を見開く。

 そこには、ジュンセが会いたかった先輩、マドカが立っていた。

 赤い制服を纏い、その左の袖に、『風紀ふうき』と記された腕章わんしょうを付けている。

「さてと……」

 倒れていたトウヤが立ち上がると、マドカは悠々とそれを見据え、次いでジュンセを一瞥して告げる。

「後輩くん。そこでじっとしててね」

「えっ、せ、先輩⁉」

 状況に付いて行けず、ジュンセはマドカを呼び止めようとした。

だが、マドカは聞き流して、トウヤへ向かって歩き出す。

 距離が縮まると、トウヤは奇襲を掛けて来たマドカを敵と見なし、野獣のように飛び掛かる。

 無言で迫るトウヤを、マドカは難なくかわし、同時に足を引っ掛けて転倒させた。その時、マドカは軽くトウヤの身体を叩いた。

 すぐにトウヤは立ち上がり、またも無言でマドカに向かって行くが、マドカはそれを回避し、トウヤの勢いを利用して、体勢を崩させ、その身体を叩く。

 しばらくそれが繰り返され、ジュンセは呆然として、その光景を見守る。

 いったい何が起きているのか?

 そんな疑問が胸の内で騒ぐが、マドカの顔を見て、ジュンセは疑問を抑えていられた。

 いつくしむような表情。

 トウヤに対し、悪いようにはしないという意思が感じ取られ、元からあるマドカへの印象もあって、ジュンセを安心させているのだ。

 そんなマドカの事を、ミサトは知らない。その表情も、見る余裕が無い。

「よっと!」

 何度目かの突撃を躱すと、マドカはトウヤの背後を取り、その背に平手を打ちこんだ。

 バチっ、と乾いた音と共に、トウヤの背に火花が発生し、トウヤはジュンセたちの少し前の辺りに倒れた。

 さすがにこれはジュンセも驚愕し、少し心配になる。

 だがマドカの表情は変わらず、どこか頼もしさが感じられた。

「それじゃあ、仕上げに入ろうか」

 弾んだ声で言うと、マドカは右手を掲げ、それを左腕に着けた腕章へと運んだ。

 腕章から口が飛び出し、マドカの手に噛みつく。

「なっ⁉」

 一瞬の光景に、ジュンセは自分の目を疑った。

 すると次の瞬間、マドカの右手に、トウヤから漏れている粒と同じようなモノが溢れ出す。

 トウヤから出るモノより明るいそれは、猛々しい火の粉にも見える。

 如何にも必殺技という雰囲気に、ジュンセは息を呑んだ。

 あんなものを受けて、トウヤは無事で済むのだろうか?

 緊張と不安に呑まれそうになるが、ジュンセはマドカを信じ、言われた通りジッと待って、行く末を見守る。

 マドカが駆け出した。右手を構え、トウヤとの距離を詰める。

 立ち上がったばかりでトウヤは隙だらけだ。

 間合いに入る。その直前、マドカの前に、ミサトが割って入った。

「ダメっ!」

「っ、ミサト⁉」

 いつの間にか飛び出していたミサトに、ジュンセは息を詰まらせる。

 同様にマドカも不意を突かれ、強引に勢いを殺して、動きが鈍る。

「ちょっ、危ない!」

 空いた左手で、ミサトを横へ突き飛ばす。

 手加減する為、完全に立ち止まってしまう。

その隙が仇となった。

 ガチンっ、と素手の喧嘩では聞こえないような炸裂さくれつ音が鳴る。

 トウヤの腕が、マドカの腹部に突き立てられた。

「がはっ……あぁっ」

 鈍い痛みに、マドカは野太い声を漏らし、ヨロヨロと背中から倒れた。

 それを好機とばかりに、トウヤはマドカに飛び掛かり、馬乗りの形を取って、マドカを容赦ようしゃなく殴りつけ始めた。

 何度も何度も雑に腕を振るって攻め立て、マドカも腕を出して防御する。だが全ては防ぎきれず、胸から上を殴られる。

 腕と腕がぶつかる度、皮膚よりもずっと硬いものがぶつかったような音が刻まれ、同時に火花も飛び散っていく。

「あっ……これ、やば……」

 マドカの顔から、余裕が消えた。

 何とかしなければと、身体に力を入れるが、腹部に残る痛みが邪魔して、思うように動けない。

「止めろぉ!」

 雄叫びと共に、ジュンセが全身を使ったタックルを繰り出し、トウヤを押し飛ばした。

 一時的にマドカが解放される。

 しかし、トウヤはすぐに立ち上がり、今度はまたジュンセを狙って突っ込んで来る。

 ジュンセは受け止めようと身構えた。だが、今のトウヤを、ジュンセが止める事は出来ない。

 それをよく知るマドカは、立ち上がると共にジュンセの前に立ち、迫り来るトウヤの拳を、腕を使って受け止める。

 じんわりと広がる痛みを堪え、マドカはトウヤの拳を掴むと、上に引き上げ、空いた横腹に蹴りを叩き込む。手加減が出来なかった。

 激しい炸裂音と共に、トウヤは十メートル以上の距離を飛んで行く。

「トウヤ!」

 強烈な一撃を前にし、ジュンセは声を張ってトウヤに呼び掛ける。

 ヨロヨロと立ち上がると、トウヤはその場から逃げ去って行った。

「あっ、ダメ。待って!」

 焦燥しょうそうの滲んだ声で叫び、マドカはトウヤを追い掛けようと踏み出す。

 だが、マドカは進む事なく膝を突いた。

「あっ……ヤバい……」

「先輩!」

 トウヤの事も気掛かりだったが、それ以上に動けなくなったマドカが心配で、ジュンセも膝を突く。

「大丈夫ですか⁉先輩」

「まあ、一応……」

 言いながら、マドカは立ち上がろうとするが、踏ん張りが利かずに、体勢を崩す。

 倒れそうになるマドカを、ジュンセが受け止める。

「先輩!」

 立てなくなったマドカが本気で心配になり、ジュンセは怪我をしていないかと視線を巡らせる。

 男に殴られまくったとは思えない程、綺麗な肌をしていた。

「大丈夫ですか?クラクラするとか⁉」

「ん……そういうんじゃ、なくてね……」

 疲れ切ったように息を乱し始めるも、マドカは微笑を浮かべて、ジュンセに向けた。

「それより早く行かないと。君の友達、助けないと……」

 トウヤの事を言っているのだと分かり、ジュンセは抑え込んでいた疑問を爆発させた。

「先輩!トウヤは、トウヤはどうなってるんですか⁉どうしてあんな……」

「気持ちを抑えられなかったようなモノだよ」

 割って入るようにして、ジュンセの知らない声が答えを投げる。

 青い制服の男子生徒が、ジュンセたちに近付いて来ていた。

 ネクタイの色から、2年生の先輩だと分かり、その飄々ひょうひょうとした雰囲気を前に、ジュンセは訝しげな目を向ける。

「ヒュウガくん」

 弱った声で、マドカは男子生徒、ヒュウガの名を呼んだ。

 すると、ヒュウガはマドカの状態に対し溜め息を吐き、ジュンセを手伝うように、マドカを支える。

「やられたな、マドカ。あと一年あるっていうのに」

「っ……そこまでなんだ」

 ヒュウガが淡々と告げると、マドカは表情を曇らせた。

 だが、すぐに活力を取り戻した顔になり、踏み出そうと、もがく。

「よせ。もう限界だ」

「でも、さっきの子がまだ……」

 制止しようとするヒュウガの言葉に逆らい、マドカは歩き出そうとする。

 けれどその力は弱く、抜け出せばまた動けなくなりそうで、危うい感じしかない。

「心配しなくても、もうカノウが動いている」

 その言葉に、マドカはハッキリと焦りを顔に出した。

「そんな、急がないと!」

「急げないし、もうお前にはどうにも出来ないだろ」

「それでもっ!」

 明らかに様子が変わったマドカを見て、ジュンセも不安を大きくする。

 我慢が出来なくなり、今の状況について問うた。

「あの……トウヤはどうなってるんです?生徒会長が動いてるって」

「ふむ……さっきのヤツの友達か何かだよな……まあ、ちゃんと言っておいた方がいいか」

 他人事に思っているのを隠すこと無く、ヒュウガはジュンセと、近くでずっとへたり込んでいるミサトを一瞥し、事態を説明する。

「お前らの友達は、生き返る為に使われた技術が暴走して、化け物みたいになってる」

 家電の説明をするようなテンションで話されるが、ジュンセとミサトは理解が追い付かなかった。

 構わずヒュウガは説明を続ける。

「で、そんな危ない奴を放置して置けないから、我らが生徒会長のカノウ先輩が、対処に動いた訳だ」

 ザックリとし過ぎていて、いまいち納得がいかないが、トウヤが危険な状態で、カノウがそれを何とかしようとしている事は分かる。

 そこでジュンセは、何よりも確かめたい事を尋ねる。

「トウヤは、どうなるんですか?」

 元の状態に戻るのだろうか?それが一番気に掛かる事だった。

 ついさっきまでのマドカの様子から、 最悪の事態にはならないと安心しきっていた分、上げて落とされた事による不安が、ジュンセを追い詰めていた。

 そんなジュンセの問い掛けに対し、ヒュウガは気の毒そうな顔をして、目を逸らした。

「カノウも善処するだろうが……やっぱ死ぬだろうな、アイツ」 

「なっ……⁉」

「ヒュウガくん!」

 思慮しりょの欠けるヒュウガを、マドカが責める。

 しかし、ヒュウガは反省する気配を全く見せずに続ける。

「事実だろ。ただでさえカノウは手加減が下手くそなうえ、今日までほとんどの暴走をマドカが対処してたんだ。ブランクで上手くできる訳がない」

 得意げな口調でヒュウガが理屈を並べると、マドカはヒュウガの手を振り払い、ジュンセの方に体重を預ける。

「急ごう、後輩くん、手遅れになる前に……」

「先輩……」

 強い意思の宿る瞳に感化され、ジュンセは肩を貸し、マドカを引っ張る。

 そうして、ヒュウガを置いて進んで行くと、めた目になったヒュウガが、後ろから刺すように、言葉を送る。

「お前が死ぬぞ、マドカ」

 自然と足が止まり、ジュンセはマドカの顔を見た。

 痛い所を突かれたように、マドカは黙って俯いている。

「もう卒業までのリバイブも残ってない。すぐにでも眠らないと、卒業式に出られないぞ?」

 唐突によく分からない単語が出た。

 だが、3年のマドカが卒業できないかもしれない、という旨は理解でき、ジュンセは進む事を躊躇ためらってしまう。

 マドカの顔を覗くと、不安の隠しきれない表情をしていた。

 トウヤに死んで欲しくない。けれど、その為にマドカが犠牲になっていいとも思わない。

 どうすれば?

 そんな事を思うと、ジュンセはそもそもの問題に気付く。

 自分に何が出来るのか?

「俺にっ……」

 思い立った瞬間、ジュンセは声を上げる。

「俺に、何か出来ないんですか?」

 すがるような、けれど強い意思も宿る言葉に、マドカとヒュウガは惹き付けられる。

「俺に、マドカ先輩の代わりに、出来る事、ないんですか?」

「ほう……マドカ、腕章をそいつに渡したらどうだ?」

「え?」

「今のお前やカノウよりかは、死なせない可能性が高い。どの道、後任も探していたんだろ?丁度いい機会じゃないか」

「でも……」

「あるんですか⁉俺に出来る事」

 ヒュウガの言動から、何か手段があると察し、ジュンセはマドカに懇願こんがんする。

「お願いします先輩!トウヤを、トウヤを死なせたくない!友達なんです!それに、あいつがああなったのは、俺にも責任がある。お願いします!」

 思いのたけをぶつけて、ジュンセは頭を下げる。

 その熱意を、マドカはんであげたいと思った。

 けれど、そう簡単に任せていい役目ではない。

「大変だよ?責任も大きいし、嫌な事もいっぱいある。結構……覚悟がいる仕事……」

 優しくつむがれた言葉だった。

 だが、その中に厳かな意思を感じ取り、ジュンセは畏怖いふの念を抱く。

 しかし、止まりたくはなかった。諦めたくはなかった。

「それでも、俺はトウヤを助けたいんです!」

 真っ直ぐな気持ち。だが、信念や覚悟の無い、勢い任せの言葉だ。

 純粋な願いとも言える。

 その願いを、マドカは綺麗だと感じ、叶えたいと思った。

「……わかった」

 ジュンセに任せると決め、マドカは腕章を留めている安全ピンに手を掛ける。

 ただ腕章を付けるだけにしては大き過ぎる、銀色の安全ピン。

 その針は、マドカは自身の腕を貫通し、腕章を刺し留めていた。

 針を金具から外し、腕から引き抜かれると、腕章がマドカの腕から飛び立ち、幽霊のように浮遊する。

『風紀』と記された表面に、ポップなマンガやゲームなどに出てくる敵キャラのような顔が浮かび上がる。

「これが、この学校の……風紀委員の力」

 手のひらいっぱいに収まるくらいのサイズをした安全ピン。

 その金具にも『風紀』と文字が彫られていた。

 ジュンセは安全ピンを受け取る。

 その様子を、浮遊ふゆうする腕章の目が見届けていた。

 まるで、悪魔と契約する愚者を嘲笑うかのような、そんな不気味な目をしていた。

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