第46話 突然やってくる別れ

 ■■ 第一の別れ ■■


 第十二書記のダストンは、傷ついた雪の精霊を連れて、霊峰エデンザグロースに帰る事になった。多くの精霊を失なって崩れた、土、風、火、水の勢力バランスを、緊急に取り戻す必要があるらしい。

 死線を共に越えた仲間なのに、ダストンとカティアの別れは、簡単なものになった。


「お前が王になったら、私をクビにする約束は、もう無しかな?」

「いんや。ちゃんと覚えとくわ」

「そうか……。感謝する第十三書記よ。最後まで付き合ってやれなくて悪いな。お前達も大変だろうに……」

「ん……、せやな……。そっちも大勢やられて親類まで死んどるんや。立派な墓を建てたってくれ」

「わかった。では、達者でな」

「うん。じゃあ」



 ■■ 第二の別れ ■■


 僕達は、闇夜に乗じてダリューン川を渡った。第一書記メロルートが支配する土地に入ったが、闇が深いので、ここで夜明けを待つ。

 ダストンが手配してくれた旅の支度をほどき、粗末だが大きめの天幕を建てた。屋根があるだけで、随分と夜の冷気は抑えられるが、先生がいなくなって、僕達の心は冷たい川底のようになっていた。失意は簡単に訪れて、なかなか手を離してくれない。

 ――もう帰りたい。帰れなくても、安全な場所へ逃げ出したい。


 皆、そう考えているはずだ。

 平和ボケしていた僕は、まさか人が死ぬなんて思ってもいなかった。紆余曲折はあるけれど、何だかんだ言って最後には助かるんだと、心の何処かで根拠も無いのに信じていた。それが見事に外れたわけだ。

 ――甘い……。すっごい甘いな僕は……。くそ、お先真っ暗だよ……。

 そんな現実に潰されそうな時に、今度はオハナさんに異変が起きた。


「あっ、私、記憶が戻ったかも……」

 

 天幕の中で、オハナさんがボソッと言った。僕と六股君は見詰め合って、それから怪訝な顔をオハナさんに向ける。


「ん、それって、どういう……?」


 僕の言葉はそこで途切れた。

 オハナさんが椅子から立ち上がり、金切り声を上げたからだ。


「わあああ――! 穂乃花ほのかはもういないんだ――! わあああ――! うああぁ――!」

「ど、どうしましたか!?」


 いい大人なのに、赤ちゃんみたいに見境無しだ。


「お、オハナさん、大丈夫ですか?」


 尋常じゃない。心配になってきて、僕達はオハナさんを止めようとする。伸ばした手は、乱暴に払われた。ちょっ、本気だ痛い。


「そんな名前じゃない。私は楠木香くすのきかおり。穂乃花のママよ! ――ああ、穂乃花、どうして死んでしまったの――!」

「えっ! 何ですか今の!?」


 ドキッとした。

 ――クスノキカオリ?

 オハナさん、自分を楠木香だと言った。名前を思い出したのか? それに穂乃花って、む、娘で、もう死んだって――?


「ちょ、ちょっと整理しませんか? なに、なに、なんなの? 何が始まった? 六股君なら答えられる? 教えてよ」


 頭の中がまるで、何年も掃除をしていない部屋みたいだ。要らないものが溢れて、大切なものが見つからない。何を掴んだらいいのか教えて欲しい。

 そこへカティアが、ふらっと現れた。天幕に入ってくるなり、厳しい顔をして「座れ」と言った。

 キ――ン!

 耳鳴りがすると、中腰だった僕達のお尻が椅子に吸い付く。カティアは一番奥の余った椅子に、優雅に腰を掛けた。


「でっかい声やなぁ。外まで漏れとったで。えっと、名前なんやったっけオハナさん。確かかおりさんか」

「…………ぐっ!」


 香さんは、縛り付けられた椅子から逃れようと力を込める。


「で? 色々と思い出したみたいやけど、何が気に入らんのや?」


 とカティアは訊いて足を組んだ。酷く退屈な質問をしているようだった。反対に香さん? は、とうとう檻の中に入れられた、猛獣みたいな息遣いをし始めた。


「ふ――っ、ふ――っ、……私の娘は、一年前に死んでいた。貴女はその事を知ってたの!?」

「……知ってたで」

「知ってたのに黙ってた。なんでよカティア? 私が何度も会いたい、て言ってたのを聞いていたでしょ?」


 カティアはため息をついた。


「なんでも糞も……契約のためや。会いたい人に会わせたるっつう約束で契約結んだんや。死んでたら会われへんやろ。だから黙ってた」

「騙したのね。……ひどい……」

「普通はそうや。お前らを騙してこき使った……でも、そこが違うねんって……。なんでかというと、私が用意した報酬は、なんと! 【死人に会う】という奇跡なんや――え? 死人? て、びっくりした?」

「うっうう……」


 その瞬間、香さんの顔面が崩れた。カティアは興奮してまくし立てる。


「なのに、信じてくれへんやん? 死人に会えるって言っても信じてくれへんやん? 心の底では信じたいのに、頭では無理やと否定するやろ? お前が望まないと――、お前が真に望む報酬でないと、契約にならへん。だから黙ってた。分かったかオハナ。いや香」


 香さんの涙が止まらない。


「うっうっ……じゃあ、先生が最後に見てたのは……まさか」

「そうや。先生も同じや。もう絶対に会えない【死人】や。死人に会ってたんや」

「死んだ人を報酬にするなんて……。カティア……。それが本当なら、死者や残された人達への冒涜だわ」

「そうか?」

「そうよ」


 香さんはカティアを睨む。カティアは両腕を頭の後ろに回している。


「わからんなぁ~。それでも心の底で望んでるもんなんやぞ?」

「私は望んでない」

「いいや、望んでるんや。じゃないと契約が成立せえへんねんて。……私はお前らが決断しやすいように、少し記憶をいじっただけや。――全部、遺跡の壁に描いてあったんや。条件に当てはまる血の濃い人間を探す方法も、記憶を書き換える方法も」


 「なあ」と言って、カティアは僕達に呼び掛けた。口元がだらしなく歪んでいる。


「私は墓掘りの娘で、ずっと死者の声を聴きながら育ったんや。だから信じてついてきてよ。もう二度と会われへん【死人】を、私は呼べるねんって――。私が用意した報酬は、とびきりやと思わんか? 先生かって飛びついとったやろ? お前らも感動しとったよなぁ」


 僕の隣で六股君が、「まじかよ」と呻いた。

 香さんが厳しい顔をして食って掛かる。


「馬鹿にしてる。人の弱みにつけこんだ挙げ句、死者の尊厳をもてあそんでる。喪失武器ロストウェポンは昔から、あなたのような人達に利用されてきたのね!」

「そうそう――」


 とカティアは大袈裟に頷いた。


「遥か昔の書記さんが、何を報酬に喪失武器ロストウェポンを召喚したんかは知らん。でも、もうええやろ? 私の降霊術は、本物の魂を呼び寄せて憑依させるんや。それは、もう二度と会えない人に会えるのと同義。契約の力を借りてシチュエーションもばっちりなんやぞ! 悔いが残らんように想い出作りまで手伝ってんのに、弄んだなんて心外やわ」

「弄んだわ!」

「いいや、弄んでない。いい加減認めたらどうや香さん。私は、お前の願いをきいただけや」

「私は望んでいない! 穂乃花の魂を弄ぶな化け物め――!!」


 と叫んで香さんが、立ち上がろうとする。「座れ」と命令されていたのに破ろうとする。香さんの周辺から、ピシッ、ピシッ、と鞭を打ちつけたような音がした。


「えっ! 変身してる!!」


 僕の声は甲高くなった。なぜなら目の前で、香さんのつま先から膝の辺りまでが、銀色に変化したからだ。カティアの指示や巻物がないのに、勝手に喪失武器になろうとしている。


「カティア――! 私は貴女を許さない! 穂乃花の魂には触れさせない!」

「聞き分けのない女やなぁ! それ以上動くなぁぁ――!!」

「きゃあああ――!!」


 カティアが契約の力を発動させると、僕達まで質素な椅子を割りそうになる。対面にいる香さんが悶える。涙や鼻水が垂れて、とても苦しそうだ。それでも胸元まで銀色に変色が進み、足元から徐々に歯車の装甲が出現してきた。変身は止まらない。カティアは、身構えながら立ち上がった。


「ミスったわ……仲間が死んだせいで暴走してもうた。あの女が言った通りや。……くそっ……。私は自惚れとったって認めたるわ! 穂乃花の魂よこい! 大好きなママに別れを告げるんや!」

「や、やめて――!」

「第十三書記カティアの名で命ずる。其は、この世の始まりにて終わりなり。近くて遠い双星の片割れなり。バースの大地にあざなす厄災よ。喪失武器ロストウェポンどもは――――」


 カティアと視線が合う。僕は首を振った。カティアの緑青色アクアマリンの瞳が、一瞬悲しげに潤んだ。


「今すぐ自害しろ――!!」


 強風で飛ばされる傘のように、天幕の屋根が吹き飛んだ。満点の星空が急に現れる。だが、夜空を眺めるのは、これで最後だ。

 自害しろだなんて酷い。

 カティアには、悪魔のような狡猾さの中に、枯れた木に一つだけ残った実のような温もりを感じていたのに――。

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