第47話 みんなの記憶

 僕の両手が自分の意志に反して喉笛にかかる。遠慮のない力が加わって、首の骨が折れそうになる。本当に僕の力だろうか? 容赦が無いとこんなにも強い。

 カティアが契約を、一番悪い形で発動したからだ。――マジに僕達を殺す気だ。


「ぐっぐ、ぐ――!!」


 すぐ隣で六股君が悶絶している。

 僕と同じように、器用に自分の首を締めている。知らない人が通り過ぎたら、遊んでいるように思うだろうか。悪ふざけを止めて、働きなさいと言うのだろうか。


 ――酷いよカティア。一緒に戦ってきたのに、やめてくれよ。僕はもう、ただ帰りたい。ママに、早く帰ってママに会いたいんだ……。


「ママに……あっ……」


 朦朧とする意識の中で、記憶の断片を見つける。カティアが不都合だと言って捨てた断片だ。一つ見つけると、次の断片がすぐに見つかる。


 すると家の近くの堤防に立っていた。

 鉄橋をノロノロと電車が走っていくが、途中で止まって反対方向に走り出した。夕日が山の上に登って、ビルの上を通り朝日に変わって沈んだ。何度も何度も朝と昼と夜が繰り返す。暑かったり寒かったりするが、着るものがない。

 だけど、僕の頭の中は意外なほどにスッキリとしていた。


 ――思い出した。ああ、鮮明だ。買ったばかりのテレビみたいに鮮明になった。……僕の名前は……黒井ハルト。僕のママは、もういない。ママは犯罪に巻き込まれて死んだ。逃走する犯人の車に轢かれてしまった。急いで手当てをすれば助かったのに――助かる命だったのに、道端に放置されて死んでしまった。

 ――ああ! ああ! あれは、動物園の帰りだったろうか。あの日、檻からダチョウが逃げ出したんだ。それで急遽閉園になって、僕が人混みを嫌がったから、人の少ない道を使って……それで、それで事故に遭った。僕を庇ってママは轢かれた。僕は何も出来ずにずっと、ずっと泣いていたんだ。

 ――僕が引きこもったのは、高校で虐められたからじゃない。ママが、ママが僕のせいで死んでしまったからだ! それ以来僕は、一度も子供部屋テリトリーから出ていない!


 首を締める手から力が抜ける。


「そのママに会わせてやるとでも、契約に書いてあるのかぁ――!! ふざけた記憶を埋め込みやがって――!!」


 僕は椅子を倒して立ち上がる。知らない間に、カティアに足元をみられていた。絶対に他人には触れられたくない過去。とても腹立たしい。自身の芯を舐められた。

 かあっと血が巡り顔面が火照る。首から下は、一瞬で水銀のようになり、泡が沸き上がって歯車が出てきた。


 かおりさん。そして六股君も、歯車の装甲を纏って立ち上がる。ユラユラと、三つの幽鬼が起き上がったようだ。


 その様子を見ていたカティアは笑いだした。場違いな程にあっけらかんとしていて、拍子抜けするような笑い声が夜に響く。


「あっはっはっ――! イッヒッヒッ!」


 枯れ葉みたいに舞うカティア。


「アハハハ、もうアカン。完全に制御不能や。こいつら自力で変身してもうたぁ」


 カティアは外套がいとうの隙間に手をやると、紙を取り出して空中に投げた。ビリビリに破けた白い紙が、花びらのように風に流された。僕達の契約書だと思った。


「終わりや終わり~。はぁ……仕事がまた増えるなぁ……玉座は無理かも知れんなぁ……」


 カティアは力を失う。僕の歯車がゆっくりと回り始めた。


「僕も全部思い出したよ。名前も、会いたかった人も。多分、六股君も思い出してる」 

「そうみたいやな。もうちょいで、全部手に入ったのになぁ。やれやれ、どうしよかな。計画変更や……」

「カティア。僕は怒っているんだ。大切な想いを踏みにじるな!」

「……ふ~ん。靴下君もそっち側なんや」

「僕は黒井ハルトだ。変な名前で呼ぶな」

「……そうか、じゃあ、おままごとはおしまいって事やなぁ。結構楽しかったから残念や」


 月明かりしかない世界だ。僕達がいた世界と比べて、闇はどこまでも深い。その闇には潜んでいる。牙を剥いた野獣が。

 行き止まりのような闇から、巨大な獣が這い出して来た。一番近い動物で例えるならヒョウだ。黒いヒョウ。そこに人が跨がっていた。幼い顔立ちの少女だ。白いヒラヒラの服を着ていて、神事を取り扱う神官のようだと思った。

 その少女と獣は、カティアの背後から現れると横に並んだ。少女は似つかわしくない大人びた話し方をした。


「第十三書記カティアよ。現状を報告しなさい」

「ん? また五月蝿いのがきたなぁ。見たら分からんか? 喪失武器ロストウェポンどもが記憶を取り戻した挙げ句、契約報酬にいちゃもんつけてきとるんや。オッケー言うたはずやのに、困ったお客さんやで」

「はぁ……。やはりメロルート様のおっしゃる通りと言うことかしら?」

「そうや。あの女が忠告しとったみたいに、キレた兵隊が暴走したんや。今はどうするか考え中や。少し黙っとけ!」

「なるほど。あなたのせいで、バースの大地には、存亡の機が迫ったようですね。喪失武器ロストウェポンの暴走など、あってはなりません。全力で止めなければ」


 更にぎゃあぎゃあと喚くカティアを無視して、黒いヒョウが進み出てきた。


「こんばんは。ご免なさいね、あなた達を無視して話をしてしまって」

「あなたは誰なの?」


 と香さんが訊いた。


「私? 私は第四書記のコラダ。第一書記メロルートの側近です」

「第一書記……」


 状況がややこしい。

 コラダとカティアが、仲良く会話しているとなると、二人は仲間なのか? 


「三つだ。ライノール。三つです」


 コラダがそう言うと、ヒョウの頭が細胞分裂したように三つに増えた。ちょうど僕達の数と一緒だ。コラダの声音が急に低くなり、こう言った。


地獄の炎ヘルファイア


 ごう、と三つの頭から火の塊が飛び出して、近くにいる僕達に命中する。


「うわっ!」とか「キャ――!」と声が響くが、熱を少し感じるだけで済む。装甲はびくともしなかった。ただ、この炎。非常に粘る。払っても払っても、中々消えない。

 コラダの冷たい声がした。


喪失武器ロストウェポンよ。バースの大地は汚させぬ」

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